ティヤムの肖像

伊藤納豆

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1章

3話

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マスターがまるで「助かった」というような声を出す。身に覚えのないその反応に、来店客は不思議そうな顔をしていると、マスターが目の前のカウンターで眠りこくっている酔っ払いを指さした。


「この兄ちゃん、ここ数日ずっとお前さんに会うために通っててね。今日は何が何でも会うって無理しちゃってさぁ~。」

「はぁ。……まぁ俺には関係ないし。」

「ちょっと待って待って!」


何事も無かったかのように別席に座ろうとする男を止め、店主が慌てた様にそれを止める。


「このまま眠られちゃあ店も締めれねえしよ~。な、お前さんがなんとかしてってくれよ。」

「え!?嫌ですよ。」

「だってお前さんに会いたくて来てたみたいだしさ~な、ほら、今度1杯ご馳走してやるからさ!」

「え~……」

とんだ巻き込まれ事故である。大体こんな図体のでかい男は知り合いではない。
しかし、店主の頼み様に折れざるをえなかった。男は眠りに耽る大男を無理矢理立ち上がらせ、肩に腕を回し連れて行くことにした。せっかく久々に晩酌をしようとしていたのに、ツイていない。


自分よりも遥かに体格の勝る人物を歩かせるには苦労する。勿論抱えることなどできない訳で。それでも遠慮なく凭れ掛かるシンエイに、男は時折足をげしげしと蹴りながら、歩くよう促した。


「おいお前、ちゃんと歩けって。重い。」

「ん~……」


夢うつつな声を漏らすシンエイに、この酔っ払いめと悪態をつきながら、酷く酒の匂いがする見知らぬ男を引きずるようにして暗がりの道中を歩いた。



次の日の朝。シンエイは酷い頭の痛みで朦朧とする意識の中目を覚ました。身体が痛いと、寝返りを打とうとしたとき、鈍い音と共に身体が床に落ちる。普段眠るベッドのサイズでは落ちようがないはず。シンエイはハッとした様子で目を開き、すぐに顔を上げた。


ここはどこだ?俺は昨日―――


思考を巡らせたとき、目の前に飛び込んできた白い、絹糸の様な髪。床に転がっているシンエイをじっと見降ろす、薄いパープルの輝いた瞳が、白く細い髪の間から見え隠れする。


「白兎……」


シンエイの言葉を聞き男はしばらく沈黙した後、すらっと伸びた足でシンエイの身体を小突いた。


「寝ぼけてるのか?」


見た目とはズレた、低めのちゃんとした男の声が二日酔いのシンエイの頭に響く。ハッとし、身体を起こし、辺りを見回した。狭い木造の家。あたり一面には紙が落ちており、デッサンから色が乗せられたものまで、床模様のように広がっていた。吊るされ、乾かされているのも全て、様々なモチーフの絵であった。


そうだ、昨日、酒場であの人を待っていて、それで―――


部屋中の絵、そして、白い髪の男の目の前にあるイーゼルに立てかけられた大きなキャンバスに描かれている油絵をみてシンエイは思い出した。何層にも厚い絵の具を重ねて塗り上げる、このインパストの技法。


「貴方が……貴方が、あの絵を……」


やっと起きたと思えば訳の分からないことを言うシンエイに、男は眉を顰め、キャンパスに向き直した。


「起きたんなら早く帰ってくれ。昨日はマスターに頼まれて仕方なくお前を運んだけど、重いわ道端で下呂は吐くわ散々な目にあった。」


男は容姿に似つかわしくない下品な言葉を吐き出し、悪態をつきながら再び筆を持とうとした男の手を、シンエイの手が引き留めた。自分に触れた人肌にまるで処女の様に驚き、男は思わず筆を離してしまう。落ちた筆が床に色を付けて転がる。


端正な、男らしい顔をしたシンエイが、椅子に座る男の脚元に跪き先ほどの寝ぼけ顔とは打って変わった表情で見上げた。


「数々の御無礼お許しください。私はシンエイ・メルカトゥーラ。この国で画商をしています。酒場にあったあの絵を見た時からどうにか貴方にお会いできないかと思っておりました。昨晩のお詫びに、どうか一度―――」

「断る。」


シンエイのその後の言葉を悟ったように、男は遮った。


「誰のものにもならない。俺も、俺の絵もな。はい、話は終わり。帰った帰った。」


男は手で追い払うような身振りをし、冷たく言い放った。まるでこうした誘いは何度も受けてきて、うんざりしているとも取れる態度であった。


シンエイは男に押されるような形で、ドアの方へ追いやられていく。こうした扱いを受けるのは、商人として珍しくはない。どうやって一癖も二癖もある芸術家を口説き落とすのか、それが画商の腕の見せ所である。


「待ってください、話だけでも……!」

「話すことは何もない。」


男がドアを開け、シンエイを外へと押し出す。外には涼しい風がそよそよと靡いており、男の印象的な白い髪を揺らした。シンエイの心が、また何か違う方向へと押し出される。これは、仕事のためにしたいことか?いや、きっと違う。俺は今、この人を知りたいという完全な私欲で動いている。


「ではせめて、名刺だけでも頂けませんか。貴方の名前が知りたい。」


シンエイがじっと男を見つめた。淀みのない、深い翡翠色。ああ、この色を作るにはどの色をどのくらい混ぜたらいいだろうか。男の意識がふと絵画の世界に引き寄せられた。


すぐに我を取り戻したが、男は何かを思ったのか徐に室内に戻ると、乱雑に破った一枚の小さな紙に筆を走らせた。


再び、外で立つ小奇麗な服を纏ったシンエイに、その紙を突きつけた。


「ほら、名刺だ。もう来んなよ。」


そしてそのまま何も言わず、男は扉を閉め中へと入ってしまった。シンエイは名刺と言われたその紙の切れ端を見たあと、こみ上げる嬉しさを抑えきれず笑顔を零し、閉ざされた扉に向かって声を上げた。


「また来ますね、イーヴェルさん!」


まるで好きな人からのラブレターかのように、シンエイは「イーヴェル」と書かれたその紙きれを大事に大事に持って足早に去って行った。
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