BL短編まとめ

やきとりのしろ

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それでもまだ、そばにいたい

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 薄暗い部屋の中に響く嗚咽。他人の体液でベタついた肌。それを拭う気力も体力も残っていない俺は、泣きじゃくる後輩の声をただ聞いているしかない。
「っく、……ぅ、……っ、ごめんなさい、俺っ……」
 泣きたいのはこっちだ。なんて言葉は、目の前で涙を流す人間がいる手前、口にはできない。それに、不思議なことではあるが、悲しみも、憤りも、悔しさも感じなかった。
 あれだけ激しい痛みを味わって、そこで泣いている男に無理矢理犯された事実を、俺は理解しているはずだ。一体、何故だろうか。ショックのあまり感情が麻痺している可能性もあるかもしれない。だが、いつまで経っても聞こえてくるすすり泣きに、そんなのはどうでもいいと思考が切り替わる。
 今は、隠していたかったであろう想いを、最悪の形で表出させられてしまった後輩のことが心配になる。彼もまた、運悪く被害に遭ってしまっただけなのだ。

******

 ヒトの心の中にある小さな欲求が、暴力的なまでに増幅されてしまう。そんなフィクションのような作用の薬剤が、偶然にもできてしまっていたと。
 そんな報告を受けたのは、今から一時間ほど前のことだ。鎮静剤の作用があるとして渡されていたこのサンプルを検証するため、試験的に投与を受けた後輩。俺は観察係として付き添っていた。
 投与後の体調変化など経過を見ている最中に、その報告がこちらに上がってきた時には、もう遅かった。
 報告内容が映し出された端末を眺める俺の手を引き、知っている普段の様子からは想像できないような手荒さで、相手は俺を床に押し倒して衣服を剥いだ。
 普段の温和な雰囲気は一変し、その目に獣のような情欲の炎が燻っているのが、明るいままの室内ではよく見えた。ズボンのベルトが緩められ、ファスナーが降ろされる音を聞いているときも、そのまま下着ごと取り去られていく時も、抵抗なんて全く出来なかった。
 あいつが、まさかの俺のことを。
 邪な感情を少しでも抱かれていた事が信じられなくて、固い床に打ち付けられた背中の痛みにも遅れて気がついたくらいだ。
 性交に用いるには小さすぎる穴に、限界まで勃起した陰茎が捻じ込まれる瞬間の恐怖は、言葉で表しようがなかった。良好な関係を築いて来たはずの相手であっても、その恐ろしさは避けられるものではなく、全身にわたる痛みもあって、情けなくも涙が溢れた。
 蕩けたような恍惚とした眼でこちらを見つめながら、大好きなんです、だとか、愛してます、だとか、甘い言葉を囁く彼は別人のようで。繋がった箇所も、律動の度に床へ擦り付けられる背骨も、声が出せないくらいの痛みを激しく脳に伝えてきて、一秒でも早くこの苦痛から解放されることを祈った。
 俺に出来る事は、ただそれだけだった。

 しばらくして、激しく打ち付けられる腰の動きが止まり、俺の身体に埋め込まれていたものがずるりと抜き出された。その先端から勢いよく飛び出た精液が俺の腹を汚し、白濁の散った肌をしばらく見ていた彼は徐々に呼吸を落ち着かせ、顔は青ざめていった。

******

 正気を取り戻した後輩が自身のしでかしを自覚し、あまりの惨事に謝りながら泣き出したのがついさっき。少しずつ痛みに埋め尽くされていた感覚が戻ってきて、動けるようになった俺はようやく後始末に手を付けようとした。
 だが、それに気がついた彼が俺を制止して、汚れを拭われたた後にベッドへと運ばれた。どうやら、いつもの優しく穏やかな人格を取り戻したようだ。自分でやると言っても、いいからじっとしてください、と衣服まで整えてくれる。
 その過程で、無理矢理暴かれた穴から血液が滲んでいる事に気がつき、また泣きそうな顔をしていた。
「泣くなよ。俺は……気にして、ないから」
 俺はそう声を掛けたが、本当はもちろん、怖かった。死にそうなくらい痛かった。それでも俺は、まだ思うように動かしきれないこの身体が、動揺しきった後輩をフォローできない事の方が辛い。こんな形でなければ、彼の心が傷つくことは無かったかもしれないのに。できることなら抱き寄せて、背を摩ってやりたかった。

******

 予期せぬトラブルはつきものだ。俺たちは新しいものを作っているのだから、そういうこともあるだろう。それに今回起こったことは、他言することが憚られる内容でもある。お互いのために、何事もなかったように振る舞うしかない。その考えは相手も同じらしく、いつも通りにこやかに周りと接して、俺とも変わらずやりとりをしている。
 時折、ほんの一瞬ではあるがその顔に翳りを見せること、話をすることはあっても身体には触れてこなくなったこと、これらはきっと俺にしか分からない変化だろう。
 触れ合うほどの距離に迫られると、俺から自然と避けてしまうこともあった。頭の中ではとっくにケリがついているというのに、忌々しいことにこの身体は覚えている。不可抗力とはいえ俺を押し倒し、男としての尊厳を奪った相手なのだから、仕方がないのかもしれない。
 ……あんな形じゃなければと、思う。
 あいつの事は、嫌いになれない。何があっても笑顔を絶やさず、俺がミスに厳しい態度をとったときでも、真摯に受け止め、教訓を次に活かす。好感の持てる、自慢の後輩だ。
 だからあの時、自分に向けられた欲求の正体を知ったとき、状況にはあまりにもそぐわないが、俺は僅かに喜びの感情を抱いた。自分がされていること自体は、ただ苦痛と恐怖をもたらしただけだったはずだ。だがその行動が何に起因しているのかを考えると、本来はとても優しく、暖かなものだと分かっていた。
 そして今は、寂しい。元々が仕事上の付き合いでしか無いとはいえ、会話が必要最低限になっていること。それに、持ち前の明るい笑顔が、俺に向けられる時だけぎこちないこと。
 ――やっぱり、このままじゃダメだ。俺はひとつ決心して、彼に声を掛けた。
「おい、これ終わったら……ちょっといいか。話がある」
「あっ……ハイ。たぶん、あと一時間くらいで出来ると思います」
 あれ以来、なんとなく二人きりになることをお互い避けていた。それもあったせいか身構えられてしまったが、承諾を得ることはできてホッとする。

 人のいない居室で一人待っていると、作業を終えた後輩が部屋に入ってきた。こちらをまっすぐ見ることはなく、おずおずとした態度は想定の範囲内だ。それに、俺だってかなり緊張している。
 もう彼の中に何もなくなっていたらどうしようだなんて、今更考える自分が嫌になる。
「先輩……あの、話って」
 入り口で立ち尽くしたままでいる彼に近づき、未だ少し震える手で、相手の手を掴んだ。
 やっとこちらに向けられた顔には、後悔を滲ませた悲しげな色が浮かんでいる。
「なぁ」
「……なんですか……?」
「俺のこと、今はどう思ってる」
「あっ!…………えっ、と」
「正直に、言ってくれていい」
「……ごめんなさい、…………まだ、……好き、です」
 震える声でそう告げられた瞬間に、頭の中で絡まっていた糸が解けていった。きゅっと締め付けられるような感覚と、暖かさが胸の中で混ざっていく。
 彼の方に腕を伸ばし背に回すと、俺よりも少し逞しい肉体は容易に捕捉できてしまった。衝動のままに抱きしめたその身体に、わかりやすく緊張が走る。
「え、あ、あの……」
「大丈夫だ」
「でも……」
「俺はもう、大丈夫だって言ってるだろ」
 言い聞かせるついでに、回した腕に力を込めた。心臓が張り裂けそうなくらい強い鼓動に、湯気がでているのではないかと思うほど熱くなる顔。それでも、間近に触れる身体の温もりに安心する。彼の存在を肌で感じることが、俺にとっては代わりの効かない大切な感情に繋がるという事が確信になる。
 あんな形でなければ、俺達は遠回りしなくて済んだのかもしれない。でも手遅れじゃない。一度切れてしまったものでも、また結び直せばいい。
 失うものがあった代わり、俺がこの気持ちに気づけたのだから。
「沢山、考えたんだ……俺も、お前のことが好きだって、分かった。だからもう、あのことは気にしなくていい」
 今、彼がどんな表情をしているのかは分からないが、柔らかな笑顔が少しでも戻ってくることを祈っていた。静かな呼吸にあわせて動く身体をしばらく離さないでいたら、遠慮がちに相手が口を開いた。
「そんなの、嘘ですよ……。だって、怖いです、よね」
 怖かった、痛かった、それでも俺は、お前の笑顔に影が差すほうが嫌なんだと。簡単には、伝わらないらしい。
「そんなに信じられないのか。……バカみたいにニコニコ笑ってるお前が、俺には必要なんだよ」
「っ……あ、……うぅ……っ」
 また泣き顔を見る羽目になってしまったが、これから笑顔の方が多い関係になれたらいい。
 ぽろぽろと零れる涙ごと彼の頬に口付けると、驚いたのか息を詰めた。既成事実からすれば可愛いものなのに、初心なところがあるようだ。泣いているからか、恥ずかしさなのか、耳まで真っ赤にする様子がなんだか可笑しくて軽く吹き出してしまった。
「……いま、笑いました?」
「面白かったんだから、別に良いだろ。それに、こんなことで赤くなってるようじゃ……先が思いやられるな」
「先……って」
「これだけでいいのか?お前は、この先も」
「あっ!……もっといろいろしたい、です」
「まあ、少しずつな」
 恐ろしいと感じた記憶も、無理矢理こじ開けられ傷ついた身体も。曇りのない笑顔が眩しい、本当のお前が上書きしてくれたらそれで良い。

――――――

 俺はすこし、恵まれすぎなんじゃないかと思う。
 心の中で欲しいとは思っていても、手に入れることは諦めていた。そんな存在に、手を触れて、唇でも触れて、内側まで入り込むことまで許されてるなんて。
「せんぱいの……なか、きもちい……」
 あれから少しずつ関係を深めていくと、彼のことがもっと好きになった。何度身体を重ねても、いつだって初めてみたいに恥ずかしがるところとか。言葉では軽く突っぱねてきても、後でさり気なく甘えてくれるところとか。
「はぁっ、……あっ、んぅ……っ」
 こんなにも愛しい人と心を通わせ、肌を合わせる。それだけでも奇跡みたいなことなのに、気持ちよくてあったかくて。こんな思いまでしていて、良いのだろうか。
 包み込むような粘膜は、離すまいと言うようにきゅうきゅう締め付けてくる。ベッドの軋む音、動きに合わせて響く水音、お互いの乱れた呼吸、すこし掠れ始めた喘ぎ声。全部がいやらしい事をしている証拠なのに、俺の心の中は興奮というより安心に近い思いがある。
 今日もまだ、拒否されずにいられてる。この先もずっと、なんて望みは贅沢かもしれない。色々と考えているうちに、ふと気になることが浮かんだ。そのまま忘れることも出来なくて、俺は動きを止め、聞いてみることにした。
「あの、先輩も、きもち、いいですか……?」
 俺の言葉に先輩は目を見開いて、何か言おうと口をぱくぱくさせたあと、押し黙ってしまった。代わりに、力なく放り出されていた彼の手が、俺の手に重なる。意図が知りたくてそのまま見つめていると、彼は頬を真っ赤に染めて小さく頷いた。
 聞いたのは俺の方だけれど、予想を上回る可愛らしい答えに思わず理性が飛びそうになる。それは反則ですよ、なんて言ったとしても、どうせ無自覚だから意味がない。きっと。
 中に入れたままのものが質量を増して、彼の内側を埋めていく。俺の下でじりじりと腰を浮かせながら、あつい、と呟く彼の奥まで俺の欲が浸食する、この感覚。大好きな先輩と繋がっている実感が強くなればなるほど、幸せすぎて時々不安になってしまう。
「そんな顔するなよ。……あまり、よくないのか」
「いえ、気持ちよすぎて、怖いくらいで」
 だめだ。余計なことは考えないで、目の前の身体を愛し蕩けさせてしまおう。彼に不安が伝染しないように。
 途中まで引き抜いて、浅いところを先端で撫でるように刺激する。逃げようとする腰を掴んで、そのまましつこく責め続ければ、俺のことを心配する余裕は手放されたようだった。
「なんっ、だよ、……それ、っ、あ、だから、そこ、やめ」
 息を乱して涙目になって、ダメだといっても素直でないのはいつものことで。そんなところも、好きで好きで仕方がない。
 こうやって彼の身体を味わうのも数えられないくらいしてきたのに、いつまで経っても俺は夢中だ。なんども何度も内側に入り込んでは、膜越しに熱を放って。褪せるどころか、繰り返す度に気持ちは大きくなっていく。
 ぐりぐりと彼の好きな箇所を抉るうちに、中の締め付けが強まって、呼吸が不安定になってくる。きっともう、イきそうなんだろうな。
 彼が達したあとの、搾り取るような中のうねりに俺は絶対に耐えきれない。でも今日はまだ、終わりたくない。
 理性を総動員して動きを止め、ひと呼吸置いてキスをすると、快感に揺らいだままの彼の瞳が不思議そうに見つめてくる。
「あ…………?」
「……っ、う……まだ、いかないで、ほしいです」
「……そう、か」
 目を瞑って、弾む息を少しずつ抑えて、焦らされるのも辛いはずなのに、身体を震わせながら先輩は背中に手を回してゆっくりと撫でてくれた。
 結局、不安は隠しきれていないのかもしれない。彼の優しさに甘えて、赦されて、受け入れられていること。ずっと続くかどうかは分からないけれど、今は確かにこの幸せが俺の手の中にある。まだ、手放したくない。
「おれ、は……すき、だからな」
「……あ、えっ……?」
「おまえのこと、ずっと……好きでいるから、安心しろ」
 小さく、でもハッキリとしたその言葉に、見透かされた心の内がふわりと軽くなった。きっとこの先も、敵うことは無いんだろう。こんなにもカッコよくて、頼れる先輩が側にいてくれるなんて、やっぱり俺は恵まれすぎている。
「俺も好きです。……だいすき、です」
 泣きそうになっているのがバレバレの震え声。それを聞いた彼は苦笑する。
 なんだか恥ずかしくなってしまったけれど、不安な気持ちに抑えられていた身体は動き出した。ぐちゃぐちゃに掻き回して、突き入れる度に反らされる彼の喉から、言葉の形にならない声が零れていく。
 俺の身体の奥底からせり上がってくるのは、快楽に耐えかねた性器が吐き出す熱と、尽きる気配のない、好きだという気持ち。
 苦い過去を悔やむよりも、まだ見えない未来に怯えるよりも、こうやって心も身体も通わせられてる今の喜びを噛みしめていたほうが、よっぽどいい。

 甘く優しい時間が過ぎたあと、愛しいひとの体温を感じながら横になっているベッドの上が、今この時だけは世界の全てみたいだと思った。
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