ティヤムの肖像

伊藤納豆

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1章

6話 *

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「ぁ、っ………ん、んんっ……!」

「あー、っ……もう無理、イくよっ……!」

「はぁ、っ、ぁ、ん、ぁ……ぅ、っ……ひ、ぁあんっ………!」


抱えていた袋からゴトリと音を立てて赤いリンゴが落ちた。ベッドの木が軋む音と、甘い嬌声がそれを掻き消す。シンエイの目に飛び込んできたのは、男に抱かれている紛れもないイーヴェルの姿であった―――



仕事がひと段落したシンエイは、側近の小言を跳ねのけ、今日もいそいそとイーヴェルの元へと向かっていた。まるで女を口説くかのように、ある日は一際美しい花束を、またある日は、高級なチーズを手土産に、シンエイの通い婚が冷めることは無かった。


今日は隣国から輸入したリンゴやパイナップルといった果物であった。今日はどんな絵を描いているのだろうか。俺を見た貴方は最初になんていうだろうか。交渉の返事どころか碌に会話もしてくれないが、遂にシンエイを追い返すことをしなくなったイーヴェルに、シンエイはまるで攻略ゲームに近い快感を覚えている様だった。


町の中心から少し離れ、煉瓦の家が見えたらそこを左に曲がる。閑静な住宅地にある、一際小さく簡素な小屋。そこがイーヴェルの住かであった。


「イーヴェルさーん。シンエイですー。」


コンコンとドアを数回ノックするが、イーヴェルからの返事はない。いつも通りの反応だ。シンエイがドアノブに手を掛けひねると、ドアは何の抵抗もなくすんなりと開いた。イーヴェルは戸締りを良く忘れるのである。


何と不用心なことかといつも注意しているのだが、イーヴェルの忘れ癖は改善することもない。シンエイにとって都合のいいことではあるのだが、ここまでくると心配もするのである。


そんなことを考えながら扉を開け部屋を見渡すが、イーヴェルの姿は無かった。留守だろうか。すぐそこの川に洗濯にでも―――そう思ったときだった。


「ひっ、ぁんっ!」


女の様な甘く艶っぽい声が響いた。音の方に顔を向けると、そこは寝室である。イーヴェルは大体リビングの古びれたソファで眠っていることが多い。絵に夢中な時は、まるで電池が切れたように、倒れこんで寝に落ちるからだ。寝室まで足が向かないのであろう。


初めて彼と会った日、自分が寝かされていたベッドのある寝室から、濡れた音が聞こえる。シンエイはその正体に気が付きながらも、まるで見るまでは信じないと心を持ちながらゆっくりと歩みを進めた。


ベッドの軋む音。荒々しく吐かれる吐息に、肌のぶつかり合う音。


シンエイは勢いよく寝室の扉を開けた。


「はぁ、っ、ぁ、ん、ぁ……ぅ、っ……ひ、ぁあんっ………!」


そこには、見知らぬ男と体を重ねるイーヴェルがいた。男の身体に腕を回し、見たことのない表情(カオ)を浮かべている。いつも澄ました顔が、獲物を狩り取るような隙の無い視線が、ぐずぐずに熟れた果実の様に蕩けている。


「え、な、なっ……」


わなわなとし始めるシンエイ。状況をようやく飲み込み始めたのか、思わず抱えていた袋から林檎が1つ2つ、転がり落ちた。
その物音と人影に気が付いたのか、イーヴェルのなかに挿入し快感に耽っていた男が勢いよく振り返った。まさか人がいるだなんて思わない男の素っ頓狂な声とは裏腹に、イーヴェルは落ち着きを見せていた。


「何だ、お前か……」

「え、何、誰!?」


落ち着いている、というより寧ろ不機嫌そうである。あと少しでフィニッシュであったところを邪魔されたことによる苛立ちであろう。男は気まずさに耐えられないかのように、勢いよくイーヴェルのなかから己のいきり立ったソレを抜き、雑に服を着なおすと一目散に退散していった。


「勝手に入るなっていつも言ってるだろ。」


対極に、まるで様子の変わらないイーヴェル。男を引き留めるでもなく、シンエイに誤魔化すでもなく、まるで何事も無かったかのように、服を着ることさえせずベッドサイドのチェストに置いてあった煙管を手に取りふかし始める始末。僅かに眉間に皺をよせ、不満気である。


イーヴェルを抱いていた男は、気まずそうにせっせと仕度をして驚き固まるシンエイの横を通って早々に退散していった。


「い、イーヴェルさん、なにしてっ……」

「何って、セックスだけど。お前もガキじゃねえんだからそれくらい知ってんだろ?お陰様で、いいところで邪魔されちまったけどな。」

「そうじゃなくて……!え、何、恋人いたんですか!?っていうか、男でもいいんですか!?」


乱れたベッドシーツの上で、ぷかぷかと煙管をふかしているイーヴェルに恐る恐る歩み寄るシンエイ。細く引き締まった体。キメが細かく女性の様に白く柔そうな肌が、情事を裏付けるようにうっすら桃色に滲んでいる。


ごくり、と、シンエイが喉を鳴らした。


「質問が多い。無粋な奴はもてねーぞ、お坊ちゃん。」


にやりと悪戯気に笑ったイーヴェル。まるで初めてセックスを目の当たりにした幼子の様な反応を見せるシンエイを見上げ、揶揄うように視線を送った。


「アレは恋人じゃねーよ。所謂、えーっと……行きずりの男?名前も知らねーし。神経すり減らしながら絵描いてると、どうにも昂るときってあんだよ。「芸術」なんて言えば聞こえは良いけど、アレは一種の麻薬だよ。決して満たされることのない、恐ろしい麻薬。その麻薬に駆り立たされた情熱をセックスで発散してんの。お前も、日々芸術家サン達相手にしてんならそれくらいわかんだろ?あと、俺にとってみれば男か女か、とかはどうでもいい。まぁでも、抱くより抱かれる方が楽―――」


シンエイの質問につらつらと答えるイーヴェル。いつになく口数が多い。情事のあとで興奮しているのか、はたまた、面倒を回避しようとする防衛本能が。


驚いているのか、はたまた引いているのか。何も言わずに立っているシンエイに言葉を浴びせた。


シンエイは数多くの画家と仕事をしてきたが、自分自身が画家な訳ではない。そのため、イーヴェルの言葉の真意を身体で感じたことはないが、目の当たりにはしてきたつもりであった。


正解も出口も無い世界で、藻掻き、まるで己の生命を削るようにして創作活動に耽る画家たち。酒に溺れる者もいれば、ある日突然姿をくらました者もいた。


そんなギリギリの世界でどうして一人闘えるのか、シンエイにはわからなかった。もっと楽な生き方もあるだろうに。けれど、イーヴェルの絵を見て、この才能を潰すものかと思ったのも事実。


シンエイはーヴェルの返答を遮るようにして、いや、最後まで待つのを我慢できないとでもいうように、ベッドの上に座るイーヴェルの肩をがしっと掴んだ。そして、真っ直ぐとその瞳を向ける。


「つまり、その相手って俺でも良いってことですよね。」


イーヴェルの持つ煙管の火皿から、はらりと灰が落ちた。


貴方のあの絵を見るためなら、俺は何だってしよう。
俺はイーヴェルさんの「絵」を、「才能」を、守りたいのだ。

しかし、シンエイは密かに自分の発言に対し驚いていた。
いつも性欲に飢えた作家先生には、適当に娼婦を見繕って手配している。わざわざ自分の手を煩わせることなんてないのである。


じゃあ、今俺がイーヴェルさんの相手をかって出ているのは何故だ?


シンエイは、今までの自分では考えられない行動の数々に、静かに動揺していた。
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