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Heaven's Gate
吹雪の山 ~Since 2015~
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酷い吹雪をかき分けるように、避難小屋に飛び込んだ深雪は、思わず「ヒッ」と、声を漏らす。
小屋の中には、先客──うずくまる一人の男がいる。
外から見た時も、今も、小屋には明かりはついておらず──まさか中に、人がいるとは、深雪は思いもしなかった。
「あぁ、驚かせてしまいましたか」
男は立ち上がり、深雪に振り向く。しかし、暗すぎて顔はわからない。
薄暗い中をよくよく見ると、男の足元には、男一人の持ち物にしては大量の荷物が広げられ、彼の左手には、キャンプ用のテーブルランタンが握られていた。
が、彼の右腕は不自然に垂れ下がり──どうやら隻腕のようで、ランタンを持ったまま、困ったように途方に暮れていた。
「すみません。上の階に、連れがいて……」
「おーいライ! 喜べ! 非常食はっけーん!」
「賞味期限の確認はしてないけど、たぶん食べられるだろ」
ガタガタと、梯子状の階段を降りてくる二人の男。隻腕の男は、深雪に、「騒々しくて、すみません」と、一言謝った。
「おう、お嬢ちゃん、雪にやられたクチか。……一人かい?」
「アキト。とりあえず、明かり付けてくれ」
隻腕の男が、「アキト」と呼んだ男にランタンを突き出すように渡す。「おうよ」と、慣れた手つきで、男はランタンを床に置き、明かりをつけた。
まばゆい明かりに、思わず、深雪は目を細める。
「んー、次の時は、もうちょっと、ライでも操作しやすいライト買うか」
「お前と違って、引きこもりのコイツが、そうそうアウトドアに出かけるとは思わないけど」
「やかましい」
誰が引きこもりだ……と、隻腕の男が、不機嫌そうに男たちを睨んだ。
明かりがついたので、深雪は三人をまじまじと見る。
「ライ」と呼ばれた隻腕の男は、見える限り顔にも複数の傷があり、その傷を隠すかのように、前髪が長かった。
「アキト」と呼ばれた小柄な男は、金髪に赤いカラーコンタクト。アウトドアが趣味なようで、持ち物はしっかりとしているし、人を見た目で判断してはいけないとは思いつつも──山を舐めているのかと、深雪は一瞬、眩暈を感じる。
最後の男は──深雪と目が合い、黒ぶち眼鏡の奥の目を細め、ニッコリと笑った。
「オレはトーガです。オレたちは東京から来たんだけど……君は?」
「相良……深雪って言います。S大の、ワンダーフォーゲル部所属で……」
一瞬、男三人が目を合わせた。
「そう……君、連れは?」
「その、はぐれちゃって……」
「そりゃー、災難だったな」
とりあえずは、お疲れ。と、ポンポンっとアキトが深雪の頭を撫でた。
フレンドリーを通り越して、少々馴れ馴れしいと、深雪が内心ムッとしたことはさておき。
「とりあえずオレら四人、今晩はここに、泊まり確定……だな」
はぁ……と小さく、アキトがため息を吐く。
窓の外は、相変わらず、風と雪が世界を蹂躙していた。
◆◇◆
相も変わらず、囂囂と、雪と風が窓を叩く。
「あ、あの……」
思わず深雪は口を開いた。
「ん? なんだ?」
アキトとトーガが、携帯ゲーム機から視線を上げる。ライは一人少し離れた壁にもたれかかり、黙々と膝に乗せたノートパソコンに向かい合い、左手だけで素早く、キーを打ち続けていた。
「あなたがたは、一体なんで、そんなモノを?」
冬山登山は装備が多く、ただでさえ荷物が多くなるものだ。「持ってくるな」とは言わないが、施設に電気が無く充電ができない分、携帯バッテリーの予備等、余計な荷物が増えてしまう。
そもそも、滑って転んで『壊す』とか、そういう思考は無かったのだろうか。
「んー、此処で、一晩、暇だと思ってさ」
空ぶる可能性もあったし。と、アキトが答える。
「此処?」
此処は、あくまでも緊急時用の避難小屋である。もう少し山頂に向かって登れば有人の山小屋があるし、下った場所にも有人の施設があったはずだ。
「此処は、避難小屋です」
意図して泊まるなんて、非常識にもほどが──と、眉間にしわを寄せる深雪に、アキトはニヤリと、口角をあげて笑う。
「もちろん、知ってる」
「だったらなんで……」
アキトに詰め寄る深雪の間に、まぁまぁ……と、トーガが割って入った。が。
「……え?」
スカッと深雪の手は、トーガの体をすり抜けた。
目を見開くトーガに、あっちゃーと、頭を抱えるアキト。
「な……なんで……」
わなわなと震える深雪に、どう答えようか……困り顔のトーガとアキトが、お互い、目を合わせた。
「もしかして、幽霊! オバケッ!」
「ちっがーうッ!」
深雪にビシッと指さされたトーガは、ぶんぶんと手を振り、全力で否定。
そんな時、不意に、ライが口をひらいた。
「……相良深雪、十九歳」
「え?」
目を見開く深雪に、ライは淡々と、感情の伴わない言葉を紡ぎ続けた。
隻腕の、傷だらけの見知らぬ男が、自分の事を言い当てる不気味さに、深雪はぶるりと震える。
「奈良県出身。家族構成は両親と母方の祖父母、妹が二人。この山には、所属するS大のワンダーフォーゲル部の部員五名で登頂。途中、吹雪に見舞われ、四人は無事下山できたが、唯一、彼女のみ、消息を絶つ……」
「な……何を……」
この人は一体、何を言っているのだろうか……。
「自覚がないようだが、相良深雪。君は既に、死んでいる」
しん──と、静まり返った部屋に、窓を叩く雪と風の音が響いた。
「……んの、バカタレッ!」
パーンッと、アキトがライの頭を、ひっぱたいた。
「おーまーえーはーッ! なんでこう、いちいちそういう言い方するんだッ!」
「痛いじゃないか」
ライは立ち上がってギロリと睨み、小柄なアキトを見下ろす。
「オレは何も、間違ったことは言っていない」
「んー……まぁ、いつでも真面目で正直なのは、ライの美徳だよな……あぁ、ゴメン。驚かせる気はなかったんだ。それはホント」
はッと、深雪はトーガの言葉に我に返る。
と、同時に、思い出した。
「そうだ……私……」
遭難して、迷って……避難小屋を目指したけれど、途中で、滑落して……。
この避難小屋に、たどり着けなかったんだ。
「思い出したか」
相変わらず淡々と、ライは言い放つ。
「オレたちの目的は、『吹雪の夜に、この避難小屋に現れる相良深雪の霊に接触すること』だ。別に頂上を目指しているわけではない」
「そうそう。君と一緒にこの山に登り、無事帰ることができた『元』ワンダーフォーゲル部員たちと、君の家族からの依頼でね」
……君が遭難してから、実はもう、三年経ってるんだ……と、トーガが数枚の写真を差し出す。
「……」
先ほど同様、触れることはできなかったが、そこには、家族と、一緒に山を登った懐かしい顔があった。
「そう……よかった。無事だったんだね……」
「……それで、どうなんだ? 死んだ自覚のないお前は、何度も繰り返し、この小屋へ『避難』し続けてきた。自覚した今は、それを続ける必要はないだろう」
成仏するなり、地縛霊になるなり、好きにしろ──と、ライは再び座り直し、パソコンを抱えて再びキーを器用に打ち始めた。
アキトが小声で、そっと深雪に囁く。
「スマン、アイツ、今本業の方の『締切』に追われているのに、オレらが無理やり連れだしたから、機嫌悪いんだ……執筆作業中な分だけ余計に……」
「余計なことは言わなくていい!」
ものすごい剣幕でライに凄まれ、アキトは肩を縮こまらせた。
「と、いうワケだ。君の希望を聞きたい。オレの個人的見解を言うならば、成仏して頂きたいところではあるんだけれど……」
先ほどと同様、アキトは深雪の頭を、ポンポンと叩いた。すり抜けてしまうトーガと違い、触られた感触が深雪にもある。
不思議そうに見上げると、アキトは笑いながら言った。
「さっき、お前さんが言ったろ? オバケって。オレはまぁ、どちらかというと、そのオバケ寄りなんだよ。存在が」
そうあっさり言ってのけるが、けらけらと笑うアキトは、とても人間的だと、深雪は思った。
彼の手のぬくもりに、思わずじんわり、涙がこぼれた。
◆◇◆
風が止み始め、しんしんと静かに雪が降る。
日が昇る前に、深雪の姿は消えた。本人も納得し、未練はない。と言っていた。
しかし。
「さて、ここからは、少し蛇足ではありますが」
亞輝斗は三度、屈伸をした。目の前には、断崖絶壁が広がっている。
「晴れてれば、綺麗な景色なんだろうけどねぇ」
「はやくしろ」
へいへい……急かすライ──雷月に、「行ってくるわ」と空のデイパックを片手に、亞輝斗は軽く手を振って、そのまま崖を飛び降りた。
しばらくして。
「おー、あったぞー……荒っぽいのは申し訳ないけど、とりあえず回収」
「亞輝斗、登れるか?」
十河が落ちないように身を乗り出し、亞輝斗に問いかけた。
崖は途中、ワイン樽のように緩やかに膨らんでおり、亞輝斗の姿は、十河からは見えない。
「んー……時間かければいけそうだけど……」
「待っていられるか」
そう言うと、雷月は上着を脱ぐ。強い風もないのにざわりとなびく長い黒髪が、徐々に淡い色へと変わる。
雷月のカタチが、徐々に溶けて薄れ、現れたのは、一匹の、巨大な隻腕の龍。
白銀色の鱗と鬣が、薄曇りの朝日に反射し、柔らかく輝いた。
「十河。荷物を頼む。他は落としても、パソコンだけは、絶対に落とすな。濡らすんじゃないぞ」
「はいよ。……ったく、売れっ子恋愛小説家はツラいねぇ。藤江姫安センセ」
やかましいッ! 赤面した銀色の龍は、今にも火を吐きそうな剣幕で睨みつけると、崖下に飛び降りて、亞輝斗を回収に向かう。
十河はクスリと笑いながら、二人の帰りを待った。
今回の件、なんだかんだ言ってはいるが、雷月が嫌々来たわけではないことを、亞輝斗と十河は知っている。「本心を隠せていると思っている」のは、雷月本人のみ。
相良深雪は、生前、藤江姫安の熱烈な読者であったこと。それは、依頼をしてきた家族から、情報として聞いている。
直接、深雪の家族と元部員たちから依頼を受けた『天国の門』の『占師』が、この件に関し、『皇帝』『悪魔』『隠者』の三人を選んだのも、偶然ではなく、意図的だろう。
最後まで雷月が本人に言わなかったのは、たぶん、彼女──深雪の「乙女の夢を壊したくなかったから」なのだろう。
もちろん、単に世間的には女性作家ということになっている藤江姫安が実は男性であるという事実を、雷月本人が隠したかっただけという説も、やや捨てきれないが。
「おかえり」
上ってきた龍の背に、亞輝斗がまたがっている。背中のデイパックはいっぱいに膨れ上がっていた。
中には、深雪の遺骨と、全部ではないにしろ、いくつかの遺品が入っているはずだ。
「任務完了。さて、帰ろうぜ」
ビシッと、亞輝斗は親指を立てた。
「……そのことなんだが、十河。お前も乗れ」
「はぁ?」
雷月の思わぬ言葉に、十河はあんぐりと口を開けた。
「……このまま飛んで帰った方が、早いような気がする」
「お前、此処から東京まで飛ぶ気か!」
何キロあると思ってるんだ! 亞輝斗も思わず口を出す。しかし。
「やかましい! タイム・イズ・マネー! オレの締め切りは待ってくれない!」
器用に十河をくわえ、飛び上がろうとする雷月に、「あー、わかった! 三人分の荷物抱えての宙づりはやめろ」と、観念した十河が悲鳴をあげた。
かくして、相良深雪の遺骨と遺品は、三年の月日を経て、無事、家族の元へと返されたのだった。
そして、オカルト掲示板に、空飛ぶ「銀の龍」の目撃証言が多数書き込まれたのは、また、別の話。
小屋の中には、先客──うずくまる一人の男がいる。
外から見た時も、今も、小屋には明かりはついておらず──まさか中に、人がいるとは、深雪は思いもしなかった。
「あぁ、驚かせてしまいましたか」
男は立ち上がり、深雪に振り向く。しかし、暗すぎて顔はわからない。
薄暗い中をよくよく見ると、男の足元には、男一人の持ち物にしては大量の荷物が広げられ、彼の左手には、キャンプ用のテーブルランタンが握られていた。
が、彼の右腕は不自然に垂れ下がり──どうやら隻腕のようで、ランタンを持ったまま、困ったように途方に暮れていた。
「すみません。上の階に、連れがいて……」
「おーいライ! 喜べ! 非常食はっけーん!」
「賞味期限の確認はしてないけど、たぶん食べられるだろ」
ガタガタと、梯子状の階段を降りてくる二人の男。隻腕の男は、深雪に、「騒々しくて、すみません」と、一言謝った。
「おう、お嬢ちゃん、雪にやられたクチか。……一人かい?」
「アキト。とりあえず、明かり付けてくれ」
隻腕の男が、「アキト」と呼んだ男にランタンを突き出すように渡す。「おうよ」と、慣れた手つきで、男はランタンを床に置き、明かりをつけた。
まばゆい明かりに、思わず、深雪は目を細める。
「んー、次の時は、もうちょっと、ライでも操作しやすいライト買うか」
「お前と違って、引きこもりのコイツが、そうそうアウトドアに出かけるとは思わないけど」
「やかましい」
誰が引きこもりだ……と、隻腕の男が、不機嫌そうに男たちを睨んだ。
明かりがついたので、深雪は三人をまじまじと見る。
「ライ」と呼ばれた隻腕の男は、見える限り顔にも複数の傷があり、その傷を隠すかのように、前髪が長かった。
「アキト」と呼ばれた小柄な男は、金髪に赤いカラーコンタクト。アウトドアが趣味なようで、持ち物はしっかりとしているし、人を見た目で判断してはいけないとは思いつつも──山を舐めているのかと、深雪は一瞬、眩暈を感じる。
最後の男は──深雪と目が合い、黒ぶち眼鏡の奥の目を細め、ニッコリと笑った。
「オレはトーガです。オレたちは東京から来たんだけど……君は?」
「相良……深雪って言います。S大の、ワンダーフォーゲル部所属で……」
一瞬、男三人が目を合わせた。
「そう……君、連れは?」
「その、はぐれちゃって……」
「そりゃー、災難だったな」
とりあえずは、お疲れ。と、ポンポンっとアキトが深雪の頭を撫でた。
フレンドリーを通り越して、少々馴れ馴れしいと、深雪が内心ムッとしたことはさておき。
「とりあえずオレら四人、今晩はここに、泊まり確定……だな」
はぁ……と小さく、アキトがため息を吐く。
窓の外は、相変わらず、風と雪が世界を蹂躙していた。
◆◇◆
相も変わらず、囂囂と、雪と風が窓を叩く。
「あ、あの……」
思わず深雪は口を開いた。
「ん? なんだ?」
アキトとトーガが、携帯ゲーム機から視線を上げる。ライは一人少し離れた壁にもたれかかり、黙々と膝に乗せたノートパソコンに向かい合い、左手だけで素早く、キーを打ち続けていた。
「あなたがたは、一体なんで、そんなモノを?」
冬山登山は装備が多く、ただでさえ荷物が多くなるものだ。「持ってくるな」とは言わないが、施設に電気が無く充電ができない分、携帯バッテリーの予備等、余計な荷物が増えてしまう。
そもそも、滑って転んで『壊す』とか、そういう思考は無かったのだろうか。
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「此処?」
此処は、あくまでも緊急時用の避難小屋である。もう少し山頂に向かって登れば有人の山小屋があるし、下った場所にも有人の施設があったはずだ。
「此処は、避難小屋です」
意図して泊まるなんて、非常識にもほどが──と、眉間にしわを寄せる深雪に、アキトはニヤリと、口角をあげて笑う。
「もちろん、知ってる」
「だったらなんで……」
アキトに詰め寄る深雪の間に、まぁまぁ……と、トーガが割って入った。が。
「……え?」
スカッと深雪の手は、トーガの体をすり抜けた。
目を見開くトーガに、あっちゃーと、頭を抱えるアキト。
「な……なんで……」
わなわなと震える深雪に、どう答えようか……困り顔のトーガとアキトが、お互い、目を合わせた。
「もしかして、幽霊! オバケッ!」
「ちっがーうッ!」
深雪にビシッと指さされたトーガは、ぶんぶんと手を振り、全力で否定。
そんな時、不意に、ライが口をひらいた。
「……相良深雪、十九歳」
「え?」
目を見開く深雪に、ライは淡々と、感情の伴わない言葉を紡ぎ続けた。
隻腕の、傷だらけの見知らぬ男が、自分の事を言い当てる不気味さに、深雪はぶるりと震える。
「奈良県出身。家族構成は両親と母方の祖父母、妹が二人。この山には、所属するS大のワンダーフォーゲル部の部員五名で登頂。途中、吹雪に見舞われ、四人は無事下山できたが、唯一、彼女のみ、消息を絶つ……」
「な……何を……」
この人は一体、何を言っているのだろうか……。
「自覚がないようだが、相良深雪。君は既に、死んでいる」
しん──と、静まり返った部屋に、窓を叩く雪と風の音が響いた。
「……んの、バカタレッ!」
パーンッと、アキトがライの頭を、ひっぱたいた。
「おーまーえーはーッ! なんでこう、いちいちそういう言い方するんだッ!」
「痛いじゃないか」
ライは立ち上がってギロリと睨み、小柄なアキトを見下ろす。
「オレは何も、間違ったことは言っていない」
「んー……まぁ、いつでも真面目で正直なのは、ライの美徳だよな……あぁ、ゴメン。驚かせる気はなかったんだ。それはホント」
はッと、深雪はトーガの言葉に我に返る。
と、同時に、思い出した。
「そうだ……私……」
遭難して、迷って……避難小屋を目指したけれど、途中で、滑落して……。
この避難小屋に、たどり着けなかったんだ。
「思い出したか」
相変わらず淡々と、ライは言い放つ。
「オレたちの目的は、『吹雪の夜に、この避難小屋に現れる相良深雪の霊に接触すること』だ。別に頂上を目指しているわけではない」
「そうそう。君と一緒にこの山に登り、無事帰ることができた『元』ワンダーフォーゲル部員たちと、君の家族からの依頼でね」
……君が遭難してから、実はもう、三年経ってるんだ……と、トーガが数枚の写真を差し出す。
「……」
先ほど同様、触れることはできなかったが、そこには、家族と、一緒に山を登った懐かしい顔があった。
「そう……よかった。無事だったんだね……」
「……それで、どうなんだ? 死んだ自覚のないお前は、何度も繰り返し、この小屋へ『避難』し続けてきた。自覚した今は、それを続ける必要はないだろう」
成仏するなり、地縛霊になるなり、好きにしろ──と、ライは再び座り直し、パソコンを抱えて再びキーを器用に打ち始めた。
アキトが小声で、そっと深雪に囁く。
「スマン、アイツ、今本業の方の『締切』に追われているのに、オレらが無理やり連れだしたから、機嫌悪いんだ……執筆作業中な分だけ余計に……」
「余計なことは言わなくていい!」
ものすごい剣幕でライに凄まれ、アキトは肩を縮こまらせた。
「と、いうワケだ。君の希望を聞きたい。オレの個人的見解を言うならば、成仏して頂きたいところではあるんだけれど……」
先ほどと同様、アキトは深雪の頭を、ポンポンと叩いた。すり抜けてしまうトーガと違い、触られた感触が深雪にもある。
不思議そうに見上げると、アキトは笑いながら言った。
「さっき、お前さんが言ったろ? オバケって。オレはまぁ、どちらかというと、そのオバケ寄りなんだよ。存在が」
そうあっさり言ってのけるが、けらけらと笑うアキトは、とても人間的だと、深雪は思った。
彼の手のぬくもりに、思わずじんわり、涙がこぼれた。
◆◇◆
風が止み始め、しんしんと静かに雪が降る。
日が昇る前に、深雪の姿は消えた。本人も納得し、未練はない。と言っていた。
しかし。
「さて、ここからは、少し蛇足ではありますが」
亞輝斗は三度、屈伸をした。目の前には、断崖絶壁が広がっている。
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しばらくして。
「おー、あったぞー……荒っぽいのは申し訳ないけど、とりあえず回収」
「亞輝斗、登れるか?」
十河が落ちないように身を乗り出し、亞輝斗に問いかけた。
崖は途中、ワイン樽のように緩やかに膨らんでおり、亞輝斗の姿は、十河からは見えない。
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「待っていられるか」
そう言うと、雷月は上着を脱ぐ。強い風もないのにざわりとなびく長い黒髪が、徐々に淡い色へと変わる。
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白銀色の鱗と鬣が、薄曇りの朝日に反射し、柔らかく輝いた。
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「はいよ。……ったく、売れっ子恋愛小説家はツラいねぇ。藤江姫安センセ」
やかましいッ! 赤面した銀色の龍は、今にも火を吐きそうな剣幕で睨みつけると、崖下に飛び降りて、亞輝斗を回収に向かう。
十河はクスリと笑いながら、二人の帰りを待った。
今回の件、なんだかんだ言ってはいるが、雷月が嫌々来たわけではないことを、亞輝斗と十河は知っている。「本心を隠せていると思っている」のは、雷月本人のみ。
相良深雪は、生前、藤江姫安の熱烈な読者であったこと。それは、依頼をしてきた家族から、情報として聞いている。
直接、深雪の家族と元部員たちから依頼を受けた『天国の門』の『占師』が、この件に関し、『皇帝』『悪魔』『隠者』の三人を選んだのも、偶然ではなく、意図的だろう。
最後まで雷月が本人に言わなかったのは、たぶん、彼女──深雪の「乙女の夢を壊したくなかったから」なのだろう。
もちろん、単に世間的には女性作家ということになっている藤江姫安が実は男性であるという事実を、雷月本人が隠したかっただけという説も、やや捨てきれないが。
「おかえり」
上ってきた龍の背に、亞輝斗がまたがっている。背中のデイパックはいっぱいに膨れ上がっていた。
中には、深雪の遺骨と、全部ではないにしろ、いくつかの遺品が入っているはずだ。
「任務完了。さて、帰ろうぜ」
ビシッと、亞輝斗は親指を立てた。
「……そのことなんだが、十河。お前も乗れ」
「はぁ?」
雷月の思わぬ言葉に、十河はあんぐりと口を開けた。
「……このまま飛んで帰った方が、早いような気がする」
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何キロあると思ってるんだ! 亞輝斗も思わず口を出す。しかし。
「やかましい! タイム・イズ・マネー! オレの締め切りは待ってくれない!」
器用に十河をくわえ、飛び上がろうとする雷月に、「あー、わかった! 三人分の荷物抱えての宙づりはやめろ」と、観念した十河が悲鳴をあげた。
かくして、相良深雪の遺骨と遺品は、三年の月日を経て、無事、家族の元へと返されたのだった。
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