狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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2章 寄り添い

29話 ミッション

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晴柊の腕が試される時が来た。24時を回った時刻に帰ってきた琳太郎は、いつも通り晴柊を抱き潰した。仕事で疲れているはずなのに、琳太郎の性への執着と体力は無限なのではないかと思わせる。むしろ、一日ゆっくりしているはずの晴柊のほうがぐったりしているのだ。しかし実際それは晴柊だから発揮されているということを、当の晴柊本人は気付いていなかった。


「風呂行くぞ。」

「ああ、うん。」


晴柊がぐったりしていると、いつものように抱きかかえられ風呂場に連行される。ここから晴柊のミッションはスタートしていた。人間は風呂にゆっくり浸かったあとよく眠れるものだろうと思い、晴柊はいつもシャワーで済ませる琳太郎を風呂に浸ける作戦でいた。
晴柊が処理をしている間、琳太郎は浴槽の淵に腰掛けそれを見ている。


「なぁ、見てていいからさ、風呂入って見てなよ。寒いだろ。」

「いや、このままでいい。こっちの方がよく見える。」

「………。」


早速失敗だ。先が思いやられる。


結局そのまま琳太郎は一度も湯船に浸かることなく、晴柊だけが身体がホカホカ状態になっただけで風呂場を後にすることになった。しかし、これで晴柊の作戦は終わりではない。風呂から上がると晴柊は寝室に連れていかれそうになる前に、琳太郎に「水が飲みたいから冷蔵庫に連れて行ってくれ。」と、頼んだ。


「作戦2 ホットミルクで心も体もポカポカ」である。


事前に買ってもらっていた牛乳が冷蔵庫に入っており、それをマグカップに注いだ。はちみつを少し混ぜ、電子レンジにいれる。昔、眠れない晴柊に祖母が良く作ってくれた。夜に甘いものを飲むという少しの背徳感が、幼い晴柊のちょっとした贅沢だった。そして、まじないにでもかかったかのように、その後ぐっすりと眠りにつくことができるのだ。


琳太郎は不可解そうにしながらも、晴柊がそこにいろと言うので渋々付き合った。電子レンジがチンッという音を鳴らすと、湯気を立たせて熱々のホットミルクが二つ出来上がる。


「ほら、飲んで。美味しいよ。」

「…。」


琳太郎は晴柊のいつもと違う様子に気付いてはいたが何も言わなかった。何か考えているな、とは思ったが「悪いこと」を企んでいる様子にも見受けられないし、と思いながらホットミルクを啜った。晴柊はにやにやとした表情でそれを眺めていた。あまりにもわかりやすい。空になったマグカップを見て、晴柊が満足そうにそれをシンクに戻すと、琳太郎の手を引いた。


「な、うまかっただろ?身体温まって気持ちよくなった?ほら、じゃあ寝よ。」

「おい待て。俺はこれから仕事に行くぞ。」

「別にその仕事今やらなくていいやつなんだろ。日下部さんが言ってた。今日はゆっくり寝て明日やればいいじゃん。」


最近晴柊も日下部も自分の体調を度々気遣う様子が見て取れた。そういうことか、と頭の中でパズルのピースが合わさった琳太郎だったが、気付けば寝室に来ていた。しかし、琳太郎は眠る気にはなれないでいた。結局眠ることはできないとわかっていたからだ。昔からの不眠体質がそう簡単にどうにかなるものではない。


「日下部に頼まれたか?別にお前にいらん気を回されなくても大丈夫だ。」


琳太郎が晴柊に少し冷たく当たる。晴柊は少し間をおいて、少しずつ、だがしっかりとした声で喋りはじめた。

「…そうだけど、違うよ。日下部さんに頼まれたけど、お前に寝て欲しいって思ってるのは本当。そんなんじゃ、いつか倒れちゃう。俺の元に来れなくなっちゃうかもしれないだろ。…………それに……いつも終わった後すぐ仕事行っちゃうの、アンタが揶揄うように聞いてくるから何も言わなかったけど、ちょっと寂しいって思ってるよ。たまにはゆっくりしてくれたって――。」


琳太郎の言葉に晴柊は苛立ちを覚えた。自分を蔑ろにして、自分のことを必要としていないとも取れるその言葉に。そして、自分だけが琳太郎を求めていて、琳太郎はそうではないとも思わせたことに。


そう思うと晴柊は本音が止まらなかった。言うつもりがなかった気持ちまで零してしまう。すると、それを聞いていた琳太郎が晴柊の声を遮るようにしてベッドの上に押し倒した。晴柊は急に自分がベッドの上に押し倒され視界が天井を捉えたことに驚いた。身体をすぐに起こすと、琳太郎が着直していたジャケットを脱いでいた。そして晴柊が乗るベッドに入ってくる。


「え、えっ。」

「なんだ?一緒に寝ろと言ったのはお前だろ。」


驚いた様子を見せる晴柊に琳太郎が声をかける。それはそうなのだが、こんなにも自分の言葉を飲み込んで素直に聞いてくれるとは思わなかった。晴柊は自分が望んだことながらそれに従う琳太郎に驚く矛盾する気持ちを抱き、早速布団に入り横になる琳太郎の隣に寝転がった。


琳太郎は、晴柊の言葉に心が揺さぶられていた。きっかけは日下部でも、晴柊が自分に向き合ってくれようとしてくれたことが年甲斐もなく嬉しかった。


晴柊は、なんだか不思議な感じに落ち着かない様子だった。この体勢で琳太郎を見ることは今までなかったし、この布団の中に2人分の体温が廻ることも初めてだった。広すぎるベッドが、いつもよりは狭く感じることが心地良い。琳太郎が少し遠慮気味に距離を取る晴柊をグッと抱き寄せた。風呂に入ったばかりだというのに、いつもの琳太郎のタバコと香水の香りがする。晴柊は思わず緊張で身体を強張らせていた。腕も足も、どうしたらいいのかわからない。


「…体、ガチガチすぎだろ。」

「う、うるさいな…!早く寝ろよ!」


晴柊が耳まで真っ赤にして、顔を琳太郎の身体に押し当て隠すような仕草をする。何度も裸を見せ合い恥ずかしいことをした仲であるのに、まだこんなことで照れているのかと琳太郎は小さく笑うと、自分の胸元に額を当てる晴柊の頭にそっと手を添えた。


琳太郎の胸から規則正しい心臓の音が聞こえる。落ち着く。目を閉じても、体温と匂いが彼がいることを主張し安心させてくれる。こうして誰かと寝るのは祖母と暮らしていた頃以来のことだった。


しばらく晴柊の髪の毛を弄るようにしていると、晴柊から規則の正しい息が聞こえる。人のことを寝かしつける気でいたのではなかったのか、と思わず次は声を出して笑いそうになったが、なんとか堪えた。少し身体を離し、晴柊の顔が見えるように起こさないようゆっくり身体をずらす。


仕事は自分の気を引き締め、余計なことを考えなくて済むためいつも必要以上にこなすようにしていた。晴柊がやってきてからは、より一層のめり込むことでできるだけ2人の時間を確保してきた。しかしそれは眠れない自分を誤魔化すためためでもあった。


まさか、晴柊からあんな言葉を聞くとは思わなかった。晴柊が、自分の意志で琳太郎を労わり、自分の感情を言葉にした。


横で安心しきった顔で眠る晴柊を見て、琳太郎は心が安らいでいくのが分かった。以前晴柊を犯す度感じていた優越感とかではない類の執着心を彼に抱いていることに気付く。


眠りについた晴柊がもぞっと動く。そして眉間に皺を寄せると、寒い、とでもいうように琳太郎にぴったりとまたくっついた。琳太郎が晴柊の顔を見ようと空けた間を埋めるように。晴柊が先に寝たのを見計らってすぐに仕事に戻るつもりであったが、この状況に琳太郎は自分の心が満たされていくのを感じた。仕事で埋めていた穴が、それよりももっと温かい何かで埋められていく。セックスではない方法で。


そっと目を閉じてみる。晴柊の僅かな呼吸が聞こえる。風呂上がりの石鹸の匂いがする。寝室はかつてないほど静かで穏やかだった。
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