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06. Side航 〜思わぬ展開〜

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 ……この体勢のまま寝るとか、完全に安心しきってるな。

ビジネスホテルのベッドの上で、自分に抱きついたまま気持ちよさそうに眠る部下の神崎志穂を眺める。

仰向けに寝転がる俺に、彼女は横向きになり、すり寄るようピッタリと体を寄せている。

豊満な胸が押し付けられ、柔らかい肢体を生々しく感じたが、俺のモノは反応しない。

ただ人肌の温かさが心地良いだけだ。

さっきまで彼女も人肌を求めるようにギュッと俺にしがみついていたのだが、頭を撫でてあげているうちに次第に小さな寝息が聞こえてきた。

 ……これ、俺じゃなかったら絶対押し倒して添い寝で終わらないだろうな。まあ、だから神崎は俺が良かったんだろうけど。

性的に不能だから、絶対にセックスに発展しない安心できる男。

イチャイチャだけしたいという彼女にとっては、願ってもない貴重な存在だったらしい。

まさか彼女がそういう男を求めていたなど、社内の男どもが知れば驚くことだろう。

だからことごとく振られていたに違いない。

俺は安心しきった顔で眠る部下の横顔を見ながら、ふと昔のことを思い出していた。


◇◇◇

わたるさんは聞いたことあります? 今年の新入社員でものすごく可愛い子がいるって話」

2年前のその日、俺は元上司と後輩の3人で仕事終わりに飲んでいた。

生ビールを美味そうに飲み干した後輩の中津は、2杯目を注文したのちに、いきなりそんな問いを投げかけてくる。

「何か周りのヤツらがそんなことを言ってた気もするな」

「2係でも話題になってるんですか。降谷ふるやさんはもちろん知ってますよね?」

当時、俺は営業1課2係のリーダー、中津は1係のリーダーで、同じ課だが係が違った。

だが、2人とも入社したての若手の頃はもともと1係で先輩後輩として一緒に仕事をしていた関係だ。

そしてそんな俺たちを導いてくれてたのが、元上司の降谷さんだった。

営業課長だった降谷さんは1年前に異動となり、今は人事部長を務めていた。

「ああ、神崎志穂のことだろ? 俺も採用面接に関わったからな」

「もしかして顔で採用したんですか?」

「まさか。うちは人を採用するのに容姿で判断なんかしてないぞ。そんなんじゃうちの会社でやっていけないってお前も分かってるだろ?」

「冗談です。ちょっと言ってみただけですよ。それに本人見てたら真面目で頑張り屋なのは分かりますから」

「そういえば、神崎は中津のところに配属されたんだったか」

「ええ、そうですよ。しかも僕が教育係に抜擢されたもんだから、周囲からの羨望のまとですよ。僕が既婚者だからまだマシですけどね」

中津と降谷さんの会話を隣で聞きながら、そういえばこの前1係の執務エリアで容姿の整った若い女性を見かけたなと思い出した。

たぶんあの女性のことだろうとあたりをつける。

同じ課なのでデスクは割と近いのだが、最近は顧客回りで外に出てばっかりだった俺は、社内のことに疎くなっていたらしい。

今思えば、この時が神崎志穂の名前と顔を初めて認識した瞬間だったと思う。

「そうか、中津が教育係になったのか。いい采配だな。血迷っても手を出すなよ? うちの会社は男女比8対2で、貴重な女性社員なんだからちゃんと育ててやれな」

「分かってますよ。僕は妻一筋なので大丈夫です。ご心配なく」

中津は大学の頃から付き合っていた彼女と入社3年目の頃に結婚している。

当時結婚式に出席した降谷さんと俺は、奥さんへの中津の溺愛ぶりを目にしているがゆえに、なんとも説得力のある一言だった。

「結婚といえば、速水、お前はいつまでソレ続けるんだ?」

「いつまでって……特に決めてませんけど、たぶんずっとですかね?」

降谷さんが俺の左手の薬指にはまる指輪に視線を向ける。

1年前に彼女と別れたタイミングでコレをつけ始めたのだが、この二人はそれがただの女避けであると知っている数少ない人物だ。

降谷さんに至っては、俺が既婚者であるという隠蔽工作にも手を貸してくれた。

ちょうど人事部の部長に降谷さんが異動した時期だったこともあり、社員の個人情報を見られる立場の者に本当は俺が独身である事実を言いふらさないよう根回しをしてくれたのだ。

もともと人事部の社員は扱う情報ゆえに、口が堅い者が多く、業務上で知り得た個人情報を他ににペラペラ話たりはしない。

だから根回しと言っても、降谷さんがしたことは改めて釘を刺したという程度のことだ。

それでも俺にとってはその配慮がありがたかった。

「ずっとって速水、お前だっていつかは本当に結婚するだろ? その気がないのか? 前の子と別れて1年経つしそろそろまたいい子を探せばいいじゃないか」

「そうですよ。確かに以前の航さんには彼女がいてもお構いなしでアプローチしてくる女性が絶えませんでしたし大変そうでしたけど。でも今は指輪をつけて既婚者のフリをしているせいで全女性をシャットアウトしてるのはなんだかもったいないです」

「今のところは全く外すつもりはないんで、当分はこのまま二人とも協力してもらえれば助かります。俺は今の状態が快適で満足しているんで。余計なことに手を取られない分、営業成績も上がりましたしね?」

既婚者の二人は新しい女性に目を向けろと勧めてくるが、俺にそのつもりは全くなかった。

それは元カノで懲りたというのもあるが、もう一つ、二人には言っていない理由がある。

性的に不能になったからだ。

1年前に別れた元カノとは、25歳の頃から2年付き合った。

出会いは、どうしてもと頼み込まれて参加した合コンだ。

積極的なアプローチを受け、見た目も割とタイプだったし性格も合いそうな気がして最初は軽い気持ちで付き合い始めたのだが、交際は至って順調だった。

大きな波風もなく流れに身を任せていたら気づけば2年が経っていた。

ただ2年が過ぎ、同い年だった元カノが27歳、いわゆるアラサーに足を踏み入れた頃から少しずつ雲行きが変わってきて、彼女の態度がだんだんおかしくなっていった。

セックスの時にやたらゴムを付けないでと言ってくるし、やけに俺の行動を細かく気にするようになったのだ。

最初は「今どこにいるの?」という連絡が頻繁に入るようになった。

そのうち誰とどこで何しているのかを執拗に聞いてくるようになって行動や人間関係まで管理してくるようになってきた。

もともとそれほどマメな方でもないから、俺が悪い部分もあるかと納得し、最初はちょっと面倒だなと思うくらいだった。

だが、いきなり連絡もなしに家に来たり、俺の予定に付いて来ようとしたり、あげくにはGPSで居場所を知りたがったり、スマホを勝手にチェックするところまで元カノの束縛が激しくなった時にさすがに我慢の限界が来た。

なぜこんなことをするのかと問えば「結婚を考えてくれないから不安になって」と泣かれた。

正直なところ、そう言われたその瞬間まで、俺には結婚のけの字も頭によぎったことはなかった。

ゴムを付けないで欲しいと言っていたのも、あわよくばデキ婚を狙っていたそうだ。

まだまだ仕事が楽しい頃で当分結婚なんて考えてもいなかったから、責任が取れない今、ちゃんと避妊しておいて良かったと思ったものだ。

元カノからは「行動を改める」と反省しながら謝られて、一時は元通りに戻ったと思ったのだが、やはりそう上手くはいかなかった。

そこから元カノの言動すべてが結婚への無言のプレッシャーに感じるようになったのだ。

性行為の時も元カノの目が「なんとしてでも体で繋ぎ止めて結婚に漕ぎ着けてやる」と語っているようで、その瞬間気持ちが冷めてしまい、勃たないことが増えてきた。

そうなると今度は浮気を疑われ、また以前のような激しい束縛が繰り返される。

もう限界だと悟った俺は別れを切り出した。

その頃には元カノに対して完全に勃たなくなっていた。

そんな別れを経て、疲れ果てた俺は当分彼女はいらないという心境になり、その後は軽く遊べる体だけの女性しか相手にしないことにした。

だが、ある日アプローチされた女性とホテルに行った時にそれは起きた。

元カノだけでなく、その女性に対しても勃たなかったのだ。

別の日にまた違う女性でも試してみたが、やはり全く反応しなかった。

自慰では勃つから機能的には問題ないはずで、原因を自分なりに色々調べて考察してみた結果、つまりは心因的なものなのだろうという結論に至った。

たぶん女性から向けられる目が俺を萎えさせるのだ。

元カノは結婚へのプレッシャーをかけるような目だったし、後腐れなくと思った女性たちもその元カノを思い起こさせるような、あわよくば彼女にと獲物を狙うような目をしていた。

その後も何人かの女性で試してみたが、ことごとくダメだった。

20代後半の適齢期で独身である俺は、女性から狙い目物件としてもくされるらしく、誰も彼もがあの視線を向けてくる。

元カノと別れて割と早々とこの状況に気づき、彼女どころか軽く遊ぶだけの女性も不要になった俺は、女避けのためにフェイクの指輪をすることを思い付いた。

既婚者である降谷さんと中津が「指輪をするようになると周りの反応が変わる」と以前話していたのを思い出したのだ。

そして二人には「彼女と別れて仕事に集中したいから仕事に影響が出ないよう女避けで指輪をしたい」という建前である話を伝え、協力してもらうことになった。

実際指輪の効果は高く、いつしか周囲が勝手に愛妻家だと勘違いもしてくれて、非常に快適に過ごせている。

このフェイクの指輪をし出して、そして性的に不能な状態になって、いつの間にやら実にもう2年が経っていた。


◇◇◇

 ……まさか勃たないことで、神崎とこんなことになるとは思ってもみなかったな。

改めて自分に抱きついて眠る彼女を見て、俺は無意識に彼女の長い髪を指ですくように撫でた。

ハフレ&ソフレになることになったのは、本当に成り行きだったと思う。

俺が自分が不能だと言わなければ、彼女もこんなことを言い出したりはしなかっただろう。

思いがけずに台風で一緒の部屋に泊まることになり、かなり警戒されているのは感じたし、ずっとソワソワしている様子が手に取るように分かったから、つい安心させようと口をついて出てしまったのだ。

神崎志穂のことは、彼女が新入社員だった2年前に、中津が話していたことでそこから存在を認識するようになった。

係は違うものの、同じ課だったからたまに話すことはあったが、上司になるまではそこまで絡みはなかった。

可愛い容姿と胸の大きさで男性社員の人気を集めていることは知っていたし、積極的にアプローチしている男をことごとく振っているという話もなんとなく耳に入ってきた。

大人しそうに見えて、予想外にハッキリ断られるらしく、意外とガードが堅いと噂になっていたのだ。

それが知れ渡る頃には諦める者も多かったようだが、一定層根強いファンはいるらしい。

ロリ顔巨乳と言ったらAVでも人気ジャンルの一つだもんなと誰かが言っていたのを覚えている。

たまにしか関わらなかった俺からすれば、明るく感じの良い子だなという印象しかなかったのだが、そこに違う印象が加わったのは、ある日偶然乗り合わせた朝の通勤電車だ。

その日、いつもより早い電車に乗り込んだ俺は幸運にも席に座ることができ、朝の不快な満員電車に目を瞑って揺られていた。

会社の最寄駅の数駅前に到着した頃、ドア付近の方から「やめてください!」という小さいながらもキッパリとした女性の声が聞こえてきた。

少し離れた座席にいた俺はふとそちらを見て、その声のあるじが神崎志穂であることに気づいた。

状況から彼女が痴漢に遭ったのだろうとすぐに察する。

痴漢に遭遇した女性のほとんどは怖くて声が出せなくなると聞く。

そんな中、気丈にも声を上げ、背後の男を睨んでいた彼女は、近くの人にも助けられて、次に到着した駅で降り鉄道警察に痴漢を引き渡しているようだった。

噂通りただの大人しい子ではなく、勇気と度胸がある子なのだなという印象を持った。

同時に、そういえば会社でも彼女は胸を見られるのを嫌そうにしていたなと思い出し、さぞや普段から苦労があるのだろうと感じた。

3ヶ月前に俺が課長に昇進し、彼女の上司になってからも、あの時の出来事が頭の片隅にあり視線には気をつけた。

部下として接するようになって感じたのは、そういう経緯もあってか、彼女は男が苦手なんだろうなということだ。

営業として顧客や同僚の男性とも表面上は上手く接してはいるが、どこか線を引いているように見えた。

部下として実際に仕事ぶりを身近で見るようになると、以前中津が言っていたことが分かった。

真面目で頑張り屋、確かにその通りだった。

加えて、仕事が一つ一つ丁寧で、細かいことによく気づく。

異性として特別な感情はなかったが、人として好感は持っていたと言えるだろう。

だから、俺は口を滑らせたのだ。

やむを得なかったとはいえ、一晩好きでもない男と同じ部屋に泊まらなければならなくなった状況だ。

男が苦手な彼女に申し訳ない気持ちになった。

 ……なのに、異性とイチャイチャしたい、だもんな。

興奮気味に詰め寄られた時は驚いたものだ。

でもいざ彼女を抱きしめてみると、思いの外、心地良くて病みつきになりそうだった。

勃たなくなってから女性関係を一切絶っていた俺も人肌に飢えていたのだろう。

抱きしめたまま俺もいつの間にかそのまま寝てしまっていて、翌朝自分の腕の中に彼女の姿を見て一瞬驚いた。

すぐに昨夜の出来事を思い出したわけだが、その後、家に帰って週末の間に思ったのは、これは俺にとっても非常に都合の良い関係ではないかという事実だ。

あの夜、一人で寝るよりも深く眠れて、翌日すこぶる体調が良かった。

長らく遠ざかっていたが、やはり人肌の癒し効果は侮れない。

普通の女性なら、ああやって触れ合っていたら絶対にその先を望むだろう。

勃たない俺は男として役立たずだし、女性を満足させてあげることはできない。

だが、むしろ彼女はだからこそ俺が良いと言うのだ。

イチャイチャするだけを求めていて、セックスはしたくないと言う。

まさにお互いの需要と供給がマッチしている。

 ……成り行きだったけど、この都合の良い関係、案外いいかもな。

そこでふと、彼女のプライベートの連絡先を知らない事実に気づく。

これでは連絡の取りようもない。

週明けに確認しようと、一人の週末をのんびり過ごしたのだが、やはりあの夜よりはよく眠れなかった。

また彼女を抱きしめて眠りたい――その気持ちが膨らんでいく。

相手が部下だという点だけが少し後ろめたいが、それも一線を越えることはないという点が心を軽くした。

そう、あくまでハグしたり、添い寝したりするだけ。

セフレではないのだから。


 ……それにしても、なぜ神崎はあんなに頑なにセックスをしたくないのだろう? 何か理由でもあるのか? 今度タイミングがあったらそれとなく聞いてみるかな。

彼氏を作りたくないとハッキリ言っていたのも、このあたりが関係しているのだろう。

週明け、予定通りに彼女の連絡先を聞き、週末に会う約束をした俺だったが、その際いかに彼女がこの関係を貴重なモノだと認識しているのかを改めて知る。

俺の提示した条件を完璧に遂行しようとする姿勢にそれが如実に現れていた。

冗談混じりに「よっぽど俺を逃したくないんだな」と言えば、真剣な顔で言うのだ。

「もちろんです! せっかく貴重なイチャイチャだけできる相手を見つけたんですから。誰に対しても反応しないなんて最高です! 絶対に逃しません!」

思ってることをそのまま口にしたような言葉に驚いて二の句が継げなかった。

 ……「逃がさない」なんて束縛してきた元カノを思い起こさせる台詞なのに、神崎が言うと可愛いだけだな。

たぶん嫌悪を感じないのはではなく、逃さないと言っているからだ。

彼女に俺自身を束縛する意志がないのは明らかで、だからこそ嬉々とした様子なのがただ可愛く感じるだけなのだ。

「まさか不能なことをこんなに喜ばれることになるとは、人生何があるか分からないもんだな」

心の中でつぶやいた言葉はどうやら口からも漏れてしまっていたらしい。

それを聞いた彼女はニッコリ笑うと言った。

「誰に対しても不能なところが安心できるんです!」

新しいオモチャを手に入れて目をキラキラ輝かせる子供のような表情をした彼女が発したこの一言は、なぜかやけに耳に残ったのだった。
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