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#13. Fall in Love

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「――というわけで、家庭は冷え切っていて。でも体面を気にする家なので、父と母は仮面夫婦、そして私は溺愛されている娘を対外的には演じています。……実際は私なんて父にとってはただの政略道具でしかないんですけどね」

「だからさっきお父さんとの電話であんなに硬い声と表情だったんだ……」

「それは無意識でした。でもさっきの電話で、なんだか改めて父は家のことしか頭にないんだなと感じて。思うところがあったので、声や顔に出てしまったのかもしれません」

一度話し出すと言葉は勝手に口を突いて出て、するするとこぼれ落ちた。

春臣さんは適度に相槌を打ちつつ真剣に聞いてくれて、だから私も話しやすかった。

少しだけ打ち明けるつもりが気が付けば、家庭環境から始まり、父のこと、両親と私の関係、父の言葉に従いこれまでの人生を歩んできたこと……誰にも言えず心に溜め込んでいたことをすべて吐き出していた。

話してスッキリしてみればと言われた通り、確かに人に聞いてもらった今、心が軽くなったような気がする。

「……香澄は裕福な家庭に生まれて恵まれた生活だったんだろけど、家族の愛情を知らずに育ったんだね」

だが、そう言われた瞬間、私はハッとして春臣さんを見た。

もしかして可哀想な子だと同情されてしまっただろうかと心配になったのだ。

この話で私は同情を引きたかったわけではない。

ただ聞いてもらいたかった、誰かに打ち明けたかった、それだけなのだ。

幸いなことに、春臣さんを見ると特に私に憐みを向けるような顔はしていなかった。

いつも通り整った顔に穏やかな表情を浮かべているだけだ。

だけど、その形の良い唇からは思いがけない言葉が飛び出した。

「俺も家族の愛情ってよく分からないから同じかも」

「えっ……?」

一瞬聞き間違いだろかと自分の耳を疑った。

確か春臣さんは海外から帰国し、今は実家に住んでいると言っていた。

てっきりご両親と暮らしていて仲は良好なのだろうと思っていたのだが違うのだろうか。

「あの、春臣さんはご実家に住んでいるって前に言っていましたよね? ご両親と不仲なんですか……?」

「いや、特に仲は悪くないよ」

「じゃあなぜ……」

「俺、養子なんだよね。実の両親は子供の頃に亡くなったんだ」

「………!!」

突然の告白に息を呑む。

驚いて何も言葉が出てこない。

「俺が6歳の頃に亡くなったんだけど、面倒見てくれる親戚もいなかったから、その後は児童養護施設に入ることになって。それで縁あって中学入学頃に今の義両親の養子になることなったんだ」

「そう、だったんですか」

「養父と養母は不妊治療を試みたものの子供ができなかったらしくてね。でも子供が欲しいという思いは捨てられなかったみたいで、裕福だったこともあって養子縁組することにしたらしい」

次々に語られる内容に私はただただ驚愕するばかりだ。

春臣さんがまさかそんな複雑な生い立ちだとは思ってもみなかった。

なんとなく春臣さんも裕福な家庭で生まれ育ち、順風満帆にエリートコースを歩んで来た人だと思っていたのだ。

「義父も義母も良い人でよくしてくれたけど、やっぱりどこか線を引いてしまう部分はあって。だから香澄とは生い立ちは全然違うけど、俺も家族の愛情は正直よく分からないかな」

そう言い終わると、春臣さんは端正な顔に寂しげな表情を浮かべて小さく笑った。

思わず私は春臣さんの手をギュッと握り返す。

彼は視線を上げて問いかけるように私を見た。

「こんな話聞いて驚いた? もしかして同情してたりする?」

私には春臣さんが言いたいことが痛いくらい分かった。

なにしろさっき私が感じたことと同じだから。

春臣も同情を引きたくて話してくれたのではない。

きっとただ誰かに聞いて欲しかったのだと思う。

だから私はこう返した。

「はい。正直言って驚きました。でも同情はしていません。……ただ、春臣さんが私に話してくれたということと、春臣さんのことを知れたことが嬉しかったです」

「香澄……」

そう、私はとても嬉しかったのだ。

春臣さんが初めて内面を見せてくれ、彼の心の内を知れたことが。

彼が私に心を許してくれているという事実が。

――コンコンコン

その時、ふいに個室のドアがノックされる。

返事をすると店員さんが顔を覗かせ、そろそろ閉店の時間である旨を告げられた。

腕時計に目を落とせばもう23時だった。

店員さんがいなくなった後、閉店を知らされた私たちはなんとなくそのまま無言で顔を見合わせた。

「……この後どうする?」

 ……このまま春臣さんと一緒にいたい。

そう問われ、心の内で即座にこう思った。

今日こそ関係を終わらせようと思っていたはずのに。

だけど、僅かばかりに残る当初の決意は、想いのままを私が口にすることに歯止めをかけた。 

無駄な抵抗のように今日がウィークデーの真ん中であることを持ち出す。

「今日は水曜日ですし、春臣さんは明日仕事ですよね……?」

「そうだけど、俺は今夜は香澄と一緒にいたい。香澄のマンションに行っていい?」

「でも明日の朝、大変じゃないですか……? 着替えなどもないですし。春臣さんのお仕事の邪魔はしたくないです」

「……じゃあ俺の家に来る?」

「えっ、春臣さんの家、ですか⁉︎」


春臣さんも私と同じ気持ちであることに嬉しさを感じながら懸念材料を伝えたところ、予想外の言葉が突然返ってきて私は目を丸くした。


「ご実家でしたよね?」

「言ってなかったけどもう実家からは引っ越したんだ。今は一人暮らしだよ」

「そうだったんですか」

確かに以前聞いたのは4~5ヶ月前だ。

一時的な実家住まいだと言っていたから今一人暮らしなのは不思議ではない。


「これで香澄の懸念は問題ないよね。俺の家に来るってことでいい? 香澄と一緒にいたいんだ」

「はい。……私も春臣さんと一緒にいたいです」

最終的に私はありのままを口にせずにはいられなかった。

当初の決意とか、懸念とか、もうどうだっていい。

それよりも一緒にいたい想いと春臣さんも私を求めてくれている喜びが優ってしまったのだった。


◇◇◇

「どうぞ、入って」

「あ、はい。お邪魔します」

割烹料理店を出た私たちはタクシーに乗り、春臣さんが住むマンションへ向かった。

マンションは広尾にある落ち着いた雰囲気の分譲マンションだった。

10階建ての1番上の階の部屋へ案内され中へ入る。

「香澄の家より狭くてごめんね」

「いえ、私の家はピアノ教室も兼ねているだけですから。充分広いと思います」

実際1LDKの部屋は広々している。

まだ新しい物件なのか全体的に小綺麗で、シックで洗練された空間だった。

初めて訪れたこともあり、つい私は辺りをキョロキョロと見回してしまう。

男性の部屋というもの自体が物珍しいということもある。

恭吾さんの部屋にも一応行ったことはあるが、片手で数えられるくらいだった。

私が興味深げにあちこち視線を巡らせていると、ふいに頭上から声が降ってきた。

「そんなに観察しても何も面白いものないよ」

「えっ。あ、すみません……!」

人の家をジロジロ見るなんてあまりに無作法だったと恥ずかしくなる。

ただ春臣さんは不快に感じている様子はなく、むしろ楽しげだ。

耐えかねたようにクスクスと笑っている。

「安心して。他の女の影はないから。俺は香澄だけだよ」

「………!」

そして急にそんな甘い言葉を囁かれ、さらに肩に手を回して頭にキスをされた。

不意打ちなことに心臓が一気に脈打つ。

ここが春臣さんの家、つまり彼のプライベート空間だという事実も相まって、胸のドキドキは増すばかりだ。

「もう夜遅いし、ササっとシャワー浴びて寝ようか」

「はい。そうですね」

時刻はまもなく24時だ。

私は明日は午後からしか予定がないが、春臣さんは通常通り朝から仕事である。

バスルームで交代にシャワーを済ませ、私たちは25時前には寝支度を終わらせて寝室へと入った。

「香澄が俺のスウェット着てるの、なんかいいね」

「サイズが合わなくてぶかぶかなんですけど、変じゃないですか?」

「全然? むしろ可愛いよ」

予定外のお泊りとなった私は、着替えとして春臣さんのスウェットをパジャマ代わりに借りている。

背の高い春臣さんの服なので、当然のことながらかなり大きい。

トレーナーだけでワンピースみたいにな状態だった。

ホテルでの急なお泊りであればバスローブを着ればいいが、今日はこうして春臣さんの服に身を包んでいることになんだかソワソワする。

ベッドの中に入ると、すぐに春臣さんの手が伸びてきて、腕の中に抱き寄せられた。

シャワーを浴びたばかりの春臣さんからは、ふわりとシャンプーの香りが漂う。

私も同じ香りを纏っているのかなと思うと胸が高鳴った。

 ……今日こそは三度目の正直にするつもりだったのに、また春臣さんとこうして抱き合っている。でも、どうしても抗えない。この腕の中が心地良くて……。

結局いつもと変わらない展開だった。

きっと私は今日も彼がもたらす甘い快楽に堕ちていくのだろう。

そしてますます彼と離れられなくなっていくのだ。

だが、ここで予想外のことが起きた。

春臣さんは私を抱きしめたままで、いつものように身体に触れてこないのだ。

いつもなら少し意地悪な言葉を投げかけながら彼の大きな手が私の素肌を淫らに這うのに。

「……春臣さん?」

私は思わず春臣さんの胸の中から顔を離し、彼の整った顔を見上げる。

「今日はセックスはなしにしよう」

「えっ……?」

「俺は別に香澄の身体だけが目当てなわけじゃないから。好きだから抱きたくなるだけ。でも今日はただ香澄を抱きしめて一緒に眠りたい」

「どうして、ですか?」

「香澄は親にこうして抱きしめて欲しいと思ったことはない? 俺はあるよ。昔、周囲の友人が羨ましく見えた。ただ、俺の場合は実の両親が生きていた頃にしてもらったことはあるから。でもさっきの話を聞く限り、香澄はないんじゃないかと思って」

「春臣さん……」

「同情してるわけじゃない。ただ俺が香澄を抱きしめたいだけ」

そう言って春臣さんは触れるだけの、すごくすごく優しい口づけを唇に落とした。

そのキスはただ軽く触れるだけのものだったのに、私の心の奥底を深く深く潤していく。

身体を重ねる行為以上の何倍もの威力だった。

彼の存在、言葉、行動――すべてが私の寂しかった心を慰めてくれる。


 ……ああ、もうダメだ。


この瞬間、私は悟った。

春臣さんのことが好きだ、と。

惹かれ始めているなんて、ただ気持ちを誤魔化していたに過ぎない。

一緒にいたいと思い、離れられない時点でもう完全に心を奪われていたのだ。

自分のことを打ち明け、知らなかった彼の一面も知り、より深くお互いを理解し合った今、もう誤魔化すのは限界だった。

春臣さんを愛おしく思う気持ちが止められない。

それは人生で初めて感じる感情だった。

 ……もう春臣さんから離れるなんて到底無理。


私は彼の背中に手を回してギュッと抱きつく。

春臣さんも抱きしめ返してくれて、私たちは身体の隙間を埋めるように強く強く抱きしめ合った。
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