狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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8章

138話 痛い

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「琉生!!」


九条の診療所に榊、天童、篠ケ谷、日下部が到着する。一足先に来ていた遊馬は琳太郎が眠る部屋の前で待機していた。榊が掴みかかる勢いで遊馬に問いかける。


「組長は!?容態はどうなんだよ!!」

「落ち着け、トラっ……!」


天童が榊の肩を掴み取り乱しそうな榊を必死に抑えた。


「病院では静かにしろ~お前ら。」


一行の元に九条が現れる。カルテを手に取り、至って冷静にペラペラと捲っている。九条にとっては最早慣れている現場なのであろう。さらにどんな不幸か、九条にとって琳太郎が怨恨のうえに刺された場合の手当をしたことは今回で2回目であった。こんな危険な目にあう琳太郎はヤクザとしての性なのだろうか。全く、とことん運がない奴だと九条は思った。


ただ決定的に前回と違うのは、重症具合である。刺し傷が深い上に、2箇所も刺されている。運ばれてきた時には既に失血多量でかなり危険な状態であった。


「おい九条、組長はっ……!」


篠ケ谷が九条に問いただす。


「意識不明の重体。峠は越えたが、正直油断を許さない状況だ。……いつ、急変するかもわからない。」

「それって……最悪な事態もあるってことか?」


天童が自制心を掛けるように、できるだけ落ち着いた声色で聞く。みんながみんな、動揺しているのは間違いなかった。


「お前らには、覚悟をしておいて欲しい。」


全員が息を呑んだ。遊馬は一足先に状況を聞いていたのか、ただただ静かに、椅子に腰かけている。静まり返る廊下。こんな状況でも一番の側近である日下部は、冷静沈着に状況を整理していた。


「晴柊さんは?」


九条が黙ったまま親指で琳太郎の眠る病室を指す。手術が終わるや否や、晴柊は片時も琳太郎の傍から離れようとはしなかった。日下部が病室をノックする。返答は無いが静かに中へと入った。


「……」


晴柊はただ力なく椅子に座り、琳太郎の手を握っていた。琳太郎から握り返されることは無く、ただただ手を触るようにして。酸素マスクを着け、あらゆる管で繋がれている琳太郎は正に、生死を彷徨っている様だった。ピッピッという機械音だけが響いている。

あれからリクは厳重に拘束されている。長である琳太郎が目を覚まさない以上、下手に処分を下すことはできないでいた。リクはホテルの部屋のベランダから隣の部屋へと移り、脱走を図っていた。こんな血迷った行動をするだなんて。日下部が想像する以上にリクが組長に依存していたことに、遅すぎるタイミングで理解することとなった。


「晴柊さん、お怪我はありませんか。」


日下部が晴柊の1歩後ろに立ち声を掛ける。静かに他のメンバーも中へと入った。晴柊はゆっくりと頷いた。琳太郎が守ってくれたのだ。自分にはかすり傷一つない。


琳太郎の治療が終わり、ここに座ってから1時間も経っていない。それなのに、すごくすごく時間が長く感じていた。晴柊もまた、遊馬と同じく琳太郎の容態について説明は受けていた。もしかしたら、目を覚まさないかもしれない。急変するかもしれない。もう、手一杯だった。


「この病室には護衛が付きます。これ以上危険には晒さないよう、私たち組員が総力を挙げて組長をお守りします。晴柊さん、貴方は一度屋敷に戻って休んでください。」


「嫌だ。ここにいたい。」


晴柊が声を絞り出すようにして答える。自分がここにいないと、琳太郎が先にどこかへ行ってしまいそうだと思った。取り乱すでもなく泣き喚くでもない晴柊の様子が余計に痛々しかった。


晴柊を残しもう一度全員が一度病室の外に出て今後について話し合う。明楼会も混乱状態。さらにこの状況が外部に漏れれば敵対組織に奇襲される可能性すらあった。とにかく、組員たちは悲しみに打ちひしがれている間もないまま動かなければならなかった。


遊馬がこのまま見張り役につき、他は各々役割へと向かって行った。病室に遊馬と晴柊の2人だけになると、またシンとした空気が流れる。


晴柊はいつかの琳太郎との会話を思い出していた。


”琳太郎って、喫煙者なのにあんまり家で煙草吸ってるところ見ないな。家は禁煙なのか?”
”お前がいるからだ。”
”え、俺煙草の煙平気だよ?”
”……身体に悪いだろ。”


琳太郎、俺はアンタが居ないと長生きする意味なんてないんだよ。俺より先に死なないって言ったばかりなんだから、嘘つかないでよ。


「琉生君。」


晴柊が後ろにいる遊馬に声を掛ける。琳太郎の温かい手を握りそこを見つめたまま、ぽそりと呟いた。


「……もしものことがあったら、俺も琳太郎と一緒に死なせて。」


冗談にしては縁起が悪すぎる。晴柊は冗談で言っている訳でも、おかしくなった訳でもなかった。ただただ、本心で本望である。遊馬は一瞬動揺するが、ふと床に視線を移して答える。


「もしかしてなんて起きない。起きないよ。」


遊馬は晴柊に、そして、自分に言い聞かせた。



晴柊が目を覚めると、朝になっていた。椅子に座ったまま、琳太郎の眠るベッドに頭を乗せ腰を折るようにして寝落ちしていたみたいだった。自分にはブランケットが掛かっていた。入り口のドアのすりガラスには人影が見える。遊馬が見張ってくれているのだろう。このブランケットもきっと彼が掛けてくれたに違いない。


目を覚ましても、太陽が昇っても、琳太郎はきのうのままずっと眠っていた。ただでさえ朝が弱くて寝起きが悪いんだ。今日も随分寝坊している。


晴柊がぼーっと琳太郎を見つめていると、ガラガラと扉が開く。


「おはようさん。」


九条だった。一夜明け、琳太郎の様子を見に来たのであろう。触診し、バイタルサインを確認する。


「特に変わり無し。山場は越えたんだし、お前さんも一旦帰ってゆっくり休みな。」

「先生。」


晴柊の澄んだ声が病室に響く。昨日、琳太郎の手術が終わってから、晴柊は取り乱すでもなく冷静に九条の話を聞いていた。その瞳は虚ではあったが、まるで運命を受け入れる天使の如く静かであった。


「何だ?」

「苦しい。苦しいんです、ずっと。」


九条は自分が誤解していたことに気がつく。
晴柊はこの現実受け入れられたわけじゃない。絶望していたのだと。


「痛くて、苦しくてたまらない。傷はひとつもついていないのに。もし、このまま、琳太郎が俺を置いていったら……俺は…………」


晴柊の瞳から涙が溢れた。恐ろしく真っ黒だった瞳に、皮肉にも涙で光が入り込んだかのように輝きが取り戻される。


生きて欲しい。


目を閉じかすかに呼吸を続ける琳太郎に、晴柊は願いを込める。
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