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篁少年の閻魔張 〜お節介な鬼と伊吹の山神〜 〜Since 810〜
第四話 はた迷惑な客たち
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都の北西、高雄山の中腹に、その寺はあった。
もう少し寒くなると、境内や山の葉が真っ赤に紅葉し、実に美しく見事ではあるのだが、今の時期は、まだ眩しい日の光を受け、その葉は青々と輝いている。
数日前から帝からの使者が行ったり来たりで、普段より随分と騒々しかったのだが、そんな中、場違いな馬の蹄の音が響き、一人の男が寺の門をくぐり、駆け込んできた。
その男は寺の若い僧を捕まえ、主からの文をことづける。
そして、水をもらって一息ついて、再び、近江の主の元へと戻ろうと、馬にまたがろうとした、丁度その時。
バタバタと寺の奥から、上等な着物を纏った一人の大柄な僧が、凄まじい形相で男に詰め寄った。
「馬を借りるぞ!」
「は……?」
何を言われたか理解できず、男は思わず聞き返す。
しかし、それを僧は何故か「肯定」と受け取り、男の手から手綱を奪い取ると、ひらりと馬にまたがり、立ちふさがる若い僧たちを飛び越え、あっという間に、土埃をたてながら姿を消してしまった。
男は絶句し、呆然と見送る他無かった。
◆◇◆
「なんだなんだ今度は……ってどぅあッ!」
騒々しい怒声と大きな足音とともに、広野が駆けつけた。
部屋の天井は大きく穴が開き、傾きかけた西日が、さんさんと降り注ぐ。
その真下に、見慣れぬ白髪の美しい青年が、どっしりと腰を下ろしていた。
「なんだコイツはッ! 貴様の類友かッ!」
「類友……あー、まぁ、その表現、間違っちゃいないが……」
視線を逸らす亞輝斗の代わりに、竹生が広野につま先立ちをして耳打ちする。
それでも、大柄な広野には届かないので、広野は訝しむような表情のまま、少し屈んで、竹生に顔を近づけた。
「伊吹大明神様だそうです」
「はぁッ?」
伊吹大明神。
その名の通り、伊吹山の山神として知られ、前述の通り、日本武尊を祟り殺した(とされている)神。
その正体は、巨大な白い猪ともいわれているが、さらに時代を遡った神代において、素戔嗚尊に退治されたとされる、出雲の八岐大蛇の分霊ともされ――。
「やめとけ。手ぇ出すな」
腰に佩いた太刀に手をかける広野を、亞輝斗が制止した。
その声には、いつもの飄々とした能天気な口調ではなく、ひやりとした刃を喉に突き付けられたような怒気が混ざる。
「伊吹。用件を言え。お前に息子がいるとか、初めて聴いたぞ」
亞輝斗の言葉に、青年は深くうなずく。
見た目は岑守より若く見えるが、そのゆったりとした品のある所作は、老齢の貴人を思わせた。
「十年と少し前、我は美しい姫君と出会った。……我の、一目惚れだ」
ほんのりと白い頬を赤く染め、当時を懐かしく思い出したよう、ほう……と、伊吹は深く息を吐く。
「さる長者の娘で、名を玉という。長者が老いてようやく生まれた子故、大切に育てられた箱入り娘でな。我と結ばれるまで、紆余曲折あったものだ……」
その、紆余曲折の部分を、深く突っ込むべきか、亞輝斗はしばし悩む。
もっとも、伊吹のことなので、大なり小なりロクでもないだろうということは、簡単に想像がついたが。
「具体的に言うならば、玉の寝所に通った我を、攻撃してきた長者やその周辺住民を祟って呪った。自らの行いで死人が出て、長者もようやく反省したのか、玉を我に奉げてきたから、赦してやった。しかし、我も考えてみたが、長者も玉がいなくなっては寂しかろうと、玉の身代わりに玉が産んだ子を、玉の代わりに育てるがよいと、長者の元へ置いて行った」
「おいマテッ!」
想像以上に、悲惨だった。
密通夜這いから人質とって人身御供の末、生まれたばかりの赤子を母親から引きはなし、育児放棄……。
開いた口の塞がらない亞輝斗は、思わず、顔を引きつらせる。
「その……お玉さん、泣いてないか? 大丈夫か?」
「我と一緒になれて、泣いて喜んだぞ」
……ダメだこりゃ。と、亞輝斗は盛大にため息を吐いた。
隣で広野も、目が点になっている。
元来、『善』神も『悪』神も、人間の価値観によって便宜的に分類されたものであり、自由で、何事にも縛られず、そして、根本的には弱肉強食。
大概、神というものは、全てにおいて「自らの行いは正しい」と、自信満々だったりするのだが、伊吹大明神もその例に漏れず、実に大変、自分に対して都合よく、大胆に解釈している様子だった。
「で、その、息子さんは?」
「うむ、そこなのだ。善童鬼よ。どうやら、その長者と、うまくいってない様子でな……」
そりゃーそうだろうよ。と、とうとう、あの亞輝斗が、頭を抱えた。
広野も、呆れたような表情を隠せない。
愛おしい娘の産んだ子とはいえ、その娘を奪った、怪しく憎らしい、祟り神の子だ。
当の長者が、娘と同じように、大切に育てられるなんて、ワケがない。
「元気よく、健やかに成長しているが、今度、比叡の山の高僧の元へ預けられることとなってな……玉の願いでもある。善童鬼よ。高僧の元へ行く前に、少し、息子の面倒をみてやってほしい」
ヒトを導くのは、得意であろう? にっこりと笑う伊吹大明神に、亞輝斗はげんなりとした表情でため息を吐いた。
「そりゃー、子守に飯炊きは得意だし、本当に困ってる奴は見過ごせねぇ。わーった。わかりました。ぶっちゃけお前はどうでもいいが、お玉さんが気の毒過ぎるから、引き受けてやる」
亞輝斗が宣言したその時、なんだか外が騒がしくなった。
岑守の悲鳴のような声も交じり、なんだなんだと、広野も顔をあげる。
岑守は遅れて到着した国司、藤原貞嗣たちに、先日の出来事を含め、反乱軍の分断の状況等、今近江国で起こっている出来事を説明していたはずなのだが、その岑守を引きずるように、大柄な僧が、すごい勢いで回廊を駆けてきた。
げぇッ……と、僧を見た瞬間、亞輝斗が蛙がつぶれたような声をあげる。
「亞ぁー輝ぃー斗ぉーのぉー」
「ま……まお……?」
一気に亞輝斗の顔が青ざめた。
それは伊吹大明神に面した時の微妙な表情とは、明らかに違う。
「浮気者ッ!」
「痛ってぇ!」
後の世で言う『ラリアット』をモロに喰らい、亞輝斗がひっくり返った。
「真魚ッ! テメェッ! なんでお前が此処に……痛たッ! たたたたたッ!」
全力で亞輝斗が逃れようとするが、僧も負けていない。
見たところ岑守より年上で、四十が近いように見えるのだが、品の良い僧衣の袖や裾から見え隠れする、素晴らしい筋肉が、これまた大柄な鬼を組み拉いで、締め上げた。
「な、なんだこの坊さん……」
「く……空海殿が、ご乱心……」
岑守も文官とはいえ、武官だった父にある程度は鍛えられていたのだが、今回は完全に振り回されて、目を廻している。
「空海って……最近よく聞く、あの?」
広野の記憶だと、近頃、神野帝が篤く信頼している僧がおり、その僧の名が、空海――だったような――。
岑守は広野に支えられながら、「実は……」と口を開く。
「空海殿は、趣味の漢詩仲間でして……真言ときいて、もしや。と、思ったのです……」
まさか、こんなことになろうとは。と、岑守も思わず、苦笑を浮かべた。
「亞輝斗の馬鹿ぁーッ! 定期的に真言教えてあげてるのに、なんでわざわざ延暦寺に勉強しに行こうと思うわけッ! 私はもう、貴方には必要ないのですかッ!」
「ちょ……無理……死ぬ……」
まるで浮気がバレた恋人同士のような台詞を吐きながら、涙目で鬼を締め上げる大柄な僧侶。
とてもそんな高僧には、広野には見えなかった。
ふと、気になった竹生が、伊吹大明神方を向いたが、騒動の合間に、既に神の姿は無く。
空いた天井から、綺麗な星が、ちかちかと瞬きはじめた。
もう少し寒くなると、境内や山の葉が真っ赤に紅葉し、実に美しく見事ではあるのだが、今の時期は、まだ眩しい日の光を受け、その葉は青々と輝いている。
数日前から帝からの使者が行ったり来たりで、普段より随分と騒々しかったのだが、そんな中、場違いな馬の蹄の音が響き、一人の男が寺の門をくぐり、駆け込んできた。
その男は寺の若い僧を捕まえ、主からの文をことづける。
そして、水をもらって一息ついて、再び、近江の主の元へと戻ろうと、馬にまたがろうとした、丁度その時。
バタバタと寺の奥から、上等な着物を纏った一人の大柄な僧が、凄まじい形相で男に詰め寄った。
「馬を借りるぞ!」
「は……?」
何を言われたか理解できず、男は思わず聞き返す。
しかし、それを僧は何故か「肯定」と受け取り、男の手から手綱を奪い取ると、ひらりと馬にまたがり、立ちふさがる若い僧たちを飛び越え、あっという間に、土埃をたてながら姿を消してしまった。
男は絶句し、呆然と見送る他無かった。
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「なんだなんだ今度は……ってどぅあッ!」
騒々しい怒声と大きな足音とともに、広野が駆けつけた。
部屋の天井は大きく穴が開き、傾きかけた西日が、さんさんと降り注ぐ。
その真下に、見慣れぬ白髪の美しい青年が、どっしりと腰を下ろしていた。
「なんだコイツはッ! 貴様の類友かッ!」
「類友……あー、まぁ、その表現、間違っちゃいないが……」
視線を逸らす亞輝斗の代わりに、竹生が広野につま先立ちをして耳打ちする。
それでも、大柄な広野には届かないので、広野は訝しむような表情のまま、少し屈んで、竹生に顔を近づけた。
「伊吹大明神様だそうです」
「はぁッ?」
伊吹大明神。
その名の通り、伊吹山の山神として知られ、前述の通り、日本武尊を祟り殺した(とされている)神。
その正体は、巨大な白い猪ともいわれているが、さらに時代を遡った神代において、素戔嗚尊に退治されたとされる、出雲の八岐大蛇の分霊ともされ――。
「やめとけ。手ぇ出すな」
腰に佩いた太刀に手をかける広野を、亞輝斗が制止した。
その声には、いつもの飄々とした能天気な口調ではなく、ひやりとした刃を喉に突き付けられたような怒気が混ざる。
「伊吹。用件を言え。お前に息子がいるとか、初めて聴いたぞ」
亞輝斗の言葉に、青年は深くうなずく。
見た目は岑守より若く見えるが、そのゆったりとした品のある所作は、老齢の貴人を思わせた。
「十年と少し前、我は美しい姫君と出会った。……我の、一目惚れだ」
ほんのりと白い頬を赤く染め、当時を懐かしく思い出したよう、ほう……と、伊吹は深く息を吐く。
「さる長者の娘で、名を玉という。長者が老いてようやく生まれた子故、大切に育てられた箱入り娘でな。我と結ばれるまで、紆余曲折あったものだ……」
その、紆余曲折の部分を、深く突っ込むべきか、亞輝斗はしばし悩む。
もっとも、伊吹のことなので、大なり小なりロクでもないだろうということは、簡単に想像がついたが。
「具体的に言うならば、玉の寝所に通った我を、攻撃してきた長者やその周辺住民を祟って呪った。自らの行いで死人が出て、長者もようやく反省したのか、玉を我に奉げてきたから、赦してやった。しかし、我も考えてみたが、長者も玉がいなくなっては寂しかろうと、玉の身代わりに玉が産んだ子を、玉の代わりに育てるがよいと、長者の元へ置いて行った」
「おいマテッ!」
想像以上に、悲惨だった。
密通夜這いから人質とって人身御供の末、生まれたばかりの赤子を母親から引きはなし、育児放棄……。
開いた口の塞がらない亞輝斗は、思わず、顔を引きつらせる。
「その……お玉さん、泣いてないか? 大丈夫か?」
「我と一緒になれて、泣いて喜んだぞ」
……ダメだこりゃ。と、亞輝斗は盛大にため息を吐いた。
隣で広野も、目が点になっている。
元来、『善』神も『悪』神も、人間の価値観によって便宜的に分類されたものであり、自由で、何事にも縛られず、そして、根本的には弱肉強食。
大概、神というものは、全てにおいて「自らの行いは正しい」と、自信満々だったりするのだが、伊吹大明神もその例に漏れず、実に大変、自分に対して都合よく、大胆に解釈している様子だった。
「で、その、息子さんは?」
「うむ、そこなのだ。善童鬼よ。どうやら、その長者と、うまくいってない様子でな……」
そりゃーそうだろうよ。と、とうとう、あの亞輝斗が、頭を抱えた。
広野も、呆れたような表情を隠せない。
愛おしい娘の産んだ子とはいえ、その娘を奪った、怪しく憎らしい、祟り神の子だ。
当の長者が、娘と同じように、大切に育てられるなんて、ワケがない。
「元気よく、健やかに成長しているが、今度、比叡の山の高僧の元へ預けられることとなってな……玉の願いでもある。善童鬼よ。高僧の元へ行く前に、少し、息子の面倒をみてやってほしい」
ヒトを導くのは、得意であろう? にっこりと笑う伊吹大明神に、亞輝斗はげんなりとした表情でため息を吐いた。
「そりゃー、子守に飯炊きは得意だし、本当に困ってる奴は見過ごせねぇ。わーった。わかりました。ぶっちゃけお前はどうでもいいが、お玉さんが気の毒過ぎるから、引き受けてやる」
亞輝斗が宣言したその時、なんだか外が騒がしくなった。
岑守の悲鳴のような声も交じり、なんだなんだと、広野も顔をあげる。
岑守は遅れて到着した国司、藤原貞嗣たちに、先日の出来事を含め、反乱軍の分断の状況等、今近江国で起こっている出来事を説明していたはずなのだが、その岑守を引きずるように、大柄な僧が、すごい勢いで回廊を駆けてきた。
げぇッ……と、僧を見た瞬間、亞輝斗が蛙がつぶれたような声をあげる。
「亞ぁー輝ぃー斗ぉーのぉー」
「ま……まお……?」
一気に亞輝斗の顔が青ざめた。
それは伊吹大明神に面した時の微妙な表情とは、明らかに違う。
「浮気者ッ!」
「痛ってぇ!」
後の世で言う『ラリアット』をモロに喰らい、亞輝斗がひっくり返った。
「真魚ッ! テメェッ! なんでお前が此処に……痛たッ! たたたたたッ!」
全力で亞輝斗が逃れようとするが、僧も負けていない。
見たところ岑守より年上で、四十が近いように見えるのだが、品の良い僧衣の袖や裾から見え隠れする、素晴らしい筋肉が、これまた大柄な鬼を組み拉いで、締め上げた。
「な、なんだこの坊さん……」
「く……空海殿が、ご乱心……」
岑守も文官とはいえ、武官だった父にある程度は鍛えられていたのだが、今回は完全に振り回されて、目を廻している。
「空海って……最近よく聞く、あの?」
広野の記憶だと、近頃、神野帝が篤く信頼している僧がおり、その僧の名が、空海――だったような――。
岑守は広野に支えられながら、「実は……」と口を開く。
「空海殿は、趣味の漢詩仲間でして……真言ときいて、もしや。と、思ったのです……」
まさか、こんなことになろうとは。と、岑守も思わず、苦笑を浮かべた。
「亞輝斗の馬鹿ぁーッ! 定期的に真言教えてあげてるのに、なんでわざわざ延暦寺に勉強しに行こうと思うわけッ! 私はもう、貴方には必要ないのですかッ!」
「ちょ……無理……死ぬ……」
まるで浮気がバレた恋人同士のような台詞を吐きながら、涙目で鬼を締め上げる大柄な僧侶。
とてもそんな高僧には、広野には見えなかった。
ふと、気になった竹生が、伊吹大明神方を向いたが、騒動の合間に、既に神の姿は無く。
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