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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-18 出でよ、月

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 モニターに映し出されたウサギと亀の伝説の劇が終わった。公園の人々からまばらな拍手が聞こえる。
「なこの衣装を縫ってたこと、思い出すわ」
 突然、倉橋さんに声を掛けられた。
「あなたは、姫さまだったりウサギさんだったり、いい役をやらせてもらえたね」

 この人、わかってない。私は演じるより裏方やってたほうが楽しかったのに。
「倉橋さん、そろそろ餅つきが始まります。参加されたらどうです?」
 私は、公園の向こう側を指した。
「ありがと。あなたが行くなら一緒に行くわ」
「今回、私は大学の手伝いで参加しているので、ここにいます」
 倉橋さんは無言で微笑んでいる。


 私は、宇宙棟のブースに顔を出した。
 そろそろ、流斗君の出番だ。
 ブースにマイクをもった流斗君が現れ、集まった人たちに挨拶をする。
 Tシャツとジーパンのままで、学生にしか見えない。
 小さなブースに何十人も人が寄ってきた。私たちは急遽、整理券を作って配った。回数を増やして人を捌くことにする。小さな子どもを前に集め地面に座らせた。
 その中には大きなビデオカメラやペンやレコーダーを持った人々がいた。メディアの人たちだ。

 宇宙論の研究で活躍する二十二歳の准教授は、大学の外から注目される存在なのだ。
 が、彼は取材を受けるようになったとはいえ、過去の出来事から、やみくもに受けたりはしない。念のため、沢井さんにマスコミが来ている旨を伝える。沢井さんから、取材許可証を彼らが着けているか確認してほしいと指示された。
 そのように人の流れを調整していたので、彼の話をじっくり聞く余裕はない。

「あの人、ヤバいよー、チョーかわいー」
 中学生ぐらいの女の子たちの囁きが聞こえてくる。くすぐったい気持ちだ。何だろ、この気持ち。彼は私のモノではないのに。


「亀とウサギは月を追いかけて可哀相なことになったけど、今、僕らはまた月に行こうとしてます」
 流斗君の甲高い声が芝生の公園に響き渡る。
「だけど今から話すのは月に行く話ではありません。僕は、昔話を集めて、昔、何があったか考える仕事をしています」

 私は、観客に注意をむけつつ、つい流斗君の声に引き寄せられてしまう。
「亀もウサギも愚かだったかもしれない。が、僕らはもっと愚かです。川に映った月の姿から月の正体に迫るより、もっと難しいことをしています。138億年前に起きた出来事を調べようとするんだから」

 私は、人の波を整理しつつ、彼の声の心地よさに身をゆだねていた。
「若いのにすごい先生ね」
 母も感心している。
「朝河先生は、高校生の時から宇宙物理の分野で活躍していますよ」
 私が偉いわけじゃないのに、つい自慢めいた答えを返してしまう。

 流斗君の甲高い声が、祭りの喧騒の中でもはっきり響く。
「宇宙はこの宇宙だけではない。たくさん生まれています。でも、ほとんどの宇宙には、僕らのような生命は生まれないんだ。だから、この宇宙ってすごいんですよ。僕らみたいに、どうやって宇宙が生まれたか考えて調べられる存在が誕生している、そんな宇宙というだけで、ものすごく珍しい。それだけで、僕らは奇跡的な存在なんです」

『僕らは奇跡的な存在』
 流斗君と出会ったころを思い出す。真智君が企画した合コンで、彼とずっと二人で話していた。
 あの時は、宇宙オタクの大学生と思ってた。彼が言ってた、謎の暗号を思い出す。

『だって今、僕らがこうして喋ってるってすごいことなんですよ。物理定数がほんのちょっと違ってたら、僕らは存在できないんです』

 謎の暗号の意味が少しわかってきた。
 この宇宙は、とても珍しい存在。私たちが存在できるなんて、それだけで奇跡。
 だったら。
 私が、目の前の人から産まれたことも、奇跡……ダメだ、そんな風には考えられない。

 宇宙トークが終わった流斗君を、マスコミが囲む。海東さんが立ち会っている。
 流斗君は笑顔で記者たちと名刺を交換している。

「よかった。安心したわ」
 倉橋さんのコメントが謎すぎる。安心? この人は何を言ってるの?
 戸惑いを打ち消したくて、私は周囲を見やる。
 芝生の向こうの屋台広場の前で、疋田の叔母が、かつての塾生や講師たちと輪になって雑談している。
「倉橋さん。疋田さんたちが戻ってきましたよ」
「なこが行くなら、一緒に行くわ」
 うっとおしい。普通の仲良しの親子だって、祭りの間ずっとくっついているのはあり得ない。私はもう三十歳で、この人は五十五歳だ。本当にあり得ない。


 大分、暗くなってきた。そろそろ月が昇るはずだが、曇り空は変わらない。
 月が昇ってからが祭りのクライマックスだが、大学や企業のPRブースは、そろそろ撤収作業に入る。
 ブースでテキパキと指示を出している沢井さんに私は声をかけた。
「課長。すみません。少しだけ時間をいただけますか? 向こうに親戚がいるので……」
 沢井さんは「いいわ。こっちは問題ないわ」と答えると、また撤収作業に戻る。

 私と倉橋さんは、疋田の叔母に近づいた。
「叔母さん! 祭りはどうでした?」
「那津美ちゃん。祭りはこれからでしょ? 若い人たちが参加して、楽しかったわ。薄皮揚げ饅頭も美味しかったし」

 私は唐突に思い出した。
「叔母さん、私、久しぶりに、屋敷に行ったんです。今、資料館になってるの」
 倉橋さんも静かにうなずいている。
「昔は、素芦家の娘のお披露目儀式があったって聞いたわ。叔母さんの時はどうなの?」
 私が尋ねた途端、叔母から笑顔が消えてしまった。
 叔母の変化に、私は自分が何かいけないことを聞いたのか、不安になってくる。
「なこ! やめなさい!」
 それまで穏やかだった倉橋さんが、私をぴしゃりと叱りつけた。
 疋田の叔母は、震えながら首を振った。

「資料館にあった白地に赤い花模様の打掛が、お披露目で使われたって聞いて……」
「誰から聞いたの!」
 倉橋さんが私の肩を揺さぶって下から睨みつける。
 この人から、下から見上げられるのは、初めてだ。今は、私の方が彼女より10センチメートルも背が高いけど、彼女が宇関を去った時、私はそこまで成長していなかった。
「荒本さんから聞いたんだけど」
「ああ! やはりあの子が……やめなさい! 忘れるの。その儀式はなくなったの!」
 私は、彼女の手を振り払った。
 倉橋さんにどう責められても構わないが、叔母も無言でそのように訴えている。叔母の意志は無視できない。

「わかったわ。ごめんなさい。じゃ、私は、大学の片づけに戻りますね」
 気まずい空気の中、私は挨拶をして、そそくさと立ち去った。
 もちろん、倉橋さんも後を着いてくる。
「叔母様のところにいてもいいんですよ」
「いいえ! 私は、あなたのそばにいたいの。いるべきだとわかったわ」
 いつになく倉橋さんの口調が厳しい。
 素芦の娘のお披露目儀式とは何だろう?
 叔母の様子からして、それはめでたいことではないようだ。


 祭りはまだ続くが、大学など企業のPRブースは、夜遅くまでは開かない。
 ただし尾谷先生の学生さんが作ったウェブカメラシステムは、明日返却すればいいと聞いている。そのため、尾谷先生のチームは残ってくれるとのことだ。
 あらかた作業が終わり、沢井さんを始め広報チームはひとまず解散となる。
 といっても今回、私は結局沢井さんに甘えて仕事をあまりしなかった。
「まだ、祭りは続くので、良かったら楽しんでください」
「んー、明日も私たちは出勤だから。素芦さんは、明日も忙しいんでしょう?」
「すみません。ありがとうございます」
 私は、祭りの片付けのため、明日も休みをいただく。

 大学のPRがそれなりに盛況に終わり安堵するのも束の間、今度は、住民として手伝う。
 また倉橋さんが近寄ってきた。
「朝河さんはどちらかしら?」
 なぜこの人は、流斗君のことを気にするの? 単に若い先生だから気に入ったの?
「もうすぐ月が昇ります」
 強引に話題を反らした。月が昇ると言ってもこの曇り空ではわからないが。

 太陽は姿を見せなかったが、西の空が赤く染まっている。
 私は公園の東の開けた芝生の向こうに顔を向けた。
「あそこの屋台で、宇関の名物が味わえます。とくに薄皮揚げ饅頭がお勧めです」
「なこは、あのお饅頭が好きなの?」
「ええ、宇関で一番おいしいスイーツですよ」
 実際に私は、時々広報課に配ったり、あちこちの研究室に寄る時、差し入れしている。
 特に尾谷先生はお気に入りで「購買で買えるといいんだけど」とニコニコして頬張る。
「よかった。あなたがそう言ってくれるのが一番うれしい」
 倉橋さんは今にも泣きだしそうだ。
「あの饅頭はね、私が青年部のみなさんと、何か宇関名物を作ろうと企画したのよ」

 何かに殴られたようだ。
 私はもっと昔からある伝統的な菓子だと思い込んでいた。が、この人が宇関を出て二十年になる。伝統的なお菓子になるには充分な年月だ。
「私ね、宇関に来る前は、菓子メーカーで働いてたの。本当は商品開発やりたかったけど、総務に回されてね。だから、この町の良さを知ってもらいたくて、色々チャレンジしたの」
 この町の良さを知らせたい? なんて素晴らしい心がけ!
 なら、なぜ出ていったの!? あなたは男を選び私を捨てたくせに!
 いや、怒りに囚われるのはやめよう。何かを答えようと頭を回す。

 公園のステージに、杏奈ちゃんが立っていた。彼女は今日、司会進行ではりきっている。
「はーい。お月さまは出てこないけど、多分、あっちの方にいるみたいです。じゃ、みなさん、ウサギさまにお祈りしましょー。一緒にうたいましょー」
 私はその声に誘われて、東を向いた。
 月はハッキリ顔を出さないけど、薄ぼんやりと光った雲のあるあたりだとわかる。
 できれば、今年こそウサギさまの顔を拝みたかったが、仕方ない。

 ここで祈りの歌の曲がかかるはずだが、いつまで立っても音が流れない。
 音源のトラブルだろうか? ステージの杏奈ちゃんも困っている。
 私は、倉橋さんに断ることなく、ステージの袖に駆け付けた。倉橋さんも慌てて走って着いてきた。
「どうしました?」
 ステージの脇で、祭りのスタッフが色々もめている。

「那津美ちゃん、何とかならない? お月さま」
 青年部のスタッフにいきなり絡まれた。
「素芦の姫さんなのに、何もできないわけ?」
 今日の祭りの天気がまた曇りだったと、なぜか私が責められている。
 音源係のスタッフが「やっぱり待ちます? 大分雲薄くなってきたし」
 月が顔を出すまで祈りの曲を流そうか待ってるらしい。
「それなら、ちゃんと杏奈ちゃんに指示してあげないと!」
 いたたまれず、私はステージで戸惑っている杏奈ちゃんのもとに走った。

「なっちゃーん」
 泣きそうな顔で私に救いを求めている。
「晴れるのを待ってるんだって。杏奈ちゃん、司会、交代しよう」
「ありがとう!!」
 杏奈ちゃんが抱きついてきた。私は彼女の背中をさする。
「よくがんばったね。こちらこそありがとうね」
 プロの司会者ならこういうトラブルをトークでつなぐことはできるが、素人高校生に任せるのは酷すぎる。
 私は彼女からマイクを受け取った。

「はーい! 今日のお祭りは、宇関の高校生のみなさんに大切な仕事をお願いしました。お疲れさまです! 杏奈ちゃん、ありがとう! 今日、祭りのスタッフに入った高校生の皆さん! ステージに来てください!!」
 私はステージから降りて、その場にいる目に留まった高校生スタッフに声をかけ、壇上に昇らせた。
「みなさん! 宇関にはこれだけたくさんの頼もしい若い人たちがいるんです! 今年の祭りもお月様は見えませんが、これだけ盛り上げてくれたこの高校生たちに、盛大な拍手をお願いします!」

 まばらだったが、拍手が沸いた。
「さて、ちょっと音源にトラブルがあって、まだ歌まで時間がかかります。お月さまは……大分、雲が薄くなってきましたが、ウサギさまは恥ずかしいみたいですね」

 まだ曲をかける判断はないようだ。
「このところ、月祭りなのにウサギさまの顔が見られません。でも雨を降らす雲さまだって、私たちにはなくてはなりません。宇関名産のおいしいキャベツには欠かせませんから。だから、雲さまを嫌わないで、日頃の感謝を伝えましょう。雲さま、ありがとー! はい、みなさん一緒にね!」
 ぼそぼそと「雲さま、ありがとう」と聞こえた。

「おやおや、雲さま嬉しくて、こっちにやってきちゃったかな? でもいーんです。だって、お月さまは、毎日、回っています。曇りの日だって、ちゃんとそこにあるんですよ。ほら、今も雲が光ってますよね?」
 私は、月のあるあたりを指し示した。
「みなさん、ウサギさまに会えなくてがっかりでしょうが、ウサギさまの方がずっと寂しいはずです。月で独りぼっちなんだから。だから、独りぼっちのウサギさまが、寂しがらないように、祈りましょう。私が歌うから、ついてきてくださいね」

 何かが降りてきた。スタッフの判断を待ってられない。
 曇りだろうが雨だろうが、ウサギさまはそこにいる。


 私たちはずっと、この地で祈ります
 ウサギさまが安らかでありますように
 亀さまが泣かないように
 この地がいつまでも穏やかでありますように


 歌が終わるころ、雲が掻き消え、月がはっきり姿を現した。

 満月より東側が少し欠けた月だが、餅をつくウサギの姿がはっきりわかった。
「ウサギさまだ」「晴れた、晴れたぞ」
 久しぶりに月祭りらしい月祭りとなった。
 と、ステージで杏奈ちゃんが私の元に駆け寄った。
「なっちゃんすごーい! 歌やばいよ。歌手みたい」
「みんなががんばったからよ。じゃ、フィナーレは、杏奈ちゃんに任せていいかしら? スタッフのみんなも一緒にね」
 私は、マイクを杏奈ちゃんに渡して、袖に戻った。

 音源スタッフに私は謝った。
「ごめんなさい! 調子に乗っちゃって」
 と、私は途端に取り囲まれた。
「やっぱりあんたは素芦の姫だ」「最後の最後で月が出てきた」「また歌を聞かせてくれよ」
 先ほどと違って歓迎モードだ。
 もちろん、歌ったから晴れたわけではない。私は晴れようが曇りだろうが、月がそこにあるから歌おうと思っただけだ。
 恥ずかしくなり、私はその場を去った。
 が、もっとバツが悪い事態が発生する。

 流斗君が立っていた。
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