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男娼

楽園(4)

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「おはよー晴柊。」


晴柊にとっての朝は人々の夕方。太陽も月も見えない地下では、時計が示す時刻だけが朝昼夜という概念を作る。


「おはよ~……」

「顔色わるっ。」


生駒は晴柊の出勤1時間前に家に迎えに来る。晴柊はシャカシャカと歯を磨いていた。その顔はどこかげっそりしており、心なしか青ざめても見える。


「昨日一杯飲まされちゃってさ~……」

「酒弱いもんな、晴柊。」


どうやら二日酔いらしい。晴柊はぐちゅぐちゅと口のなかに水を含み洗い流す。口を拭きながらだるそうに目を細めていると、生駒がすかさずペットボトルに入った水を差し出してくれる。EdeNのスタッフのなかで一番気遣いができるボーイとして、生駒のキャスト人気は高い。晴柊も一番信用している黒服であった。


「ありがとう。今日の客は誰?」
 

晴柊は毎日の出勤前ルーティンである予約の確認を取る。晴柊は人気キャストのためほぼ毎日予約で埋まっている。そのため、店に行く前にスケジュール管理をしている生駒から今日の指名客を聞いておくのだった。


「今日は……えーっと…薊琳太郎……見ない名前だな。」


生駒がスマホを弄りながら今日の晴柊の指名を確認する。読み上げられたその名前に晴柊はさっきまで閉じかけていた目をハッと見開く。


「本当!?薊琳太郎!?」

「え……あ、あぁ……そうだけど……」


生駒は晴柊の反応に思わず驚く。まるでご主人の名前を聞いて尻尾を振る犬のように、晴柊が生駒に飛びつくようにして距離を詰めた。晴柊が客の名前でこんなに機嫌を良くしたことはまるでない。生駒はどこか興奮する晴柊と対照的に、驚き固まってしまっていた。


その生駒の様子から自分がおおっぴろげに喜んでいると言うことに気が付いた晴柊は、まずい、とでも言うように冷静さを取り戻そうと何もなかったかのように受け取った水を飲んだ。


「へ~………珍しいじゃん。」


何かを勘付いたように、生駒が揶揄うようにニヤニヤと晴柊を見る。


「ち、違うぞ。このお客さんは変なことしてこないから、楽ちんってだけだし。」

「ふ~ん。へぇ~。」

「もう!早く店行くぞ!」


まるで面白いものを見たとでも言うようにイジる生駒から話題を逸らすように、晴柊は逃げ足の如く玄関へと向かった。意識していないと口角が上がってしまいそうになる。嬉しい。本当に指名して、また店に来てくれるだなんて。


晴柊は浮足立ちそうになる気持ちを必死に抑え込みながら、店へと向かった。


いつものバニーボーイの制服に身を纏い、仕上げにヒールを履く。気持ちが自然と引き締まる。


「じゃぁ、今日もいってらっしゃい。」

「いってきます。」


生駒に背中を押してもらい、晴柊はホールへと出る。スタッフに案内され、目的のソファへ。個室へと差し掛かった時、ちらりと光沢感のある黒いスーツが見える。間違いない、琳太郎だと晴柊は確信した。


「こんばんは、琳太郎さん。」

「ああ。」

「あの……またお会いできて、嬉しいです。」


晴柊は平静を保とうとする。琳太郎の隣に座り、微笑んだ。何故だかいつもより緊張している自分がいた。


「なんだよ、そんなガチガチで。……緊張してんのか?」

「ち、違います……!」


晴柊は琳太郎に顔を覗き込まれたことに驚き、顔を真っ赤にする。「そうです、楽しみにしていたので♡」だとか、幾らでも言い様はあったはずなのに、晴柊はまるで図星を突かれたとでも言うような反応をしてしまう。ダメだ、いつも通りにできない。


「まあいい。お前は好きなようにしてればいい。今日は何の話をする?」

「あ、でも、俺ばかりが話しちゃっても……」

「構わない。俺はお前が楽しそうにしているところを見たい。」

「えっと、じゃぁ1つ、気になってることがあって……俺実はこの間本で―――」


晴柊は純粋に自分の話を聞いて会話をしてくれることが嬉しかった。いつもは客のつまらない仕事の話や愚痴を聞かされ、それに愛想よく話を合わせるばかり。晴柊自身の話に興味を持つ者はいないし、ましてや地上の話をしてくれる人もいない。それが自分男娼の仕事の1つでもあるのだから、晴柊はソレで良いと思っていた。


琳太郎は違った。晴柊がしたい会話をしてくれ、聞いたことには何でも答えてくれる。初回同様、自分ばかりが楽しい想いをしているのではないか、と、晴柊は思う。自分が彼を楽しませなければいけない立場なのに。それでも、琳太郎はそんな晴柊を受け入れてくれるのだ。


晴柊は一度も学校に行ったことが無い。地下街には教育機関が無いからだ。だから晴柊の世界には知らないことだらけであった。晴柊の幼い頃からの好奇心と興味が、琳太郎に向けられる。まるで幼子の様にはしゃぐ晴柊を、琳太郎はこのままずっと見ていたいと思った。


「そうだな。四季は日本特有。日本は東経135度の北緯35度に位置しているからこそ、夏も来るし冬も来る。」

「琳太郎さんは、どの季節が一番好きですか?」

「俺は……春だな。気温も丁度いいし、桜も咲く。」

「サクラって、桃色の花が咲く木ですよね!地上の人は、桜を見ながらお酒を飲んだり美味しいものを食べるって聞きました。そっか……琳太郎さんが好きな春、俺も味わってみたい。」


晴柊がニコニコと琳太郎を見た。前回とは違う、取り繕っていない笑顔。琳太郎は無性に晴柊に触れたくなったが、周囲の客がジロジロと晴柊を見ていることに気が付く。この街の高嶺の花。誰もが欲しがる男娼。琳太郎は芽生え始めた独占欲から、今この一時だけでも自分のものにしてしまいたいと、晴柊の手を取り立ち上がった。


「あの……?」

「上に行くか。」

「えっ!?」


晴柊の顔がぼっと赤くなった。VIPのお誘いである。前回断られたこともあり、琳太郎はそういうことはしないと思っていた。予想外の急展開に晴柊は恥ずかしそうに口をパクパクさせた。いつもなら何も思わないはずの誘い。それなのに、琳太郎からの誘いに不思議と「嬉しい」と思った。晴柊は生まれて初めての感情を次々と自覚させられていくことに戸惑っていた。


晴柊はどぎまぎしながらスタッフに案内を頼む。人々に注目の視線を浴びながら、晴柊は階段を琳太郎と共に上がった。今晩、晴柊を買った客はアイツだと、琳太郎を品定めするような視線。しかし、琳太郎は動じない。他の客に対し誇らしげな表情をして、自分を装飾品のように見せびらかすでもない。凛とした彼の態度に、晴柊の心臓がまた揺れ動く。


VIPルームに着き、晴柊が扉を開ける。室内には小さなシャワールームと、一つの大きなベッド。これは仕事、これは仕事と自分に言い聞かせながら、晴柊はゆっくりベッドの元へ行く。


「えっと、あの、どういうプレイがお好みですか。虐めたいとか、虐められたいとか―――」


晴柊が制服を脱ごうとホットパンツに親指を入れた時だった。


「脱がなくていい。お前とそういうことがしたくてこっちに来たわけじゃない。」

「は……?」


晴柊は目を丸くさせて琳太郎を見た。この人はいつもそうだ。突拍子も無いことを言って晴柊を驚かせる。歴が長い晴柊を戸惑うことばかり言ってくる。


「あそこじゃ周りの奴らの視線がうざったくて敵わねえ。お前と2人きりでゆっくり話がしたかっただけだ。あとお前、今日体調悪いんだろ。ここなら誰も見てねえんだから好きに休んどけ。」

「いや、でも、VIPだって莫大な金が……わざわざここまで来て何もしないって、勿体ないでしょ……」

「はは、それ、男娼のお前が言うことか?寧ろお前はラッキーだって喜ぶところだろ。話すだけで良いんだからよ。」


琳太郎に言われ晴柊はハッとした。まるで、自分が淫らなことをしてほしいとでも言っていることに。そして、彼に触れられることはないと知りどこか残念がっている自分に。琳太郎に振り回されっぱなしだと、晴柊は力が抜けた様にベッドに座り込んだ。まさか、自分の体調の悪さも気遣われるなんて。


「あ、貴方って人は本当に………はぁ、も~……」


晴柊は耳まで赤く顔を染めている自覚があったため、恥ずかしそうに顔を手で覆う。


「なんだよ、文句あんのか?………ああ、そうだ。お前にコレやるよ。」


琳太郎はもじもじする晴柊を不思議そうに見た後、ドカリと晴柊の隣に座り、一枚の写真を晴柊に手渡した。晴柊は自分の顔を覆っていた指の隙間からちらりとその物を確かめる。すると、すぐに顔を隠していた両手を離し、まじまじとその写真に見入った。


琳太郎が差し出したのは、綺麗な海が映った1枚の写真だった。


「これ……海だ……」

「やる。これはただの写真だけど、いつか、お前に本物を見せてやるまでの代わりだ。本当は今すぐにでも連れ出したいところだが、色々時間がかかっちまいそうだからな。まぁこんな紙切れ別に要らないって言うんなら――」

「嬉しい!本当に貰っていいの!?ありがとう、琳太郎さん!……へへ、これ、宝物にする。」


晴柊は琳太郎の話の後半をまるで聞いていなかった。受け取った写真があまりにも嬉しかったのだ。高価な指輪、ネックレス、貢物はたくさんもらってきたが、こんなに心躍る感覚は初めてだった。客の貢物は、晴柊が「自分のもの」だと見せびらかすための自己満足としか思えなかった。けれど、琳太郎は晴柊を思ってこれを差し出してくれた。それが、晴柊にはどんな宝石より嬉しかった。


こんな一枚の写真ごときで、と、琳太郎は思った。しかし、晴柊が大層喜んでいることが琳太郎にとって他のことがどうでも良くなるほど一番嬉しかった。


コイツに、色んな景色を見せたい。
写真の世界でも本の世界でもない。
この綺麗な瞳に実際の景色を見せたい、細くしなやかな指で触れさせたい。
もっと、笑った顔が見たい。


琳太郎の手が、大事そうに写真を持つ晴柊の頬に触れる。シンと静まり返った室内。彼の真っ直ぐな目が、晴柊を捉える。晴柊の心臓は高鳴り、部屋中に響くのではないかと思わせた。


「次は、何の写真が良い。」

「え……?」

「実物はまだ見せてやれねえが、俺はこの目に色んな景色を映したお前がみたい。お前がまだ知らない世界を、俺が見させてやる。」


晴柊の鼻の奥がツンとした。そんなことを言われたのは初めてだった。


《貴方は地上には行けませんよ。一生この地下で暮らすんですから。》
《え~、上の世界のことについて教えてくれって?別に、そんな良いところじゃねえよ~?っていうか、あんまりそういうこと言ってたら、また八城さんに叱られるぞ。》


いつの間にか、諦めていた。上の世界に行きたいだなんていつからか本気で思わなくなった。八城の仕置きが怖いから。自分はこの世界でないと生きていけないから。


洗脳のように刷り込まれていたものが、サラサラと崩れ落ち、消えていく。


「サクラ。サクラが見たいです。琳太郎さんの好きな春の景色。」


晴柊が大きな瞳を細め、琳太郎を見つめた。晴柊が自分の頬に充てられた彼の大きな手に自らの手を重ねる。温かい。この人に、もっと触れて欲しい。


穏やかな表情を見せる晴柊に思わず見入る。琳太郎は自分に見せる晴柊のキラキラ輝いて見える笑顔を見て思った。どんな景色よりも美しいと。
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