ティヤムの肖像

伊藤納豆

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1章

2話

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賑わいはやがて喧噪へと姿を変え、人々が理性と引き換えに麦酒を流し込んでいく。街外れにある酒場。夜更けにも関わらず浮浪者でごった返すそこは、まるで青年には似つかわしくない場所であった。

しかし、青年は虫の居所が悪かった。この鬱憤を晴らすためなら安酒でも構わないというように、中へと赴く。

下世話な会話が飛び交うなか、目立たぬようカウンターの端に腰掛けた青年はすぐさま年老いた店主から一際度数の高い酒を受け取った。

そして間髪入れず、まるでその酒を水の様に喉を鳴らしながら飲み干した。ダンッと鈍い音を立てグラスを置く。喉の焼けるような刺激は、次第に体中を巡る。






ああ、もうどうでもいい。


どこか遠くへ行ってしまいたい。


全て投げ出して、自分のことなど誰も知らない所へ。





そんな淡い幻想を抱きながら、椅子に深く腰掛け一息つく。背の重心が後ろにズレたことで、青年は視界に何かが入ったことに気が付いた。惹きつけられるように目をやると、塗装の剥がれ掛けた壁に、一枚の絵画が飾られていた。



そこには、横たわり絶命を迎えようとする一匹の白い兎の姿が、どこか荒々しくも美しい程の繊細さを含みながら浮かび上がっていた。

赤、黄、青、緑、白。

何色もの色が重なり合い、打ち消し合い、鬩ぎ合って。

青年の脳内に、その情景が刷り込まれていく。




生と死。




《この兎の数奇な運命を決めるのはお前だ。》




酔いが回ってきているからだろうか。どこからか迫りくる声が聞こえた気がした。気付けば先ほどまで騒がしくて堪らなかった雑音が消え去ったかのように、青年はその絵に釘付けとなった。


どうしてこんなに淋しく哀れで、愛おしく感じるのだろう。


考える間も置かず、青年は店主に答えを急かすような勢いで問い詰めた。


「マスター、この絵はどこで?」


今すぐ、”貴方”に会いたい。



あれから数日。青年―――シンエイは、あの酒場へ足繁く通っていた。店主曰くあの絵画は「たまに顔を出す男がくれたもの」だそうだ。しかしその男の仕事も、住む場所も、名前さえ知らないという。たまにフラッと現れては、絡まれる酔っ払いを適当にいなしながら帰っていくのだそう。



あんな画風の画家はこの辺では見かけたことが無い。
シンエイは、このプエルト国で強大な力を持つ商家・メルカトゥーラの次男坊であった。


広大な海を所有するプエルト国では、その水路と資源を用いた他国との商いが盛んである。そんなプエルト国で、代々商いの覇権を握っているのがメルカトゥーラ家である。国内では入手できない内地の作物の貿易だけでなく、美術品や骨董品といった類の取引も展開しており、数々の品を王室に献上していることで知られる、プエルト国随一の強大な権力を持つ家柄であった。


シンエイは絵画に特化した、云わば画商であった。その目は確かなもので、幼い頃から実際に各国へ赴き、珍しい品々を見定める。そんな生活をしていれば、嫌でも目が肥え、今ではメルカトゥーラ次男として相応しい腕前の画商へと成長した。


そんなシンエイの目を留まらせた、街酒場での絵画。この国の画家で知らない者はいないと、そう思っていたのに。


あんな逸材がまだ居たとは。何としても会いたい。会って、話がしたい。


それは、画商としての欲望か、それとも―――


昂る欲を抑えるように、麦酒を飲み込む。しかし、今日もその男は現れなかった。シンエイは酒が強い訳ではない。無理をして酒を飲んで酒場に居座ろうとするほど、あの絵を描いた人物に執心している様子だった。


「マスター、もう一杯!」

「お客さん、今日も飲み過ぎだよ。もう諦めな。」


自分のなかのキャパシティはとっくに超えているはずなのに、シンエイは店主にさらに一杯注文をする。カウンターで突っ伏する様に項垂れているシンエイをみて、店主は困ったように眉尻を下げた。


この酒場は朝方まで営業しているらしい。今日こそは、ギリギリまで居座ってやる。今日来なくても、明日だ。シンエイは諦めなかった。しかし、日中は仕事に明け暮れ、疲れ果てた後この酒場に通って張り込みをしている無理が祟ったのか、どうやら今日は悪酔いに走っているらしい。シンエイはそのまま、5杯目の麦酒に手を付けることなく、カウンターで眠り込んでしまった。





「ああ、お客さん!待ってたよ!」

それから少しして、酒場のドアが開いた。
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