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男娼

楽園(3)

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「げっ、晴柊!?お前もう出勤する気か!?」


生駒は晴柊の食事を持って行こうと、トレーに乗せたお粥を持って晴柊の部屋へと入った。すると、今まさに出勤しようと支度をしている晴柊が目に留まり、思わず止めに入る。八城からの仕置きの後、一日中寝込んでいた晴柊だったが、今日になって全回復したとでも言うように制服をリュックに詰めている。


「うん。もう大丈夫だもん。」

「もうちょっと休めって!」

「休んでだってやることないし。」

「休むってのはそういうことだろ!あんまり無理したら……」


晴柊にまるで親の様な眼差しを向ける生駒。晴柊は笑顔を浮かべ生駒を見た。


「大丈夫だってば、心配しすぎ。今回だって空弧を怒らせたのは自業自得だし、そんな沢山休んでられないよ。」


お前は誰のために働いているんだ、と、生駒は口答えしそうになったがやめた。そんなの聞かなくても答えが分かり切っているからだった。晴柊が働くのは八城でも誰の為でもない、自分のためである。それも金が欲しいからではない。男娼の仕事は、最早晴柊が生きる意味になっていた。仕事がなければきっと、晴柊は生きがいを無くすのだろう。それを誰よりも恐れているのは本人だ。


「ご飯作ってくれたのにごめんね、あっくん。店まで送ってほしいな。」

「……ああ。」


だからこそ、生駒は晴柊に簡単にこの仕事を辞めろとは言えない。それは、晴柊に「死ね」と言っていることと同じだからだ。



いつもの制服を身に纏い、オープンした店に現れる晴柊。今日の客は、証券会社の社長だ。彼も中々羽振りがいい客の一人であった。ボーイに案内された席へと向かうと、今晩晴柊を買った男に対してにっこりと愛想の良い笑顔を浮かべる。一昨日まで泣き喚き叫んでいた男とは思えない様子で。晴柊は仕事を完璧に全うしようとしていた。


「やあ、会いたかったよ。」

「こんばんは~。俺も会いたかった!先月以来だよね。」


晴柊が男の手を取り挨拶する。慣れた手つきで酒を作り、ソファ席で談笑した。賑やかな店内。煌びやかな装飾。全てが晴柊にとっての日常として、違和感なく自分も溶け込む。


1時間経ったところで、男が晴柊の腰に手を回しグイと引き寄せる。


「今日も、君と上の部屋に行きたいのだけど。」

「勿論。いっぱいご奉仕させてください♡」


一段と近くなった距離で、晴柊は男の目を見て目を細め、笑顔を見せる。男は既に色欲に染まった瞳をしていた。ズボンはまだ触れてもいないのにテントを張らせている。それが僅かに晴柊の腰当たりにぶつかっていた。この男はいつもねちっこい客であった。時間ギリギリまで粘るのである。面倒くさいなぁと思いつつも、それを悟られる顔を見せることは勿論ない。


ボーイを呼び、2階のVIPルームへと移動しようと席を立ちあがった2人。2階へは赤いカーペットが敷かれた螺旋階段を上がる。晴柊はカツカツとヒール音を鳴らしながら、男のエスコートでVIPルームへと向かおうと階段に足かけようとした。


その時、晴柊の華奢な腕が引っ張られ、くんっと後ろに引かれる。


「わっ!?」


男の腕を取っていたが、いとも容易く抜け落ち晴柊と男の身体が離された。何が起きたのかわからず、目を丸くさせる。力が働いた背後に視線をやると、そこには晴柊より幾分も背が高く、端正な顔立ちをした男が立っていた。見たことが無い顔だった。


「……?」

「……」


視線が交差する。晴柊の手を引いた男は、まるで晴柊の動きを視線で封じるかのような刺さる視線を向ける。すかさず客の男が声を荒げた。


「何だお前は!?」


邪魔をされたと憤り始める。まずい、何だこの状況は。


「あの……離してください。」


晴柊がきっと睨みつけるように男を見返す。見たことない顔だが、着ている服も、履いている靴も、身に付けている時計も全て一流の高級品だ。晴柊の客は抜きんでた金持ちが多いため、晴柊が見たことが無いということはきっと初来店の客だろうと踏む。この店をルールを知らないにしても、こんな無礼どの店でもマナー違反である。


男は晴柊の言葉も聞かず腕を離そうとしない。ギャーギャーと客の男が騒ぎ立てるのを聞きつけ、すぐに黒服が飛んでくる。


「お客様、困りますよ。この子は今日既に指名が入ってまして……」

「お前、名前は?」

「は……?」


この状況で暢気に名前を聞いてくるなんて。晴柊が戸惑っていると、客の男が噛みついた。


「おい何なんだお前は、邪魔をするな!」

「お客様、どうか手を離し―――」

「おいお前、今晩は俺にコイツを譲れ。」

「は!?そんなの良い訳ないだろ!」


晴柊を置いてきぼりに話を進める男は、そのガタイの良い身体で2歩進み、晴柊の客に近づくなり腰を僅かに曲げ客の耳元でボソボソと何かを話した。そして長い指で器用に胸元から名刺を取り出し、男に押し当てる。男はその名刺をまるで恐る恐る、というように受け取りじっと見つめると、先ほどまで噛みついていた態度が嘘の様に引っ込み、何度かぺこぺこと頭を下げていた。まるで酒が一気に抜けた様に顔が青白い。


「じゃあ、いいな。もらってくぞ。」

「はい、はい、すみませんでしたっ……」

「あ、えっと……それでは、こちらへどうぞ……」


黒服も戸惑った様に、横入してきた男と晴柊を半個室へと案内した。客の男は足早に去って行く。晴柊は状況に取り残されたまま、男と共に通されたソファへと腰掛ける。


「あの……何なんですか、急に。」


晴柊は自分を置いてけぼりに、話が急展開したことにどこか不満そうに男を見た。当事者同士が勝手に話を進めて、ペースを乱され、急に別客に付くことになったのだから無理もない。振り回されっぱなしである。


「お前、名前は?」


この街で自分の名前を知らない人はごく僅かである。だとしたら、この人はこの街にあまり縁のない人なのだろうか。


「晴柊です。」

「俺は薊琳太郎だ。」

「……お仕事は何をされていらっしゃるんですか?」


接待をしなければと一応きちんと接客する晴柊。ただ、いつもの様な愛想をうまく振りまけない。こんな横入客初めてである。金が無いようだったらすぐ帰らせてやる。


「あーまぁ……取り立て屋?あと、この辺に店を何店舗か。」


ああヤクザか、と、晴柊は腑に落ちた。そういった客も珍しくは無い。ただEdeNは会員制かつ客単価が高いため、ゴロツキの成り上がりの様な金のない人たちはそもそも入ることができない。ともなると、幹部クラスの人間か。この辺に店を構えているのに自分の存在を知らないと言うことは、もっと上の立場で――そうだとしたら、さっきの客がこの男に怯んでいたのも頷ける。


この仕事を長くしていれば、嫌でもこういった観察眼は働く。一通り男の成りがわかったところで、晴柊は気を取り直さねばと接客モードに入ろうとする。


「急にびっくりしちゃいましたよ。でも、俺を捕まえられたのはラッキーだったね琳太郎さん。さ、お酒は何呑む?」


口角をあげ、目を細めとびきりの笑顔を見せながら琳太郎を見る晴柊。


「別に猫は被らなくていい。さっきのお前のままで。」


何を言っているんだこの男は、と思うが表情を一切崩さない晴柊。それでは仕事にならない。晴柊は本来の自分と客相手の自分を分け隔てるタイプであった。


「え~猫なんて被ってませんよ~!僕はウサギですよ~なんて――」


頭に付けていたバニーの耳を触りながらヘラヘラと笑い軽い冗談をつく晴柊。すると次の瞬間、晴柊の頬目掛けて、琳太郎は手を伸ばしそのまま強くぐいっと掴んだ。驚いたように目を丸くする晴柊。一瞬、この男はヤクザだから暴力を振るわれるかと思って身体が身構えた。暴力なんて振るったら速攻出禁にしてやる、と、思ったのだが。そのまま琳太郎は、先ほどの有無を言わさないような視線で晴柊を見下ろした。


「やめろ、その胡散臭い笑顔。」

「へ……」


自分の笑顔には自信があったのに。可愛いね、と、褒められることしかなかったのに。晴柊は琳太郎の地雷が未だどこかわからず、戸惑った。頬を掴んでいた手が離れる。じんじんと頬が僅かに痛んだ。なんなんだ、この横暴な男は。


晴柊は気まずそうに黙りながら酒を作った。まずい、何か話さないととは思うものの、いつもの様にうまくいかない。まるで体験入店のキャストかと言わんばかりの沈黙具合。


取り敢えず様式美としてウーロンハイを作り、男に差し出した。


「……どうぞ……」


ウーロンハイなんて飲めるかと怒られるかと思ったが、男は黙って受け取ってくれる。このままではダメだ。イレギュラーではあるし何かと気に食わない男だが、今は自分の客。しっかりもてなさなければ。


「琳太郎さんは、EdeNに来たのは初めてですよね?どうして来たんですか?」

「なんとなく。」


この男、愛想も無ければ会話をするつもりもないのか。何をしに来たんだと晴柊は内心苛立つが、いつものポーカーフェイスで感情を押し殺す。


「じゃあ、僕を指名してくれたのはどうして?」


こんな問いかけもきっと意味無――


「綺麗だった。ここにいる誰よりも、お前が一番。」


晴柊は思わず心臓がトクンと跳ねた。先ほどの相手を縛り付けるような視線じゃない、まるで自分を射貫くかのような真っすぐな男の瞳。


綺麗、可愛い、美しい。どれも言われ慣れ、聞き飽きた言葉なのにどうして自分は今揺らいだのか。琳太郎の顔が良いから?いや、違う。彼の真っ直ぐな目が、晴柊を乙女のように一瞬突き動かした。晴柊に向けられる視線はいつも厭らしく、汚く、品定めするようなものばかりだった。花街、地下街一番の男娼。このくだらない勲章に踊らされた大人たちの視線。琳太郎の視線はそれとは違う。もっと純粋で素敵なものに思えた。


晴柊は思わずハッとし、急いで取り繕う。何心揺さぶられているのだ、しっかりしろ。自分に自制心を掛ける。


「あ、あはは、よく言われます……嬉しいな~。」


はぐらかすようにエヘヘと笑い、まるで意識を逸らすように琳太郎のグラスの水滴を拭いた。


「じゃぁあれですね、お仕事で良く地下にはいらっしゃるんだ。あまり上での仕事は無いんですか?」


地下街は所謂、裏の世界。ヤクザの仕事など腐るほどあるだろう。晴柊は取り敢えず話題を展開させようとする。会話のペースは自分が握らなければ。


「そんなこともない。今日も港で仕事してきた。」

「ミナト……?」


聞いたことない言葉を聞いた、とでも言うように晴柊が首を傾げた。


「港を知らないのか?海だよ、海。」

「海!?」


晴柊が、一つのキーワードに食いついた。一定の距離をまるで保つかのようにしていた2人の距離が、晴柊が飛び掛かる様にして琳太郎に迫ったことで一気に縮まる。まるで幼子のように、瞳を輝かせる晴柊。


「……なんだお前、海見たことないのか?」


晴柊はハッとした。自分が思わず興奮し取り乱していたことに気付き恥ずかしそうに座り直す。もじもじと手を弄りながら、恥ずかしそうに喋りはじめた。琳太郎にはそんな晴柊の素とも取れる様子が、先ほどのまでの取り繕った演技とは違い可愛らしいと思った。


「は、はい……俺、生まれてから一度も地上に上がったことなくて。あ、でも、本とかでは見たことありますよ、海。空も草木も、……太陽だって。実際に見たことは無いけど、存在は知ってる。いいな、海かぁ~…一回でいいから見てみたいな。」


まるで綺麗な海を想像しているのだろうが、琳太郎たちが港で行う仕事というのは、所謂「始末」作業や取引など綺麗とは言い難い仕事ばかりで、海の近くの倉庫だと何かと利便性が良いから利用しているだけである。純粋に海に憧れを持つ晴柊の思うようなものとは違う。しかし、琳太郎は夢見る晴柊に水を差す様な真似はしなかった。


楽しそうに話す晴柊を琳太郎はじっと見つめた。地下でしか暮らせない人間はいても、地上に行くことすらできない人間などそうそう居ない。ましてや、晴柊は相当な額を稼いでいるはず。ともなれば、誰かに強制されているのだろう。琳太郎は直ぐにそこまで推測がついた。


「海くらい連れてってやるぞ。いつでも。」


「え~本当ですか?嬉しいな。……でも、俺、地下を出られないから。」

「どうして。」

「俺とオーナーとの約束なの。ああ、後、これも説明しとかないとなんだけど、本番行為も俺はできない。VIPで指名してもらっても、俺は最後までできない決まりなんです。」


琳太郎は同じ経営者として直ぐにここのオーナーの違和感に気が付く。大層私欲剥き出しのルールだなと思った。しかし、それを強いられている晴柊本人には言わない。晴柊を見て琳太郎は、強いられているというより、疑う余地も無く受け入れているように感じたからだった。


その後、2人は時間を目一杯使い他愛もない話をした。琳太郎は晴柊にベタベタと触れるでもなく、酒を強要するでもなく、ただ静かに晴柊の楽しそうにする姿をただじっと見ていた。晴柊は琳太郎に地上の話をたくさん教えてもらい、まるで仕事を忘れ夢を持つ少年のような笑顔で琳太郎とたくさん話をした。


あっという間に2時間の時間がすぎる。スタッフが延長の確認をしにやってきた。晴柊はここでハッとし、自分の仕事を思い出す。


「どうします?この後、VIPに行きますか?」


晴柊はいつもの様に、「客」を誘って見せた。たいていの客は晴柊と触れ合うことをみすみす逃すような真似はしない。ただ、琳太郎はそれを拒んだ。


「いい、今日は帰る。」


(ああ、帰っちゃうのか……。)


今まで、客に対して感じたことも無い想いが過る。しかし晴柊は未だ無自覚であった。自分が客に普段は抱かない感情を寄せていることに。なんとなく、琳太郎は変な人だという感想だけを持ち合わせて。


「そっか。じゃぁ、お会計はあっちで――」


琳太郎が会計を済ませ、帰り仕度をする。晴柊はその間のことはあまり良く覚えていなかった。ただぽっかりと穴が開いた感覚になった。


(まあ、次回指名は無いだろうなぁ。俺ばかり話しちゃったし……。)


そんなことを考えながら出口まで見送る晴柊。外に出るなり、琳太郎は振り返り晴柊に名刺を渡した。


「はは、そんな寂しそうな顔するなよ。」

「なっ……そんな、」


晴柊は顔を真っ赤にさせた。琳太郎から指摘されたことで、晴柊はやっと自覚する。自分が「寂しがっている」ことに。


「またすぐに会いに来る。今度はちゃんと指名する。じゃあ。」


琳太郎はそれだけ言うと、去って行った。晴柊は琳太郎の姿が見えなくなりエントランスに戻った途端、その場にしゃがみ込んだ。首まで真っ赤にさせて。


自分は琳太郎が帰るのを名残惜しいとでも思っていたのか?VIPまで誘って欲しいと思っていたのか?金のためでもなく、自分の感情で―――。


晴柊はこの仕事を始めて以来、初めての感情を客に寄せていたことに気付くなり恥ずかしさと戸惑いとで立っていられなかった。その様子を見た生駒が、具合が悪いのかと心配して駆けよってくれる。


晴柊の心臓がどくどくと五月蠅かった。


どうしてだろう。別れたばかりなのに、早く、また彼に会いたい。
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