デキナイ私たちの秘密な関係

美並ナナ

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17. ふたりでの旅行

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「年末年始に1泊2日くらいでどこかに旅行に行かない?」

仕事納めに向けてバタバタし始めた頃、週末に訪れていた速水さんのマンションでふいにそう尋ねられた。

キスをしたあの日から数日、初めて迎える週末のことだった。

「旅行、ですか?」

「もう予定入れてしまってたら無理しなくてもいいけど、どう?」

「年始は実家に顔出そうと思ってるんですけど、年末だったら大丈夫です」

「仕事納めが27日だから、29~30日の1泊2日でいい?」

「あ、はい。でも急にどうしたんですか?」

上司と部下である私たちは人目につきたくないため、いつも速水さんの家で過ごしている。

仕事以外で一緒に外に出掛けるのは初めてのことだ。

単純に嬉しいし楽しみでもある。

でもそんな提案をいきなりしてきてくれるなんて何かあったのかと思わず首を傾げてしまった。

「ほら、色々あったから気分転換も兼ねて。それにAGフードサービスの案件も年内には完全納品になるから打ち上げ的にね」

速水さんがぼやかして言った”色々”というのは、先日の倉林院長の件だろう。

あれ以来、速水さんのおかげで倉林院長から電話がかかってくることはなくなり、一切私は関わることがなくなった。

せっかく任された仕事だったのに期待に応えられなかった気がして少し落ち込んだのだが、「引き継いで欲しい顧客はここだけじゃない」と速水さんや中津さんに励まされた。

そしてセクハラ被害については、上司である速水さんと相談した上で会社の専門窓口に報告した。

今までの私だったら、「大事にしたくないから私が我慢すればいい」となかったことにして口をつぐんでいたと思う。

だけど、速水さんから「頼って欲しい」と言われた時のことが頭をよぎった。

一人で抱え込まず相談してみようと思ったのだ。

会社の専門窓口はしっかりプライバシーを守った上で私の話を聞いてくれて、今後の対応についても色々相談し、結果裁判を起こして慰謝料を請求することは見合わせた。

なぜなら、明確な証拠がなかったことと、裁判を起こした場合はすべて終わるまでに半年~1年半程かかる事実を知ったからだ。

正直なところ、もうこれ以上、倉林院長のことで煩わされたくないし、余計な労力を使うくらいならそのパワーを他に向けたいと私は思った。

ちょうど試運用を進めていたAGフードサービスのリニューアルの件もあり、今は目の前の仕事に没頭したかった。

ただ、ダンマリではなく、会社に被害を報告するという「行動」を自分が起こせたことは良かったと思っている。

営業職の女性社員に起こりうるリスクとして会社が認識してくれたようで、今後の予防や再発防止に努めてくれるそうだ。

私と同じような被害に遭う人を減らすことに
繋がるだろうし大きな一歩ではないだろうか。

 ……こんなふうに私が行動できたのも、速水さんが見守っていてくれるっていう安心感があったからだなぁ。

私がぼんやりとここ数日のことを思い出していると、速水さんが「どこに行こうか?」と尋ねてきた。

AGフードサービスの案件の打ち上げを口実に上げているが、速水さんが私を励まそうとしてくれている気遣いをすごく感じる。

胸の奥がほんわり温かくなるのを実感しながら私は笑顔を速水に向けた。

「うーん、そうですね。気分転換なら自然と触れ合いたいですね! 仕事柄、私たちいつもシステムに面していてデジタルに囲まれてばかりですから」

「確かにね」

それから私たちは旅行計画を練り始め、最終的に山梨へグランピングに行くことに決まった。

ネットで調べてたまたま空きのあった河口湖近くのグランピング施設に予約も入れた。

こうしてその週末は旅行のことが話題の中心となり、特に先日のキスについてはお互い一言も触れることはなかった。


◇◇◇

「わぁ! 非日常感がすごいですね!」

AGフードサービスのリニューアルの完全納品を終え、無事に仕事納めを済ませた私は、年末休みに入り速水さんと山梨へ来ていた。

河口湖が望める林の中にあるドームテントが今回の宿泊場所だ。

一部の素材がクリア素材でできていて、外の風景をテント内からも楽しむことができる。

まさに自然の中を満喫できる仕様だった。

手ぶらでオッケーという宿の宣伝文句通り、食材や調理器具はすべて用意されているようだ。

グランピングは初めてだったのだが、テント設営や食事の準備などをしなくても気軽にキャンプ気分を楽しめ、ホテルステイよりちょっとだけアウトドア感があるみたいだ。

都内からレンタカーでここまで来た私たちは、まずは敷地内ホテルにある温泉で疲れを癒すことにする。

ドームテントに荷物を置くと、それぞれ温泉に向かった。

富士山を見ることができる絶景の温泉でゆっくり寛いだ後、身支度を整えて、再びドームテントに戻る。

速水さんは私より先に戻って来ていたようで、ベッドの上でタブレットを触りのんびりしているようだった。

「ああ、おかえり。温泉どうだった?」

「富士山が見えて絶景でした! 男湯からも見えましたか?」

「見えたよ。晴れてるから割とハッキリ見えたしいい景色だった」

「それよりタブレットで何見てるんですか?」

「ちょっとネットニュース見てただけだけど?」

その返事に私はつかつかと速水さんの方へ近寄って行き、ワザとらしく怒った表情を作って速水さんに向ける。

「せっかく自然の中に来るんですから、デジタルデトックスしましょうよ! 旅行中、必要以上にスマホやタブレット触るの禁止です!」

「はは、分かった。神崎の仰せの通りに致します」

速水さんは楽しそうに笑うと、手に持っていたタブレットの電源を切って私を見る。

その仕草でふと思い出したのは4ヶ月前の台風で急遽泊まることになったホテルでの出来事だ。

あの時もこんなふうに速水さんとホテルの部屋で2人きりだった。

私がコンビニに行ったり、お風呂に入ったりして戻って来ると、パソコンやテレビに目を向けていた速水さんが私の方を振り向いたのを覚えている。

そのたびに上司である速水さんとホテルの部屋で2人きりという状況から私は緊張感に包まれて、声が上擦っていた。

あれから4ヶ月経った今、私たちの距離感は全く違うものになっているなと改めて思う。

もう速水さんをただの上司だとは、とてもじゃないけど思えなかった。

「少し早いけど夕食の準備でも始めようか?」

「あ、そうですね。ホテルと違って自分達で作るんですもんね」

「作ると言ってもバーベキューだから、ほぼ焼くだけだろうけど」

「速水さんの料理の腕が活かせなくて残念ですね」

「活かすほどの腕はないけどね」

そんな軽口を交わしながら、フロントで食材と食器を受け取る。

その後はドームテント横のプライベートテラスで、ガスオーブングリルを使って食材を焼き、バーベキューを楽しんだ。

お酒を飲んで話しながら、ゆっくり自分たちのペースで肉や野菜を焼いて食べる。 

地元で採れたこだわり食材そのものが新鮮で美味しいのはもちろんだが、自然の中で食べるからこそ余計に味わい深い。

都会のレストランで食事をするのとは異なり、自然に囲まれた開放感もあってかとてものんびりとした気分になった。

プライベート空間のため、人目を気にしなくていいという点も最高だ。

「割と直前に決めた旅行だったのに、こんなにいい場所が予約できて本当にラッキーでしたね」

「冬だから夏よりは空いてるんだろうな。もちろん幸運だったのは言うまでもないけど」

確かに12月末の屋外は非常に寒い。

だけどバーベキューで火をつけているから、グリルの近くにいればそれほど苦痛でもなかった。

すっかりリラックスしてゆったり時間を過ごしていたら、いつの間にか明るかった空はすっかり暗くなっていて、辺りには明かりが灯っている。

冬は陽が落ちて暗くなるのが早い。

私たちの顔もオレンジ色の火に照らされていた。

ふと空を見上げれば、そこにはまるでプラネタリウムのような星空が広がっている。

さすが自然の中である。
邪魔するものがなく見晴らしがとても良い。

「速水さん、空見てください。すごい星空ですよ! こんなのなかなか東京じゃ見られないですよね!」

「確かにすごいな。プラネタリウムみたいだ」

「あ、私も同じこと思いました」

思わずふふっと笑ってしまう。

そんな私の横顔を速水さんはじっと見つめていたようで、なんとなく視線を感じて目を向けた。

すると目と目が合い、視線が絡み合う。

やけに真剣な眼差しを向けてくる速水さんにドキリとした。

「……どうかしました? もしかして疲れちゃいました?」

「いや、大丈夫」

「でも暗くなってきましたし、そろそろ片付けてテントの中に入りましょうか?」

「ちょっと待って。……その前に神崎に話したいことがある」

「話したい、こと、ですか……?」

なんだか私たちのこの関係を変えてしまうような話の予感がして、途端にソワソワしてくる。

 ……もしかして、もうこの関係を辞めようっていう話かな。キスしたことでハフレ&ソフレとしては一線超えちゃったもんね。どうなっちゃうんだろ……。

「そんな顔しないで。神崎はいつも通り、思ったことをそのまま言ってくれればいいから」

不安な気持ちが顔に現れていたのか、速水さんにそう言って微笑まれた。

言葉や表情からは私にとって悪い話ではなさそうなことが伺える。

「分かりました。それで話って……?」

少しだけホッとして気持ちを上向けながら、私は恐る恐る話の続きを促した。

だが、次に返って来たのは一瞬の安堵を蹴散らかすような胸を締めつける言葉だった。


「単刀直入に言うけど、この今の神崎との関係を終わらせたい」

「えっ……」


もしかしてと予感していた展開ではある。

なのに、いざその台詞を耳にすると言葉に詰まってしまう。

少なからずショックを受けた私は目を伏せ俯いた。

だが、速水さんの話はそれで終わりではなかった。

「……終わらせて新しい関係を築きたいと思ってる。つまり何が言いたいかというと、俺と正式に付き合って欲しい」

「えっ、付き合う、ですか?」

続いた言葉に今度は驚きが訪れる。

反射的に私は伏せていた視線をパッと持ち上げた。

「正直、最初は神崎に言われて成り行きで引き受けた。俺にとっても都合の良い関係だったから。だけど、いつの間にか神崎のことを女性として特別に想うようになってた。この前、神崎は俺が居なくなったら嫌だって言ってくれたけど、そうならないためにちゃんと付き合いたい。俺も神崎を失いたくないから」

「速水さん……」

特別に想っている、失いたくないと言ってもらえて、ショックから一転してとても嬉しい気持ちが胸に広がる。

私も同じ気持ちだからだ。

でもこの期に及んでも私はやっぱり怖い、付き合うことが。

 ……どうしよう。なんて答えればいいんだろう。

答えあぐねて黙りこくっていると、何かを察したらしい速水さんが優しい声色で言う。

「さっきも言ったけど、神崎は思っていることをそのまま率直に話してくれればいいよ」

背を押されるように促され、私はまとまりのない自分の気持ちを取り繕うことなく口にすることにした。

「あの、ありがとうございます。速水さんにそう言ってもらえてすごく嬉しいです。私も同じ気持ちです。いつの間にかすっごく頼ってて、私の中で大きな存在になってて、速水さんのこと上司じゃなく特別な人だと感じてます。ただ……」

「ただ?」

「その、付き合うのはちょっと……。できれば今のままで居たいというか」

「それはなんで?」

「だって彼氏彼女になったら、行き着く先はセックスになるじゃないですか。それが嫌なんです」

二度あることはきっと三度ある。

彼氏がまた自分にだけ勃たなかったらと考えると怖くて仕方ないのだ。

「ああ、それなら問題ないよ」

そんな葛藤を内心で抱えて、付き合うことを拒否する私に、速水さんはというと表情を変えることなくサラリと言う。

まるでこの事態を予期していたとでも言うような台詞だ。

「問題ないって、どういうことですか?」

「つまり神崎は付き合うこと自体が嫌なわけではなく、あくまでセックスが嫌ってことだろう?」

「そう、ですね」

「それなら神崎も知っての通り、俺は不能なわけだし、付き合ったからって大して今と変わらない。ただハフレ&ソフレっていう曖昧な関係から、彼氏彼女に変わるってだけだから」

「! 確かに!」

「曖昧なままだと、仮に他の男と神崎が関係を持っても俺は何も言う権利がないわけで。簡単に失う可能性があると思う。それは逆もそうだろう?」

「はい、そうですね……」

「居なくなったら嫌だとお互い思っている、それならちゃんと付き合って彼氏彼女になった方が理にかなっていると思わない?」

ぐうの音も出ないとはこのことだ。

速水さんの言うすべてが全くその通りで反論の余地もない。

「神崎の笑った顔がもっと見たいし、辛かったり悲しかったら傍にいたい。上司や曖昧な関係としてではなく、彼氏として。そう言ったら困る?」

極め付けにこんなふうに言われてしまったら、もうお手上げだった。

「私もまったく同じ気持ちなので、困りませんっ! 速水さんの隣にいたいし、傍にいて欲しいです! その、つまり……よろしくお願いします!」

私はガバッと頭を下げて、速水さんに片手を差し出した。

まるで某テレビ番組のお見合い企画の告白タイムの時のように。

「これ、逆じゃない?」

そんな私の言動が面白かったのか、速水さんは噛み殺すように笑い出した。

そして私の手を取る――だけじゃなく、そのままグイッと手を引っ張られた。

キャンプ用の座面が低い椅子に座っていた私はその反動で腰が浮き、速水さんの膝上に乗り上げる形で倒れ込む。

速水さんは腰に手を回してきて、「捕まえた」と言わんばかりに囲い込むようなハグをしてきた。

「志穂」

私の下の名前を口にした速水さんが私を見つめてくる。

膝の上に横向きで座っているため、私の方が目線が高く、速水さんに上目遣いされている状態だ。

いつもとは逆の景色に新鮮さを感じると同時に、この上目遣いでの名前呼びはなんだか切実に私を求めているような感覚に襲われて恐ろしいほどキュンとしてしまう。

もし速水さんが女性だったなら、きっとあざと女子だったに違いない。

「この前はなかば衝動的で、しかもルール違反だったなって反省してる。だから今日は改めてやり直してもいい?」

速水さんが言っているのはこの前のキスのことだろう。

確かにあの時の私たちの関係では唇へのキスは範囲に含まれていなかった。

でも、今は……

「もちろんです。これからはイチャイチャしながらキスもいっぱいしたいです!」

「………本当にいつもながらにバカ正直だな」

呆れたような困ったような表情で笑った速水さんは、私の腰に回した腕に力を込めた。

それを合図に2人の顔が自然と近づき唇が重なる。

「志穂……」

「んっ、速水さん……」


星が瞬く満天の夜空の下、私たちは恋人として初めての甘美な口づけに酔いしれた。
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