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05. 逃さない宣言

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「先週の金曜日は、2人とも大変でしたね」

週明け、会社に出社すると、朝一番に営業1課1係リーダーの中津さんが速水さんと私に話しかけてきた。

中津さんは私より4つ上の先輩で、速水さんにとっては後輩であり部下だ。

面倒見が良く人当たりも良い中津さんは、某テレビ番組の”体操のお兄さん”っぽい雰囲気の人である。

台風のせいで大変な思いをしたであろう私たちをいたわるような気持ちが声に滲んでいる。

「ニュースによると、予想より動きの早い台風のせいで帰宅困難者が続出だったみたいですよ。SNSでも”帰宅難民”っていうワードがトレンドに入ってましたしね。多くのホテルが満室になったらしいですけど、二人はそれぞれ部屋を確保できて幸運でしたね」

「確かに運が良かったな」

「ラッキーでしたね」

実際は一緒の部屋だったのだが、その事実を知るのは私と速水さんだけだ。

素知らぬふうに答えた速水さんに続き、私も平然を装って答える。

チラリと速水さんを盗み見れば、ばっちり目が合った。

そのことであの日のことは夢ではなく現実だったのだと実感する。

 ……早くまたハグしたいなぁ。遠慮なく思いっきり抱きつけるのは本当に最高だったもん。人肌による癒しと潤い効果もすごかったし!

念願のイチャイチャができたことで心が潤い、あの日以降、肌の調子も絶好調な気がする。

あれからまだ数日しか経っていないのに、人肌が恋しくて、また早く抱きつきたくてしょうがない。

とはいえ、速水さんが提示した条件ももちろん忘れてはいない。

 ……仕事中は上司と部下を徹底しなきゃね。気を引き締めて頑張らないと!

私は一度大きく深呼吸をすると、気を取り直してパソコンへと向かった。

今日は午後に速水さんとこの前のAGフードサービスのヒアリング内容を精査する打合せの予定がある。

そのため、それまでにヒアリング内容をまとめて分類し、自分なりに改善案を考えておきたい。

パソコンと睨めっこしているうちに、午前中はあっという間に過ぎて行った。

昼食を挟み午後一番、予約しておいた5人用の会議室で私は速水さんとテーブル越しに向かい合う。

二人ともそれぞれパソコンを会議室に持ち込み、同じ資料を画面上で見ながら意見を交わす。

以前はこういう時、資料を印刷していたが最近はすっかりペーパーレスだ。

「こちらが先週のヒアリングをまとめた資料です。キーワードごとに分類してみました。結果、視覚的な見やすさ分かりやすさ、直感的に理解しやすい操作性をシステムに求める声が多かったです。細々とした機能は要望がバラけていたので、発生頻度の高い他店舗応援時の勤怠管理ができる仕組みを組み込めると業務効率が良くなるのではと思います」

「よくまとまってるな。神崎の考える方向性で俺もいいと思うよ」

「本当ですか! 良かったです!」

「あとはSEと打合せて、特に機能面はシステム的に可能かを要確認だな」

「そうですね。既存システムに組み込めるのかも分からないですし」

「視覚的な部分や操作性は事前に案があるといいよ。SEとの打合せで意思疎通しやすくスムーズになるから」

「案、ですか?」

「そう。例えば、神崎が普段の生活で使いやすいなって思うモノ……システム、web、アプリ、なんでもいいけど、そのどの部分が使いやすいか見直してみて取り入れられないか考えてみると結構参考になるはず」

上司からのすごく具体的な助言に、私は真剣に耳を傾けながら手元の手帳にメモを取る。

普段からこういう視点で物事を見ているから速水さんは提案力があるのだろう。

SEと打合せる時も、こんな感じにしたいと具体例があればそれを叩き台にして意見交換もしやすいはずだ。

 ……やっぱり速水さんはさすがだなぁ……! 自分のことだけでなく、ちゃんと部下に的確な助言もしてくれるし。前から仕事のできるすごい人だとは耳にしてたけど、一緒に仕事するようになってつくづく実感する。モテるのもホント納得!

改めて感服した私は無意識に速水さんの顔をじっと見つめてしまっていた。

「じゃあ、この方向でリニューアルを進めよう。SEとの打合せは調整しておいてくれる? 俺のスケジュールの空いてるところ勝手に入れてくれていいから」

「あ、はい。分かりました」

社内で全社員が共有されているスケジュール管理ソフトを示しながら言われ、ハッとした私は素早くパソコンに視線を移す。

だが、じっと見ていたのはどうやらバレてしまっていたらしい。

「さっきから俺の顔見てるけど、なんか付いてる?」

本人に指摘されてしまい、どうにもバツが悪い。

 ……これって速水さんが上げていた条件の干渉になったりするのかな? ううん、そもそも上司と部下に完璧に徹するのを破ったって思われかねないかも⁉︎ 

ちょっとでも面倒だと思えば、ハフレやソフレを辞めると言われている身である。

そうなれば、せっかく念願のイチャイチャだけできる相手を見つけたのに、思いっきり抱きつくこともできなくなってしまう。

瞬時にそう思い至った私は、弁明するかのように口を開いた。

「いえ、何も付いてないです! その、頂いた助言も含めさすが速水さんだなぁと感服していただけです。上司になる前からお噂はかねがね聞いてましたけど、本当にその通りだなぁって実感しました!」

「噂なんてあてにならないと思うけどね。結構いい加減なものだし。現に神崎はそれをこの前思い知っただろう?」

そう言って速水さんは、自分の左手を私に掲げて見せた。

薬指にはいつも通りに指輪が光っている。

一見するとなんともない仕草だが、彼の言わんとすることはそれだけで私には分かった。

それを言われると確かにそうだなぁと思うと同時に、顔をじっと見ていたことに速水さんが特に不快さを感じている様子がなかったことに一旦ホッとする。

貴重なハフレ&ソフレを失わずに済んだようだ。

「ところで神崎、週末は空いてる?」

私が安堵に胸を撫で下ろしていると、今度は速水さんの方から唐突にこう切り出された。

 ……週末、ってことは仕事じゃないよね? ということは、これは……!

パッと顔を上げ、再び食い入るように速水さんの顔を見つめた。

そんな私の様子が面白かったのか、速水さんは噛み殺すように小さく笑みを溢しながら、言葉を続ける。

「うち来る?」

「行きますっ!」

「即答か。なんか神崎って自分の感情に素直というか忠実というか。割と思ってることハッキリ言うね」

確かに私は自分の欲望に忠実だと思う。

速水さんとの不思議な関係が始まったのも、イチャイチャしたい、でもセックスはしたくない――そんな私の都合によるものだ。

ハッキリした物言いは、胸のせいで体目当てで寄ってくる男性が多く、それを断っているうちにいつの間にか自然と身に付いたことだと思う。

ハッキリ拒否しないとナメられてつけいられるからだ。

「じゃあ連絡先交換しておこう。神崎のプライベートの連絡先教えて?」

「はい! そういえば交換してなかったですね」

私たちはスマホを取り出して電話番号とメッセージアプリのアカウントを教え合う。

営業は全員会社携帯が支給されていて、普段仕事ではそちらで連絡を取っていたから、なんとなく速水さんの連絡先を知っている気でいた。

よくよく考えれば、個人の連絡先を聞いていなかったという、なんとも初歩的なミスに今気付いた次第である。

「あの、一つ聞いていいですか?」

「なに?」

「上司と部下を徹底するって条件、今こうして仕事中にプライベートの話をするのはオッケーなんですか?」

連絡先を交換し終えたタイミングで、私は気になっていたことをこの際だから聞いてみることにした。

面倒だと思って辞められてしまう前に速水さんの感覚を把握しておきたい。

「ああ、その件か。別に打合せ終わった後にちょっとプライベートの話をするくらいはよくあることだからね。しかも今は俺たちしかいないし。この場でハグするわけでもないんだから」

つまり、一般的な上司と部下の言動範囲内なら大丈夫ということだろう。

私が会社で速水さんに抱きついたりしなければいいだけの話だ。

ついでに私はもう一つ尋ねてみる。

「ちなみに、連絡先交換しましたけど、速水さんが感じる束縛や干渉ってどの程度ですか? 週末のことでメッセージ送る程度は大丈夫です?」

「時間や場所の確認で連絡取るのは普通のことだから、それは全然大丈夫。どの程度って言われると難しいけど、そうだな……例えば毎日何通もメッセージ来るとか、今何してるか聞いてくるとか、誰とどこにいるか確認してくるとか、かな」

例えばの事例がやけに具体的で、それを話す時の速水さんの顔がものすごく嫌そうな表情になっていて、直感的にこれは経験談だなと悟る。

よほど元カノが束縛するタイプの人だったのだろう。

 ……これだけモテる要素のある彼氏がいたら心配になるのは分からないでもないけど。きっと元カノさんはすっごく速水さんのことが好きだったんだろうなぁ。性的に不能になったことが原因で別れちゃったのかな?

ちょっと気になったが、これを聞くのは間違いなく干渉になる気がする。

私はその疑問は心の内にとどめ、口には出さないようにした。

「分かりました! そのあたりは気をつけますね!」

「条件の細かな部分まで気にするなんて、神崎はよっぽど俺を逃したくないんだな」

速水さんは目を細めながら、ちょっとからかう口調を私に向けた。

だが、これは笑い事ではない。

そんなからかい口調をモノともせず、私は馬鹿正直に真正面から速水さんを見て本音を告げた。

「もちろんです! せっかく貴重なイチャイチャだけできる相手を見つけたんですから。誰に対しても反応しないなんて最高です! 絶対に逃しません!」

欲求ダダ漏れな私の発言に、速水さんは呆気に取られたように目を瞬かせた。

そしてポツリと一言つぶやく。

「…………まさか不能なことをこんなに喜ばれることになるとは、人生何があるか分からないもんだな」

“イチャイチャ”、”不能”など、平日昼間の会議室には似つかわしくない言葉が発せられる、ある午後の日の一幕だった。
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