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23. Side航 〜嫉妬〜

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 ……今頃、元カレと再会して、再び火がついたりしてんのかな。

土曜日、リビングのソファーに寝転びながら、今日ここにいない志穂のことをぼんやり考える。

思わず謝恩会での元カレとの再会シーンを頭の中で勝手に想像してしまい、居ても立っても居られない気持ちになった。

特に先週会った時にちょっとした言い合いになり、喧嘩っぽい感じのままだ。

そんな状態の時に昔の男が現れて、熱心に口説いてきたら心が揺れるのではないだろうか。

なんとも嫌な考えが脳裏を駆け巡る。

 ……そもそも余裕ぶって送り出したのが間違いだったかもな。

志穂から謝恩会があり、その場に元カレがいるかもしれないと事前に聞かされた時、それを聞いて本当は「行って欲しくない」と心の奥底で思った。

だが、そんな本音は口にできない。

自分は志穂より年上だし、上司だし……とブレーキがかかった。

結局物分かりの良いフリをして「せっかくの機会なんだから行ってきたら」と勧めていた。

その直後にあの喧嘩だ。

付き合ってからよそよそしいと言われ、咄嗟に否定して口ごもったのがまずかった。

たぶんその俺の態度が志穂の何かを刺激したのだろう。

なぜか「彼女として魅力がないんですね」と訳の分からないことを口走り出した。

その結論に至った思考回路が俺には理解できず、きっとまた何か突拍子もない方向へ志穂は結論を導いている気がした。

 ……こんなことになるなら、もっと早く正直に話しておくべきだったかな。

いや、たぶん無理だ。

なにしろ俺は不能じゃなくなったと伝えることによって、志穂が自分から離れていくのが怖かったのだから。

反応しないから安心すると以前から志穂はよく口にしていた。

つまり、不能じゃなくなったと知ったら一緒にいることが叶わなくなるのではと俺は心のどこかで恐れていたのだ。

だからこの約2ヶ月、あまり深いスキンシップをし過ぎないよう、自分の正面側に志穂がくっついてこないように気をつけていた。

おそらくそれがよそよそしいと志穂が感じるに至った原因だと思う。

 ……でもそうでもしないと理性を保てなかったんだよなぁ。可愛すぎてすぐ押し倒してしまいたくなるし。

彼女として魅力がないなんて言っていたが、むしろその逆で、魅力的すぎて困っている。

その時ふと以前会った時に元カノである亜佐美に言われた言葉を思い出した。

――「航くんっていつも落ち着いていて余裕があって、全然感情的にならないし、私ばっかり好きみたいって、元々そう思ってたのもあってどんどん不安で苦しくなってきちゃって」

――「航くんこそ、奥さんを不安にさせないように気をつけた方がいいよ? たまには感情的になったり、余裕がない姿も見せてあげてね。じゃないと、昔の私みたいに不安になっちゃうかもよ?」

過去に俺は付き合っていた相手を激しい束縛をするような人にさせてしまったわけだが、その時の根本的な原因は、俺が無意識に相手を不安にさせていたことだった。

もしかしてその時と同じ過ちを犯しているのではないだろうか。

「よそよそしい」という言葉は詰まるところ「不安だ」という意味ではないか。

またしても俺は相手を意図せず不安にさせてしまっていたのかもしれない。

不安ゆえに亜佐美は束縛する方向に変貌していった。

だが、志穂も同じだとは限らない。

 ……志穂の場合、アッサリもう付き合うのはやめようと言い出しかねない気がするな……。

その考えに至ると、ますます居ても立っても居られなくなってきた。

半ば無意識にソファーから立ち上がり、俺はスマホと財布、キーケースだけを掴んで家を出る。

向かう先は志穂が出席している謝恩会のホテルの最寄駅だ。

ホテルから帰る時には必ずあの最寄駅を通るはずであり、あそこで待っていれば間違いなく会えるはずだ。

友人と一緒かもしれないし、そんな時に待ち伏せされているなんて志穂は嫌がるかもしれない。

昔の俺はそういう予告のない待ち伏せがものすごく嫌でウンザリしていた。

なのに、それを自分自身がしようとしている。

 ……当時の亜佐美の気持ちが今ならちょっと分かる気がする。相手のことが本気で好きだったなら、多少みんなこんなふうになるのか。余裕かましてられないんだな。

つまり俺は亜佐美のことを好きではあったが、それほど本気ではなかったのだろう。

それなりの長さと言える二年の付き合いの中で気持ちが釣り合わなかったのだから、ああして別れる結果になって然るべきだったのかもしれない。

一方で、たとえもし気持ちに温度差があったとしても志穂とは別れる結果にはなりたくないと思った。

ホテルの最寄駅に着いたのは、謝恩会の終了予定時間として聞いていた15分前くらいだった。

駅の改札を出て、改札前辺りにある壁にもたれかかりその場で志穂を待つ。

チラリと外を見れば、小雨が降り出してきていた。

待っている間にスマホで気象情報を確認したところ、この後雨はさらに酷くなるようだ。

しばらくすると、改札の付近にはポツリポツリと、結婚式帰りのような小綺麗な服装に身を包んだ人の姿が現れ始める。

志穂と同じ謝恩会帰りの人かもしれないなと思い、俺はその中に志穂の姿がないか目を凝らした。

それからさらに数分が経った頃、雨に濡れながら走ってくる人の姿が増え始めた。

そしてようやくその中に志穂の姿を見つけた。

フォーマル感のあるドレスを着た志穂は、濡れてしまったようで仕切りにハンカチで雨を拭っている。

声を掛けようと俺は一歩踏み出し志穂の方へ近づこうとした。

だか、そんな俺よりわずかに早く、一人の男が志穂に声を掛けてなにやら話し始めてしまった。

改札前は人が多く騒めいているため会話のすべては聞こえない。

ただそれほど離れた場所にいたわけではないこともあり、所々の言葉が耳に飛び込んできた。

――「私じゃダメだったこと忘れたの?」
――「緊張しすぎてデキなかったんだ。志穂のことが好きすぎて」
――「今なら絶対大丈夫」
――「もう一回チャンスが欲しいんだ」

断片的に聞こえてくる言葉だけで、この男が例の志穂の元カレなのだとすぐにピンと来た。

たとえ言葉を聞かなかったとしてもたぶん察することはできただろう。

志穂を見つめる目が明らかに違ったからだ。

言い寄られている当の本人である志穂はといえば、表情だけ見ても全く相手にしていないことが分かる。

そのことに内心ホッとさせられる。

どうやら想像していたような再会してまた火が灯るということはなさそうだ。

でも男の方は諦めきれないようで、しつこく志穂に言い募っている。

男が溜まりかねたように志穂に向かって手を伸ばしたのを見て、とうとうジッとしていられなくなり、俺は志穂のもとへ駆け寄った。

冷静に考えればその場に姿を現すだけで十分だった。

なのに、その男に見せつけるよう、気付けば俺は志穂を後ろから自分の腕の中に囲っていた。

 ……俺って心狭いな。落ち着きも余裕も皆無だ。

志穂を抱きしめながら、そんな自嘲めいた笑いが心の中で漏れた。

結局その場を志穂はアッサリ片付け、「じゃあそういうことだから」と男に言い残し、俺を促してその場を動き出した。

志穂と一緒に歩き出しながら、次に俺の耳に飛び込んできたのは激しい雨音だった。

音に釣られて外を見れば、道路が白く見えるくらい激しく雨粒が叩きつけられている。

合わせてチラリと電光掲示板も確認すると、どうやらこの雨の影響で交通網がストップし始めているようだ。

続いて横を歩く志穂に視線を移すと、さっき雨に濡れたせいか体が冷え、少しだけ震えているように見えた。

これは放置すると風邪を引かせるなと早々と判断し、近くのビジネスホテルに向かうことにする。

ホテルなら話をするのにもちょうど良いだろうとも思った。

その旨を志穂に話すと「台風の時を思い出しますね」と言う。

さらに志穂は自分から俺の手に指を絡めてきて、歩きながら上目遣いで言葉を続ける。

「……先週のこと、ごめんなさい。話も聞かずに勝手に帰ってしまって反省してます」

この素直で可愛い謝罪に、「ああ、そういえば志穂は謝る時もこんな感じだったな」と思い出す。

以前、元カノとの話をした時にも、「疑うようなこと言ってすみませんでした」と言いながら俺の頬にキスをしてきたのだ。

毒気を抜かれる志穂からの謝罪に、「気にしてない、もういいよ」と返答してしまいたい気分になる。

正直なところ、先週のことは俺にも悪い部分があったしもう水に流して今まで通りに戻りたい。

でもたぶんそれでは根本的な解決にはならない。

今回はちゃんと俺の隠し事も話すべきだろう。

だから「ホテル着いたらちゃんと話そう」と返事をしそのまま歩く。

コンビニに立ち寄った後ビジネスホテルに到着すると、台風の時と違って混雑はしていなかった。

だからツインを選ぶことも可能だったが、俺たちは当たり前のようにダブルルームを選択した。

今は二人ともそれが自然だと認識していて、そのことに数ヶ月前との変化をひしひしと感じた。

「志穂、まず風呂に入っておいで。体冷えてるだろうから」

「分かりました。航さんは?」

「俺はテレビでも見てるよ」

部屋に着くと繋いでいた手を離し、志穂はユニットバスへ、俺はテレビを付けてベッドの上にゴロンと寝転ぶ。

ユニットバスの方からはすぐにシャワーの音が聞こえ始めてきた。

ほぼ毎週末、志穂は俺の家に泊まっていくからもちろんシャワーも浴びるのだが、家だと広さがありこんなふうに音は聞こえてこない。

狭いビジネスホテルの一室であるがゆえの事態だ。

自然とシャワーを浴びる志穂の姿を想像してしまい、変なスイッチが入りそうになる。

以前は深いキスをした時くらいしか反応しなかったのに、EDの症状が改善されて以降、日に日に反応が良くなってきている気がする。

しかもそれは志穂に対してだけだ。

試していないから確証はないが、他の女性に対してはいまだに勃たないと思う。

そもそも欲情しないというのもあるが。

 ……いずれにしてももう隠し通すのは厳しいな。志穂によそよそしいって不安を抱かせるくらいになってるわけだし。覚悟を決めて話すしかない。

もしそれで志穂が俺から離れようとするなら、それをなんとか引き止めるしかない。

簡単には諦めきれないのだから、それくらい余裕を失くしてぶつかるしかないだろう。

「お待たせしました。お風呂に入って体温まりました。航さんも入りますか?」

「いや、俺は濡れてないから後でいい」

「そうですか」

志穂はホテルに備え付けのガウンタイプのパジャマを着て、こちらへ歩いてくると、俺と反対側のベッドの端に腰を下ろした。

俺も体を起こして、ベッドの上に座る姿勢になる。

なんとなく話し合いをする雰囲気になったところで、まず志穂が口を開いた。

「あの、今日迎えに来てくれてありがとうございました」

「予告なく待ち伏せる形になって嫌じゃなかった?」

「全然です! 来るとは知らなかったから確かに驚きましたけど、それ以上に嬉しかったです! 私も会いたいって思ってたので。なんで来てくれたんですか?」

「……心配になったから。元カレもいるって聞いていたし、本音を包み隠さず言うと行って欲しくないって思ってた。だから居ても立っても居られずについ来てしまったっていうのが本当のところだよ。カッコ悪いけど」

「えっ、本当ですか? それって……」

「そう、志穂の想像してる通り。嫉妬だよ」

志穂は一瞬目を丸くして、口元を隠すように手をあてがった。

そしてなにやら小刻みに震えている。

不可解な動きに眉を寄せると「ごめんなさい」と志穂からは小さな声が漏れた。

「あの、どうしよう。すっごく嬉しくて、顔のニヤけが止まらないです。今私ものすごくだらしない顔してる気がします……!」

「嬉しいの……?」

「はい! それってなんか私のことすごく好きみたいじゃないですか! だって航さんは嫉妬とかしないと思ってましたから」

少し頬を染めてパッと笑顔を咲かせる志穂が可愛くて目を奪われた。

自分のカッコ悪い部分を曝け出してこんなに喜ばれるとは。

ただ、志穂の言葉の中には一つだけ聞き捨てならないものがあった。

「今志穂が言った”私のことすごく好きみたい”ってどういう意味?」

「えっ、それは……」

「この前も”彼女として魅力がない”って言葉を漏らしてたね」

「だって彼氏になる人はみんな私に魅力を感じなくて去って行くことになるから。……航さんの隠し事も他に好きな人ができたとかですよね? 今日はそれを打ち明けようとしてくれてるんですよね?」

「…………は?」

突拍子もないことを言われ、思わず間抜けな声が俺の口から溢れた。

志穂の思考がまったく予想外の方向だったのだ。

 ……なんでそんな結論になったんだ? それに魅力を感じなくて去って行くことになるってどういう意味だ?

頭の中にいくつもの疑問符が浮かぶ俺に対し、志穂はさらに勢いのまま言葉を続ける。

「先週はそれを聞くのが怖くて逃げたんです。すみませんでした。でも、今日はちゃんと聞きます。でも航さんに好きな人ができて私から離れていくのは嫌だから、私も全力で抗わせてもらいます! 徹底拒否して、なにがなんでも逃さないです!」

どうやら志穂は志穂なりに覚悟を決めてこの場に臨んでいるらしい。

だが、その方向が完全にトンチンカンだ。

 ……これは俺の話をする前に志穂の思考回路を理解する方が先だな。この結論に至った経緯をひとつひとつ辿ってみよう。

どうやらなかなか長い話し合いになりそうだ。

ただ、今の志穂の言葉でお互いに今の関係を望んでいて、これからも一緒にいたいと思っていることが明らかになった。

「逃さない」というセリフは以前にも聞いたことがある。

あの時は逃さないと言う意味で発していたが、今は逃さないと言っているのだと分かる。

つまり志穂も俺を求めてくれているのだ。

それならば俺たちは同じ方向を見ているわけで、決して話し合いも悪い結末にはならないはずだ。

俺はつけっぱなしになっていたテレビをリモコンで消す。

部屋には静寂が訪れ、外の雨の音だけがその場に響き渡った。

その中を俺と志穂が無言で見つめ合う。

あの台風の日のように、長い長い夜が始まろうとしていた――。
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