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1章 はじまり
17話 予兆
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この場所に監禁され、約1か月が経過した。琳太郎と同様に、晴柊にも気持ちの変化が見られた。しかし、それは琳太郎が晴柊に対する執着と欲望を自覚したのとはまるで正反対の変化であった。
晴柊は、琳太郎に抱かれるたびに自分の身体が自分のものでなくなる感覚に、誰もが想像している以上にストレスを抱いていた。
晴柊は祖母と死別し孤独になってから、どんなに辛いことがあっても、自分だけがいつまでも自分にとって一番の味方であり理解者であると思うことで、精神のバランスを保ち続けていた。
自分は自分を裏切らない。
祖母は自分のことを「おまえは悪くない、優しい子」と言ってくれた。
自分はまともな人間になれている。
だから、自分さえ諦めなければ、負けなければ、野瀬晴柊は大丈夫。
晴柊があの家庭環境で非行少年に傾かなかったのは、このマインドが全てであった。
しかし、この監禁生活が続き晴柊のすべてが薊琳太郎の支配下になったことで、晴柊の絶妙に保たれていたものが音を立てて崩れ始めていた。自分の一つを形成する身体が、自分の言うことを聞かないで琳太郎の言うことを聞くようになっている。
「気持ちいい」という普通の人間が受け取って喜ぶはずの快楽が、今の晴柊にとってはただただ身体が自分の所有下から離れていっていることを自覚させるものであり、嫌悪でしかなかった。
いつか心まで彼のもとに堕ちるのではないだろうか、と考えると、自分が自分でなくなる未来がみえてくる。晴柊にとってそれは、暴力や死よりも「恐怖」だった。
琳太郎ですらそれに気付いていない晴柊がそれに苦しめられていることに、唯一気付いていたのが篠ケ谷であった。監禁こそされてはいないが、篠ケ谷も似た経験をしているからであった。篠ケ谷は元々裕福な家庭に生まれ育ったが、父親の会社が倒産し、家族はあっという間に借金にまみれた。優雅な暮らしから地べたを這うまでは一瞬であった。そこから風俗へと身を沈め、数年働いたのちにヤクザの組員として琳太郎の下についた。
身体を他人に差し出し、快楽に支配されていくということは、己の人格そのものをじわじわと蝕んでいく。頼れるものが自分自身のみである者であればあるほど、それは自尊心を傷つけられたことによる苦痛や身体的な苦痛とは異なる、「おぞましいもの」となって本人を襲い、本当の「孤独」を味わうことになる。
晴柊は、きっとそれに耐えられない。あれほど他に頼らず生きてきた人間ならば、すぐにガタが来る。
その証拠に、晴柊は篠ケ谷をはじめとする見張り役の組員たちに笑顔を多く見せ、たくさん話しかけるようになった。連れてこられた当初とは全く違う。篠ケ谷は、それが本来の自分を忘れないための繕いだということを見抜いていた。決して組の者に心を許しきったのではない。
今思えば2人でオセロをしたときが、始まりだったのだろう、と篠ケ谷は思うとあの時の判断は間違っていたのかもしれないと少し後悔した。
琳太郎は晴柊のまだ不安定な精神を、単純な監禁によるストレス・死への恐怖・性暴力への苦痛によるものだと勘違いしているようだが、それは決して琳太郎が無能なわけではない。
この苦痛は、身体・人格・意志、自分を形成するすべてを他に理不尽に奪われたものにしかわからない。ましてや、生まれたときから今の今まで、人を支配し続ける側として君臨してきた薊琳太郎には決して想像のつかないことだろう。
しかし、琳太郎に忠誠を誓う篠ケ谷は、そのことを琳太郎には報告していなかった。晴柊の精神の追い込み方は、琳太郎の想像しているその堕ち方とは違う。そのため、報告することが妥当だった。
琳太郎の思う支配下に堕ちることであれば、何ら問題はない。壊れたおもちゃの様に感情を失おうと動物のようになろうとも、琳太郎の支配に対する抵抗が無くなることは、彼の本望である。
しかし、晴柊の場合は違う。
彼は自らのストレスに耐えきれなくなったとき、それらを避けるために最悪の手段にでるだろう。
――逃亡だ。
晴柊はきっとまだわかっていない。薊琳太郎という人物が常人が持ち合わせているはずのものが欠落し、常人が持ち合わせていないはずのものを持っていることに。だからきっと、いつかタカがはずれると、晴柊はその行動に走る。
そしてそれは、決して遠い未来ではない。
でも、篠ケ谷は報告できなかった。理由は2つある。1つ目は、それを証明する術がなかったからだ。晴柊が何か怪しい動きでも始めればわかるものの、篠ケ谷のこの考えは、他からすればただの「憶測」にしかすぎない。しかし、逃亡の危険性が少しでもあると加味したのならば自己判断で報告を取りやめるべきではなかった。2つ目の理由が、篠ケ谷の琳太郎に対する忠誠心を揺らがせたものであった。
2つ目は、――――――。
この場所に監禁され、約1か月が経過した。琳太郎と同様に、晴柊にも気持ちの変化が見られた。しかし、それは琳太郎が晴柊に対する執着と欲望を自覚したのとはまるで正反対の変化であった。
晴柊は、琳太郎に抱かれるたびに自分の身体が自分のものでなくなる感覚に、誰もが想像している以上にストレスを抱いていた。
晴柊は祖母と死別し孤独になってから、どんなに辛いことがあっても、自分だけがいつまでも自分にとって一番の味方であり理解者であると思うことで、精神のバランスを保ち続けていた。
自分は自分を裏切らない。
祖母は自分のことを「おまえは悪くない、優しい子」と言ってくれた。
自分はまともな人間になれている。
だから、自分さえ諦めなければ、負けなければ、野瀬晴柊は大丈夫。
晴柊があの家庭環境で非行少年に傾かなかったのは、このマインドが全てであった。
しかし、この監禁生活が続き晴柊のすべてが薊琳太郎の支配下になったことで、晴柊の絶妙に保たれていたものが音を立てて崩れ始めていた。自分の一つを形成する身体が、自分の言うことを聞かないで琳太郎の言うことを聞くようになっている。
「気持ちいい」という普通の人間が受け取って喜ぶはずの快楽が、今の晴柊にとってはただただ身体が自分の所有下から離れていっていることを自覚させるものであり、嫌悪でしかなかった。
いつか心まで彼のもとに堕ちるのではないだろうか、と考えると、自分が自分でなくなる未来がみえてくる。晴柊にとってそれは、暴力や死よりも「恐怖」だった。
琳太郎ですらそれに気付いていない晴柊がそれに苦しめられていることに、唯一気付いていたのが篠ケ谷であった。監禁こそされてはいないが、篠ケ谷も似た経験をしているからであった。篠ケ谷は元々裕福な家庭に生まれ育ったが、父親の会社が倒産し、家族はあっという間に借金にまみれた。優雅な暮らしから地べたを這うまでは一瞬であった。そこから風俗へと身を沈め、数年働いたのちにヤクザの組員として琳太郎の下についた。
身体を他人に差し出し、快楽に支配されていくということは、己の人格そのものをじわじわと蝕んでいく。頼れるものが自分自身のみである者であればあるほど、それは自尊心を傷つけられたことによる苦痛や身体的な苦痛とは異なる、「おぞましいもの」となって本人を襲い、本当の「孤独」を味わうことになる。
晴柊は、きっとそれに耐えられない。あれほど他に頼らず生きてきた人間ならば、すぐにガタが来る。
その証拠に、晴柊は篠ケ谷をはじめとする見張り役の組員たちに笑顔を多く見せ、たくさん話しかけるようになった。連れてこられた当初とは全く違う。篠ケ谷は、それが本来の自分を忘れないための繕いだということを見抜いていた。決して組の者に心を許しきったのではない。
今思えば2人でオセロをしたときが、始まりだったのだろう、と篠ケ谷は思うとあの時の判断は間違っていたのかもしれないと少し後悔した。
琳太郎は晴柊のまだ不安定な精神を、単純な監禁によるストレス・死への恐怖・性暴力への苦痛によるものだと勘違いしているようだが、それは決して琳太郎が無能なわけではない。
この苦痛は、身体・人格・意志、自分を形成するすべてを他に理不尽に奪われたものにしかわからない。ましてや、生まれたときから今の今まで、人を支配し続ける側として君臨してきた薊琳太郎には決して想像のつかないことだろう。
しかし、琳太郎に忠誠を誓う篠ケ谷は、そのことを琳太郎には報告していなかった。晴柊の精神の追い込み方は、琳太郎の想像しているその堕ち方とは違う。そのため、報告することが妥当だった。
琳太郎の思う支配下に堕ちることであれば、何ら問題はない。壊れたおもちゃの様に感情を失おうと動物のようになろうとも、琳太郎の支配に対する抵抗が無くなることは、彼の本望である。
しかし、晴柊の場合は違う。
彼は自らのストレスに耐えきれなくなったとき、それらを避けるために最悪の手段にでるだろう。
――逃亡だ。
晴柊はきっとまだわかっていない。薊琳太郎という人物が常人が持ち合わせているはずのものが欠落し、常人が持ち合わせていないはずのものを持っていることに。だからきっと、いつかタカがはずれると、晴柊はその行動に走る。
そしてそれは、決して遠い未来ではない。
でも、篠ケ谷は報告できなかった。理由は2つある。1つ目は、それを証明する術がなかったからだ。晴柊が何か怪しい動きでも始めればわかるものの、篠ケ谷のこの考えは、他からすればただの「憶測」にしかすぎない。しかし、逃亡の危険性が少しでもあると加味したのならば自己判断で報告を取りやめるべきではなかった。2つ目の理由が、篠ケ谷の琳太郎に対する忠誠心を揺らがせたものであった。
2つ目は、――――――。
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