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02. 嵐の到来
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金曜日は朝からあいにくの空模様だった。
どんよりとした分厚い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな様相を見せていた。
やっぱりと言うべきか、昼過ぎには小雨が降り出してきている。
昼食を終えて取引先へ向かうべく社用車へ乗り込んだ速水さんと私は、車内から外の様子を眺めてどちらからともなくため息を吐いた。
「……まだ小雨だけどひどくなりそうだな」
「台風が近づいてますからね。出社前に見たテレビのニュース番組ではもう九州には上陸しているって言ってました。東京は明日の午前中に通過するみたいです」
念のためスマホでWebニュースをチェックしてみても情報は朝から特に変わりない。
私たちは天候に若干の不安と憂鬱さを抱きながら、車を発進させてオフィスを出発した。
これから向かうAGフードサービスは千葉県に本社を構える外食業界の会社で、チェーン系のファミレスを全国展開している。
本社に訪問するためには都内からだと公共交通機関で何度か乗り換えが必要になり、資料などを多数持参する関係上、社用車で行くことになった。
今運転しているのは速水さんで、私は助手席に座らせてもらっている。
「神崎は運転はできるの?」
「あ、はい。都内のお客様が多いので公共交通機関がほとんどですが、たまに社用車も使わせてもらっています」
「それなら良かった。AGフードサービスに行く時は車の方が楽だから。前に電車で行った時、結構時間かかって大変でさ。今後神崎も何度か訪問することになるだろうから覚えておいて」
「分かりました。教えて頂きありがとうございます」
「それにしても台風か。こういう時の都内の交通網は脆弱だし、せっかくの週末も台無しだろうな」
「何かご予定でもあったんですか?」
「いや、特にないけど。家にいるだけ」
道中、特にすることもなく、私たちはなにげない会話を交わす。
考えてみればこうして速水さんと仕事以外の内容について話すのは初めてだ。
話しながらも速水さんの運転は丁寧で、揺れが少ない。
ただ、仕事とはいえ、車という密室の中で男性と二人きりという状況は多少居心地が悪く、なんだかソワソワする。
雨の音しか聞こえない無音の空間がなんとなく気詰まりで、私は一言断りを入れてから車のラジオをつけた。
ちょうど音楽番組をやっていたようで、車内には最新のJ-popミュージックが流れ出す。
音楽のおかげでその場の空気が和らいだ気がしてホッとした私はこっそり安堵の息を吐いた。
「前から思ってたけど、もしかして神崎って男苦手なの?」
「えっ……」
「同僚とも取引先とも問題なくやり取りしてるようだけど、なんとなく避けてるなぁって感じがしてさ」
ふいに問いかけられた言葉に一瞬目を丸くする。
鋭い観察眼に舌を巻くが、もしかしたら私の態度はそんなに分かりやすいものなのだろうか。
「……そうですね。ちょっと苦手意識はあるかもしれません。女子高育ちなので」
「そうなんだ。大学は?」
「大学は共学でしたけど、なかなか慣れなくて大変でした」
私は曖昧に笑いつつ誤魔化す。
速水さんの推測通り、実際に私は男性に多少の苦手意識がある。
男性嫌いというわけでも、男性恐怖症というわけでもなく、ただ少し苦手なだけ。
彼氏がいたこともあるし、恋愛に憧れてイチャイチャしたいという願望もあるから、深刻なものではない。
……ただ、男性ってみんな胸ばっかり見てくるんだもん。体目当ての人も多いし……。
女子高から共学の大学に進学した時に驚いたものだ。
それまでもすれ違う人に胸をジロジロ見られることは多かったけど、大学に入学すると、見るだけでなく近寄ってくる人が増えた。
明らかに体目当てで。
男性からアプローチをされることは少なくないけど、私自身に好意を持つというより、体に興味がある人ばかりだった。
……そんな中、体目的じゃなく私を見てくれた人と付き合ったけど、上手くいかなかったんだよね。セックスするのも怖くなっちゃったし……。
思い出したくもない過去のトラウマで気持ちが黒く塗り潰されそうになり、私は咄嗟にそれを振り払う。
話を切り替えるように、今度は私から速水さんに問いかけた。
「そういえば、速水さんはすごく愛妻家だってよく噂を耳にしますけど、ご結婚されてどれくらいなんですか?」
奥様関連の話だったら愛妻家の速水さんも話しやすいかなと思ったゆえの質問だ。
指輪にチラリと視線を送った速水さんは、そのまま前を見てわずかに首を傾げる。
「あー……どうだったかな?」
気を利かせたつもりだったが、速水さんの返事はなんだか曖昧だ。
愛妻家とはいえ、人に奥様の話をするのは苦手なのかなと僅かに感じつつ、でもそれ以外に適当な話題も思い付かなくて、私はそのまま話を続けることにする。
「確か私が2年前に入社した頃にはもうご結婚されてましたよね」
「よく覚えてるね、そんなこと」
「だって当時、新入社員の中で話題になりましたから。長年付き合っていた彼女さんと結婚されたって聞きました。いいですね、羨ましいです!」
「羨ましいって、結婚に興味あるの?」
「あ、いえ。結婚にというより、その仲睦まじい関係がいいなぁって。私の同期にも仲良しカップルがいるんですけど、その二人を見ていてもいつも羨ましく感じるんです」
「それ、遠回しに彼氏欲しいって言ってる?」
「いえ、彼氏はいりません」
キッパリそう言い切れば、速水さんは思わずというふうに前を向いたまま苦笑いを浮かべた。
私が不思議に思ってその横顔を見つめていると、彼が口を開いた。
「それなら、そういうことあんまり男の前で言わない方がいいんじゃない?」
「そういうこと、ですか?」
「カップルが羨ましいとか、そういうこと。彼氏欲しがってるって勘違いするヤツも多いだろうから。神崎にその気がないなら口にしない方がいいと思うけど」
「……全然思い至りませんでした。気をつけます」
仕事のアドバイスをするような口調で言われたこともあり、私は素直にそれに頷いた。
どうやら私の欲求ダダ漏れなセリフは、客観的に聞くと彼氏が欲しいと言ってるように聞こえるらしい。
確かにこの前も若菜と藤沢くんに「合コン開こうか?」と言われたことを思い出す。
……本音を言うと、イチャイチャしてくれるだけの人は欲しいんだけどね……!
私が求めているのは、いわゆる「ハフレ&ソフレ」だ。
セックスするだけの人をセフレと言うが、あれと同じ考え方だ。
ハフレ=ハグフレンド、ソフレ=添い寝フレンドのことである。
セックスなしで、ハグしたり一緒に寝たりだけしたい。
だけど、そんな都合の良い人はなかなかいないということは理解している。
ハグしたり添い寝したりすれば、ただでさえ体目的の人が多いからそのまま体の関係に持ち込もうとされることだろう。
だから本当の本音はダダ漏れの欲求の中にそっと隠し、誰にも言ったことはなかった。
そんな会話をしているうちに、車はAGフードサービスの本社へ到着した。
駐車場に車を停めて、私たちは傘で雨を凌ぎながら本社ビルへ駆け込む。
受付を済ませると、ほどなくして担当部署の年配の女性社員さんが出迎えてくれ、広めの会議室へ案内してくれた。
「三谷さん、紹介します。部下の神崎です。今後御社の担当を一緒に受け持ちますのでよろしくお願いします」
「はじめまして、神崎です。よろしくお願い致します!」
速水さんに紹介され、素早く名刺を取り出して手渡しながら頭を下げる。
三谷さんは50代くらいの、笑顔が穏やかな人の良さそうな雰囲気の方だ。
事前に速水さんから聞いたところによると、勤続25年以上のベテラン社員さんだという。
「こちらこそよろしくね。今日は実際に既存の勤怠給与管理システムを使っている店長クラスの社員を複数名招集してますから、この後ヒアリングをお願いしますね」
三谷さんと簡単に今日のヒアリングについて事前にすり合わせていると、徐々に広めの会議室には複数名の社員さんが集まってくる。
全員で15名が集まったところでヒアリングが始まった。
今回AGフードサービスでは、アルバイト用の勤怠給与管理システムのリニューアルをすることになっている。
チェーン系のファミレスを展開するこちらの会社は、アルバイトを多数抱えていて、その人数は正社員よりも大幅に多い。
正社員の勤怠給与管理は人事部が担当しているが、各店舗で抱えるアルバイトまでは管理が及ばす管轄外。
そのため、実際に店舗の運営を担当しているサービス事業本部という部署がそれを担っていた。
三谷さんはこのサービス事業本部の本部勤務の方でこのシステムを統括していて、他の店長クラスの社員さんは現場でアルバイトを管理しつつ実際にシステムを運用している方々なのだ。
現状に合わせてリニューアルするに伴い、現場の生の声を拾い、より使い勝手良くする狙いで今回の場が設けられていた。
「本日はお忙しい中お時間ありがとうございます。アルバイト用の勤怠給与管理システムのリニューアルに伴い、ぜひ皆さまが普段感じていらっしゃる忌憚のない意見をお聞かせください。どんな些細なことでも結構です」
司会進行を務めるのは速水さんだ。
私はその隣でパソコンを開き、上がってきた意見を聞き漏らさないように議事録の作成に取り掛かった。
「この承認画面のところですが、最初慣れるまで押すボタンが分かりづらかったです。初見の方でも分かるようにしてもらえると嬉しいですね」
「承認で言うと、ボタンを押した後、“承認しました”ってポップアップは出るんですけど、元の画面が変わらないから本当に承認できているのかいつも一瞬不安になるんです。あれ、なんとかなりませんか?」
「アルバイトの新規登録が意外と時間かかるんで、あれがもっと時短になると助かります」
「他店舗に応援に行ったアルバイトの勤怠管理が今のシステムだとやりにくいです」
「アルバイトの顔写真までこのシステムで確認できると便利ですよね~。絶対必要ではないですけど」
一人目が声を上げると、芋づる式に次々に意見が上がってきた。
深刻な問題点からあると嬉しいなというちょっとした希望まで様々だが、それを私はつぶさに記録していく。
これらの意見を精査し、システムへどう反映させるかをSEとも検討して、顧客の抱える課題を解決するのが仕事なのだ。
ヒアリングは盛り上がり、あっという間に2時間が経った。
午後2時から始まったから、もう午後4時になっている。
ふと会議室から窓の外を見れば、昼過ぎに会社を出た時よりも空の色が黒く、いつもの夕方よりも辺りが暗い。
これは本格的に雨が降ってきそうな雲行きだ。
「あら、やだ! 会社から帰宅指示が発令されているわ。台風が予定よりずいぶん早く迫ってきているみたい」
ちょうどその時、パソコンで社内イントラネットをチェックしていたらしい三谷さんが声を上げた。
それをキッカケに店長クラスの社員さん達も自身の社用携帯のメールなどを確認し出し、場がザワザワと騒めき始めた。
「今日のヒアリングはここまでにしましょう。いいかしら、速水さん?」
「ええ。皆さまの貴重な意見ありがとうございました。弊社でどうシステムに反映させるか検討し、またご提案に伺います」
結局三谷さんが切り出し、速水さんが締めくくり、その場はクローズとなった。
出席していた方々も帰宅指示が発令されてるとあって、会議室を足早に辞していく。
一部の女性社員の方々は今回初対面だったらしい速水さんとお近づきになりたそうな素振りだったが、左手の指輪が目に入ると諦めたように退室していった。
三谷さんにエントランスまで見送られた私と速水さんは、小雨が降る中、車に乗り込み、各々スマホで台風状況を確認する。
今日の午前中はまだ九州あたりにいた台風は、進行スピードを上げていつの間にやら関西まで進んできていたらしい。
しかも非常に強い台風でその暴風域はかなり広く、すでに関東にも影響が出始めているようだ。
「都内の公共交通機関も運行停止が決まってきているみたいだ」
「そうみたいですね……」
「とりあえず行けるところまで都内に向かって進もうか。ここにいてもしょうがないし」
「そうですね」
まだこの辺りは小雨だったこともあり、私と速水さんは車を発進させることにした。
最初のうちは問題なく進んでいたのだが、それも30分くらいのことだった。
いきなり大粒の雨がザーッと滝のように降り出し、車体を打ちつけるような風が徐々に強くなってくる。
結果、これ以上は危険だと判断せざるを得なくなり、台風をやり過ごすためホテルに駆け込むことになってしまった。
しかも空いていたのはダブルルームの一部屋だけ。
せめてツインルームだったらまだマシだったのに。
往路の車内で私が男性が苦手だという話をしていたせいか、速水さんに「神崎には悪いけど我慢してもらっていい?」と申し訳なさそうな顔で言われてしまった。
状況的に致し方ないことを重々理解していたし、こう言われてしまってはこちらこそ心苦しい。
やむを得ず私は力なく頷いたのだった。
どんよりとした分厚い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな様相を見せていた。
やっぱりと言うべきか、昼過ぎには小雨が降り出してきている。
昼食を終えて取引先へ向かうべく社用車へ乗り込んだ速水さんと私は、車内から外の様子を眺めてどちらからともなくため息を吐いた。
「……まだ小雨だけどひどくなりそうだな」
「台風が近づいてますからね。出社前に見たテレビのニュース番組ではもう九州には上陸しているって言ってました。東京は明日の午前中に通過するみたいです」
念のためスマホでWebニュースをチェックしてみても情報は朝から特に変わりない。
私たちは天候に若干の不安と憂鬱さを抱きながら、車を発進させてオフィスを出発した。
これから向かうAGフードサービスは千葉県に本社を構える外食業界の会社で、チェーン系のファミレスを全国展開している。
本社に訪問するためには都内からだと公共交通機関で何度か乗り換えが必要になり、資料などを多数持参する関係上、社用車で行くことになった。
今運転しているのは速水さんで、私は助手席に座らせてもらっている。
「神崎は運転はできるの?」
「あ、はい。都内のお客様が多いので公共交通機関がほとんどですが、たまに社用車も使わせてもらっています」
「それなら良かった。AGフードサービスに行く時は車の方が楽だから。前に電車で行った時、結構時間かかって大変でさ。今後神崎も何度か訪問することになるだろうから覚えておいて」
「分かりました。教えて頂きありがとうございます」
「それにしても台風か。こういう時の都内の交通網は脆弱だし、せっかくの週末も台無しだろうな」
「何かご予定でもあったんですか?」
「いや、特にないけど。家にいるだけ」
道中、特にすることもなく、私たちはなにげない会話を交わす。
考えてみればこうして速水さんと仕事以外の内容について話すのは初めてだ。
話しながらも速水さんの運転は丁寧で、揺れが少ない。
ただ、仕事とはいえ、車という密室の中で男性と二人きりという状況は多少居心地が悪く、なんだかソワソワする。
雨の音しか聞こえない無音の空間がなんとなく気詰まりで、私は一言断りを入れてから車のラジオをつけた。
ちょうど音楽番組をやっていたようで、車内には最新のJ-popミュージックが流れ出す。
音楽のおかげでその場の空気が和らいだ気がしてホッとした私はこっそり安堵の息を吐いた。
「前から思ってたけど、もしかして神崎って男苦手なの?」
「えっ……」
「同僚とも取引先とも問題なくやり取りしてるようだけど、なんとなく避けてるなぁって感じがしてさ」
ふいに問いかけられた言葉に一瞬目を丸くする。
鋭い観察眼に舌を巻くが、もしかしたら私の態度はそんなに分かりやすいものなのだろうか。
「……そうですね。ちょっと苦手意識はあるかもしれません。女子高育ちなので」
「そうなんだ。大学は?」
「大学は共学でしたけど、なかなか慣れなくて大変でした」
私は曖昧に笑いつつ誤魔化す。
速水さんの推測通り、実際に私は男性に多少の苦手意識がある。
男性嫌いというわけでも、男性恐怖症というわけでもなく、ただ少し苦手なだけ。
彼氏がいたこともあるし、恋愛に憧れてイチャイチャしたいという願望もあるから、深刻なものではない。
……ただ、男性ってみんな胸ばっかり見てくるんだもん。体目当ての人も多いし……。
女子高から共学の大学に進学した時に驚いたものだ。
それまでもすれ違う人に胸をジロジロ見られることは多かったけど、大学に入学すると、見るだけでなく近寄ってくる人が増えた。
明らかに体目当てで。
男性からアプローチをされることは少なくないけど、私自身に好意を持つというより、体に興味がある人ばかりだった。
……そんな中、体目的じゃなく私を見てくれた人と付き合ったけど、上手くいかなかったんだよね。セックスするのも怖くなっちゃったし……。
思い出したくもない過去のトラウマで気持ちが黒く塗り潰されそうになり、私は咄嗟にそれを振り払う。
話を切り替えるように、今度は私から速水さんに問いかけた。
「そういえば、速水さんはすごく愛妻家だってよく噂を耳にしますけど、ご結婚されてどれくらいなんですか?」
奥様関連の話だったら愛妻家の速水さんも話しやすいかなと思ったゆえの質問だ。
指輪にチラリと視線を送った速水さんは、そのまま前を見てわずかに首を傾げる。
「あー……どうだったかな?」
気を利かせたつもりだったが、速水さんの返事はなんだか曖昧だ。
愛妻家とはいえ、人に奥様の話をするのは苦手なのかなと僅かに感じつつ、でもそれ以外に適当な話題も思い付かなくて、私はそのまま話を続けることにする。
「確か私が2年前に入社した頃にはもうご結婚されてましたよね」
「よく覚えてるね、そんなこと」
「だって当時、新入社員の中で話題になりましたから。長年付き合っていた彼女さんと結婚されたって聞きました。いいですね、羨ましいです!」
「羨ましいって、結婚に興味あるの?」
「あ、いえ。結婚にというより、その仲睦まじい関係がいいなぁって。私の同期にも仲良しカップルがいるんですけど、その二人を見ていてもいつも羨ましく感じるんです」
「それ、遠回しに彼氏欲しいって言ってる?」
「いえ、彼氏はいりません」
キッパリそう言い切れば、速水さんは思わずというふうに前を向いたまま苦笑いを浮かべた。
私が不思議に思ってその横顔を見つめていると、彼が口を開いた。
「それなら、そういうことあんまり男の前で言わない方がいいんじゃない?」
「そういうこと、ですか?」
「カップルが羨ましいとか、そういうこと。彼氏欲しがってるって勘違いするヤツも多いだろうから。神崎にその気がないなら口にしない方がいいと思うけど」
「……全然思い至りませんでした。気をつけます」
仕事のアドバイスをするような口調で言われたこともあり、私は素直にそれに頷いた。
どうやら私の欲求ダダ漏れなセリフは、客観的に聞くと彼氏が欲しいと言ってるように聞こえるらしい。
確かにこの前も若菜と藤沢くんに「合コン開こうか?」と言われたことを思い出す。
……本音を言うと、イチャイチャしてくれるだけの人は欲しいんだけどね……!
私が求めているのは、いわゆる「ハフレ&ソフレ」だ。
セックスするだけの人をセフレと言うが、あれと同じ考え方だ。
ハフレ=ハグフレンド、ソフレ=添い寝フレンドのことである。
セックスなしで、ハグしたり一緒に寝たりだけしたい。
だけど、そんな都合の良い人はなかなかいないということは理解している。
ハグしたり添い寝したりすれば、ただでさえ体目的の人が多いからそのまま体の関係に持ち込もうとされることだろう。
だから本当の本音はダダ漏れの欲求の中にそっと隠し、誰にも言ったことはなかった。
そんな会話をしているうちに、車はAGフードサービスの本社へ到着した。
駐車場に車を停めて、私たちは傘で雨を凌ぎながら本社ビルへ駆け込む。
受付を済ませると、ほどなくして担当部署の年配の女性社員さんが出迎えてくれ、広めの会議室へ案内してくれた。
「三谷さん、紹介します。部下の神崎です。今後御社の担当を一緒に受け持ちますのでよろしくお願いします」
「はじめまして、神崎です。よろしくお願い致します!」
速水さんに紹介され、素早く名刺を取り出して手渡しながら頭を下げる。
三谷さんは50代くらいの、笑顔が穏やかな人の良さそうな雰囲気の方だ。
事前に速水さんから聞いたところによると、勤続25年以上のベテラン社員さんだという。
「こちらこそよろしくね。今日は実際に既存の勤怠給与管理システムを使っている店長クラスの社員を複数名招集してますから、この後ヒアリングをお願いしますね」
三谷さんと簡単に今日のヒアリングについて事前にすり合わせていると、徐々に広めの会議室には複数名の社員さんが集まってくる。
全員で15名が集まったところでヒアリングが始まった。
今回AGフードサービスでは、アルバイト用の勤怠給与管理システムのリニューアルをすることになっている。
チェーン系のファミレスを展開するこちらの会社は、アルバイトを多数抱えていて、その人数は正社員よりも大幅に多い。
正社員の勤怠給与管理は人事部が担当しているが、各店舗で抱えるアルバイトまでは管理が及ばす管轄外。
そのため、実際に店舗の運営を担当しているサービス事業本部という部署がそれを担っていた。
三谷さんはこのサービス事業本部の本部勤務の方でこのシステムを統括していて、他の店長クラスの社員さんは現場でアルバイトを管理しつつ実際にシステムを運用している方々なのだ。
現状に合わせてリニューアルするに伴い、現場の生の声を拾い、より使い勝手良くする狙いで今回の場が設けられていた。
「本日はお忙しい中お時間ありがとうございます。アルバイト用の勤怠給与管理システムのリニューアルに伴い、ぜひ皆さまが普段感じていらっしゃる忌憚のない意見をお聞かせください。どんな些細なことでも結構です」
司会進行を務めるのは速水さんだ。
私はその隣でパソコンを開き、上がってきた意見を聞き漏らさないように議事録の作成に取り掛かった。
「この承認画面のところですが、最初慣れるまで押すボタンが分かりづらかったです。初見の方でも分かるようにしてもらえると嬉しいですね」
「承認で言うと、ボタンを押した後、“承認しました”ってポップアップは出るんですけど、元の画面が変わらないから本当に承認できているのかいつも一瞬不安になるんです。あれ、なんとかなりませんか?」
「アルバイトの新規登録が意外と時間かかるんで、あれがもっと時短になると助かります」
「他店舗に応援に行ったアルバイトの勤怠管理が今のシステムだとやりにくいです」
「アルバイトの顔写真までこのシステムで確認できると便利ですよね~。絶対必要ではないですけど」
一人目が声を上げると、芋づる式に次々に意見が上がってきた。
深刻な問題点からあると嬉しいなというちょっとした希望まで様々だが、それを私はつぶさに記録していく。
これらの意見を精査し、システムへどう反映させるかをSEとも検討して、顧客の抱える課題を解決するのが仕事なのだ。
ヒアリングは盛り上がり、あっという間に2時間が経った。
午後2時から始まったから、もう午後4時になっている。
ふと会議室から窓の外を見れば、昼過ぎに会社を出た時よりも空の色が黒く、いつもの夕方よりも辺りが暗い。
これは本格的に雨が降ってきそうな雲行きだ。
「あら、やだ! 会社から帰宅指示が発令されているわ。台風が予定よりずいぶん早く迫ってきているみたい」
ちょうどその時、パソコンで社内イントラネットをチェックしていたらしい三谷さんが声を上げた。
それをキッカケに店長クラスの社員さん達も自身の社用携帯のメールなどを確認し出し、場がザワザワと騒めき始めた。
「今日のヒアリングはここまでにしましょう。いいかしら、速水さん?」
「ええ。皆さまの貴重な意見ありがとうございました。弊社でどうシステムに反映させるか検討し、またご提案に伺います」
結局三谷さんが切り出し、速水さんが締めくくり、その場はクローズとなった。
出席していた方々も帰宅指示が発令されてるとあって、会議室を足早に辞していく。
一部の女性社員の方々は今回初対面だったらしい速水さんとお近づきになりたそうな素振りだったが、左手の指輪が目に入ると諦めたように退室していった。
三谷さんにエントランスまで見送られた私と速水さんは、小雨が降る中、車に乗り込み、各々スマホで台風状況を確認する。
今日の午前中はまだ九州あたりにいた台風は、進行スピードを上げていつの間にやら関西まで進んできていたらしい。
しかも非常に強い台風でその暴風域はかなり広く、すでに関東にも影響が出始めているようだ。
「都内の公共交通機関も運行停止が決まってきているみたいだ」
「そうみたいですね……」
「とりあえず行けるところまで都内に向かって進もうか。ここにいてもしょうがないし」
「そうですね」
まだこの辺りは小雨だったこともあり、私と速水さんは車を発進させることにした。
最初のうちは問題なく進んでいたのだが、それも30分くらいのことだった。
いきなり大粒の雨がザーッと滝のように降り出し、車体を打ちつけるような風が徐々に強くなってくる。
結果、これ以上は危険だと判断せざるを得なくなり、台風をやり過ごすためホテルに駆け込むことになってしまった。
しかも空いていたのはダブルルームの一部屋だけ。
せめてツインルームだったらまだマシだったのに。
往路の車内で私が男性が苦手だという話をしていたせいか、速水さんに「神崎には悪いけど我慢してもらっていい?」と申し訳なさそうな顔で言われてしまった。
状況的に致し方ないことを重々理解していたし、こう言われてしまってはこちらこそ心苦しい。
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