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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-19 再会、そして逃走

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 月への祈りの歌を変則的に私が勝手に進行したが無事に終わり、スタッフに煽てられ逃げたところ、もっと逃げたい人に出会ってしまった。
 突っ立っている流斗君と視線が絡み合った。
 彼が近づいてくる。
 逃げたいが、逃げられない。
「朝河先生に変なところ見られてしまいましたね。宇関の伝統的な歌なんです」
 愛想笑いを浮かべて誤魔化してみる。
 その瞬間。
 私は彼に抱きしめられた。

「だめだよ流斗君!」
 だめなのに。
 私はこの腕をずっとずっと待っていた。自然に涙がにじみ出てくる。
「ごめん、わかってる! でも、僕はあなたを忘れることも諦めることもできない」
 忘れる? 諦める?
「僕はあなたにひどいことをした。どうしても我慢できなくて……嫌われて当然のことをした」
 彼の腕の中で私は首をふった。
「やり直すチャンスが欲しい。どうしたら僕は許される?」

 許す?
「こんな風にされるの嫌だよね? でも、あなたの歌声が遠くから聞こえて、みんなに囲まれてるの見たら、捕まえたくなった」
「嫌じゃないよ」
 ボソッと呟く。
「嫌じゃない? 本当に? 怒ってない?」
「もう怒ってないって。でも恥ずかしかった。あんな時に、ゲームの話しなくてもいいのに」
「え?」
 流斗君がぽかんとしている。なぜ私が怒ったのか、この人わかってない。
「私にとっては特別なことだったのに、すぐ人のパソコンを勝手にいじって、私があんなゲームで遊んでたってバラすなんて、ひどいよ……」

 怒りの理由を説明するのも恥ずかしく、小声でうつむくしかない。
 彼の大きな目が驚きから喜びに変わる。
 そんな風な笑顔を見せつけないでほしい。それもすごくすごく恥ずかしい。
「へへ、そうか。なんだ」
 彼の安堵の声と共に、きゅっと、腕の力が強くなった。
 いたたまれなくて気恥ずかしくて、私は、固く目をつむる。
 自分の心がむき出しにさらされる恥ずかしさ。これでは彼に、好きで好きで仕方ないと、告白したも同然だ。
「僕にも特別だった」

 耳元でぼそっと言われた『特別』で、ますます逃げ出したくなる。彼も私を『特別』に思ってくれている? それとも相手は誰でも、あの体験そのものが彼にとって『特別』だったの?
 それはどちらでもいい。彼の『特別』を共有できただけでいい。
「だからその、今すぐじゃなくていいから、また、その、もう一度……」
 もう一度『特別』? アパートでぎこちなくもつながったあの『特別』な時……私が求める『特別』……。

 ぬくもりに酔いしれる中、人々のざわめきに気がつき、私は体を離した。
「流斗君、みんなに見られてるよ」


 多くの人に取り囲まれていた。ここには大学関係者もいる。
「別にいいでしょ? 何も悪いことしてないし」
 彼はあっけらかんとしている。
「出張にいった国なんて、みんな、よくハグしてたよ。祭りの後なら、そういうもんじゃない?」
 そ、そうよね。私が意識しすぎだ。
 お祭りの後なら、普段付き合いのない人同士でも、盛り上がってハグぐらいする。
 周りを見渡せば、男女関係なく、抱き合ったりしている。
 うん、変に思われることはない。

 いや、気にすべき人の視線が突き刺さった。
 ベージュのパンツスーツに身を包んだ五十五歳の上品な女性が、訝し気に見つめている。
 母のことを完全に忘れていた。
 私は心の底からウサギさまにお祈りした。どうかこの女性が私の母だと名乗らないように。
「朝河先生。この人、宇関の祭りが好きで、毎年訪ねてくるんです」
 女性は歩みを止めて頭を下げた。
「倉橋です」

 ウサギさまに祈りは届いた。この人も少しは私の気持ちを理解したらしい。流斗君に、彼女の正体が明かされることはない。
「あ、ああ、あなたが倉橋さん!」
 流斗君が大げさに驚いている。
「やば! お母さんに見られちゃったよ」
 お母さん? 流斗君、今、何て言ったの?


 ウサギさまに私の祈りは届かなかった。
 流斗君は自分のくせ毛をいじりながら、倉橋さんに頭をペコっと下げた。
「初めまして、ではないか。でも会うのは初めてでいーのか。僕が朝河です」
「朝河さんのご活躍、拝見しました」
 それを受けた倉橋さんも、頭を上品にゆっくり下げる。
「い、いや~活躍というか、えー、あ、あの那津美さんとはその……」
「娘がお世話になっています」

 何が目の前で展開しているのか、理解できない。
 倉橋さんは、先ほどの流斗君のレクチャーを聞いている。だから、彼が朝河流斗という宇宙の研究者であることは知っている。
 そして流斗君と私の様子から、知り合い以上の関係だと知った。
 しかし、倉橋さんと流斗君は、初めて会うはずだ。私は、倉橋さんのことを話した覚えは……一度ある。誕生日の三日後だ。
 が、ただ謎のプレゼントを贈ってくる人と説明しただけだ。

「娘が迷惑をかけておりませんか?」
「いや、那津美さんはおもしろくて……違うな。楽しくて……」
 なんなの、これ。流斗君と倉橋さん。普通に、彼氏と母親のあいさつみたい。
 二人が私に顔を向ける。
「なこ、朝河さん、いい人ね」
「那津美さんのお母さん、うちの親と違うなあ。ちゃんとしてて」

 おかしいよ、この人たち。そんな風に母親面しないで。彼氏のふりしないで。
「さ、さあ、どうでしょうか? 私にはよくわからなくて」
 どう答えたらいいか、本当にわからない。
「こんなすばらしい先生とお付き合いできるなんて本当にあの子は……」
「いや、那津美さんには宇関の名所とか案内してもらって……」
 私は、一歩、一歩、少しずつ離れた。
 なぜかこの二人は意気投合して、話に夢中だ。私のことなどそっちのけに。

 人ごみをかき分け走りぬいた。追う者は誰もいない。
 途中で大学のブースに寄って、自分の荷物を取りに行く。尾谷先生から借りたタブレットも無事だ。
 公園の駐車場にたどり着いた時、「よお」と法被を着た男性に声を掛けられた。
「荒本さん。私、今から、忙しそうな地区の片付け、手伝いに行くので」
「俺もだ。じゃ、乗るか?」
 私は一歩退いた。が、迷う間もなく腕を取られる。
 押し込められるように、私は荒本丞司のワゴン車の助手席に乗せられた。


「荒本さん! 私、あなたと行くとは言ってません!」
「いーから、ベルトしろ」
 仕方ないので私はシートベルトをつける。
「……わかりました。一緒にお手伝いします」
 なぜ私は、この男の車に乗っているのだろう。
 彼の車の助手席に乗るのは七年ぶりだが、この車に乗るのは初めてだ。ファミリータイプのワゴン車だ。
 強引な彼の誘いに抵抗はあるが、祭りの片付けの手伝いなら頼りになる人だ。

「じゃ、亀石の神社に行くぞ」
 車は北に進む。珂目山かめやまを目指す。
「そうだ。タブレット持ってるか? もう用ないだろ?」
 尾谷先生から借りた祭りのモニターを管理するためのタブレットは、確かにもう使わない。
「そうですね。じゃ、電源切っておきます。これ返さないといけないから」
「だろ? 今からカメラの方も回収するぞ」

 そうか。荒本さんは、カメラを回収するため、位置を把握している私を捕まえたのだ。
「何だ。そういうこと先にを話してください」
「だって、後ろからババア……いや美子おばさんが走ってきたからな」
「え? なんです、それ?」
「気づいてないならいい。いや、悪いが俺は、美子さんは好きじゃないんでね」
 その点だけは、私と彼は共通している。が、悪口を言い合える仲間が増えた喜びはなく、それはそれで面白くない。
「荒本さん、あなたは倉橋さんから大した害は受けてないでしょう?」
「いつもいつも邪魔されている。が、今度は成功させてやる」
 よくわからないが、彼は彼で、あの人から嫌がらせを受けたのかもしれない。

 車が加速した。山道に入る。流斗君と星空を見に行った道。そして滝を見てそば屋に行った道。
 あの紫色の看板をしたラブホテルも健在だ。一瞬、私は身構える。まさか、こんなところに入らないよね? と警戒心が高まる。
 が、無事に車は通りすぎた。大丈夫だ。荒本さんにそういう気持ちはない。さすがに別れて七年経った。家では良き父と夫なのだと思いたい。
「ラブホに行きたそうだな」
「冗談でもやめてください!」
 荒本さんはカラカラと笑う。こちらの内心を見透かされて恥ずかしい。


 ほどなく神社の駐車場に着いた。荒本さんは、後部座席にある大きな黒いショルダーバッグを取った。カメラの回収に使うのだろう。

 私たちは年老いた宮司に挨拶をした。
「宮司様。私はカメラの回収に参りました。他にも片づけをお手伝いさせてください」
「荒本様、くれぐれも素芦家を、那津美様をお頼み申します」
「頼みますよ。邪魔が入らないように」
 宮司は頭を下げた。
「那津美様。亀さま、ウサギさまの祈りを守るため、素芦を復活させるのです」
「大丈夫ですよ。私には力ありませんが、宇関の皆さんが祈り続けますから」
「素芦の名を絶やしてはなりません」

 宮司のことばが意味不明だが、この方は八十歳になる老人だ。カメラなど機械のことはわからないのだろう。
 曖昧な返事をして、カメラの回収に取り掛かった。

「私は本殿のカメラを回収するので、荒本さんは亀石の池のをお願いします」
「俺は機械が苦手なんだ。悪いが一緒に頼む」
 私も機械は得意じゃないが、仕方ない。この人は、大手不動産会社の副支店長だ。普段、細かい作業は部下にさせているのだろう。

 先に、本殿のカメラを取り外し、荒本さんに渡す。彼は背中のバッグを開けてしまい込んだ。
 バッグの様子が気になった。荷物がすでにいっぱいのようだ。これでは全てのカメラが回収できそうもない。
「荒本さん、袋余ってませんか? なかったら、コンビニに寄って調達しましょう」
「その前に、亀石の池にいかないとな」
 辺りはすでに暗くなっている。月が高く昇ってきた。池は、神社の脇の道を進んだところにある。

「来週中にカメラを返せばいいんです。ここは暗いから、明日私が行きます。休み取ったから大丈夫です」
 と、荒本さんがバッグから懐中電灯を取り出した。
「ほら行くぞ」
 強引に手を取られたが、私は振り払う。杉の木が並ぶ細いじめじめした道を下ると開けた場所に着いた。


 祭りのため、かがり火が焚かれ、辺りは明るい。
 滝の音がごうごうと響き、ため池を作っている。ため池は、巨大な丸い岩に堰き止められている。この岩が、伝説の亀の化身ともいわれ、大切に祀られている亀石だ。岩の隙間から、ちょろちょろと小川が流れ、やがて宇鬼川に合流するのだ。
 ここも、流斗君との思い出の場所だ。山の渓流に出かけたときの場所。
 夜だと印象がまた変わってくる。

 カメラは、ちょうど亀石と池が映るように設置されている。私は背の高い荒本さんに取り外しをお願いした。
「神社は終わりですね。どんどん行きましょう」
 が、荒本さんは私の手首を取った。
「その前に儀式を始めないとな」

 よくわからないことを言っている。私は手首を振り払った。
 彼は背中のバッグを降ろし、ファスナーを開ける。
 と、そこから出てきたのは、漁師の着物、大漁の時のお祝いに着る万祝まいわいと呼ばれる派手な男物の単衣ひとえだ。そして白地に薄紅色の桜をあしらった打掛があった。どちらの着物も見覚えがある。
「それ二つとも、屋敷に、いや資料館に飾ってありましたよね?」
「言ったろ? 素芦の姫様のお披露目儀式で使うってな」
 荒本さんがじわじわとにじり寄る。
「素芦を復活させるんだよ」

 桜模様の打掛を荒本さんが私にふわっとかけた。
 彼は祭りの法被を脱ぎ、漁師の晴れ着を纏う。
 暗がりの中、裾に波打つ舟をあしらった単衣を羽織った大男は、この世のすべてを従えようという威厳に満ちていた。
 私の本能は危険だと警告する。が、男の威厳に押され、動けなくなった。
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