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準備・後編
しおりを挟む太陽が最も輝く午後の時間に、ベルギオンは息苦しさで目が覚めた。
首に何かが絡まっていて、それがゆっくりと締め上げていたのだ。
呼吸に支障さえ出始めたとき、寝惚けた頭が慌てて回転を始める。
腕や足を動かそうとしても、ビクともしない。
首も固定されていて、辛うじて動かせる手先で拘束している物を触る。
明らかに人間の感触だ。それにこの柔らかく滑らかな感触は女だろう。
目を開けて見ると何も居ない。締め付けている奴は後ろで此方を羽交い絞めにしているのだ。
背中に胸らしきものが当たってはいるが、正直それどころではない。
そうしている内に更に締め付ける力が強まり、首の筋肉では抵抗できずゆっくりと気道が狭まっていく。
何故このような状態になったのか分からないが、急がなくてはならない。
(これは、いかん。死ぬ)
締め付けている人間に何度かタップし、状況を知らせるが全く反応が無い。
かろうじて細く気道が確保出来ているが、既に必要な酸素を取り込めなくなっている。
なりふり構わず、今出せる精一杯の力を指先に込めて抓る。
それに反応して、一気に締め付けていた力が増した。
「――ぐ、ぉぉ……」
今度こそ完全に気道が塞がれ、顔に血が溜まる感覚さえ感じられる。
意識が薄れ始めた。
恐怖と勇気により更に苦しくなる事を承知で、全身に力を込め動かそうとする。
しかし、それ以上の力で締め付けられたベルギオンは、抵抗さえ出来ずゆっくりとまた夢の世界へ引き戻された。
(これが俺の死か……)
九死に一生を得たのはそれから5分後の事だった。
「ほんとごめんね」
「息が出来るってこんなに良い事だったんだな……」
キリアがベルギオンに両手を合わせて謝っている。
ベルギオンを落としたのはキリアだったのだ。
意識を失って直ぐ、ラグルが物音を聞いて駆けつけて助け出してくれたとの事だった。
眠っているキリアを起こす為に何かしたようで、キリアの頭には小さいたんこぶが出来ている。
「ああ、いや、死ぬかと思ったが生きているからな。
今回のように一緒に寝ることは無いだろうが、次からは勘弁してくれ」
「挟みやすくて、ついやっちゃってみたいで。ごめんなさい」
「気にしてない。しかし力では本当に敵わない」
関節を固定されていたといっても、あの時どれだけ力を入れても本当に体を動かせなかった。
この細い身体の何処にあんな力があるのか、未だに疑問だ。
(確か、超人体質という言葉があったな)
筋密度と骨格が普通より発達して、常人より遥かに力が強かったという。
改めてベルギオンはキリアの体を見る。
「な、なに?」
しなやかさは感じても、筋肉の盛り上がりは見られない。
力を入れた場合はどうなるのだろうか。体重も気になる。
ベルギオンは考え込む余り、キリアの二の腕を揉んだり触ったりしてみる。
そうすると柔らかいが、見た目よりも張りや押し返す力がある。
(不思議だ)
「何なの?」
そのベルギオンの行動に困惑しつつも、意図の読めないキリアは頭をかしげる。
くすぐったい様で、やや口元が動いていた。
「……変態だったんですか?」
ベルギオンが我に返ると、少し照れたキリアと冷たい視線を向けているラグルが居た。
その後出されたスープは、具が少なかった様な気がしてならない。
ラグルは笑顔に戻っていたが、背筋が引き攣るような笑顔だった気がする。
食べ終わると、外に出て作業を始めている人たちに挨拶をする。
くくり罠は既に完成して、カルックフとスノラマの二人が仕掛けてくれたとの事だった。
二人に会って仕掛けた場所などを聞くが、流石に年季のある二人で上手く配置してくれている。
「50も仕掛けるのは初めてだが、なんというか爽快だったわ。奴らゴブリンに同情するぐらいにな」
「弓は使えんから様子は見れんが、罠に掛かる様を見てみたいのぅ」
これで残りは矢を増やし続ける事だけだ。
聞いてみた所、既に300本は出来ているという。
今日中に800本に届くだろうとの事だった。
村人たちの士気の高さが、予定より早い生産に繋がっている。
広場を回りながら、見張り以外の弓部隊となる18人を集めた。
「見張り以外はこれで全員だな」
「はい」
「……ラグル、いいのか?」
「大丈夫です。私もこの村の一員ですから」
その中にはラグルもいる。
ベルギオンは始めは驚いたものの、危険だという事はラグルも分かっていた。
それにラグルは一度決めた事は、そう簡単に変えないことはもう知っている。
ベルギオンは説得を諦め、承知する。
集まった皆には、指示に必ず従ってくれるように頼んだ。
「指示の事だが、戦い以外でも他の事で経験があると思う。
例えば猟なんかではバラバラに動くようでは獲物が逃げるだろう?
戦いも同じだ。いくら戦力があっても上手く運用できないなら無いのと同じになる」
これは実体験から得た経験則だ。
仕事でもそうだし、多人数のゲームではどれほど簡略化してもこういった事は必要になる。
一部を除けば、人間は統率された群れで動いてこそ真価を発揮するものだ。
「まず指揮系統を決めよう。実際に戦う場に居る人間で組む。
第一に俺とさせてくれ。一連の事を言い出したのが俺だからだ。
言い出しておいて投げっぱなしになんてしないし、ある程度こういった経験があるから指示はできるという判断だ。
異論はあるだろうか」
「無い。あんたが居たから戦う気になれた。あんたの言葉に従うよ」
「賛成だ。罠の事といい、見た目は若いが中々経験豊富なようだしな」
この提案は最悪蹴られる事を考えていたベルギオンは、好意的な言葉に頭を下げる。
「助かる。次に俺が居ない場合はキリアとしたい。
ゴブリンが違うルートから来る場合、迎撃に俺かキリアが動く必要が出てくる。
特に俺が動くなら代役が必要だ。奴らを相手に立ち回れるのは俺とキリアだからな」
とはいえ、ベルギオンが実際戦ってどこまでやれるかは少し疑問がある。
(バスターソードを振り回せば時間を稼ぐくらいはできると思うが……)
「そういう経験は無いんだけど、大丈夫?」
「ある程度は決めておくから大丈夫だ。キリアの場合はそこに居る安心感もあるからな」
「それならなんとかなるかな」
キリアが頷く。
キリアがこの村で一番強いのは周知の事実だ。
これは異論も無く決まる。
「次に弓部隊のまとめ役として、ラグルとしたい」
「私ですか? ――勤まるんでしょうか?」
「ああ、勤まると思う。ラグルの理由だが、まず目が良い事。次に判断力があること。そしてこの村で一番の弓の名手という理由だ。
俺は一応弓を引く事はできるが、得意とはいえない。
弓に関しての判断は経験のある人間の意見が欲しいからな」
「必要な事なんですね。……分かりました。やります」
ラグルはしっかりと頷いた。
本当ならラグルのような子供に背負わせる責務ではないが、他の人間では連携が取れない場合がある。
ラグルなら数日見た様子で信用出来る。
「確かにラグルならいざとなっても頼りになるからな」
「しっかりしとるし、大丈夫じゃろう」
これも反対意見は無い。
この姉妹は村人たちに信頼されているのだろう。
「さて、これで指揮系統は決まったな。
次に弓部隊は全員で20人居るが、5人ずつで4つの班を作る。
班長は相談の上決めてくれ。まとめ役のラグルは班長兼任だ」
そう言って4グループに分かれてもらう。
しかし、不思議に思っている人間が殆どだった。
「4つに分ける意味は?」
「まず、全員で一斉に射る訳ではないからだ。
相手が来るルートが分かっていて、それも広くない。
だから交代制にして手の空いている側は補給し、射る側は打ち続ける」
効率の問題だ。
一度に大量に撃つより、間を空けないことのほうが今回は大切だとベルギオンは考えている。
「それなら二つでもいけそうですが」
「二つでも勿論いけるが、一工夫しようと思ってな。
さて、班が出来たな。左から順番に1.2.3.4と番号を振る。
あと補給要因として何人か別に来て貰うつもりだ。彼らは5としよう。
で、だ。1班と2班はセットで動いてもらう。3班と4班もな。
ここで大事なのは、1班と3班には接近してくる敵を最優先で討って貰う。
2班と4班は罠に掛かった奴からだ。
接近してくる奴が増えたら切り替える必要があるが、それは指示者が判断しよう」
ベルギオンの言葉に、村人たちは考えたり相談している。
幾つかの質問に答えるとベルギオンの意図が伝わっていく。
「つまり役割が違うってことか?」
「全員が近づく敵を撃っても勿論効果はあるが、死体を盾にされる場合もあるし、折角罠に掛かっているんだ。
当たりやすくて狙い撃ちにできるからな。異論はあるか? 今なら相談できる」
「ない、かな。聞いた感じ良さそうに思える」
「それに関してではないが、矢の練習と連携を少しやってみたい」
若い男が発言する。
他の者も練習は積みたい様子だった。
(久々に弓を持つ人も居るんだよな。ならやった方が良い)
「それも必要だな……、矢を回収できるようにして的を作ってやってみてくれ。
連携は何度か声をかけてやってみれば感じは掴めるだろう。
俺も近くで体を動かしておくから、何かあればいってくれ」
「分かった。よし、板を作って早速やってみるか」
そうしている内に見張りが交代の時間になり、二人が移動し引き換えで二人戻ってくる。
中年の男とそれよりやや若い男の二人だ。
「川の向こうはどうだった?」
「ゴブリン達がうろつき始めてますわ。
大抵一匹二匹でうろちょろしますが、弓を構えたらとんぼ返りですな。
偶に此方に来ようと飛び込む奴も居ますが、あれはまさに良い的ですわ」
「なるほどな……分かった、ありがとう。ゆっくり休んでくれ。
起きたら幾つか決めた事があるから、此処にいる人から聞いてくれ」
「了解ですわ……さっきから眠くていけねぇ。先に失礼させてもらいます」
相して見張りの男達は家へと戻る。
此方に攻撃の意思があることは相手も理解しただろう。
一度離れ、腕っ節は強いが弓が使えない男達を集める。
伐採の時に居た男たちが殆どで、7人ほどになった。
二人は弓部隊の補助をしてもらう事として、残り五人にはいざゴブリンが来たとき避難している村人の護衛をしてもらう事にする。
戦いが始まれば村で一番大きい倉庫に老人と女子供が入り、倉庫の入り口を背に男たちが集まる予定だ。
そこを更に守るのがこの五人という事になる。
「時間を稼いでくれるだけでもいい。俺かキリアが来るまで持ち応えてくれ」
「任せてくれ。やつ等は倉庫に一匹も通しはしねぇ」
一対一ならこの五人なら勝てる相手だし、抜けても男たちで囲めば大したことは出来ないだろう。
しかし、それ以上のことが起きる場合もある。
此方も戦いの際、何かあれば笛を鳴らすようにし打ち合わせをする。
村人全員が移動する事を考えると避難は不可能だ。
確実に守りきり、尚且つ群れを滅ぼす。
夕方まで、それぞれが一心に今出来る事をやる。
弓部隊については混乱が無いように場面ごとに幾つか打ち合わせをしておいた。
陽の光が赤くなる頃、見張り以外全員を長老が集めて、話を始める。
「さて、皆この二日、良く頑張ってくれた。
始めワシは二日で何ができるのかと、不安に狩られた瞬間もあった。
だが経ってみれば戦う用意は十分整っておる。
ワシは生まれて以来味わった事の無い興奮を感じている。皆はどうか」
「俺もそうだ、なんだか怖いというよりワクワクしちまってる」
「村の一大事を自分たちで守ろうってのは、なんだか気分がいいもんだ」
広場に集まった村人たちは興奮覚めやらぬまま声を上げる。
「うむ。思えばワシらの祖先達は、自らの存在の為に巨大な敵たちと戦ったのだ。
ベルギオン殿の助けがあったとはいえ、その血を受け継ぎそれを行えることは竜人としての誇りじゃろう」
「なんで諦めてたのか。他所から来た冒険者に教えられるなんてな」
「全くだな。あの坊主には礼を言わなきゃならん」
「先ほどまで見張りをしておった者達の言では、途中から一切姿を見せなかったとの事だ。
……明日、奴らは来るじゃろう。ワシ等を餌と思うとる奴らに、しっかり教えてやらんといかん。
今のワシ等に手を出せばどうなるかを」
「そうだそうだ!」
「俺たちは勝つ!」
村人たちは疲れがあるはずだが、気力が充実している。
この勢いなら、負けない。
そして迎えた次の日。
倉庫への避難は済み、弓部隊の用意も完璧だ。
矢は800本用意できており、落とし穴も板をどけて折れやすい木で蓋を作り、薄く砂をまいて見えなくしている。
太陽が高く上り、日差しが強まり始めた頃……、ついに川の方から連続で三回笛が鳴る。
群れと思わしき数で移動中の合図だ。
見張りは走ってこっちに向かってきているだろう。
大きく息を吸い、此処に居る全員に向けてベルギオンは叫ぶ。
「全員、すぐに敵が来るぞ! 作戦は話したとおりだ! 冷静に、確実にやれば勝てる!」
「応!」
それに答える村人達。
「1班、2班は矢を番えて直ぐ打てる用意を! 見張りが走り抜けたら撃ち始めます!」
ラグルの声が響くと共に、100を越すゴブリンの群れの先頭が視界に入り始めた--。
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