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28. 誕生日
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「志穂、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます!」
桜の季節も過ぎ、すっかり暖かくなった4月下旬、私は26歳の誕生日を迎えていた。
お祝いしてくれているのは航さんだ。
関係を社内で秘密にしていることもあり、普段は家の中で過ごすか遠出するかのどちらかである私たちだが、この日は都内のレストランの個室で食事をしていた。
記念日デートっぽく、洗練されたモダンな和空間の焼肉屋さんで、ちょっと贅沢に黒毛和牛を堪能している。
とろけるお肉も、お店の雰囲気も、店員さんのサービスも最高で、まさに上質なひとときだ。
最後にはHAPPY BIRTHDAYとチョコレートで書かれたお皿の上にケーキとマカロンが盛られているデザートプレートが出てくる。
「わぁ、デザートも可愛いですね。最初から最後までほっぺたが落ちるくらい美味しかったです」
「それは良かった。ネットの口コミ情報を見て予約したけど当たりだったな」
「ですね!」
個室のテーブル席に向かい合って座りながら、視線を交わして微笑み合った。
私がデザートに手をつけ出してしばらくした頃、その様子を見ながらワインを飲んでいた航さんがふと手を止める。
ワイングラスをテーブルに置き、スーツの内ポケットに手を差し込んで何かを取り出した。
その取り出したものをおもむろに私へと手渡してくる。
「これ、誕生日プレゼント」
そう言われ受け取った小さな箱は、見るからに指輪のケースだ。
蓋を開けてみると、そこにはシンプルながらもやさしいウェーブラインが特徴的なシルバーの指輪がひとつ輝いていた。
「前にプレゼントするって話してたの覚えてる?」
「はい。航さんが既婚者を装ってる時につけていた指輪を外す話をした時に、ですよね。あれは独身だと明かすことで女性にアプローチされるであろう航さんに私が心配になったらプレゼントするかもって話じゃなかったでしたっけ?」
「それも話したけど、俺も志穂にプレゼントするって言ったのは忘れた? で、実際に志穂に指輪付けて彼氏いるアピールをしてもらいたくて誕生日をきっかけにプレゼントしてみた」
ちょっと冗談めかした口調で話しながら航さんは笑う。
さっそく今貰ったばかりの指輪をケースから取り出して、私は右手の薬指にはめてみた。
つけた指輪を航さんの方に掲げて見せながら私はちょっと頬を膨らませて言う。
「指輪、ありがとうございます。嬉しいです。でも私も航さんにプレゼントしたいなって思ってたので、先を越されちゃいました」
「志穂も俺にプレゼントしてくれるつもりだったの?」
「はい。だって既婚者のふりをやめて以来、航さんを狙う女性が溢れてますから。でも、右手の薬指とはいえ二人同時に指輪を付け出すと怪しいですよね」
「さすがにペアリングは無理だね。でも別々のやつなら、時期をずらせば不自然ではないんじゃない?」
「じゃあ私は航さんの誕生日にプレゼントしますね!」
航さんの誕生日は7月だ。
3ヶ月近く時間差があれば周囲から怪しまれることはないだろう。
……それまで航さんは指輪ナシだけど、航さんが私を大切にしてくれていることは日々感じてるから信じよう!
まったく不安がないと言えば嘘になるが、信じようと自然と思えるくらいに航さんには想ってもらえている実感があった。
やっぱり日々イチャイチャして心と体で気持ちを通じ合わせているのは大きい。
そこに先日からはセックスも加わって、ますます満たされるようになった。
セックスって性的な快感を得るだけでなく、コミュニケーションツールの一つでもあるんだなと感じている今日この頃だ。
デザートを完食し、最高の食事に大満足した私たちはお会計を済ませてお店を出る。
この日は金曜日だったので、そのままタクシーに一緒に乗り込んで航さんのマンションに帰宅した。
一旦リビングのソファーで寛ぎしばらくすると、いつものようにそれぞれシャワーを浴びようという流れになりだす。
そのタイミングで私は航さんのシャツの裾を軽く引っ張り、おねだりをしてみることにした。
「あの、航さん、今日は私の誕生日祝いなので、一つおねだりしてもいいですか?」
「おねだり? どんな?」
「えっと、その、航さんと一緒にお風呂に入りたいです!」
思い切って自分の願望を口にし、ちょっと恥ずかしいと思いつつ、チラリと航さんの反応を窺ってみる。
航さんは目を瞬かせ、予想外のおねだりだったのか少し面食らっている様子だった。
「……嫌、ですか?」
「嫌ではないよ。ただ、彼女と風呂に入るってのは初めてだなと思って」
「えっ、初めてなんですか⁉︎ 航さんでも初めてのことがあるんですね。航さんの初体験を貰えるなんて嬉しいです! 実は入浴剤も買ってきたんですよ」
私より年上でモテる航さんは大抵なんでも経験済みだから、初めてのことがあるなんてなんだか嬉しくなってくる。
お風呂でのイチャイチャに興味のあった私は、鞄から予め購入しておいた乳白色になるミルクの香りの入浴剤を取り出した。
「私の方がお風呂は時間がかかるので先に入りますね。15分くらいしたら航さんも入ってきてください」
そう言い残して、入浴剤を片手に先に浴室へと向かう。
脱衣所で脱いだ服は見られても恥ずかしくないようにいつもより丁寧に畳んで置き、裸になったところで浴室へ入った。
浴槽にお湯を溜めつつ、その間にシャンプーとトリートメントで髪をケアし、ボディソープで体を洗う。
最後にボディスクラブで角質を取って触り心地の良いつるつるの肌へと仕上げた。
その頃にはお湯がちょうどいい量まで溜まっていたため、入浴剤を入れてからお湯に浸かる。
髪はくるりと頭の上でまとめ、湯船に浸からないように気をつけた。
「志穂、入るけど大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です!」
浴室のすりガラスの扉に人影が映り、外から声が掛けられた。
私が返事を返すと、ゆっくりと扉が開き、腰にタオルを巻いた航さんが姿を現した。
「俺も先に髪や体を洗うね」
私みたいにノロノロと洗うのではなく、航さんはパパッと素早く動く。
それが新鮮で湯船の中からじっと無言で見つめていると「見すぎ」と、笑いながら嗜められた。
ものの数分で洗い終わった航さんは、私のいる湯船に入ってくる。
私を足の間に挟むように座り、後ろからギュッと抱きしめられる体勢になった。
乳白色のお湯のおかげで体は見えず、胸から上の部分だけが露出している状態だ。
航さんは後ろから私の体に腕を巻き付けると、首筋にチュッと唇を寄せた。
「こうやってうなじが見えてるの新鮮。思わず目が吸い寄せられたよ。それになんか志穂、いつもより肌がすべすべじゃない?」
「あ、分かりました⁉︎ 実はスクラブで洗ったんです!」
「スクラブって?」
「えっとですね、砂糖や塩などの細かい粒子を配合したもので、肌になじませてから洗い流すだけで古い角質を除去できるアイテムです」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
お風呂に入って体が温まりリラックスした私たちは、ゆったりとした心地でなにげない会話を楽しむ。
スマホやテレビなど遮るものがなにもない空間のため、自然と会話は盛り上がった。
そんな中、航さんが会話の流れで「志穂がどう思っているか聞きたいんだけど」と切り出す。
それはこれまでとは違う真剣な声のトーンだった。
「志穂は結婚に対してどう思ってる?」
「えっ、結婚、ですか?」
航さんの口から飛び出たものとは思えないトピックスに私は思わず復唱していた。
一瞬聞き間違いかと自分の耳を疑ったけど、決してそうではないようである。
「前にセックスは恋人同士の行き着く先だって志穂は言っていたけど、結婚もそうだと思うんだ。だからこうやってゆっくり話せる機会に志穂がどう考えてるのか聞いてみたいと思って」
続く航さんの言葉に確かにそうだなと納得した。
特に航さんは前の彼女の時に結婚プレッシャーが負担だったようだし、それを踏まえて早めに価値観をすり合わせておきたいのかもしれない。
「そうですね、私はあんまり結婚願望ないです。結婚自体はいずれはしたいなとは思いますけど、今は仕事ももっと頑張りたいですし、全く頭にないですね」
私は思っていることをそのまま率直に口にした。
それは以前中津さんと結婚願望の話題になった時に答えたものと同じであり変わっていない。
唯一変化があるとすれば、あの時はデキナイ状態だったから結婚なんて無理だと諦めていたが、それが解消されたくらいだろう。
「航さんは? 結婚を迫られることが負担だったことがキッカケでEDになったくらいだから、当然結婚願望はないんですよね?」
航さんの腕の中で、私は背後を振り返って尋ね返してみる。
すると航さんは私を抱きしめる腕に少し力を入れて意外なことを口にし出した。
「いや、今は考えが変わった。もちろん今すぐというわけではないけど、志穂とならゆくゆくはって気持ちがあるよ」
「えっ、そうなんですか⁉︎」
「そう。だから志穂には俺に結婚の意志があることは知っておいて欲しいと思って」
「航さん……」
「志穂が今結婚をまったく考えていないのは分かったし、昔の俺もそうだったからその気持ちは理解できるよ。急かすつもりもない。ただ、ゆっくりでもいいからまったく考えたことなかったのを少しは意識してみて欲しいんだ」
自分も同じ立場だったことがあるからか、航さんの言葉には性急さや押し付けがましさがない。
言葉通り、将来を考える時に選択肢として少しは思い描いてみて欲しいだけなのだろう。
まさか航さんに結婚願望が芽生えているなんて思いもしなかったけど、考えてみれば航さんも30代なのだし当然なのかもしれない。
それに昨年に昇進もして仕事的にもひとつの区切りがつき、そんなタイミングだからこそ考えるようになったのだろう。
「前に中津さんが言ってましたけど、結婚ってタイミングなんですね。航さんが3年前には一切なかった結婚願望が今あるのって、30代になったことと仕事で昇進したから、ですよね?」
「まあ、確かにその側面はあるかな。けど、その時にそう思える相手かどうかというのもあると思うけど? 志穂じゃなかったら考えもしなかったと思うし」
それはまるで私だから考えが変わった、それくらい特別だと言われているような言葉だった。
このタイミングの彼女が私だったというだけで、この時期の航さんと出会ったのが私じゃなければ違う人と結婚を考えていたのかなという想いが少しだけ心をよぎっていた私の胸の内を見透かしたような台詞だ。
航さんは「好き」だとか「愛してる」という直接的な愛の言葉をあまり口にはしないけど、いつもこうして私の心を掴む言葉をくれるなと思う。
正直、今は長年無理だと諦めていた恋人がやっとできたばかりで、全く結婚なんてイメージが湧かない。
だけどこんなふうに私のペースや気持ちも大切にしてくれながら、真剣に向き合ってくれる航さんだからこそ、私も簡単に「考えられない」の一言で終わらせたくない。
決して広くはないお風呂の中、航さんの肩にもたれかかり、首だけを動かして私は彼を見上げる。
「分かりました。ゆっくりでいいなら、少しは考えてみます」
「ありがとう、志穂」
私の返答に少しホッとした笑みを見せた航さんは、そのまま顔を近づけてきて、私たちは自然と口づけを交わす。
唇を通して航さんの気持ちが沁み込んでくるようで胸がじんわりと温かくなった。
その時、ふと私のお尻のあたりに何かが当たるのを感じる。
……あれ、これってもしかして。
キスをしながらさっきまで感じなかったモノをはっきり感じ取った私に、航さんは唇を離すと肯定するように告げる。
「さすがにキスすると反応してしまうな。ただでさえ、風呂で裸だと視覚的にも感触的にも刺激が強いし」
そう言って、小さく笑いながら航さんは私の体に巻き付けていた片方の手をそっと私の肌に滑らす。
その動きでお湯が揺れて表面が波打ち、小さな音を立てた。
素肌をなぞるように撫でられたことで、さっきまでゆったり落ち着いた気分だったのに、途端に私の官能スイッチも目を覚ます。
胸の下に手を差し込まれ、やわやわと揉まれ始めたらもうダメだった。
「んっ……航さん……」
お湯の中という、いつもと違うシチュエーションも興奮を誘う。
胸の先端を指先がかすめた時には、ビクッと大きく体が反応し、お湯がバシャと跳ねた。
「あっ、ダメ……。航さん、どうしよう……すっごくしたくなってきちゃいました……」
「俺もだよ」
「このままココで?」
「それもいいかも。……あ、でもダメだ。ゴムがないな」
お互いその気になっていたが、避妊なしでの行為はリスクがある。
そのままやめるという選択肢もあったが、一度入ったスイッチは止められない。
「……さっさと風呂から出て、ベッドに行こうか?」
「はい、私も同じこと思ってました。お風呂では今度リベンジですね!」
「次はあらかじめゴムを持って入っておかないとな」
リベンジを誓い合い、私たちはバスタイムを強制終了して浴室から出ることにする。
脱衣所のスペースの関係上、先に航さんが出て、次に私が続く。
お互い体を拭いてタオルを巻いただけの姿で、そのまま寝室のベッドに傾れ込んだ。
すでにスイッチが入ってるうえに、お風呂で心も体も温まりリラックスした状態だったため、いつにも増して感度が上がる。
すぐに巻いたタオルは取り払われ、素肌を重ね合わせる濃厚な時間が繰り広げられたのだった。
「ありがとうございます!」
桜の季節も過ぎ、すっかり暖かくなった4月下旬、私は26歳の誕生日を迎えていた。
お祝いしてくれているのは航さんだ。
関係を社内で秘密にしていることもあり、普段は家の中で過ごすか遠出するかのどちらかである私たちだが、この日は都内のレストランの個室で食事をしていた。
記念日デートっぽく、洗練されたモダンな和空間の焼肉屋さんで、ちょっと贅沢に黒毛和牛を堪能している。
とろけるお肉も、お店の雰囲気も、店員さんのサービスも最高で、まさに上質なひとときだ。
最後にはHAPPY BIRTHDAYとチョコレートで書かれたお皿の上にケーキとマカロンが盛られているデザートプレートが出てくる。
「わぁ、デザートも可愛いですね。最初から最後までほっぺたが落ちるくらい美味しかったです」
「それは良かった。ネットの口コミ情報を見て予約したけど当たりだったな」
「ですね!」
個室のテーブル席に向かい合って座りながら、視線を交わして微笑み合った。
私がデザートに手をつけ出してしばらくした頃、その様子を見ながらワインを飲んでいた航さんがふと手を止める。
ワイングラスをテーブルに置き、スーツの内ポケットに手を差し込んで何かを取り出した。
その取り出したものをおもむろに私へと手渡してくる。
「これ、誕生日プレゼント」
そう言われ受け取った小さな箱は、見るからに指輪のケースだ。
蓋を開けてみると、そこにはシンプルながらもやさしいウェーブラインが特徴的なシルバーの指輪がひとつ輝いていた。
「前にプレゼントするって話してたの覚えてる?」
「はい。航さんが既婚者を装ってる時につけていた指輪を外す話をした時に、ですよね。あれは独身だと明かすことで女性にアプローチされるであろう航さんに私が心配になったらプレゼントするかもって話じゃなかったでしたっけ?」
「それも話したけど、俺も志穂にプレゼントするって言ったのは忘れた? で、実際に志穂に指輪付けて彼氏いるアピールをしてもらいたくて誕生日をきっかけにプレゼントしてみた」
ちょっと冗談めかした口調で話しながら航さんは笑う。
さっそく今貰ったばかりの指輪をケースから取り出して、私は右手の薬指にはめてみた。
つけた指輪を航さんの方に掲げて見せながら私はちょっと頬を膨らませて言う。
「指輪、ありがとうございます。嬉しいです。でも私も航さんにプレゼントしたいなって思ってたので、先を越されちゃいました」
「志穂も俺にプレゼントしてくれるつもりだったの?」
「はい。だって既婚者のふりをやめて以来、航さんを狙う女性が溢れてますから。でも、右手の薬指とはいえ二人同時に指輪を付け出すと怪しいですよね」
「さすがにペアリングは無理だね。でも別々のやつなら、時期をずらせば不自然ではないんじゃない?」
「じゃあ私は航さんの誕生日にプレゼントしますね!」
航さんの誕生日は7月だ。
3ヶ月近く時間差があれば周囲から怪しまれることはないだろう。
……それまで航さんは指輪ナシだけど、航さんが私を大切にしてくれていることは日々感じてるから信じよう!
まったく不安がないと言えば嘘になるが、信じようと自然と思えるくらいに航さんには想ってもらえている実感があった。
やっぱり日々イチャイチャして心と体で気持ちを通じ合わせているのは大きい。
そこに先日からはセックスも加わって、ますます満たされるようになった。
セックスって性的な快感を得るだけでなく、コミュニケーションツールの一つでもあるんだなと感じている今日この頃だ。
デザートを完食し、最高の食事に大満足した私たちはお会計を済ませてお店を出る。
この日は金曜日だったので、そのままタクシーに一緒に乗り込んで航さんのマンションに帰宅した。
一旦リビングのソファーで寛ぎしばらくすると、いつものようにそれぞれシャワーを浴びようという流れになりだす。
そのタイミングで私は航さんのシャツの裾を軽く引っ張り、おねだりをしてみることにした。
「あの、航さん、今日は私の誕生日祝いなので、一つおねだりしてもいいですか?」
「おねだり? どんな?」
「えっと、その、航さんと一緒にお風呂に入りたいです!」
思い切って自分の願望を口にし、ちょっと恥ずかしいと思いつつ、チラリと航さんの反応を窺ってみる。
航さんは目を瞬かせ、予想外のおねだりだったのか少し面食らっている様子だった。
「……嫌、ですか?」
「嫌ではないよ。ただ、彼女と風呂に入るってのは初めてだなと思って」
「えっ、初めてなんですか⁉︎ 航さんでも初めてのことがあるんですね。航さんの初体験を貰えるなんて嬉しいです! 実は入浴剤も買ってきたんですよ」
私より年上でモテる航さんは大抵なんでも経験済みだから、初めてのことがあるなんてなんだか嬉しくなってくる。
お風呂でのイチャイチャに興味のあった私は、鞄から予め購入しておいた乳白色になるミルクの香りの入浴剤を取り出した。
「私の方がお風呂は時間がかかるので先に入りますね。15分くらいしたら航さんも入ってきてください」
そう言い残して、入浴剤を片手に先に浴室へと向かう。
脱衣所で脱いだ服は見られても恥ずかしくないようにいつもより丁寧に畳んで置き、裸になったところで浴室へ入った。
浴槽にお湯を溜めつつ、その間にシャンプーとトリートメントで髪をケアし、ボディソープで体を洗う。
最後にボディスクラブで角質を取って触り心地の良いつるつるの肌へと仕上げた。
その頃にはお湯がちょうどいい量まで溜まっていたため、入浴剤を入れてからお湯に浸かる。
髪はくるりと頭の上でまとめ、湯船に浸からないように気をつけた。
「志穂、入るけど大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です!」
浴室のすりガラスの扉に人影が映り、外から声が掛けられた。
私が返事を返すと、ゆっくりと扉が開き、腰にタオルを巻いた航さんが姿を現した。
「俺も先に髪や体を洗うね」
私みたいにノロノロと洗うのではなく、航さんはパパッと素早く動く。
それが新鮮で湯船の中からじっと無言で見つめていると「見すぎ」と、笑いながら嗜められた。
ものの数分で洗い終わった航さんは、私のいる湯船に入ってくる。
私を足の間に挟むように座り、後ろからギュッと抱きしめられる体勢になった。
乳白色のお湯のおかげで体は見えず、胸から上の部分だけが露出している状態だ。
航さんは後ろから私の体に腕を巻き付けると、首筋にチュッと唇を寄せた。
「こうやってうなじが見えてるの新鮮。思わず目が吸い寄せられたよ。それになんか志穂、いつもより肌がすべすべじゃない?」
「あ、分かりました⁉︎ 実はスクラブで洗ったんです!」
「スクラブって?」
「えっとですね、砂糖や塩などの細かい粒子を配合したもので、肌になじませてから洗い流すだけで古い角質を除去できるアイテムです」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
お風呂に入って体が温まりリラックスした私たちは、ゆったりとした心地でなにげない会話を楽しむ。
スマホやテレビなど遮るものがなにもない空間のため、自然と会話は盛り上がった。
そんな中、航さんが会話の流れで「志穂がどう思っているか聞きたいんだけど」と切り出す。
それはこれまでとは違う真剣な声のトーンだった。
「志穂は結婚に対してどう思ってる?」
「えっ、結婚、ですか?」
航さんの口から飛び出たものとは思えないトピックスに私は思わず復唱していた。
一瞬聞き間違いかと自分の耳を疑ったけど、決してそうではないようである。
「前にセックスは恋人同士の行き着く先だって志穂は言っていたけど、結婚もそうだと思うんだ。だからこうやってゆっくり話せる機会に志穂がどう考えてるのか聞いてみたいと思って」
続く航さんの言葉に確かにそうだなと納得した。
特に航さんは前の彼女の時に結婚プレッシャーが負担だったようだし、それを踏まえて早めに価値観をすり合わせておきたいのかもしれない。
「そうですね、私はあんまり結婚願望ないです。結婚自体はいずれはしたいなとは思いますけど、今は仕事ももっと頑張りたいですし、全く頭にないですね」
私は思っていることをそのまま率直に口にした。
それは以前中津さんと結婚願望の話題になった時に答えたものと同じであり変わっていない。
唯一変化があるとすれば、あの時はデキナイ状態だったから結婚なんて無理だと諦めていたが、それが解消されたくらいだろう。
「航さんは? 結婚を迫られることが負担だったことがキッカケでEDになったくらいだから、当然結婚願望はないんですよね?」
航さんの腕の中で、私は背後を振り返って尋ね返してみる。
すると航さんは私を抱きしめる腕に少し力を入れて意外なことを口にし出した。
「いや、今は考えが変わった。もちろん今すぐというわけではないけど、志穂とならゆくゆくはって気持ちがあるよ」
「えっ、そうなんですか⁉︎」
「そう。だから志穂には俺に結婚の意志があることは知っておいて欲しいと思って」
「航さん……」
「志穂が今結婚をまったく考えていないのは分かったし、昔の俺もそうだったからその気持ちは理解できるよ。急かすつもりもない。ただ、ゆっくりでもいいからまったく考えたことなかったのを少しは意識してみて欲しいんだ」
自分も同じ立場だったことがあるからか、航さんの言葉には性急さや押し付けがましさがない。
言葉通り、将来を考える時に選択肢として少しは思い描いてみて欲しいだけなのだろう。
まさか航さんに結婚願望が芽生えているなんて思いもしなかったけど、考えてみれば航さんも30代なのだし当然なのかもしれない。
それに昨年に昇進もして仕事的にもひとつの区切りがつき、そんなタイミングだからこそ考えるようになったのだろう。
「前に中津さんが言ってましたけど、結婚ってタイミングなんですね。航さんが3年前には一切なかった結婚願望が今あるのって、30代になったことと仕事で昇進したから、ですよね?」
「まあ、確かにその側面はあるかな。けど、その時にそう思える相手かどうかというのもあると思うけど? 志穂じゃなかったら考えもしなかったと思うし」
それはまるで私だから考えが変わった、それくらい特別だと言われているような言葉だった。
このタイミングの彼女が私だったというだけで、この時期の航さんと出会ったのが私じゃなければ違う人と結婚を考えていたのかなという想いが少しだけ心をよぎっていた私の胸の内を見透かしたような台詞だ。
航さんは「好き」だとか「愛してる」という直接的な愛の言葉をあまり口にはしないけど、いつもこうして私の心を掴む言葉をくれるなと思う。
正直、今は長年無理だと諦めていた恋人がやっとできたばかりで、全く結婚なんてイメージが湧かない。
だけどこんなふうに私のペースや気持ちも大切にしてくれながら、真剣に向き合ってくれる航さんだからこそ、私も簡単に「考えられない」の一言で終わらせたくない。
決して広くはないお風呂の中、航さんの肩にもたれかかり、首だけを動かして私は彼を見上げる。
「分かりました。ゆっくりでいいなら、少しは考えてみます」
「ありがとう、志穂」
私の返答に少しホッとした笑みを見せた航さんは、そのまま顔を近づけてきて、私たちは自然と口づけを交わす。
唇を通して航さんの気持ちが沁み込んでくるようで胸がじんわりと温かくなった。
その時、ふと私のお尻のあたりに何かが当たるのを感じる。
……あれ、これってもしかして。
キスをしながらさっきまで感じなかったモノをはっきり感じ取った私に、航さんは唇を離すと肯定するように告げる。
「さすがにキスすると反応してしまうな。ただでさえ、風呂で裸だと視覚的にも感触的にも刺激が強いし」
そう言って、小さく笑いながら航さんは私の体に巻き付けていた片方の手をそっと私の肌に滑らす。
その動きでお湯が揺れて表面が波打ち、小さな音を立てた。
素肌をなぞるように撫でられたことで、さっきまでゆったり落ち着いた気分だったのに、途端に私の官能スイッチも目を覚ます。
胸の下に手を差し込まれ、やわやわと揉まれ始めたらもうダメだった。
「んっ……航さん……」
お湯の中という、いつもと違うシチュエーションも興奮を誘う。
胸の先端を指先がかすめた時には、ビクッと大きく体が反応し、お湯がバシャと跳ねた。
「あっ、ダメ……。航さん、どうしよう……すっごくしたくなってきちゃいました……」
「俺もだよ」
「このままココで?」
「それもいいかも。……あ、でもダメだ。ゴムがないな」
お互いその気になっていたが、避妊なしでの行為はリスクがある。
そのままやめるという選択肢もあったが、一度入ったスイッチは止められない。
「……さっさと風呂から出て、ベッドに行こうか?」
「はい、私も同じこと思ってました。お風呂では今度リベンジですね!」
「次はあらかじめゴムを持って入っておかないとな」
リベンジを誓い合い、私たちはバスタイムを強制終了して浴室から出ることにする。
脱衣所のスペースの関係上、先に航さんが出て、次に私が続く。
お互い体を拭いてタオルを巻いただけの姿で、そのまま寝室のベッドに傾れ込んだ。
すでにスイッチが入ってるうえに、お風呂で心も体も温まりリラックスした状態だったため、いつにも増して感度が上がる。
すぐに巻いたタオルは取り払われ、素肌を重ね合わせる濃厚な時間が繰り広げられたのだった。
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