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4章 アラサー女子、年下宇宙男子に祈る

4-8 最悪の別れ方 ※R

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 初めて結ばれたときと同じように、布団の上で折り重なる。
「だ、ダメだって……」
 あなたは、もう彼女と一緒になるの。そのためにもうサヨナラしたの。私とこんなことしちゃいけない。
「明日までは一緒にいるんだ。だから」
 彼なりの優しさなのだろうか。
 それなら、私はその優しさに甘えよう。明日まで。

 彼の全身に舌を這わせる。胸元にキスを繰り返した。そそり立つ赤黒い彼自身を愛撫し、口に含んだ。
 男の人のうめき声が、荒い息づかいが愛おしい。
 忘れないで、覚えていて、私のこと。
 小柄だけど逞しい身体にまたがり、つながろうとした。でも気恥ずかしくてためらってしまう。
 と、彼が身体をばっと起こす。私の腰を掴まれ貫ぬかれた。
 そのまま何度も激しく突き上げられ、私は嬌声をあげた。


 薄暗い天井の模様は銀河の渦巻。流斗君との思い出を振り返る。
 塾に真智君を探しにやって来た彼と出会い、半年以上経った。
 何も身に着けず、肌を寄せ合う。

「会った時は、流斗君とこんな風になるとは思わなかったなあ」
 瞼に優しくキスされた。
「僕は、会った時からこんな風になりたかった」
「あの時からセクハラ准教授だったんだ」
「こんなこと、那津美さんにしかしないよ」

 それは優しい嘘。彼は優しい。だから、取材も引き受けてくれた。
 購買部で彼のインタビューが載った雑誌や、彼が書いた宇宙の難しい本を買ったことを思い出す。
「衛星が打ち上ったら、本、書かない?」

「いいの?」
「私にもわかる宇宙の本、書いてほしいな」
「なーんだ。そっちか」
 流斗君ががっかりしている。宇宙入門書のような本は気が乗らないみたい。
 私でも読める本なら、二度と会えなくても、つながっていられるのに。

「那津美さんとしたエロい話じゃないんだ」
「やめなさい!」
 荒本さんに挑発されたこと、まだ根に持ってるのだろうか。
「こんな楽しいこともったいないから書かないよ」
「日記にも書いたりしないよね」
 流斗君、黙っている。目が笑っている。まさか、書いているの? 玄関でメイドとエッチした科学者みたいに。

 彼が日記を書いたとして、私も彼もこの宇宙から消えた後に公開されたら?
 それは悪くないかも。わずかでも、彼と出会った人間の一人として存在を残せる。
「日記を書いた学者さんと仲良くしたメイドさんって、名前残ってるの?」
「うん。書いてあったよ。えーと、メイドの名前は……」
「いい! 言わなくていい!」
 やっぱり、そういうことだけで私の名前が残るのは……微妙だ。悪い気持ちじゃないけど微妙だ。

「私、購買でいろんな本みたよ。理科の定数をゆるキャラにするなんて、すごい発想だよね」
「擬人化シリーズか。神様なんてまさに擬人化だよ。昔の神話だと、雷は神が怒っているとかね」
「宇宙を作ったのは神様なの?」

 流斗君はまた黙りこくった。でも、さっきの沈黙とは違い、笑いが消えた。
「誰かの意志で宇宙ができたなんて、あり得ない。でもさ、僕らは弱くて小さな存在だから、あり得ないことに逃げたくなる。広大な宇宙を小さな僕らに引き寄せたくて、理論を考えるんだ。擬人化も一つの手段だよ」

「そういう話、いっぱい聞きたいし読んでみたい」
 彼にしがみつく。
「また、するんだ。本当に那津美さんは好きだなあ」
「好きなの。忘れないでね」
 こんな時だけは「好き」と言える。叶わない望みを素直に口にできる。
「僕も好きだ。でも、行かないと」
 嬉しい。嘘でもそう言ってくれるのが嬉しい。最後にそんな風に言ってくれるなんて嬉しい。
 囁きながら触れ合い、再び私たちはつながった。


 疲れ果てた彼は、そのまま静かな寝息を立てた。
 眠るのがもったいなくて、闇の中、彼の寝顔を見つめる。
 一分一秒でも、記憶にとどめておきたい。
 いや、闇ではない。外からの青白い光が彼の長い睫毛を照らす。
 その光の元を知りたくて、布団から身を起こして窓辺によった。
「満月……ウサギさま……」
 月祭りが終わってから初めての満月。
 月の光って本当に明るい。

 私のご先祖だった姫は、ウサギを月に昇らせた。
 宇関に残った最後の素芦の娘には、何の力もない。
 この町から出られない私は、彼とどこにも行けない。
 そうだ。
 明日、一緒に、河原の運動公園に行こう。最後の思い出に。
 彼が前に言ってた。実家は都会の川沿いだって。川が好きだって。
 父の死以降、ずっと避けていた河原。
 大丈夫だ。いや、大丈夫? 本当に大丈夫だろうか?
 電車の時みたいにならないだろうか?
 前もって確かめないと、彼に迷惑をかけてしまう。


 不意に思い立ち、シャツとトレーナーとジーパンを着こむ。
 車の鍵と家の鍵。免許証の入ったパスケースを用意した。
 彼を起こさないよう、そっと家を出る。
 私は、宇鬼川ウキガワ中流を目指して、車を発進させた


 川の運動公園の駐車場に車を駐めた。車に積んだ大きなライトを持って出る。
 晩秋の夜更けは寒い。コートぐらい持ってくるべきだった。
 水音以外は何も聞こえない。虫もすっかり冬の眠りに入ったようだ。
 ここが宇関町の南端。川は、東から西へ流れる。
 空高く上がった満月は、川面をキラキラと照らしている。
 大丈夫だ。怖いけど、私はここに来ることができた。
 父が溺れ死んだ川。命日以外は近づかないようにしていた。
 でも、私はちゃんと、一人でここに来られた。
 明日、彼と一緒に笑顔で過ごすことができる。
 寒くて暗くて震えるほど怖くても、何とか立つことができる。

 恐らく父が一人で川に入ったのも、今と同じぐらいの時間だ。
 私のことばに傷ついた父は、川に入った。
 宇鬼川の豊かな水がこぽこぽと音をたてる。
 ぴちゃ。ぴちゃ。
 指先が冷たい。河原の石が足の裏を突き刺すようだ。中流の川の石は水で削れて角が取れているのに、足が痛い。
 冷たい。痛い。が、足の痛みは薄れてきた。水が太ももほどの高さになると、足にかかる力が弱まる。
 が、その分、上流から流れてくる川の重みに押されそう。

 うん、押されてもいい。
 川に流された先に、月があるはず。だって、川は東から西に流れるから。
 今、上空にある満月が、夜明けのころには、川の向こうに沈むはず。
 そうしたら、私だって月に行ける。ウサギさまと一緒にお餅をつくの。ううん、いかなくっちゃ!
 ウサギさまが独りぼっちで餅をつくなんてかわいそうだ。本当は亀さまと一緒に月に行きたかったのに。

 あの夜、この川で溺れて死んだ父。
 父も同じように川に流され「月に行く」つもりだったのだろうか?
 亀がウサギを乗せて月に向かって海を漕いだように。
 あの日の月が思い出せない。父が死んだ日の月。まったく記憶にない。
 父は、どんな月を眺めながら川に流されていったのだろう?
 知りたい。月に行く前に知りたい。まって、誰か、このままじゃ私……

「何してる!」
 不意に腕を掴まれた。
 そこには、私が知りたいことに答えてくれる人がいた。
「あ、ああ! 教えて流斗君!」


 どうして彼が川にいるのかわからない。幻かもしれない。幻でもいい。今、知りたいことがあるの。彼ならわかるはず。
 だって、彼は宇宙の天才博士だもの。
「いいから出る!」
 彼に後ろから羽交い絞めにされるようにして、私の身はひきずられる。

 いつのまにか、私は晩秋の川に身を浸していた。
 外の空気に触れると凍えるように寒い。
「車の鍵はどこ? あれか」
 彼に手をつながれたまま、河原に置いたライトに向かう。彼はしゃがみ込んでライトに照らされたポーチを手に取った。
 彼は私の車のドアを開き、私を後部座席に寝かせる。
 そのまま彼はエンジンをかけ、エアコンの暖房を入れた。
 何が何だかわからない。なぜ彼がここにいるのか。でも私はどうしても知りたいことがあった。
「教えて! ここで七年前の八月×日の今の時間、どんな月が見えたか知りたいの!」

「アパートに戻ったらね。このままじゃ死んじゃうよ。僕もずぶ濡れなんだ」
「お願い! お父さんが最後に見た月を知りたいのよ!」
「参ったな。スマホもない。紙と鉛筆もないや」
 そうか。いくら流斗君でも宇宙博士といっても何でもわかるわけではない。
 第一彼の専門は宇宙の始まりだ。月も地球も出来上がるずっと前のこと。宇宙の始まり138億年前のことならわかるけど、それよりずっと新しい時代、月と地球が生まれた46億年前の話はよく知らないだろう。
 彼は小さく呟いた。
「僕は暗算そんな得意じゃない。今と同じ時間なら、月齢は15.4……多分。満月だ」
「ありがとう!」
 すごい! さすが流斗君。七年前にどんな月が出たか知ってるなんて!
 私は心の底から、感謝した。

 父が死んだ夜は満月だった。
 彼は全てに絶望したのかもしれない。だから、この川に流された。西へ、月の沈むほうへ流れる川へ。
 だけど、その父をずっと満月が、ウサギさまが見つめていれば、彼は、最後の最後、少しは救われたのではないか?
 満月を見たから父は、西に流れる川に身を浸したのかもしれない。ウサギさまを月に昇らせた素芦の姫の子孫として、少しでもウサギさまに近づきたくて。ウサギさまに救われたくて。

「納得した? じゃ、戻るよ」
 そのまま、彼は私の車を発進させた。
「本当にありがとう。流斗君が来てくれたおかげで、父が少しは幸せな最後だってわかったもの」
「そう。よかったね」
 でも、いや、待って?

 たとえ満月が出たとしても、それが見られたかどうかわからない。だって、曇りだったかもしれない。
 雨は降ってなかった。が、その夜、晴れていたかどうか私には記憶ない。
「ごめん、流斗君」
「いいよ。わかってくれれば」
「あのね、その日、晴れてたかどうか、わかる?」

 それから、私の身体がぐっと前のめりにゆれた。
 車が、キュキュッと突然止まる。
「やだ、危ないよ」
 夜中で車がほとんど通っていないからいいけど、昼間なら間違いなく追突されている。
「そんなこと、この状況で分かると思う?」

「そうよね。いくら流斗君だって、無理よね」
 答えの代わりに車は再び発進した。
「ごめんなさい。変なことを聞いて」
 いくら何でも七年前の天気を覚えている人はいないのに、私は何を聞いたのだろう。
 彼は黙ったまま運転を続ける。
 その後は、急ブレーキをかけることもなく、車は私のアパートに戻った。
 アパートの玄関に入った途端、彼は告げた。
「もう帰る」

「ま、待って、明日までいられるんじゃないの?」
 未練がましく私は彼の濡れたトレーナーを引っ張った。
「身体乾かして着替えたら?」
 彼に手を振り払われる。
「僕は、あなたのコンピューター? それともデータベース?」

 怒りより悲しみの表情を浮かべている。
「どうせだから、データベースやってあげるよ」
 ウェストポーチからスマホを取り出して何か調べている。
「七年前の八月×日の午前二時、宇関町に近い観測所は……曇りだ」
「曇り?」
「望む答えじゃなかった? でも事実だ」
 アパートの重たい鉄のドアが閉ざされた。
 名残惜しくて、私は二階からそっとアパートの駐車場を見下ろし、彼の出発を見送るつもりだった。
 が、彼の車はそこにない。
 ようやく、自分がいかにひどいことをしたか理解した。


 シャワーを浴びて着替え、再び布団にもぐった。
 まだ、彼のぬくもりが残っている。そのまま彼に包まれているみたいだ。
 が、明日までいるはずの彼は、もういない。

 私が夜中、突然一人で出かけたことに気づいた彼は、自分の車で後を追ったのだろう。なのに私は全く気がつかなかった。
 突然、寒い夜に川に入った私を助けてくれた。
 私はそのことを詫びることもせず、助けに感謝することもしない。彼に聞いたのは七年前の月齢と天候。
 彼の車は河原に置いたままなのだろう。河原まで行くには、タクシーを捕まえるしかない。
 無理に川に行こうなんて考えなければ、明日は楽しく過ごせたのに。
 たとえ別れることになっても、美しい思い出としてお互いの胸に記憶されたのに。
 最悪な別れとなってしまった。
 もう、私のそばには誰もいない。いや元々誰もいなかった。


 父が死んだ夜、満月は雲に隠れていた。絶望の中で死んでいった。
 その後、自分で検索したが、満月だったこと、この地区の天気は曇りだったことを確認した。
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