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ACT09:「武装展開」
しおりを挟む□王国北部・カッシーニ辺境伯領・北辺の街ケイロウ
カンラから東へ三千里を隔てた辺境の北辺。昼間。運河のほとり、山麓の外縁に沿うように木造の古めかしい家屋が並ぶ小さな街。地面は舗装されておらず、牛車がのんびりと幅の広い往来を行き交う。
□ケイロウ・庁舎
木造のがっしりした平屋敷風の役場。その門前。複数の馬車が慌しく出入りしている。
□庁舎・執務室
広い木壁の執務室。奥には書類の山が積まれた執務卓、それに向かってひとりペンを走らせている壮年男性。ケイロウの行政官。
ドアが開き、若い役人が部屋へ飛び込んでくる。
役人「行政官どの! 失礼します!」
行政官「どうした」
役人「帝国軍が攻めてきました!」
行政官、ゆっくりと振り向く。
行政官「なに? おい、いきなり何の話だ」
役人「ですから、帝国軍が攻めてきたんです! もう、壁のすぐ近くまで来ています! すごい大軍で!」
行政官、眉をひそめる。
行政官「本当か? それは本当に帝国軍なのか? 野盗の群れではなく?」
役人「間違いありません。関門の上から、この目で見てきました。帝国の旗をいくつも掲げて、平原を埋め尽くすような、すごい数の軍勢でした!」
行政官「ばかな」
行政官、驚愕の表情で椅子から立ちあがる。
行政官「和約を破って攻めてきたというのか? 信じられん……! そもそも傭兵団は何をやっていた。壁向こうの見張りは、連中の仕事だろうに」
役人「それが、数が違いすぎるといって、戦いもせずに、山のほうへ逃げてしまいました」
行政官「なんたることだ、あの穀潰しども! では領兵隊は!」
役人「まだ宿舎で待機中です。それで行動の許可をいただきにまいったのです」
行政官「わかった、許可する! 本当に帝国軍なら一大事だ、さっさと関門を守りに行け!」
役人「わかりました!」
役人、大慌てで部屋を出て行く。
行政官「いや、慌てることはない。どんな大軍だろうと、あの関門はそうそう越えられまい。だが傭兵どもが逃げ出したことは、領主様にご報告せねばな」
□王国東北部・カッシーニ辺境伯領の北壁関門
昼間。高さ五丈(15メートル)、厚さ二丈余の方形防壁を備える堅固な関門。その上に立ち並んで弓矢を射る領兵隊。北側から雲霞のごとく関門へ押し寄せる帝国軍数万。関門左右の防壁によじ登ろうと躍起になっている。壁上、A級戦装束をまとう領兵隊長が防御の指揮を執っている。
領兵隊長「寄せつけるなッ! 射よ! 射よ!」
領兵A「数が多すぎます! このままでは!」
領兵B「隊長! あれを!」
領兵Bが平原を指さす。その先に、屋根付きの巨大な荷車が砂煙をあげて進んでいるのが見える。屋根から複数のロープで丸太を宙に吊り下げており、数十人の兵が後ろから荷車を押して移動させている様子。それが二台、列をなして、関門めざして進んでいる。丸太の先端には鋼鉄製の円錐が嵌め込まれている。
領兵隊長「破城槌だとッ!」
領兵隊、防壁上からひたすら弓矢を降り注がせるが、屋根付きの荷車二台は小揺るぎもせず進み続け、関門の手前に到達。帝国兵ら十数人が荷台にあがって丸太に取り付き、高さ二丈の鉄の門扉めがけ、二台並んで、左右同時にそれぞれ丸太を打ち付ける。鋼鉄の円錐が関門を何度も打ち叩き、鈍い轟音とともに鉄の門扉がひしゃげてゆく。領兵隊はなす術もなく立ちつくす。ほどなく門扉は無残に変形して左右に開かれた。ドッと帝国兵の歓声があがる。開かれた関門へ、煙が吸われるように帝国の真っ黒い兵列が押し寄せ、壁の向こう側へと入り込んでゆく。
壁上では領兵隊が対応に迷い、右往左往している。隊長が叫ぶ。
領兵隊長「もういかん! 全員いますぐ降りろ! 撤退だっ!」
□平原・帝国軍・中軍
帝国軍の行軍陣中。数千の兵が整列するなか、黄金の戦装束をまとうシレザ将軍が戦況を静観している。そこへ馬で駆け寄ってくる伝令。
伝令「前衛が関門を突破しました!」
シレザ将軍「敵は?」
伝令「街のほうへ後退した模様であります!」
シレザ将軍「よろしい、ではモルビンに伝えよ。我らもすぐに向かう。関門の周囲を固め、そこで我らを迎えよ、と」
伝令「はっ!」
伝令、踵を返して駆け去る。
副官「なぜモルビンを止めるのです? 偵察資料によれば、ケイロウはほんの小さな田舎町です。モルビンの手勢だけで楽に制圧できましょう」
シレザ将軍「それでは皆殺しだ。せめて住民に、逃げ出すか降伏か、考える時間ぐらい与えねば」
副官「ああ。そういうことですか」
シレザ将軍「無人の焦土などに何の価値がある。大貴族の方々は、民というものが勝手にそこらへんから生えてくると本気で思っておられるようだが」
副官「自分も、自由民でありますから」
シレザ将軍「なら、理解できよう」
副官「はい」
シレザ将軍、馬に飛び乗って号令をかける。
シレザ将軍「前進! 関門めがけて全軍前進!」
帝国軍、喚声をあげて前進を開始する。
□王国北東部・ルバイヤ辺境伯領・大関門
ケイロウからさらに東へ二千里を隔てた、王国北東、海に面した辺境領。その北辺にそびえる巨大二重関門。
今しも帝国軍の大軍が関門左右の防壁に取り付きかけている。帝国軍は高櫓を備えた特殊な車両を前面に押し出し、その高櫓から防壁上に板を渡して帝国兵らを続々と壁上に送り込んでいる。
□防壁上
帝国兵らと領兵隊が剣を抜き、喚声とともに白兵戦を繰り広げている。銀の戦装束をまとう帝国軍指揮官が手近な領兵を斬り倒しながら声を張り上げる。
帝国軍指揮官「おまえら、さっさと降りるんだよ! そっちにハシゴあるだろ! 門を内から開けろ!」
帝国兵らが続々とハシゴを降り、壁の向こうへ降り立ってゆく。
ほどなく、二重の鉄門扉が、ほぼ同時に開きはじめた。
□平原・帝国軍総本営
大規模な方形陣の中心、銀の波のような兵列に囲まれ、黄金の戦装束をまとって戦況を観望するドヌルベイ総司令とノイシュ将軍。
ノイシュ将軍「開いたようですな」
ドヌルベイ「いま少し手古摺るかと思ったが、こうも脆いとは。このぶんならば、エンシーの制圧も時間の問題であろうな」
ノイシュ「このまま進撃いたしますか」
ドヌルベイ「無論だ。ここからエンシーまで、途中にある都市、集落、城砦、すべて焼き払いながら進軍する」
ノイシュ「敵の物産などは勘定に入れませぬか?」
ドヌルベイ「輜重は本国から充分に確保してある。無用だ。むしろ、下手に抵抗勢力を残しておくと、後々、背後からその兵站を脅かされかねん。大軍ゆえに、かえってそれが全軍の崩壊にも直結する。無情といわれようとも、敵に一切仮借してはならぬ」
ノイシュ「物資の接収などは」
ドヌルベイ「それは適宜、現場の判断でやれ。火をかける前にな」
ノイシュ「承知しました」
二人、同時に騎乗する。
ドヌルベイ「進軍せよ!」
帝国兵「おおーっ!」
ドヌルベイ総司令の号令に応え、津波のごとき鬨の声をあげ、帝国軍本営が一斉に進軍を開始する。
□ルバイヤ辺境伯領・中心街アルバ
夜。激しく炎上する都市。帝国兵らが列をなして市街を蹂躙している。領兵隊は大軍に囲まれて一方的に殲滅虐殺され、炎の中を逃げ惑う市民が次々と帝国兵に捕縛されていく。
ルバイヤ辺境伯は一族を連れて馬車で逃げ出すところを帝国軍に囲まれ、一族まとめて馬車から引きずり降ろされる。
大勢の市民が捕虜となり、数珠繋ぎにいずこかへ連行されていく。それら市民のなかで、赤い目の人々だけは隔離されて広場に集められ、そこで老若男女問わず衣服を剥がれ、無理矢理首輪と手枷を嵌められて、泣き喚きながら檻車へと押し込まれてゆく。
□メンティス辺境伯領・城砦都市カンラ
昼間。平和な城砦都市の遠景。
□領主の館・門前
門前の停まった三両の馬車に分乗してゆく監察使一団。見送りに立つメンティス辺境伯とネリル。
ブラン子爵「すっかりお世話になりましたな」
オドア男爵「お名残り惜しいことです」
メンティス「いえいえ、かくも慌しいご出立とは。なにもお構いできませんで。陛下にはよしなに」
エレオノール「ネリル。きっとまた来ますからね」
ネリル「ええ。でも、本当にこれで良かったのですか」
エレオノール「あのお宝のことは、もちろん諦めていません。けれど、優先すべきことはわきまえてます」
ネリル「戦争が、始まってしまったのですね」
エレオノール「マクダフ様がいらっしゃいます。レノクスも。きっと大丈夫」
ネリル「ふふふ。レノクスくんのこと、ちょっと気に入ったようですね?」
エレオノール「その……ちょっとだけ。本当は、一緒に王都へ連れて行きたかったのですけど……さすがに、言えませんでした」
ネリル「また来るのでしょう?」
エレオノール「必ず!」
力強くうなずくエレオノール、微笑むネリル。
慌しく馬車で駆け去っていく一行。それを見送りつつメンティス辺境伯が訊く。
メンティス「何の話だ?」
ネリル「新しいお宝を見つけたんですよ、殿下は」
□傭兵団の砦・食堂
大勢の傭兵たちでごった返している。
傭兵A「ええ、酒ないの?」
傭兵B「エールぐらいさぁ」
ヤミィ「昼間っから何いってんの!」
傭兵C「おお、揺れてる揺れてる」
ヤミィ「他に見るとこないんか!」
傭兵D「おぉい、スープくれー!」
その片隅でレノクスたちも食事中。なぜかメルンもいる。
スデルト「肉だ! 肉ー!」
メッカ「どんだけ肉好きなの!」
エンギ「イモもうまいよ!」
カラハ「ああ、俺はそっちのほうが好みかな」
メルン「レノー、これ割ってー」
レノクス「うん、ちょっと待ってて」
レノクス、クルミを人差し指と親指でつまみ、軽々と殻を押し割る。
エンギ「指でぇ?」
カラハ「ほんと……この細腕のどこに、そんな力があるのやら」
カラハ、苦笑を浮かべる。
レノクス「はい、メルンちゃん」
メルン「ごくろー。あとでイイコトしたげるからね」
レノクス「また、おんぶ?」
メルン「ん。いいでしょ」
メッカ「それメルンが楽しいだけじゃんか」
食堂全体に警鐘が響き渡る。
傭兵E「おっ、来やがった!」
傭兵A「メシくらい食わせろってんだよなー」
傭兵F「しゃあねえ! 行くべ行くべ!」
傭兵たち、食事を置いて、めいめい食堂から駆け去っていく。
カラハ「俺たち十一番隊は、今日は出なくていいってさ」
レノクス「うん。マクダフさんが言ってたからね」
エンギ「しゃーねーよ。レノが怪我してるし、俺らの戦具だって修理中だしな」
メルン「んじゃーアタシとあそべ!」
レノクス「わかったってば、おんぶするから」
メルン「よっしゃー!」
カラハ「怪我人なんだけどなぁ……」
□平原
領兵隊、傭兵団、帝国戦奴隊が三つ巴の混戦を繰り広げている。その中心でいき会う、黄金の騎士と黒銀の仮面騎士。
マクダフ「またオマエか!」
ビクター「今日はあの少年は出て来ないのか」
マクダフ「生憎となァ。オマエさんのおかげで、まだ療養中さ」
ビクター「そうか。ならばせめて、貴様の首だけでも貰っていくぞ。傭兵、名はなんという」
マクダフ「マクダフだ、ここの傭兵団の副団長ってのをやってる。おまえさんの名はもう聞いてるから、口上はいらん」
ビクター「おう、ならば尋常に!」
マクダフ「ええい、しょうがねえな!」
マクダフは戟で、ビクターは槍で、両者猛然と打ち合う。
□城砦都市カンラ・領主の館
昼間。遠景。
□領主の館・執務室
ネリル「避難とは、どういうことですか、お父様」
メンティス「既にイスタスが手を打ってくれている。今日のような事態に備えてな」
ネリル「あのお御方が? ですが、そんな簡単に」
メンティス「諦めるには早すぎる……と思うか」
ネリル「ええ。ここの関門とお城は、二百年前の大戦でも、ただの一度も攻め落とされたことがないと、王都の学校で教わりました。それに領兵隊も傭兵団も、他のどの辺境領よりも数が多く、装備も整っていると」
メンティス「防備に全力を尽くせば、守り通すことは不可能ではない。それは私にもわかっているよ。そのために、ずっと兵備を怠らなかったのだ」
ネリル「それなら……」
メンティス「だが、駄目なのだ。イスタスの予測は、その状況をも見越している。仮に我々がカンラを守りきっても、王都が陥落すれば、我々はこの辺境に孤立することになる。その後、帝国が全軍をあげてここを包囲すれば、どういうことになるか」
ネリル「王都が、陥落……?」
メンティス「帝国軍にしてみれば、わざわざこの難攻の地にこだわる必要はないのだ。もっと防備の薄いところから壁を越えて、王都を落としてしまえば、それで国は滅びたも同然。我々への対処など、その後でどうとでもできよう」
ネリル「そんな簡単に王都が落ちるでしょうか?」
メンティス「あのマクダフどのが守備軍をまとめていた時でさえ、王都の総兵力は万に満たなかったと聞く。今はさらに規模を縮小しているはずだ。帝国軍が来てから慌てて兵員を募ったところで、焼け石に水というものだろう。しかも王都の構造は、攻撃を受けることなど最初から想定されておらんのだ」
ネリル、やや表情をこわばらせる。
ネリル「それでは、エレンたちはどうなるのです。王都がそれほど危ういというなら……」
メンティス「それもイスタスが早くから手を打っている。おそらく、今頃は道をかえて、シュアドに向かっているだろう」
ネリル「では、そこに、私たちも……?」
メンティス「そうだ。それがどういうことかは、おまえにもわかるだろう?」
ネリル「そんな……そういうことなのですか。なら……」
ネリル、決然とうなずく。
ネリル「ええ、わかりました。急がなければなりませんね」
メンティス「ただの一人も、この街に残しておいてはならん。避難の指揮は私が執る。おまえは各組合の代表を集めておいてくれ」
ネリル「はい!」
二人、緊張感をみなぎらせつつ同時に執務室を出る。
□平原
日暮れ。曇り空から雨が降り出している。
ビクターは兵をまとめて踵を返し、軍勢は急いで撤退していく。
ビクター「勝負は預けるぞっ、傭兵!」
マクダフ「ええい、またかよ!」
ビクター「また来るぞ! さらば!」
マクダフ「もう来んなァー!」
マクダフ、去っていくビクタ-の背に罵声を投げかける。
□傭兵団の砦、玄関ロビー
平服姿でずぶ濡れのマクダフが廊下を歩いていく。レノクスがメルンを肩車して出迎える。
レノクス「お疲れさまです!」
メルン「マクー、生きてるかー?」
マクダフ「おう。おまえら相変わらずだな」
苦笑を浮かべるマクダフ。
マクダフ「レノ、おまえ一応、怪我人だろ。そんなことしてて大丈夫か?」
メルン「アタシは羽のように軽いのっ! だからダイジョーブ!」
レノクスの肩の上で両手を振り回すメルン。
レノクス「ははは、おかげさまで。もうすっかり問題ないです」
マクダフ「さすがの回復力だな。なら次は……いけるか?」
レノクス「ええ」
表情を引き締めるレノクス。
レノクス「今度は……今度こそ、負けません……!」
□傭兵団の砦・団長室
窓の外は深夜の雨。デスクにつくダヤン団長と、デスクに寄りかかって紙の資料に目を通すマクダフ。天井のカンテラが二人を照らす。
マクダフ「ほー。疎開か」
ダヤン「名目はな。だが実質、シュアドへの全面的な永久移住と考えていいだろう。いくらなんでも、ちと諦めが良すぎる気もするが……」
マクダフ「いや、むしろギリギリだがな。民のために、自らの地位も領地も投げ擲つか。よくも決断なさったものだ」
ダヤン「だが、貴族が領地を捨てるということは……」
マクダフ「このカンラに、あの規模の帝国軍が現れたってことはだ。とっくに、他の方面にも押し寄せてきてるだろうよ。下手すりゃ、もう壁を抜いて、王都に向かってるかもな」
ダヤン「そうか。もしこの先、王都が陥落でもすれば……」
マクダフ「いくら俺たちが頑張って守り通しても、国が滅びちまったら、ここは陸の孤島さ。そうなってから帝国に降ろうたって、もう遅い。そのへん見越して、イスタスが先手を打ってシュアド伯爵に話をつけておいたんだろう。シュアド伯爵は、領主どのの親戚だそうだし、地理的にも避難民の受け入れ先として申し分ないしな」
ダヤン「ゴーサラ河を渡るか……!」
マクダフ「シュアドは遠い。ここの住民が辿り着くまで、どう急いでも四、五ヶ月はかかる。大規模かつ長距離の逃避行だ。出発の準備を調えるにも相応の時間が必要になる。この先、俺たち傭兵の仕事は……」
ダヤン「出発までの時間を稼ぐ、だな」
マクダフ「そういうこった」
□平原・戦奴隊野営地
深夜。激しい雨が降りしきる野営地。天幕のなかで仮面の男ビクターと副官ルジャノールが向き合っている。
ビクターは手にした書簡を眺めつつ、やや焦りの色を声に滲ませる。
ビクター「まずいことになった」
ルジャノール「カリンガ将軍は、何と?」
ビクター「思った以上に壁の付近の地盤が固く、掘削が進まない。おまけに敵の警戒も厳重で、作業はかなり難航しているらしい。我々にも加勢せよとの仰せだ」
ルジャノール「ここを引き払うのですか?」
ビクター「いや、少しばかり人数を残しておき、陣には旗を植え並べて、さもここに我々が居座り続けているように擬態させる。そうして敵の注意を曳き付けながら、我々はひそかに将軍のもとへ合流する……そういう手筈だ」
ルジャノール「そして、こそこそ敵の目を盗んでトンネル掘りですか……いくらカンラを確実に陥とすためとはいえ」
軽く溜息をつくルジャノール。
ビクター「それ自体は別に構わんのだが……問題は、あの少年だ」
ルジャノール「今日は出てこなかったのでしょう?」
ビクター「まだ怪我が治っていないらしい。ここを離れる前に、どうにか彼の身柄は確保しておきたいのだがな。いったん将軍の指揮下に戻れば、もはや我々の一存では行動できなくなる。となると、もう猶予はほとんど無い」
ルジャノール「……それなら、一策があります」
ビクター「ほう?」
ルジャノール「わが国と違い、王国は法律で赤目差別を禁じているそうですが……それでも、感情的には、あまり良く思われていないはずです。わざわざ法で差別を禁じるということ自体が、その表れだともいえます」
ビクター「ふむ。そういう考え方もあるか」
ルジャノール「ですから、ここは……」
天幕の外では、激しい雨が地面を叩き続けている。
□平原
昼間。すでに雨はやみ、天気は快晴。傭兵団の砦の手前に押し寄せる帝国軍戦奴隊、およそ二千人。
先頭には黒銀の鎧を燦爛と輝かせる仮面の将軍ビクターの颯爽たる姿。
一方、それを迎え撃つ領兵隊五百、傭兵団八百の陣列。
ビクターが陣前に進み出て言う。
ビクター「傭兵マクダフ、いるか! まずマクダフに一言せん!」
マクダフ、それに応えて傭兵団の陣前へ飛電の蹄を躍らせ出て来る。
マクダフ「何の用だ。一騎打ちでもやる気か?」
ビクター「それもいいが、今日の我々は、交渉のために来たものだ」
マクダフ「交渉だぁ?」
ビクター「そうだ。いかにカンラの砦が金城鉄壁を誇ろうと、この我々が全力で攻め続ける以上、いずれ陥落の運命は免れぬ」
マクダフ「ケッ、良くいう!」
ビクター「こちらも事情があってな。カンラを陥とすまで、我々は決してここを退くことはない。そう命令を受けている」
マクダフ「じゃあ何を交渉しようってんだ? 無血開城でもしろってか?」
ビクター「できればそうして貰いたいが、それが無理な相談であることくらいは、私にもわかるさ」
マクダフ「さっさと本題に入れよ。何が望みだ」
ビクター「そちらの傭兵団に所属している、あの赤目の少年。彼の身柄を、我々に引き渡してはくれまいか」
一瞬、戦場に沈黙が押し流れる。
マクダフ「……レノを?」
ビクター「ああ、たしかそう呼ばれていたな。先日、私に突っかかってきた、彼だ」
マクダフ「どういうこった?」
ビクター「彼はもともと、わが帝国からの逃亡者。しかも、かつて我々戦奴隊が関わった、ある事件における、きわめて重要な参考人でもある。貴様らは知るまいが、彼は我々にとって、一城と引き換えにするだけの価値がある身柄だ。もし彼を引き渡して貰えるなら、我々がここを撤退する名分も立つというもの」
マクダフ「レノを渡せば、おまえらは撤退するってのか」
ビクター「そうだ。たかが赤目の少年一人と、このカンラの命運と。貴様らはどちらを選ぶ?」
ビクターの眼光が仮面ごしにマクダフを見据える。小さく溜息をつくマクダフ。
マクダフ「ある事件ってのは、あれだろ? オマエらが女子供を虐殺して回ったって話だろ。聞いてるぜ、レノから」
ビクター「なにっ」
マクダフ「で、その生き残りがここにいちゃ、具合が悪いってか?」
ビクター「……否定はせん。それも事情があってのことだ」
両陣営からザワザワと騒ぐ声があがりはじめる。
ビクター「すぐに答えを出せとはいわん。そちらの幹部や長と、せいぜいよく話し合うことだ。刻限は半日――」
マクダフ「いや、断る」
ビクター「なんだと? だが貴様にそんな権限は――」
マクダフ「オマエラは、ただの殺人狂の集団だ。ハナっから、信用する気はないな」
ビクター「違う! あの施設は禁術――」
レノクス「黙れッ!」
兵列の波を割り、マクダフの横あいから馬蹄を響かせ、飛び出してくる新たな騎影。風に灰色の髪をなびかせつつ、馬上颯爽と手綱を握るレノクス。平服姿で、戦装束はまとっていない。
マクダフ「おいおい、レノ、今おまえが出てきちゃダメだろ」
レノクス「すいません、マクダフさん。でも、もうジッとしていられなくて」
マクダフ「しょうがねえなァ」
ビクターの哄笑が響く。
ビクター「はははは! まさか自分から出てくるとはな! さあ少年、我々とともに来い! なに、悪いようにはしない。もう気付いているだろうが、我々戦奴隊は全員、キミと同じ赤目だ。いわば皆、キミの同胞だ。キミは我々のもとでこそ――」
レノクス「黙れと言ったんだッ!」
レノクス、怒声をあげてビクターを睨みつける。
レノクス「殺されたみんなの仇! ここで討たせてもらう!」
レノクス、懐中から赤く輝く炎血王具を取り出す。
□傭兵団の砦・医務室
薄暗い室内。エランドがデスク上に積み上げられた羊皮紙の束をめくり、目を通している。
エランド「正式名称、炎血王具……製造年は統一王国エルグラード王朝第二代、レノクス王の六年……いまからおよそ五千年以上も前。ほとんどマトモな資料も残っていない、古代の錬金術の産物……製作者、パスリーン・エルグラード・アレステル……」
エランド、無表情に羊皮紙のページをめくっていく。
エランド「性能は肉体機能及び全感覚強化、戦装束としてヒヒイロカネ製特殊装甲を展開、装甲表面に炎系魔力属性付加。内蔵武装として、炎剣フラムグラス、血戟ブラスルーン、魔弓カシュナバル。肉体に及ぼすあらゆる補正値は、現存するA級戦具の平均値の数倍……常人なら、こんなデタラメな補正には到底耐えられない。身体を動かすだけで全身の筋肉がズタズタに寸断され、骨が砕けて、そのまま即死しかねない。でも、彼は――彼の肉体だけは、これを扱うことができる」
エランドの目に、狂気に似た光が踊っている。
□平原
睨みあうレノクスとビクター。マクダフはやや気遣わしげにレノクスへ声をかける。
マクダフ「いいのか? レノ」
レノクス「やります!」
ビクター「ほう? 私と一騎打ちを望むか? 少年、キミの槍にはなかなか見所があるが、それでも私には及ばぬぞ」
レノクス「及ばないかどうか――確かめてみろッ!」
レノクス、炎血王具を装着。制御結晶が輝く。結晶表面に「武装展開」の文字列。
燃えるような紅蓮の輝きがレノクスの全身を包み込む。その瞬間、レノクスの脳裏に様々な幻像が浮かんで消える。
緑したたる森。
広大な湖、鏡のような水面。
ひしめく大船団。
皓々たる篝火のもと、自分の眼前に跪く、異形の姿の者たち。頭に角を持ち二本足で立つ半牛半人の怪物。動く白い骸骨。緑の肌の巨人たち――。
レノクス(え……なんだこれ……ボク、これを知ってる……なんで……?)
マクダフ「おおっ……!」
ビクター「なんだ……?」
赤い輝きが消え去ると、馬上、真紅の全身甲冑「炎血の戦装束」をまとうレノクスの威風堂々たる英姿。その手には一丈余の真紅の長戟「ブラスルーン」がしっかと握られている。頭部や顔、手足にいたるまで、完全に複雑精緻な赤い装甲に覆われており、その表情を窺い知ることはできない。敵味方双方が激しくどよめきはじめる。後方から様子を見ていたカラハたちも驚声をあげる。
カラハ「あれって……レノなの?」
スデルト「あんな戦装束、見たことないぞ!」
エンギ「赤なんて初めて見たよ!」
カラハ「きみら、何か聞いてた?」
メッカ「聞いてるわけないじゃん!」
エンギ「何がどうなってんだ……?」
一方、ビクターも驚嘆している。
ビクター「赤い……戦装束だと……? 少年、それはいったい何だ?」
レノクス、無言。
レノクス(さっきのはいったい……でも、今は)
レノクス、ビクターをきっと睨みつけ、手綱を打ち、馬を進める。
ビクター「来るか!」
ビクター、槍をかざして迎え撃つ。レノクスは右手のブラスルーンを振りかざし突進。真紅の一閃が斜めに宙を走り、ただ一合のもと、ビクターの槍を彼方へ跳ね飛ばす。
ビクター「なにぃッ!」
レノクス「くらえ!」
裂帛の気迫とともに、レノクスのさらなる一閃が炸裂。ブラスルーンの赤い戟先がビクターの脇腹を抉り、黒銀の戦装束を打ち砕く。風圧がビクターの仮面をはじきとばす。ビクターの素顔は若く精悍な男。その両目は赤い。ビクター、吐血。
ビクター「かはッ! な、何も――見えないだと!」
レノクス「オマエだって、サビネアなんだろうッ! なぜみんなを!」
レノクス、怒りを込めて、さらに一撃を繰り出す。その戟先が、ビクターの肩口を、黒銀の戦装束ごと叩き砕く。
ビクター「ぐううッ! そんな馬鹿なッ!」
と同時に、ビクターの後方から鉦鼓が鳴り響き、一斉に猛然と矢うなりが放たれ、千を超える矢が真っ黒い風のようにレノクス一人をめがけ押し寄せはじめる。
レノクス「くっ、邪魔を!」
レノクス、ブラスルーンを振るって、飛来する矢の大群を風圧で薙ぎ払う。
ルジャノール「隊長ッ! ご無事ですかっ! ここはお退きください!」
後方から声をあげる副長ルジャノール。ビクターは素早く馬首を翻し、その場を逃れて駆け去って行く。去り際、レノクスに向かって、緊迫した声を投げかける。
ビクター「少年ッ! キミの勝ちだっ!」
レノクス「逃げるのか!」
ビクター「もはやキミは尋常の赤目ではない! ――禁術の化け物よ! また会うぞ!」
ビクター、土煙を巻いて疾風のごとく駆け去り、戦奴隊も慌ててそれに続いて去って行く。
レノクス「くっ、速い……! ボクの馬じゃ、とても追いつけない」
レノクス、馬を止め、ブラスルーンを横たえる。そこへマクダフが飛電の蹄を鳴らして駆け寄ってくる。
マクダフ「驚いたな。まさか、それほどの力とは」
レノクス「でも、取り逃がしてしまいました……」
応えつつ、制御結晶を押すレノクス。赤い輝きとともに、武装が解除され、もとの平服姿に戻る。
マクダフ「戦装束では上回っても、残念ながら馬のほうに差があったな。ありゃかなりの駿馬だ」
レノクス「ボクも、あれくらいの馬があれば……」
マクダフ「それはそうだが、あれだけの深傷を負わせたんだ。当分、出てこないだろう。敵討ちは、また別の機会にやりな」
レノクス「……そうですね。ここを守れただけで、今は充分です」
マクダフ「ははは、オマエも言うようになったなァ」
レノクスとマクダフ、轡を並べて傭兵団の陣列へ戻り、二人そろって馬を降りる。同時に、それまで水を打ったように固まって押し黙っていた傭兵団が、わっと歓声をあげ、二人のもとに駆け寄ってくる。
スデルト「すっげーな、レノ! 大勝利じゃん!」
カラハ「さすが僕らの隊長だ!」
エンギ「さっきの戦装束、めっちゃイカしてたぜ! あれってどうなってんの?」
メッカ「あんな強い敵を追っ払うなんて! レノがウチにいてくれて良かったよ!」
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