11 / 33
10. 充実した日々
しおりを挟む
週明け早々、体目当てで近寄ってきた人に嫌な思いをさせられる出来事があったものの、それもすぐに吹き飛んだ。
偶然そこに居合わせた速水さんが助け船を出してくれ、しかもその後気遣って励ましてくれたからだ。
外回り営業を頑張っている部下を労うためだと言って飲み物を奢ってくれたけど、あれは絶対元気付けようとしてくれたのだと思う。
なんて声を掛けていいか分からないと悩むようなちょっと弱った口調で「気にしない方がいいよ」と言ったその声が、すごく優しかった。
そんな言動にちょっと心がグラリと揺れる。
ここが会社じゃなかったら速水さんに問答無用で抱きついていただろう。
思いのままに、週末にまたハフレ&ソフレしたいと求めてみたら、了承するように頭を軽く撫でられ、下心なく優しくされるって嬉しいものなんだなと心底感じた。
速水さんとイチャイチャするだけの関係が始まってからというものの、心が潤ったおかげか、仕事の方もすこぶる順調だ。
肌の調子が良くなっただけでなく、仕事への活力も湧いてきているらしい。
……ホント、スキンシップの威力って絶大だよ。だからこそ世の人々は恋人が欲しくなるんだろうなぁ。
私は未経験だから未知の領域だけど、イチャイチャの最上級みたいなものであるセックスはきっともっとスゴイ効果なのだろう。
じゃないと、恋人関係の行く着く先がそれであることに説明がつかない。
興味がないと言えば嘘になるが、誰でもいいからという気には到底ならないし、いやらしい目で見てくる体目当ての人となんて絶対に絶対に嫌だ。
かと言って彼氏だと、私にだけは反応してくれず、自分の女性としての魅力のなさを痛感するだけだ。
……二度あることは三度あるって言うしね。
三度も重なればもう本気で立ち直れない気がする。
考えるだけで怖い。
だからこそセックスじゃなくても十分心満たされるイチャイチャで私は満足だ。
……速水さんがずっと不能でいてくれたら最高なんだけどなぁ。
そんな自分勝手な思いを心の中で抱きながら、目の前の席に座る速水さんをボンヤリ眺めていたら、その速水さんがこちらを見た。
「じゃあ、リニューアルの提案の方向性は神崎から説明してもらうから。神崎、よろしく」
「あ、はいっ!」
話を振られ、ハッと意識を戻す。
今はAGフードサービスの件でSEと打ち合わせの真っ只中だったのだ。
私は慌ててパソコンを操作し、該当の書類をモニターに投影した。
「事前に書類をメールでお送りしましたので、そちらを見て頂くか、モニターにも同じ内容を投影しているのでこちらをご覧ください。まず、先方からの要望についてですが――」
私は資料を指し示しながら、SEの方々にこれまでの経緯や先日のヒアリング結果を報告していく。
この場にはSEとしてシステム部の課長と、リーダーの能勢さん、そして藤沢くんが出席していた。
ちゃんと営業側の意見がSEに正しく伝わっているか不安になり、チラリと藤沢くんを見れば頷いてくれたので、ホッと胸を撫で下ろし説明を続ける。
気心の知れた同期がいるのは心強い。
「――ということで、視覚的な見やすさ、直感的な操作性を向上させるとともに、他店舗応援時の勤怠管理ができる仕組みを組み込めればと考えています」
「なるほど。リニューアルの方向性は理解したよ。他店舗応援時の勤怠管理か。これ既存システムに入れられるかな」
「課長、たぶんこの部分を設計し直せばなんとかなるんじゃないですか? ちょっと手間はかかりますけど」
「それならここの紐付けの設定を変える方が楽ではないでしょうか?」
私の説明を聞き終えると、SEの三人がシステム設計の観点から意見を交え始める。
このあたりの専門的な話は私にはさっぱり分からないから動向を見守るだけだ。
どうやら「具体的にどう組み込むかは要検討だけど組み込むこと自体は可能」という結論に落ち着いたらしい。
念のため一旦SEで持ち帰って具体的な設計を検討するとのことだった。
「あとは見やすさと操作性の改善か。私なんかには既存のものでもずいぶん分かりやすいと思うんだけどね。さてどうするかな」
システム部の課長が理解に苦しむというように首を捻ったので、私は準備していた資料を懐から取り出す。
私が実生活で使いやすいと感じたシステムやアプリなどのスクリーンショットだ。
「あの、こちらのように、こんな感じでボタンが配置されていると一目で分かりやすいと思います。あとは、このように入力後に画面の色やマークが変化するようにするのはどうでしょうか?」
SEの三人は私の提言を受け、それを叩き台にして「確かにこれはいいかも」「それならこれはどうか?」などと再び意見を交わし始める。
……速水さんに助言を受けた通りに、案を持ってきておいて良かった!
おかげで営業側が希望する改善の意図が伝わったようで意思疎通がスムーズになり、また多くの意見も上がって様々な改善が実現しそうだ。
こちらもSEで持ち帰り、改めて具体的な設計を提案してくれることとなった。
「では、本日の打合せはここまでで。システム部からの具体的なリニューアルの仕様書が出来上がった頃に再度打合せをして、その後は提案のためAGフードサービスに一緒に訪問よろしくお願いします」
今日打合せしておきたかった内容はすべて網羅したため、速水さんがその場を締めくくる。
システム部の課長からは、先方に訪問する時には能勢さんと藤沢くんが対応する旨が伝えられた。
「営業の方は今後神崎に一任しますので、本件のことで何かあれば神崎までお願いします」
……えっ、一任⁉︎
最後にサラリと速水さんがSEに告げた言葉に私は内心驚く。
本件はあくまで速水さんのサポートだと思っていたからだ。
打合せが終わり、全員で会議室を出た後、執務室へ戻る道中で私は速水さんに問いかける。
「さっきの、どういうことですか? 私、サポートでしたよね?」
「今日の打合せ見ていて大丈夫そうだなと思って。だから神崎に任せるよ」
「えっ、本当ですか⁉︎」
「もちろん丸投げはしないし、俺も立ち合うけど、あくまで俺の方がサポート。今後は神崎がメインで進めてみて」
「分かりました……! 頑張ります!」
仕事ぶりを認めてもらえたことがものすごく嬉しい。
ますます仕事へのモチベーションが上がる。
打合せでは藤沢くんもかなり自分の意見を述べていて、上司や先輩から重宝されている様子だったから同期として刺激を受けた。
……せっかく速水さんがチャンスをくれたんだから、私ももっともっと頑張ろう!
やる気に満ちた私はデスクに戻ると、今の打合せ内容を簡単に議事録にまとめて関係者へ送信する。
次に、今後中津さんからゆくゆく引継ぐために同行する予定の顧客情報の読み込みを始めた。
顧客情報に加え、導入してもらっているシステムの内容、導入に至った経緯、これまでの当社とのやりとり等を少しでも事前に頭に入れておこうと思ったのだ。
顧客からの信頼を得て、中津さんに任せても大丈夫と判断してもらえるようになりたい。
これも向き不向きに合わせた采配を始めた速水さんがくれたチャンスみたいなものだがら、その期待に応えたかった。
◇◇◇
「最近の神崎さんは今まで以上に仕事張り切ってるね。やる気に満ちてるのが分かるよ」
「はい! 早く中津さんから任せても大丈夫と思ってもらえるように頑張りますので、気づいたことがあればドンドン言ってください!」
この日も一緒に顧客訪問をしていた中津さんと私は、途中チェーン系のカフェで休憩を挟んでいた。
早いものでもうすっかり台風のシーズンを終え、季節は10月半ばに突入している。
百貨店のショーケースにはコートを着たコーディネートのマネキンも目にするようになったが、日中はまだまだ汗ばむ陽気の日も多い。
私は着ていたジャケットを脱ぎ、アイスティーで喉の渇きを潤す。
程よく冷房の効いた店内の空調が心地良かった。
「もう10月も中旬か、早いね。そのうちあっという間に年末が来て、気づいたら年越してるんだろうなぁ」
「なんだか年々時間が過ぎるのが早くなっている気がします」
「だよね。分かる分かる。妻も同じことこの前言ってたよ」
愛妻家で知られる中津さんが奥様のことを語る時の表情はとても柔らかい。
速水さんも社内では愛妻家ということになってはいるが、今思えば、中津さんみたいな顔で奥様について話すところは見たことなかったなと思い至る。
人の先入観や思い込みというのは侮れないものだ。
偽装だという真実を知れば見えてくることも、指輪一つで目が曇っていたのだから。
「中津さんってご結婚されて結構長いんですよね?」
休憩中の世間話として最適かと思い、私は正真正銘の愛妻家である中津さんに奥様との話題を振った。
「25歳の頃に結婚したから来年には丸5年になるかな」
「25歳ですか、今の私の歳ですね。早い方だったんじゃないですか?」
「友達の中では一番乗りだったよ。学生の頃から付き合ってたからね。それに僕も妻も結婚願望はある方だったから、仕事にも慣れて来た社会人3年目で踏み切ることにしたんだよね」
「すごいですね。今の私には結婚なんて想像もできないです」
「神崎さんは結婚願望とかないの? 女性って何歳までに結婚したいっていう理想のプランを持ってる人が多いじゃない?」
「私は特にそういうのはないです。最終的にできたらいいなぁとは思いますけど、今は仕事も楽しいですし、もっとずっと先でいいです。正直全然想像できません」
……まあ、彼氏も作れない私がそもそも結婚できるかどうかは別問題だけど。
今の私の歳で結婚した中津さんの話を聞きながら、私には無理だと思いつつ心の中でつぶやいた。
でも20代半ばになると結婚を意識する人が増えてくるのは事実だ。
地元の知り合いが結婚したという話を風の噂で耳にしたりもしている。
身近なところでは、私と同い年である若菜と藤沢くんの同期カップルもどうやら結婚を考え始めているようだった。
「確かに今の神崎さんは本当に仕事が楽しそうだもんね。結婚ってタイミングも大事だし。僕と妻は幸いなことにそれが合ったんだと思うよ」
「タイミング、ですか……」
その言葉でふと速水さんの話を思い出す。
速水さんが今の状態になったのは、元カノの結婚プレッシャーと束縛が堪えたことがキッカケだったと言っていた。
きっと元カノさんはすごく結婚したかったのだろうなと思うと、それこそタイミングの問題だったのだろうなと思う。
……その時に速水さんも結婚に前向きだったら、きっと今は正真正銘の既婚者だったんだろうなぁ。それにこんな関係になってなかっただろうし。そう思うと、当時速水さんが結婚しないでくれて良かったかも。
元カノさんにはとても悪いが、そんなふうに思ってしまうのは止められない。
なにしろ8月末からハフレ&ソフレになって1ヶ月半くらい経つが、速水さんとのイチャイチャは私の生活になくてはならないものになりつつあった。
用事がなければほぼ毎週末速水さんの家にお邪魔して、ハグと添い寝を堪能させてもらっている。
そうして心が潤いで満たされるから仕事も頑張れるのだ。
まさにかつてないほど充実した日々を私は送っていた。
「まあ、今は考えられなくてもそのうち結婚願望も出てくるかもしれないよ? ……さてさて、ちょうどいい時間だし、そろそろ次の顧客先に向かおうか」
「あ、はい! 次は美容外科クリニックでしたよね?」
「そうそう。うちの妻がもともと医療脱毛のために通っていたところで、その縁で僕が新規開拓した顧客なんだよね。院長先生もとても感じの良い人だよ。さすが美容クリニックの院長という感じで、40代半ばくらいだけどご自身の見た目もすごく若々しいしね」
「そうなんですね」
事前に資料には目を通していたから大体の顧客情報は把握できていると思う。
確か数年前に開業したクリニックで、会計とお客様情報を管理するシステムを導入してもらっていたはずだ。
私たちは立ち上がりカフェを出て、そこから歩いて行ける距離にある美容外科クリニックへと向かった。
クリニックの受付で院長先生宛の訪問であることを告げると、すぐに応接室へと通される。
しばらくして白衣を着た男性がにこやかな愛想の良い笑顔を浮かべて現れた。
中津さんが言っていた通り、とても実年齢には見えない若さだ。
30代半ばくらいに見える院長は、バツイチ独身なのだという。
「やあ、中津さん、なんだか久しぶりですね」
「倉林院長、いつもお世話になっております。ご無沙汰しており申し訳ありません」
「いやいや、君も忙しいだろうからね。ところで、そちらは?」
「今日は今後こちらのクリニックを僕と一緒に担当する者を紹介させて頂こうと思いまいりました。こちら、弊社の神崎です」
「フィックスの神崎と申します。お力になれるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
倉林院長の視線が中津さんの横にいる私に向けられ、私は名刺を差し出して挨拶をした。
それを受け取りながら院長は私たちに座るよう促し、中津さんと私は応接室の重厚なソファーに腰を掛ける。
テーブルを挟んで向かい側のソファーに座った院長は、受付の女性が出してくれたお茶に口をつけながら「そういえば……」と口を開いた。
「実は最近どうやらシステムの調子が悪いようでね。たまに挙動がおかしくなったりして。あと機能の追加なんかも少し考えていたから、ちょうど御社に相談したいと思っていたところだったんだよ」
「そうだったんですか。どのような機能追加をお考えですか?」
「う~ん、まだボンヤリ考えている程度で。それはまた後日別途相談するよ」
「承知しました。システムの調子が悪いという件について、もしよろしければ今、状況を確認させて頂いてもよろしいですか? 営業の私では分からない場合は社内に持ち帰りますので」
「いや、今日は調子がいいから大丈夫そうかな」
「そうですか。ちなみにどのような不具合が発生していたのでしょうか?」
「途中で画面が固まったり、変なポップアップが突然出たり。私もスタッフからチラリと聞いただけだから、また発生した時に相談させてもらうよ」
倉林院長と中津さんの会話を隣で聞きながら、相談したいと言うわりに、のんびりとした口調の院長はあまり困っていないように見えた。
システムの不具合を解決しようと具体的なことを聞こうとする中津さんに対して、のらりくらりとかわすような印象さえ受ける。
それにさっきからずっと私には気になっていることがあった。
それは倉林院長がやたら私を見てくることだ。
あまり目は合わないから、視線が集中しているのは胸だろう。
正直、あまり気持ちの良いものではなかったけど、相手は中津さんの顧客である。
しかも中津さんがとても感じの良い人だと評していた院長先生なのだから、私の勘違いなだけかもしれない。
私は極力気にしないようにして、対顧客向けの微笑みを浮かべやり過ごしたのだった。
偶然そこに居合わせた速水さんが助け船を出してくれ、しかもその後気遣って励ましてくれたからだ。
外回り営業を頑張っている部下を労うためだと言って飲み物を奢ってくれたけど、あれは絶対元気付けようとしてくれたのだと思う。
なんて声を掛けていいか分からないと悩むようなちょっと弱った口調で「気にしない方がいいよ」と言ったその声が、すごく優しかった。
そんな言動にちょっと心がグラリと揺れる。
ここが会社じゃなかったら速水さんに問答無用で抱きついていただろう。
思いのままに、週末にまたハフレ&ソフレしたいと求めてみたら、了承するように頭を軽く撫でられ、下心なく優しくされるって嬉しいものなんだなと心底感じた。
速水さんとイチャイチャするだけの関係が始まってからというものの、心が潤ったおかげか、仕事の方もすこぶる順調だ。
肌の調子が良くなっただけでなく、仕事への活力も湧いてきているらしい。
……ホント、スキンシップの威力って絶大だよ。だからこそ世の人々は恋人が欲しくなるんだろうなぁ。
私は未経験だから未知の領域だけど、イチャイチャの最上級みたいなものであるセックスはきっともっとスゴイ効果なのだろう。
じゃないと、恋人関係の行く着く先がそれであることに説明がつかない。
興味がないと言えば嘘になるが、誰でもいいからという気には到底ならないし、いやらしい目で見てくる体目当ての人となんて絶対に絶対に嫌だ。
かと言って彼氏だと、私にだけは反応してくれず、自分の女性としての魅力のなさを痛感するだけだ。
……二度あることは三度あるって言うしね。
三度も重なればもう本気で立ち直れない気がする。
考えるだけで怖い。
だからこそセックスじゃなくても十分心満たされるイチャイチャで私は満足だ。
……速水さんがずっと不能でいてくれたら最高なんだけどなぁ。
そんな自分勝手な思いを心の中で抱きながら、目の前の席に座る速水さんをボンヤリ眺めていたら、その速水さんがこちらを見た。
「じゃあ、リニューアルの提案の方向性は神崎から説明してもらうから。神崎、よろしく」
「あ、はいっ!」
話を振られ、ハッと意識を戻す。
今はAGフードサービスの件でSEと打ち合わせの真っ只中だったのだ。
私は慌ててパソコンを操作し、該当の書類をモニターに投影した。
「事前に書類をメールでお送りしましたので、そちらを見て頂くか、モニターにも同じ内容を投影しているのでこちらをご覧ください。まず、先方からの要望についてですが――」
私は資料を指し示しながら、SEの方々にこれまでの経緯や先日のヒアリング結果を報告していく。
この場にはSEとしてシステム部の課長と、リーダーの能勢さん、そして藤沢くんが出席していた。
ちゃんと営業側の意見がSEに正しく伝わっているか不安になり、チラリと藤沢くんを見れば頷いてくれたので、ホッと胸を撫で下ろし説明を続ける。
気心の知れた同期がいるのは心強い。
「――ということで、視覚的な見やすさ、直感的な操作性を向上させるとともに、他店舗応援時の勤怠管理ができる仕組みを組み込めればと考えています」
「なるほど。リニューアルの方向性は理解したよ。他店舗応援時の勤怠管理か。これ既存システムに入れられるかな」
「課長、たぶんこの部分を設計し直せばなんとかなるんじゃないですか? ちょっと手間はかかりますけど」
「それならここの紐付けの設定を変える方が楽ではないでしょうか?」
私の説明を聞き終えると、SEの三人がシステム設計の観点から意見を交え始める。
このあたりの専門的な話は私にはさっぱり分からないから動向を見守るだけだ。
どうやら「具体的にどう組み込むかは要検討だけど組み込むこと自体は可能」という結論に落ち着いたらしい。
念のため一旦SEで持ち帰って具体的な設計を検討するとのことだった。
「あとは見やすさと操作性の改善か。私なんかには既存のものでもずいぶん分かりやすいと思うんだけどね。さてどうするかな」
システム部の課長が理解に苦しむというように首を捻ったので、私は準備していた資料を懐から取り出す。
私が実生活で使いやすいと感じたシステムやアプリなどのスクリーンショットだ。
「あの、こちらのように、こんな感じでボタンが配置されていると一目で分かりやすいと思います。あとは、このように入力後に画面の色やマークが変化するようにするのはどうでしょうか?」
SEの三人は私の提言を受け、それを叩き台にして「確かにこれはいいかも」「それならこれはどうか?」などと再び意見を交わし始める。
……速水さんに助言を受けた通りに、案を持ってきておいて良かった!
おかげで営業側が希望する改善の意図が伝わったようで意思疎通がスムーズになり、また多くの意見も上がって様々な改善が実現しそうだ。
こちらもSEで持ち帰り、改めて具体的な設計を提案してくれることとなった。
「では、本日の打合せはここまでで。システム部からの具体的なリニューアルの仕様書が出来上がった頃に再度打合せをして、その後は提案のためAGフードサービスに一緒に訪問よろしくお願いします」
今日打合せしておきたかった内容はすべて網羅したため、速水さんがその場を締めくくる。
システム部の課長からは、先方に訪問する時には能勢さんと藤沢くんが対応する旨が伝えられた。
「営業の方は今後神崎に一任しますので、本件のことで何かあれば神崎までお願いします」
……えっ、一任⁉︎
最後にサラリと速水さんがSEに告げた言葉に私は内心驚く。
本件はあくまで速水さんのサポートだと思っていたからだ。
打合せが終わり、全員で会議室を出た後、執務室へ戻る道中で私は速水さんに問いかける。
「さっきの、どういうことですか? 私、サポートでしたよね?」
「今日の打合せ見ていて大丈夫そうだなと思って。だから神崎に任せるよ」
「えっ、本当ですか⁉︎」
「もちろん丸投げはしないし、俺も立ち合うけど、あくまで俺の方がサポート。今後は神崎がメインで進めてみて」
「分かりました……! 頑張ります!」
仕事ぶりを認めてもらえたことがものすごく嬉しい。
ますます仕事へのモチベーションが上がる。
打合せでは藤沢くんもかなり自分の意見を述べていて、上司や先輩から重宝されている様子だったから同期として刺激を受けた。
……せっかく速水さんがチャンスをくれたんだから、私ももっともっと頑張ろう!
やる気に満ちた私はデスクに戻ると、今の打合せ内容を簡単に議事録にまとめて関係者へ送信する。
次に、今後中津さんからゆくゆく引継ぐために同行する予定の顧客情報の読み込みを始めた。
顧客情報に加え、導入してもらっているシステムの内容、導入に至った経緯、これまでの当社とのやりとり等を少しでも事前に頭に入れておこうと思ったのだ。
顧客からの信頼を得て、中津さんに任せても大丈夫と判断してもらえるようになりたい。
これも向き不向きに合わせた采配を始めた速水さんがくれたチャンスみたいなものだがら、その期待に応えたかった。
◇◇◇
「最近の神崎さんは今まで以上に仕事張り切ってるね。やる気に満ちてるのが分かるよ」
「はい! 早く中津さんから任せても大丈夫と思ってもらえるように頑張りますので、気づいたことがあればドンドン言ってください!」
この日も一緒に顧客訪問をしていた中津さんと私は、途中チェーン系のカフェで休憩を挟んでいた。
早いものでもうすっかり台風のシーズンを終え、季節は10月半ばに突入している。
百貨店のショーケースにはコートを着たコーディネートのマネキンも目にするようになったが、日中はまだまだ汗ばむ陽気の日も多い。
私は着ていたジャケットを脱ぎ、アイスティーで喉の渇きを潤す。
程よく冷房の効いた店内の空調が心地良かった。
「もう10月も中旬か、早いね。そのうちあっという間に年末が来て、気づいたら年越してるんだろうなぁ」
「なんだか年々時間が過ぎるのが早くなっている気がします」
「だよね。分かる分かる。妻も同じことこの前言ってたよ」
愛妻家で知られる中津さんが奥様のことを語る時の表情はとても柔らかい。
速水さんも社内では愛妻家ということになってはいるが、今思えば、中津さんみたいな顔で奥様について話すところは見たことなかったなと思い至る。
人の先入観や思い込みというのは侮れないものだ。
偽装だという真実を知れば見えてくることも、指輪一つで目が曇っていたのだから。
「中津さんってご結婚されて結構長いんですよね?」
休憩中の世間話として最適かと思い、私は正真正銘の愛妻家である中津さんに奥様との話題を振った。
「25歳の頃に結婚したから来年には丸5年になるかな」
「25歳ですか、今の私の歳ですね。早い方だったんじゃないですか?」
「友達の中では一番乗りだったよ。学生の頃から付き合ってたからね。それに僕も妻も結婚願望はある方だったから、仕事にも慣れて来た社会人3年目で踏み切ることにしたんだよね」
「すごいですね。今の私には結婚なんて想像もできないです」
「神崎さんは結婚願望とかないの? 女性って何歳までに結婚したいっていう理想のプランを持ってる人が多いじゃない?」
「私は特にそういうのはないです。最終的にできたらいいなぁとは思いますけど、今は仕事も楽しいですし、もっとずっと先でいいです。正直全然想像できません」
……まあ、彼氏も作れない私がそもそも結婚できるかどうかは別問題だけど。
今の私の歳で結婚した中津さんの話を聞きながら、私には無理だと思いつつ心の中でつぶやいた。
でも20代半ばになると結婚を意識する人が増えてくるのは事実だ。
地元の知り合いが結婚したという話を風の噂で耳にしたりもしている。
身近なところでは、私と同い年である若菜と藤沢くんの同期カップルもどうやら結婚を考え始めているようだった。
「確かに今の神崎さんは本当に仕事が楽しそうだもんね。結婚ってタイミングも大事だし。僕と妻は幸いなことにそれが合ったんだと思うよ」
「タイミング、ですか……」
その言葉でふと速水さんの話を思い出す。
速水さんが今の状態になったのは、元カノの結婚プレッシャーと束縛が堪えたことがキッカケだったと言っていた。
きっと元カノさんはすごく結婚したかったのだろうなと思うと、それこそタイミングの問題だったのだろうなと思う。
……その時に速水さんも結婚に前向きだったら、きっと今は正真正銘の既婚者だったんだろうなぁ。それにこんな関係になってなかっただろうし。そう思うと、当時速水さんが結婚しないでくれて良かったかも。
元カノさんにはとても悪いが、そんなふうに思ってしまうのは止められない。
なにしろ8月末からハフレ&ソフレになって1ヶ月半くらい経つが、速水さんとのイチャイチャは私の生活になくてはならないものになりつつあった。
用事がなければほぼ毎週末速水さんの家にお邪魔して、ハグと添い寝を堪能させてもらっている。
そうして心が潤いで満たされるから仕事も頑張れるのだ。
まさにかつてないほど充実した日々を私は送っていた。
「まあ、今は考えられなくてもそのうち結婚願望も出てくるかもしれないよ? ……さてさて、ちょうどいい時間だし、そろそろ次の顧客先に向かおうか」
「あ、はい! 次は美容外科クリニックでしたよね?」
「そうそう。うちの妻がもともと医療脱毛のために通っていたところで、その縁で僕が新規開拓した顧客なんだよね。院長先生もとても感じの良い人だよ。さすが美容クリニックの院長という感じで、40代半ばくらいだけどご自身の見た目もすごく若々しいしね」
「そうなんですね」
事前に資料には目を通していたから大体の顧客情報は把握できていると思う。
確か数年前に開業したクリニックで、会計とお客様情報を管理するシステムを導入してもらっていたはずだ。
私たちは立ち上がりカフェを出て、そこから歩いて行ける距離にある美容外科クリニックへと向かった。
クリニックの受付で院長先生宛の訪問であることを告げると、すぐに応接室へと通される。
しばらくして白衣を着た男性がにこやかな愛想の良い笑顔を浮かべて現れた。
中津さんが言っていた通り、とても実年齢には見えない若さだ。
30代半ばくらいに見える院長は、バツイチ独身なのだという。
「やあ、中津さん、なんだか久しぶりですね」
「倉林院長、いつもお世話になっております。ご無沙汰しており申し訳ありません」
「いやいや、君も忙しいだろうからね。ところで、そちらは?」
「今日は今後こちらのクリニックを僕と一緒に担当する者を紹介させて頂こうと思いまいりました。こちら、弊社の神崎です」
「フィックスの神崎と申します。お力になれるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
倉林院長の視線が中津さんの横にいる私に向けられ、私は名刺を差し出して挨拶をした。
それを受け取りながら院長は私たちに座るよう促し、中津さんと私は応接室の重厚なソファーに腰を掛ける。
テーブルを挟んで向かい側のソファーに座った院長は、受付の女性が出してくれたお茶に口をつけながら「そういえば……」と口を開いた。
「実は最近どうやらシステムの調子が悪いようでね。たまに挙動がおかしくなったりして。あと機能の追加なんかも少し考えていたから、ちょうど御社に相談したいと思っていたところだったんだよ」
「そうだったんですか。どのような機能追加をお考えですか?」
「う~ん、まだボンヤリ考えている程度で。それはまた後日別途相談するよ」
「承知しました。システムの調子が悪いという件について、もしよろしければ今、状況を確認させて頂いてもよろしいですか? 営業の私では分からない場合は社内に持ち帰りますので」
「いや、今日は調子がいいから大丈夫そうかな」
「そうですか。ちなみにどのような不具合が発生していたのでしょうか?」
「途中で画面が固まったり、変なポップアップが突然出たり。私もスタッフからチラリと聞いただけだから、また発生した時に相談させてもらうよ」
倉林院長と中津さんの会話を隣で聞きながら、相談したいと言うわりに、のんびりとした口調の院長はあまり困っていないように見えた。
システムの不具合を解決しようと具体的なことを聞こうとする中津さんに対して、のらりくらりとかわすような印象さえ受ける。
それにさっきからずっと私には気になっていることがあった。
それは倉林院長がやたら私を見てくることだ。
あまり目は合わないから、視線が集中しているのは胸だろう。
正直、あまり気持ちの良いものではなかったけど、相手は中津さんの顧客である。
しかも中津さんがとても感じの良い人だと評していた院長先生なのだから、私の勘違いなだけかもしれない。
私は極力気にしないようにして、対顧客向けの微笑みを浮かべやり過ごしたのだった。
4
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
同級生がCEO―クールな彼は夢見るように愛に溺れたい(らしい)【番外編も完結】
光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
「二度となつみ以外の女を抱けないと思ったら虚しくて」
なつみは、二年前婚約破棄してから派遣社員として働く三十歳。
女として自信を失ったまま、新しい派遣先の職場見学に。
そこで同じ中学だった神城と再会。
CEOである神城は、地味な自分とは正反対。秀才&冷淡な印象であまり昔から話をしたこともなかった。
それなのに、就くはずだった事務ではなく、神城の秘書に抜擢されてしまう。
✜✜目標ポイントに達成しましたら、ショートストーリーを追加致します。ぜひお気に入り登録&しおりをお願いします✜✜
独占欲強めな極上エリートに甘く抱き尽くされました
紡木さぼ
恋愛
旧題:婚約破棄されたワケアリ物件だと思っていた会社の先輩が、実は超優良物件でどろどろに溺愛されてしまう社畜の話
平凡な社畜OLの藤井由奈(ふじいゆな)が残業に勤しんでいると、5年付き合った婚約者と破談になったとの噂があるハイスペ先輩柚木紘人(ゆのきひろと)に声をかけられた。
サシ飲みを経て「会社の先輩後輩」から「飲み仲間」へと昇格し、飲み会中に甘い空気が漂い始める。
恋愛がご無沙汰だった由奈は次第に紘人に心惹かれていき、紘人もまた由奈を可愛がっているようで……
元カノとはどうして別れたの?社内恋愛は面倒?紘人は私のことどう思ってる?
社会人ならではのじれったい片思いの果てに晴れて恋人同士になった2人。
「俺、めちゃくちゃ独占欲強いし、ずっと由奈のこと抱き尽くしたいって思ってた」
ハイスペなのは仕事だけではなく、彼のお家で、オフィスで、旅行先で、どろどろに愛されてしまう。
仕事中はあんなに冷静なのに、由奈のことになると少し甘えん坊になってしまう、紘人とらぶらぶ、元カノの登場でハラハラ。
ざまぁ相手は紘人の元カノです。
偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
深冬 芽以
恋愛
あらすじ
俵理人《たわらりひと》34歳、職業は秘書室長兼社長秘書。
女は扱いやすく、身体の相性が良ければいい。
結婚なんて冗談じゃない。
そう思っていたのに。
勘違いストーカー女から逃げるように引っ越したマンションで理人が再会したのは、過去に激しく叱責された女。
年上で子持ちのデキる女なんて面倒くさいばかりなのに、つい関わらずにはいられない。
そして、互いの利害の一致のため、偽装恋人関係となる。
必要な時だけ恋人を演じればいい。
それだけのはずが……。
「偽装でも、恋人だろ?」
彼女の甘い香りに惹き寄せられて、抗えない――。
あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。
汐埼ゆたか
恋愛
旧題:あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
※現在公開の後半部分は、書籍化前のサイト連載版となっております。
書籍とは設定が異なる部分がありますので、あらかじめご了承ください。
―――――――――――――――――――
ひょんなことから旅行中の学生くんと知り合ったわたし。全然そんなつもりじゃなかったのに、なぜだか一夜を共に……。
傷心中の年下を喰っちゃうなんていい大人のすることじゃない。せめてもの罪滅ぼしと、三日間限定で家に置いてあげた。
―――なのに!
その正体は、ななな、なんと!グループ親会社の役員!しかも御曹司だと!?
恋を諦めたアラサーモブ子と、あふれる愛を注ぎたくて堪らない年下御曹司の溺愛攻防戦☆
「馬鹿だと思うよ自分でも。―――それでもあなたが欲しいんだ」
*・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・*
▶Attention
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
お酒の席でナンパした相手がまさかの婚約者でした 〜政略結婚のはずだけど、めちゃくちゃ溺愛されてます〜
Adria
恋愛
イタリアに留学し、そのまま就職して楽しい生活を送っていた私は、父からの婚約者を紹介するから帰国しろという言葉を無視し、友人と楽しくお酒を飲んでいた。けれど、そのお酒の場で出会った人はその婚約者で――しかも私を初恋だと言う。
結婚する気のない私と、私を好きすぎて追いかけてきたストーカー気味な彼。
ひょんなことから一緒にイタリアの各地を巡りながら、彼は私が幼少期から抱えていたものを解決してくれた。
気がついた時にはかけがえのない人になっていて――
表紙絵/灰田様
《エブリスタとムーンにも投稿しています》
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる