デキナイ私たちの秘密な関係

美並ナナ

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10. 充実した日々

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週明け早々、体目当てで近寄ってきた人に嫌な思いをさせられる出来事があったものの、それもすぐに吹き飛んだ。

偶然そこに居合わせた速水さんが助け船を出してくれ、しかもその後気遣って励ましてくれたからだ。

外回り営業を頑張っている部下を労うためだと言って飲み物を奢ってくれたけど、あれは絶対元気付けようとしてくれたのだと思う。

なんて声を掛けていいか分からないと悩むようなちょっと弱った口調で「気にしない方がいいよ」と言ったその声が、すごく優しかった。

そんな言動にちょっと心がグラリと揺れる。

ここが会社じゃなかったら速水さんに問答無用で抱きついていただろう。

思いのままに、週末にまたハフレ&ソフレしたいと求めてみたら、了承するように頭を軽く撫でられ、下心なく優しくされるって嬉しいものなんだなと心底感じた。

速水さんとイチャイチャするだけの関係が始まってからというものの、心が潤ったおかげか、仕事の方もすこぶる順調だ。

肌の調子が良くなっただけでなく、仕事への活力も湧いてきているらしい。

 ……ホント、スキンシップの威力って絶大だよ。だからこそ世の人々は恋人が欲しくなるんだろうなぁ。

私は未経験だから未知の領域だけど、イチャイチャの最上級みたいなものであるセックスはきっともっとスゴイ効果なのだろう。

じゃないと、恋人関係の行く着く先がそれであることに説明がつかない。

興味がないと言えば嘘になるが、誰でもいいからという気には到底ならないし、いやらしい目で見てくる体目当ての人となんて絶対に絶対に嫌だ。

かと言って彼氏だと、私にだけは反応してくれず、自分の女性としての魅力のなさを痛感するだけだ。

 ……二度あることは三度あるって言うしね。

三度も重なればもう本気で立ち直れない気がする。

考えるだけで怖い。

だからこそセックスじゃなくても十分心満たされるイチャイチャで私は満足だ。

 ……速水さんがずっと不能でいてくれたら最高なんだけどなぁ。

そんな自分勝手な思いを心の中で抱きながら、目の前の席に座る速水さんをボンヤリ眺めていたら、その速水さんがこちらを見た。

「じゃあ、リニューアルの提案の方向性は神崎から説明してもらうから。神崎、よろしく」

「あ、はいっ!」

話を振られ、ハッと意識を戻す。

今はAGフードサービスの件でSEと打ち合わせの真っ只中だったのだ。

私は慌ててパソコンを操作し、該当の書類をモニターに投影した。

「事前に書類をメールでお送りしましたので、そちらを見て頂くか、モニターにも同じ内容を投影しているのでこちらをご覧ください。まず、先方からの要望についてですが――」

私は資料を指し示しながら、SEの方々にこれまでの経緯や先日のヒアリング結果を報告していく。

この場にはSEとしてシステム部の課長と、リーダーの能勢のせさん、そして藤沢くんが出席していた。

ちゃんと営業側の意見がSEに正しく伝わっているか不安になり、チラリと藤沢くんを見れば頷いてくれたので、ホッと胸を撫で下ろし説明を続ける。

気心の知れた同期がいるのは心強い。

「――ということで、視覚的な見やすさ、直感的な操作性を向上させるとともに、他店舗応援時の勤怠管理ができる仕組みを組み込めればと考えています」

「なるほど。リニューアルの方向性は理解したよ。他店舗応援時の勤怠管理か。これ既存システムに入れられるかな」

「課長、たぶんこの部分を設計し直せばなんとかなるんじゃないですか? ちょっと手間はかかりますけど」

「それならここの紐付けの設定を変える方が楽ではないでしょうか?」

私の説明を聞き終えると、SEの三人がシステム設計の観点から意見を交え始める。

このあたりの専門的な話は私にはさっぱり分からないから動向を見守るだけだ。

どうやら「具体的にどう組み込むかは要検討だけど組み込むこと自体は可能」という結論に落ち着いたらしい。

念のため一旦SEで持ち帰って具体的な設計を検討するとのことだった。

「あとは見やすさと操作性の改善か。私なんかには既存のものでもずいぶん分かりやすいと思うんだけどね。さてどうするかな」

システム部の課長が理解に苦しむというように首を捻ったので、私は準備していた資料を懐から取り出す。

私が実生活で使いやすいと感じたシステムやアプリなどのスクリーンショットだ。

「あの、こちらのように、こんな感じでボタンが配置されていると一目で分かりやすいと思います。あとは、このように入力後に画面の色やマークが変化するようにするのはどうでしょうか?」

SEの三人は私の提言を受け、それを叩き台にして「確かにこれはいいかも」「それならこれはどうか?」などと再び意見を交わし始める。

 ……速水さんに助言を受けた通りに、案を持ってきておいて良かった!

おかげで営業側が希望する改善の意図が伝わったようで意思疎通がスムーズになり、また多くの意見も上がって様々な改善が実現しそうだ。

こちらもSEで持ち帰り、改めて具体的な設計を提案してくれることとなった。

「では、本日の打合せはここまでで。システム部からの具体的なリニューアルの仕様書が出来上がった頃に再度打合せをして、その後は提案のためAGフードサービスに一緒に訪問よろしくお願いします」

今日打合せしておきたかった内容はすべて網羅したため、速水さんがその場を締めくくる。

システム部の課長からは、先方に訪問する時には能勢さんと藤沢くんが対応する旨が伝えられた。

「営業の方は今後神崎に一任しますので、本件のことで何かあれば神崎までお願いします」

 ……えっ、一任⁉︎

最後にサラリと速水さんがSEに告げた言葉に私は内心驚く。

本件はあくまで速水さんのサポートだと思っていたからだ。

打合せが終わり、全員で会議室を出た後、執務室へ戻る道中で私は速水さんに問いかける。

「さっきの、どういうことですか? 私、サポートでしたよね?」

「今日の打合せ見ていて大丈夫そうだなと思って。だから神崎に任せるよ」

「えっ、本当ですか⁉︎」

「もちろん丸投げはしないし、俺も立ち合うけど、あくまで俺の方がサポート。今後は神崎がメインで進めてみて」

「分かりました……! 頑張ります!」

仕事ぶりを認めてもらえたことがものすごく嬉しい。

ますます仕事へのモチベーションが上がる。

打合せでは藤沢くんもかなり自分の意見を述べていて、上司や先輩から重宝されている様子だったから同期として刺激を受けた。

 ……せっかく速水さんがチャンスをくれたんだから、私ももっともっと頑張ろう!

やる気に満ちた私はデスクに戻ると、今の打合せ内容を簡単に議事録にまとめて関係者へ送信する。

次に、今後中津さんからゆくゆく引継ぐために同行する予定の顧客情報の読み込みを始めた。

顧客情報に加え、導入してもらっているシステムの内容、導入に至った経緯、これまでの当社とのやりとり等を少しでも事前に頭に入れておこうと思ったのだ。

顧客からの信頼を得て、中津さんに任せても大丈夫と判断してもらえるようになりたい。

これも向き不向きに合わせた采配を始めた速水さんがくれたチャンスみたいなものだがら、その期待に応えたかった。

◇◇◇

「最近の神崎さんは今まで以上に仕事張り切ってるね。やる気に満ちてるのが分かるよ」

「はい! 早く中津さんから任せても大丈夫と思ってもらえるように頑張りますので、気づいたことがあればドンドン言ってください!」

この日も一緒に顧客訪問をしていた中津さんと私は、途中チェーン系のカフェで休憩を挟んでいた。

早いものでもうすっかり台風のシーズンを終え、季節は10月半ばに突入している。

百貨店のショーケースにはコートを着たコーディネートのマネキンも目にするようになったが、日中はまだまだ汗ばむ陽気の日も多い。

私は着ていたジャケットを脱ぎ、アイスティーで喉の渇きを潤す。

程よく冷房の効いた店内の空調が心地良かった。

「もう10月も中旬か、早いね。そのうちあっという間に年末が来て、気づいたら年越してるんだろうなぁ」

「なんだか年々時間が過ぎるのが早くなっている気がします」

「だよね。分かる分かる。妻も同じことこの前言ってたよ」

愛妻家で知られる中津さんが奥様のことを語る時の表情はとても柔らかい。

速水さんも社内では愛妻家ということになってはいるが、今思えば、中津さんみたいな顔で奥様について話すところは見たことなかったなと思い至る。

人の先入観や思い込みというのは侮れないものだ。

偽装だという真実を知れば見えてくることも、指輪一つで目が曇っていたのだから。

「中津さんってご結婚されて結構長いんですよね?」

休憩中の世間話として最適かと思い、私は正真正銘の愛妻家である中津さんに奥様との話題を振った。

「25歳の頃に結婚したから来年には丸5年になるかな」

「25歳ですか、今の私の歳ですね。早い方だったんじゃないですか?」

「友達の中では一番乗りだったよ。学生の頃から付き合ってたからね。それに僕も妻も結婚願望はある方だったから、仕事にも慣れて来た社会人3年目で踏み切ることにしたんだよね」

「すごいですね。今の私には結婚なんて想像もできないです」

「神崎さんは結婚願望とかないの? 女性って何歳までに結婚したいっていう理想のプランを持ってる人が多いじゃない?」

「私は特にそういうのはないです。最終的にできたらいいなぁとは思いますけど、今は仕事も楽しいですし、もっとずっと先でいいです。正直全然想像できません」

 ……まあ、彼氏も作れない私がそもそも結婚できるかどうかは別問題だけど。

今の私の歳で結婚した中津さんの話を聞きながら、私には無理だと思いつつ心の中でつぶやいた。

でも20代半ばになると結婚を意識する人が増えてくるのは事実だ。

地元の知り合いが結婚したという話を風の噂で耳にしたりもしている。

身近なところでは、私と同い年である若菜と藤沢くんの同期カップルもどうやら結婚を考え始めているようだった。

「確かに今の神崎さんは本当に仕事が楽しそうだもんね。結婚ってタイミングも大事だし。僕と妻は幸いなことにそれが合ったんだと思うよ」

「タイミング、ですか……」

その言葉でふと速水さんの話を思い出す。

速水さんが今の状態になったのは、元カノの結婚プレッシャーと束縛が堪えたことがキッカケだったと言っていた。

きっと元カノさんはすごく結婚したかったのだろうなと思うと、それこそタイミングの問題だったのだろうなと思う。

 ……その時に速水さんも結婚に前向きだったら、きっと今は正真正銘の既婚者だったんだろうなぁ。それにこんな関係になってなかっただろうし。そう思うと、当時速水さんが結婚しないでくれて良かったかも。

元カノさんにはとても悪いが、そんなふうに思ってしまうのは止められない。

なにしろ8月末からハフレ&ソフレになって1ヶ月半くらい経つが、速水さんとのイチャイチャは私の生活になくてはならないものになりつつあった。

用事がなければほぼ毎週末速水さんの家にお邪魔して、ハグと添い寝を堪能させてもらっている。

そうして心が潤いで満たされるから仕事も頑張れるのだ。

まさにかつてないほど充実した日々を私は送っていた。

「まあ、今は考えられなくてもそのうち結婚願望も出てくるかもしれないよ? ……さてさて、ちょうどいい時間だし、そろそろ次の顧客先に向かおうか」

「あ、はい! 次は美容外科クリニックでしたよね?」

「そうそう。うちの妻がもともと医療脱毛のために通っていたところで、その縁で僕が新規開拓した顧客なんだよね。院長先生もとても感じの良い人だよ。さすが美容クリニックの院長という感じで、40代半ばくらいだけどご自身の見た目もすごく若々しいしね」

「そうなんですね」

事前に資料には目を通していたから大体の顧客情報は把握できていると思う。

確か数年前に開業したクリニックで、会計とお客様情報を管理するシステムを導入してもらっていたはずだ。

私たちは立ち上がりカフェを出て、そこから歩いて行ける距離にある美容外科クリニックへと向かった。

クリニックの受付で院長先生宛の訪問であることを告げると、すぐに応接室へと通される。

しばらくして白衣を着た男性がにこやかな愛想の良い笑顔を浮かべて現れた。

中津さんが言っていた通り、とても実年齢には見えない若さだ。

30代半ばくらいに見える院長は、バツイチ独身なのだという。

「やあ、中津さん、なんだか久しぶりですね」

倉林くらばやし院長、いつもお世話になっております。ご無沙汰しており申し訳ありません」

「いやいや、君も忙しいだろうからね。ところで、そちらは?」

「今日は今後こちらのクリニックを僕と一緒に担当する者を紹介させて頂こうと思いまいりました。こちら、弊社の神崎です」   

「フィックスの神崎と申します。お力になれるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします」

倉林院長の視線が中津さんの横にいる私に向けられ、私は名刺を差し出して挨拶をした。

それを受け取りながら院長は私たちに座るよう促し、中津さんと私は応接室の重厚なソファーに腰を掛ける。

テーブルを挟んで向かい側のソファーに座った院長は、受付の女性が出してくれたお茶に口をつけながら「そういえば……」と口を開いた。

「実は最近どうやらシステムの調子が悪いようでね。たまに挙動がおかしくなったりして。あと機能の追加なんかも少し考えていたから、ちょうど御社に相談したいと思っていたところだったんだよ」

「そうだったんですか。どのような機能追加をお考えですか?」

「う~ん、まだボンヤリ考えている程度で。それはまた後日別途相談するよ」

「承知しました。システムの調子が悪いという件について、もしよろしければ今、状況を確認させて頂いてもよろしいですか? 営業の私では分からない場合は社内に持ち帰りますので」

「いや、今日は調子がいいから大丈夫そうかな」

「そうですか。ちなみにどのような不具合が発生していたのでしょうか?」

「途中で画面が固まったり、変なポップアップが突然出たり。私もスタッフからチラリと聞いただけだから、また発生した時に相談させてもらうよ」

倉林院長と中津さんの会話を隣で聞きながら、相談したいと言うわりに、のんびりとした口調の院長はあまり困っていないように見えた。

システムの不具合を解決しようと具体的なことを聞こうとする中津さんに対して、のらりくらりとかわすような印象さえ受ける。

それにさっきからずっと私には気になっていることがあった。

それは倉林院長がやたら私を見てくることだ。

あまり目は合わないから、視線が集中しているのは胸だろう。

正直、あまり気持ちの良いものではなかったけど、相手は中津さんの顧客である。

しかも中津さんがとても感じの良い人だと評していた院長先生なのだから、私の勘違いなだけかもしれない。

私は極力気にしないようにして、対顧客向けの微笑みを浮かべやり過ごしたのだった。
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