【完結R18】君を待つ宇宙 アラサー乙女、年下理系男子に溺れる

さんかく ひかる

文字の大きさ
上 下
64 / 77
4章 アラサー女子、年下宇宙男子に祈る

4-8 最悪の別れ方 ※R

しおりを挟む
 初めて結ばれたときと同じように、布団の上で折り重なる。
「だ、ダメだって……」
 あなたは、もう彼女と一緒になるの。そのためにもうサヨナラしたの。私とこんなことしちゃいけない。
「明日までは一緒にいるんだ。だから」
 彼なりの優しさなのだろうか。
 それなら、私はその優しさに甘えよう。明日まで。

 彼の全身に舌を這わせる。胸元にキスを繰り返した。そそり立つ赤黒い彼自身を愛撫し、口に含んだ。
 男の人のうめき声が、荒い息づかいが愛おしい。
 忘れないで、覚えていて、私のこと。
 小柄だけど逞しい身体にまたがり、つながろうとした。でも気恥ずかしくてためらってしまう。
 と、彼が身体をばっと起こす。私の腰を掴まれ貫ぬかれた。
 そのまま何度も激しく突き上げられ、私は嬌声をあげた。


 薄暗い天井の模様は銀河の渦巻。流斗君との思い出を振り返る。
 塾に真智君を探しにやって来た彼と出会い、半年以上経った。
 何も身に着けず、肌を寄せ合う。

「会った時は、流斗君とこんな風になるとは思わなかったなあ」
 瞼に優しくキスされた。
「僕は、会った時からこんな風になりたかった」
「あの時からセクハラ准教授だったんだ」
「こんなこと、那津美さんにしかしないよ」

 それは優しい嘘。彼は優しい。だから、取材も引き受けてくれた。
 購買部で彼のインタビューが載った雑誌や、彼が書いた宇宙の難しい本を買ったことを思い出す。
「衛星が打ち上ったら、本、書かない?」

「いいの?」
「私にもわかる宇宙の本、書いてほしいな」
「なーんだ。そっちか」
 流斗君ががっかりしている。宇宙入門書のような本は気が乗らないみたい。
 私でも読める本なら、二度と会えなくても、つながっていられるのに。

「那津美さんとしたエロい話じゃないんだ」
「やめなさい!」
 荒本さんに挑発されたこと、まだ根に持ってるのだろうか。
「こんな楽しいこともったいないから書かないよ」
「日記にも書いたりしないよね」
 流斗君、黙っている。目が笑っている。まさか、書いているの? 玄関でメイドとエッチした科学者みたいに。

 彼が日記を書いたとして、私も彼もこの宇宙から消えた後に公開されたら?
 それは悪くないかも。わずかでも、彼と出会った人間の一人として存在を残せる。
「日記を書いた学者さんと仲良くしたメイドさんって、名前残ってるの?」
「うん。書いてあったよ。えーと、メイドの名前は……」
「いい! 言わなくていい!」
 やっぱり、そういうことだけで私の名前が残るのは……微妙だ。悪い気持ちじゃないけど微妙だ。

「私、購買でいろんな本みたよ。理科の定数をゆるキャラにするなんて、すごい発想だよね」
「擬人化シリーズか。神様なんてまさに擬人化だよ。昔の神話だと、雷は神が怒っているとかね」
「宇宙を作ったのは神様なの?」

 流斗君はまた黙りこくった。でも、さっきの沈黙とは違い、笑いが消えた。
「誰かの意志で宇宙ができたなんて、あり得ない。でもさ、僕らは弱くて小さな存在だから、あり得ないことに逃げたくなる。広大な宇宙を小さな僕らに引き寄せたくて、理論を考えるんだ。擬人化も一つの手段だよ」

「そういう話、いっぱい聞きたいし読んでみたい」
 彼にしがみつく。
「また、するんだ。本当に那津美さんは好きだなあ」
「好きなの。忘れないでね」
 こんな時だけは「好き」と言える。叶わない望みを素直に口にできる。
「僕も好きだ。でも、行かないと」
 嬉しい。嘘でもそう言ってくれるのが嬉しい。最後にそんな風に言ってくれるなんて嬉しい。
 囁きながら触れ合い、再び私たちはつながった。


 疲れ果てた彼は、そのまま静かな寝息を立てた。
 眠るのがもったいなくて、闇の中、彼の寝顔を見つめる。
 一分一秒でも、記憶にとどめておきたい。
 いや、闇ではない。外からの青白い光が彼の長い睫毛を照らす。
 その光の元を知りたくて、布団から身を起こして窓辺によった。
「満月……ウサギさま……」
 月祭りが終わってから初めての満月。
 月の光って本当に明るい。

 私のご先祖だった姫は、ウサギを月に昇らせた。
 宇関に残った最後の素芦の娘には、何の力もない。
 この町から出られない私は、彼とどこにも行けない。
 そうだ。
 明日、一緒に、河原の運動公園に行こう。最後の思い出に。
 彼が前に言ってた。実家は都会の川沿いだって。川が好きだって。
 父の死以降、ずっと避けていた河原。
 大丈夫だ。いや、大丈夫? 本当に大丈夫だろうか?
 電車の時みたいにならないだろうか?
 前もって確かめないと、彼に迷惑をかけてしまう。


 不意に思い立ち、シャツとトレーナーとジーパンを着こむ。
 車の鍵と家の鍵。免許証の入ったパスケースを用意した。
 彼を起こさないよう、そっと家を出る。
 私は、宇鬼川ウキガワ中流を目指して、車を発進させた


 川の運動公園の駐車場に車を駐めた。車に積んだ大きなライトを持って出る。
 晩秋の夜更けは寒い。コートぐらい持ってくるべきだった。
 水音以外は何も聞こえない。虫もすっかり冬の眠りに入ったようだ。
 ここが宇関町の南端。川は、東から西へ流れる。
 空高く上がった満月は、川面をキラキラと照らしている。
 大丈夫だ。怖いけど、私はここに来ることができた。
 父が溺れ死んだ川。命日以外は近づかないようにしていた。
 でも、私はちゃんと、一人でここに来られた。
 明日、彼と一緒に笑顔で過ごすことができる。
 寒くて暗くて震えるほど怖くても、何とか立つことができる。

 恐らく父が一人で川に入ったのも、今と同じぐらいの時間だ。
 私のことばに傷ついた父は、川に入った。
 宇鬼川の豊かな水がこぽこぽと音をたてる。
 ぴちゃ。ぴちゃ。
 指先が冷たい。河原の石が足の裏を突き刺すようだ。中流の川の石は水で削れて角が取れているのに、足が痛い。
 冷たい。痛い。が、足の痛みは薄れてきた。水が太ももほどの高さになると、足にかかる力が弱まる。
 が、その分、上流から流れてくる川の重みに押されそう。

 うん、押されてもいい。
 川に流された先に、月があるはず。だって、川は東から西に流れるから。
 今、上空にある満月が、夜明けのころには、川の向こうに沈むはず。
 そうしたら、私だって月に行ける。ウサギさまと一緒にお餅をつくの。ううん、いかなくっちゃ!
 ウサギさまが独りぼっちで餅をつくなんてかわいそうだ。本当は亀さまと一緒に月に行きたかったのに。

 あの夜、この川で溺れて死んだ父。
 父も同じように川に流され「月に行く」つもりだったのだろうか?
 亀がウサギを乗せて月に向かって海を漕いだように。
 あの日の月が思い出せない。父が死んだ日の月。まったく記憶にない。
 父は、どんな月を眺めながら川に流されていったのだろう?
 知りたい。月に行く前に知りたい。まって、誰か、このままじゃ私……

「何してる!」
 不意に腕を掴まれた。
 そこには、私が知りたいことに答えてくれる人がいた。
「あ、ああ! 教えて流斗君!」


 どうして彼が川にいるのかわからない。幻かもしれない。幻でもいい。今、知りたいことがあるの。彼ならわかるはず。
 だって、彼は宇宙の天才博士だもの。
「いいから出る!」
 彼に後ろから羽交い絞めにされるようにして、私の身はひきずられる。

 いつのまにか、私は晩秋の川に身を浸していた。
 外の空気に触れると凍えるように寒い。
「車の鍵はどこ? あれか」
 彼に手をつながれたまま、河原に置いたライトに向かう。彼はしゃがみ込んでライトに照らされたポーチを手に取った。
 彼は私の車のドアを開き、私を後部座席に寝かせる。
 そのまま彼はエンジンをかけ、エアコンの暖房を入れた。
 何が何だかわからない。なぜ彼がここにいるのか。でも私はどうしても知りたいことがあった。
「教えて! ここで七年前の八月×日の今の時間、どんな月が見えたか知りたいの!」

「アパートに戻ったらね。このままじゃ死んじゃうよ。僕もずぶ濡れなんだ」
「お願い! お父さんが最後に見た月を知りたいのよ!」
「参ったな。スマホもない。紙と鉛筆もないや」
 そうか。いくら流斗君でも宇宙博士といっても何でもわかるわけではない。
 第一彼の専門は宇宙の始まりだ。月も地球も出来上がるずっと前のこと。宇宙の始まり138億年前のことならわかるけど、それよりずっと新しい時代、月と地球が生まれた46億年前の話はよく知らないだろう。
 彼は小さく呟いた。
「僕は暗算そんな得意じゃない。今と同じ時間なら、月齢は15.4……多分。満月だ」
「ありがとう!」
 すごい! さすが流斗君。七年前にどんな月が出たか知ってるなんて!
 私は心の底から、感謝した。

 父が死んだ夜は満月だった。
 彼は全てに絶望したのかもしれない。だから、この川に流された。西へ、月の沈むほうへ流れる川へ。
 だけど、その父をずっと満月が、ウサギさまが見つめていれば、彼は、最後の最後、少しは救われたのではないか?
 満月を見たから父は、西に流れる川に身を浸したのかもしれない。ウサギさまを月に昇らせた素芦の姫の子孫として、少しでもウサギさまに近づきたくて。ウサギさまに救われたくて。

「納得した? じゃ、戻るよ」
 そのまま、彼は私の車を発進させた。
「本当にありがとう。流斗君が来てくれたおかげで、父が少しは幸せな最後だってわかったもの」
「そう。よかったね」
 でも、いや、待って?

 たとえ満月が出たとしても、それが見られたかどうかわからない。だって、曇りだったかもしれない。
 雨は降ってなかった。が、その夜、晴れていたかどうか私には記憶ない。
「ごめん、流斗君」
「いいよ。わかってくれれば」
「あのね、その日、晴れてたかどうか、わかる?」

 それから、私の身体がぐっと前のめりにゆれた。
 車が、キュキュッと突然止まる。
「やだ、危ないよ」
 夜中で車がほとんど通っていないからいいけど、昼間なら間違いなく追突されている。
「そんなこと、この状況で分かると思う?」

「そうよね。いくら流斗君だって、無理よね」
 答えの代わりに車は再び発進した。
「ごめんなさい。変なことを聞いて」
 いくら何でも七年前の天気を覚えている人はいないのに、私は何を聞いたのだろう。
 彼は黙ったまま運転を続ける。
 その後は、急ブレーキをかけることもなく、車は私のアパートに戻った。
 アパートの玄関に入った途端、彼は告げた。
「もう帰る」

「ま、待って、明日までいられるんじゃないの?」
 未練がましく私は彼の濡れたトレーナーを引っ張った。
「身体乾かして着替えたら?」
 彼に手を振り払われる。
「僕は、あなたのコンピューター? それともデータベース?」

 怒りより悲しみの表情を浮かべている。
「どうせだから、データベースやってあげるよ」
 ウェストポーチからスマホを取り出して何か調べている。
「七年前の八月×日の午前二時、宇関町に近い観測所は……曇りだ」
「曇り?」
「望む答えじゃなかった? でも事実だ」
 アパートの重たい鉄のドアが閉ざされた。
 名残惜しくて、私は二階からそっとアパートの駐車場を見下ろし、彼の出発を見送るつもりだった。
 が、彼の車はそこにない。
 ようやく、自分がいかにひどいことをしたか理解した。


 シャワーを浴びて着替え、再び布団にもぐった。
 まだ、彼のぬくもりが残っている。そのまま彼に包まれているみたいだ。
 が、明日までいるはずの彼は、もういない。

 私が夜中、突然一人で出かけたことに気づいた彼は、自分の車で後を追ったのだろう。なのに私は全く気がつかなかった。
 突然、寒い夜に川に入った私を助けてくれた。
 私はそのことを詫びることもせず、助けに感謝することもしない。彼に聞いたのは七年前の月齢と天候。
 彼の車は河原に置いたままなのだろう。河原まで行くには、タクシーを捕まえるしかない。
 無理に川に行こうなんて考えなければ、明日は楽しく過ごせたのに。
 たとえ別れることになっても、美しい思い出としてお互いの胸に記憶されたのに。
 最悪な別れとなってしまった。
 もう、私のそばには誰もいない。いや元々誰もいなかった。


 父が死んだ夜、満月は雲に隠れていた。絶望の中で死んでいった。
 その後、自分で検索したが、満月だったこと、この地区の天気は曇りだったことを確認した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

二人の甘い夜は終わらない

藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい* 年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。

処理中です...