狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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9章

145話 希望の薬

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「お前さん――琳太郎との子どもを産む気はあるか?」

「え……?」


衝撃で晴柊の身体は硬直する。緊張で身体から汗が噴き出そうになる。しかし、一体この高揚感の正体は何なのだろうか。とある日の病院。晴柊と琳太郎の人生は、まさに分岐点に差し掛かろうとしていた。



事の経緯は、琳太郎のひょんな一言から始まった。


「晴柊。九条がお前に話があるらしい。明日篠ケ谷と2人でアイツの病院に出向いてくれるか。」


九条の病院は、琳太郎が撃たれて意識を失った約1か月、毎日の様に通った場所であった。全く問題はないものの、九条が自分にわざわざ話があるだなんて、一体なんだろうか。琳太郎ならまだしも、晴柊にはまるで心当たりが無かった。


「勿論良いけど……琳太郎は?」

「俺は来るなだとよ。」


余計に話が見えなくなる。琳太郎はそれだけ言うと、仕事へと戻ってしまった。何のことか気になるなと、晴柊はソワソワした気持ちを押し込めずにいた。



そして次の日。


晴柊は篠ケ谷と共に九条の病院に向かっていた。道中の車の中で、晴柊は運転席に座る篠ケ谷に話しかけた。


「俺に話って何だと思う?」

「俺が知るかよ。」


篠ケ谷は相変わらず冷たい態度で晴柊の言葉を両断する。晴柊はつまらないと不満気に車の後部座席のシートに凭れ掛かった。琳太郎が来てはいけない理由とは何だろうか。ぼーっと、動く外の景色を窓ガラス越しに眺めながら、晴柊は考えを巡らせた。


間もなく車が九条の病院へと到着する。篠ケ谷の先導に従って晴柊も歩みを進めた。病院に入るなりすぐ九条が出迎えてくれた。


「悪いな、急に呼び出して。」

「いいえ、それは全然……でも、話って?」

「まあまあ、焦るなよ。あっちでゆっくり話そうや。」


九条はそういうと、診察室に晴柊を通した。九条は晴柊の後ろに立った篠ケ谷に目配せすると、篠ケ谷は反抗するでもなく大人しく診察室から出て行った。余計に晴柊の頭が混乱する。まるで、篠ケ谷は事情を知っているかのような素直っぷりだからだ。普段の彼なら悪態の1つや2つ付くであろう場面なのだが。


「それで、早速本題だけど。」

「はい。」

「お前さん――琳太郎との子どもを産む気はあるか?」


晴柊の時が止まる。

コドモ
こども
子ども?


「え……?」


俺は男です。と、口から出そうになるが、九条がまさかそんなことを知らないわけがあるまい。となると、冗談で言っているわけではないのか。いやでも、生物学上男同士で子どもはできないのだ。それは、この世の常識中の常識である。今、その常識が目の前で覆されそうになっていることに、晴柊は混乱せざるを得なかった。


「まぁ、そうなるわな。簡単に説明するぞ。色々あって、俺の手元に一つの新薬がある。それは、男が妊娠できる薬だ。この薬を飲んだからって女になる訳ではない。あくまでも、男の体のままで、子どもを産むことができる。一時的に女性ホルモンの量を増幅させて、着床準備をさせる。その状態でこの新薬を飲むと、あら不思議、男のお前の身体の一部が変化して子宮の役割を担う。そして、妊娠するって訳だ。」


晴柊はにわかにも信じがたい話にただ聞き入るしかできなかった。素人の晴柊にもわかりやすく、かみ砕いて説明する九条。そのお陰で晴柊はすんなりと内容を掴むことはできたが、言葉が出てこなかった。


「そこで、だ。」


紙を見ながら晴柊に説明をしていた九条は、椅子に座り話を聞いていた目の前の晴柊に視線を移す。その視線は晴柊の全てを見抜こうとするような視線に感じた。


「お前さんはどうしたい。アイツとの子どもを産むか?ここにお前さん一人寄こしたのも、琳太郎に左右された返事をしてほしくねえからだ。お前さんが「琳太郎のために」とか、「明楼会のために」産みたいって言うんなら、賛同はできないからな。子どもは時に柵になる。ましてや男同士の間に生まれた子ども。人のためにっていう生半可な理由じゃ、いつかお前さんも、そしてその子どもも不幸になる。俺も裏の世界に両足突っ込みかけてる人間だからなぁ。そういう酷な場面を嫌というほど何度も目にしてきた。だから、俺はお前自身の意志を聞きたい。」


九条は真っすぐ晴柊を見た。ずっと口を閉ざしていた晴柊は、ゆっくりと口を開く。どこか、動揺しているような瞳が、その瞬間、九条には酷く澄んだように変化して見えた。


「俺、欲しいです。琳太郎との子ども、産みたい。こんな奇跡みたいなこと、あるんだって、俺……あの……うまく言えないけど、嬉しい。嬉しいんです。だって、あの人と、俺の血が混ざった命を授かれるってことでしょ?そんなの、幸せすぎるよ。」


晴柊はまるで、興奮したような瞳で、自然と出るがままに言葉を紡いだ。九条にはそんな様子の晴柊が嘘だとは思えなかった。九条は心のどこかで、晴柊は未だに琳太郎に洗脳されて傍にいると考えていた。愛だのなんだのはストックホルム症候群の一つにしか過ぎなくて、晴柊の本心ではないのではないのかと。


しかし、この目の前にいる晴柊がそうだとは思えなかった。いや、もしかしたら今も一種の洗脳状態にあるのかもしれない。けれど、そんな呪いを、幸せへと変換している晴柊を見て、それは気のせいだ、なんて、誰も言える権利が無い。九条はそう思った。


もう少し悩み、動揺し、考え込むかと思っていたが、まさか、こんな即答で言葉が返って来るとは思っていなかった。しかし、少しずつ晴柊の様子が変化する。落ち着いて思考を巡らせた晴柊には、一つあることが気がかりだった。


「あ、でも……俺は、琳太郎との子ども、欲しいけど………琳太郎は、どうだろう。世継ぎさせたくないから、子どもは欲しくないって言ってたし……あの人は、俺との子を望まないかもしれない。」


「もし、アイツがお前さんとの子どもは要らないって言ったら、お前さんはどうするんだ?」


晴柊は少し考え込む。そして、九条の目を真っ直ぐ見返した。この少年は時折、素人とは思えないほど肝の据わった視線を向ける。まるで、19歳になったばかりとは思えない、数々の地獄を経験してきたかのような深い目を。


「そうなったら、俺は―――」

「おい、ちょっと待て。」


その言葉と共に、診察室の奥にある扉を開け現れたのは、琳太郎だった。


「えっ、なんで!?」


同行しないと言っていたはずなのに、と、驚く晴柊。九条は言うことを聞かず出てきた琳太郎にはぁと困ったようにため息を付いていた。


「まだ入ってきていいなんて言ってないぞ、ガキ。」

「もうコイツの気持ちは聞いたんだ、良いだろ。晴柊の答えは俺と同じだった。それなら、最後の質問は必要ないと思うが?ややこしくさせるな、悪趣味なジジイめ。」


琳太郎が九条に噛みつく。


「可愛くねえ奴~。」


晴柊は状況が掴めないとでも言うように、言い合いをする琳太郎と九条を交互にみた。


「悪いな。俺は事前に九条から薬のことを聞いてた。でも、コイツがいうように、お前の本当の気持ちを確認するために黙ってた。晴柊が、誰に左右されるでもなく、どうしたいかを聞きたかったから。」


琳太郎が椅子に座る晴柊の横に膝まづくようにして、声を掛ける。手を握り、下から晴柊に視線を合わせた。


「お前の話はあっちで聞いていた。晴柊、俺はお前との子どもが欲しい。世継ぎは確かに必要ない。だから、子どもは必要ないと思っていた。でも、お前との間に子どもができるのなら、話は別だ。俺は、組を継がせるために子どもが欲しいんじゃない。晴柊との子どもだから欲しい。俺たちの子は、好きなことをさせよう。好きな学校に行かせて、なりたい仕事に就かせよう。」


琳太郎の言葉が、晴柊の心を包んでいく。じんわりと、暖かく、優しい。不思議と、鼻の奥がツンとして涙が零れそうな感覚になる。


「晴柊。俺との子どもを、産んでくれるか?」


晴柊は、ぎゅぅっと琳太郎の手を握り返すと、ゆっくりと頷く。


「勿論!……嬉しい、俺……琳太郎と、家族を作りたい。」


晴柊はとびきりの笑顔を見せた。琳太郎もまるで、釣られる様に、小さく笑みを浮かべる。九条はこんな琳太郎の顔は見たことが無いと思った。この話を琳太郎に持ち出した時、琳太郎もまた、晴柊と同じように迷いなく答えを出した。希望と期待と、この上なく幸せだと言わんばかりの顔をしたことを、九条は忘れられないでいた。


しかし、2人の幸せムードに釘を刺すように、九条はしっかりと医者としての役割を果たす。


「ただ、勿論リスクもあるんだからな。何せ表立った前例がない。勿論俺も全力を尽くすが、仮に妊娠に成功したとして、子どもも母体の晴柊、お前さんも、無事である保証は無い。」

「わかってます。俺、大丈夫です。不思議と怖くない。琳太郎と生まれてくる子どものために、頑張りたい。」


琳太郎は浮かない顔ではあるが、晴柊は直ぐに答えを出した。大丈夫と語りかけるように、琳太郎の握っていた手をぽんぽんと揺らす。


「そんな不安そうな顔するなよ。俺は琳太郎をおいてどこかに行ったりしないよ。約束する。」


九条は、なんて無責任で残酷な言葉なんだと思った。しかし、琳太郎はそんな晴柊の言葉を飲み込みまるで聖母を信じる信者のようにそれを受け入れた。九条は琳太郎が晴柊を洗脳した、というところばかりに意識が言っていたが、これはどうやらそんな一方的な感情絵ではないらしい。寧ろ、琳太郎が洗脳されているとすら思わせる、この歪なのに美しい愛情を目の当たりにし九条は胸やけしそうになった。


「じゃぁ、合意は取れたってことで。詳しい説明するから、よく聞けよ。」


リスクの話を聞いても尚、晴柊は不思議と怖くは無かった。ただただ、あまりの嬉しさから浮つきそうになる心を必死に抑え込んだ。
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