49 / 77
3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する
3-17 ふるさとの祭りが始まる
しおりを挟む
いつも静かな宇関の駅前が、人でごった返している。
月祭りがやって来た。
残念ながら、今年の祭りも曇り空だ。月の出まで晴れればいいが。
私がちょっと準備委員会に顔を出したぐらいじゃ、この数年の気象状況は変わるわけない。
それでも私は、晴れるよう祈った。
駅前の公園に向かった。大学を初めとした企業や団体の出展ブースは、この公園に設置される。
西都科学技術大学のコーナーに、ぼちぼちと作業する人たちが集まってきた。
広報課は課長を初め勢ぞろいだ。沢井さんはもちろん、飯島さんや海東さんも参加している。
「素芦さんは、祭り委員会のお手伝いもあるんでしょ? 大学側は私たちに任せて」
「ありがとうございます。なるべく手伝いますが、時々抜けるかもしれません」
そう言っても祭りの委員は外れているため、大した仕事は受けてない。なるべく今回は大学の手伝いをしよう。
大学が出した四つのブースを回って声をかけた。
「真智君、おはよう。朝からお疲れ様」
今日の真智君は作業服風のジャケットと、彼にしては地味だ。前髪は相変わらず赤いけど。
「おはー、那津美さん、今日、感じ違うね」
あまり私はパンツルックが好きではないが、今日は祭り。ジーパンに月祭りの法被を羽織った。長い髪も団子にまとめている。
「私、今日は裏方さんだし。宇宙棟に何か足りない物はない?」
「さーねー、流斗先生じゃないと。ほら、あっちにいるよ」
流斗君は宇宙棟ではなく、情報棟のブースにいた。ウェブカメラモニターのシステムを用意してくれた尾谷先生と話し込んでいる。
流斗君も諦めたのか、お詫びのメールが来なくなった。
恥ずかしくこちらから仲直りしようと言い出せないまま、祭りの日を迎えてしまった。
「おはようございます。先生方も朝からお疲れさまです。何か足りないものはありますか?」
尾谷先生が、タブレットを私に見せた。
「素芦さん、祭り事務局のみなさんに、早めにカメラと端末の電源を入れるよう、伝えてください」
「わかりました。朝河先生は何か? 宇宙棟は大丈夫ですか?」
気まずさを押し殺して、私は声をかけた。
流斗君は普段と変わらない、Tシャツにジーパンだ。
「こっちは大丈夫です。尾谷先生からカメラの説明を受けました」
「これ、もともと朝河先生のアイデアですからね」
笑顔を向けたが、そっぽを向かれてしまった。仕方ないけど落ち込んでくる。
私はその場を去って、カメラの端末担当者に電話を入れた。わからない、という人には直接出向く。遠方にいる相手には車で駆け付ける。ハイテクなシステムなのに、すごく原始的なフォローをしている。
朝はあっという間に終わり、いよいよ祭りが始まった。
祭りのために組み上げられた壇上には、巨大モニターが設置された。
モニターの電源が入り六分割された画面が表示される。どこもちゃんと映っていることに私は安堵した。
この月祭りは、北は珂目山、南は宇鬼川中流の運動公園と、町の全体が会場となってそれぞれで行われる。
それぞれの会場で何が行われているかモニターに表示される。カメラを置いた会場は二十か所もあるので、適宜切り替わる。
このモニター管理システムを尾谷先生の学生さんたちが作ったのだ。ポイントは自動的に切り替わるところだ。カメラの映像をコンピューターが解析し、大きな動きがあったところを優先して表示させるのだ。
それだと全く表示されない会場も出てくるので、そこはバランスよくプログラムする。
手動で表示することもできる。
式が終わると、壇上に、法被を羽織った若い女の子が現れた。ハキハキと臆することなく集まった人々に「そろそろ始めますよー!」と呼びかけている。
懐かしい気持ちがこみ上げた。この声を聞くのは半年ぶりだ。
「杏奈ちゃん、すごいわ」
舞台の子は、前の仕事、塾講師だったときの生徒だった。
杏奈ちゃんは塾が閉鎖される前、文系から理系に移り、駅前の大手予備校に通うため、カメノ塾をやめたのだ。
彼女はモニターをさしマイクを手に取った。
「今日は、宇関の月祭りでーす。宇関町のあっちこっちでお祭りやるからチェックしてね。はい、これから珂目山の亀石に水をかけて、お祈りします」
六分割された画面の一つが大きくなった。
杏奈ちゃんは、次から次へと祭りのポイントを解説した。
今回、宇関の高校生有志が、舞台で随時、モニターを元に見どころを説明することになったのだ。
出番が終わって舞台から降りた杏奈ちゃんに、私は声をかける。
「杏奈ちゃん、久しぶり」
「なっちゃんだあ。塾、終わっちゃったんだよね」
「そうなの。疋田先生がお嬢さんのいる県に引っ越しちゃってね」
「ばあちゃん先生なら、さっき、どっかで見たよ」
疋田の叔母は、いつも塾の子どもたちと一緒に祭りを盛り上げてくれた。県外に行っても来てくれたのが嬉しい。
「なっちゃん、先生辞めちゃったの?」
「今はね、先生じゃないけど、大学で事務の仕事をしているのよ」
「大学って拓弥君と一緒? まさか拓弥君おっかけたの?」
杏奈ちゃんは真智君を名前で呼んだ。塾生の女の子はみな彼のファンだったからわかるが、神社大好きな杏奈ちゃんが、物理の真智先生と接点があったのは意外だ。
「それはないよ。真智先生の知り合いに教えてもらったの」
真智君の後輩を追っかけたと言えなくもない。
「違うんだあ。よかった」
よかった?
「杏奈ちゃん、これから真智先生の出番だから案内するね」
私は杏奈ちゃんを連れて公園に移動し、大学のブースに連れて行った。
「真智先生は宇宙の研究をしているの。ここね。あ、ちょうど説明がんばってるわ」
杏奈ちゃんは、何も言わず、子どもたちに実験イベントを見せる真智君をじっと見つめている。
「杏奈ちゃん、理系に変えたんだよね。宇宙とか興味あるの?」
「違うよ。あたし、やっぱり歴史やることにしたの」
「そうか。良かった。神社とか好きだったし、よくお父様お母様を説得したね」
受験生は誇らしげに胸を張った。
「親はね、数学出来ないから文系に逃げるんだ、って言うの。だから逆に見返してやろうと数学がんばったの。そしたら諦めてくれた」
「偉いなあ」
途端に彼女は力強くVサインを突き出す。
「へへー、あまり学校じゃ言えないけど、推薦ゲットした!」
「すごい! おめでとう! よかった」
私が彼女の推薦合格に何か力になったわけではないけど、二年間教えた子の成功は嬉しい。
思わず私は杏奈ちゃんの頭を撫でた。
「拓弥君が言ったの。考古学だと放射性物質で年代測定するから、数学できて損はないって」
杏奈ちゃんが「拓弥君」と真智君を呼ぶのは、つながりがあるのだろうか。
「真智君って、もしかして杏奈ちゃんが今いる塾で講師してるのかな?」
今、彼は研究室にまじめに通っている。講師バイトなんてできるのだろうか?
「違うよ。思い切ってアドレス聞いたら教えてくれたんだ」
ボソッと語る杏奈ちゃんが頬を染めている。恋する乙女みたい。
女子トークをしているうちに、真智君のイベントが終わった。
二人でブースの裏側でまったりしている真智君に声をかけた。
「あれ、那津美さんに杏奈。おお、俺たちカメノ塾復活じゃん」
真智君、杏奈ちゃんを呼び捨てにしている。そういう仲なの? 先ほどの杏奈ちゃんの反応とあわせて何か不安だ。
「真智くーん、杏奈ちゃん泣かせたら承知しないからね」
「え! ちょっと待って那津美さん。別にコイツ……あ、いや杏奈、ごめんごめん」
私はそっと二人から離れた。
そろそろ待ち合わせの時間だ。駅前のステージに戻る。
「叔母さん! 元気でしたか?」
私は、かつての雇い主だった叔母に駆け寄った。
少しやせたが、半年ぶりに会う叔母は、それほど変わらず微笑んでいる。
「那津美ちゃん、いつもと何か違うわね」
「ええ、私、大学の広報のバイトしているんで、あちこち回ってます」
叔母の隣に、五十代半ば、いや正確には五十五歳の女性が立っている。
ベージュのパンツスーツにショートヘアが合っている。古代の貴族の肖像画に出てきそうな上品な顔立ち。地味で儚げで気品に溢れている。物質的にも精神的にも幸せな生活を送っているのだろう。
「こんにちは。倉橋さん。宇関の祭り、今年もお越しいただきありがとうございます」
その女性は「今年も楽しみよ。なこ」と笑った。
また、この人、来たのか。
二十年前に、若い男と再婚するために父と私を捨て、宇関を出た母。
なぜか、毎年、月祭りだけは顔を出す。疋田の叔母と一緒に。
叔母は、素芦家に泥を塗った女性と不思議なことに仲が良い。私に気を遣って叔母は何も言わないが、二人は連絡を取り合っているようだ。
「那津美ちゃん、せっかくだから、お母さんに大学の展示、見せてあげたら」
おろおろと叔母が私たち母子を取り成そうとする。
「倉橋さん、ブースまではお連れしますが、忙しいので充分案内できませんよ」
父の葬儀の後、私はこの人を、赤の他人として実に礼儀正しく接することにしている。
「なこ。勝手にあなたに着いていくから、気にしないでね」
私は顔がゆがんでくるのを抑えられない。どれほど私が他人行儀に接しようと、母親面をやめないのだ。
「じゃ、行きましょか。那津美ちゃんの働きぶり、見たいわ」
「叔母さん、私、ただのバイトなのよ。恥ずかしいわ」
ことさら私は、叔母に笑顔を見せる。叔母との仲を倉橋さんに見せつける。
私は叔母に向けて、大学のブースを案内した。
「今回はね、ここのテレビの画面に、祭りのあちこちの会場が映るの。珂目山の神社とか、宇鬼川の運動公園とか」
「すごいねえ、那津美ちゃん」
「いや、作ったのは学生さん。アイデアは先生」
それまで無言で聞いていた倉橋さんが私に尋ねる。
「このモニター、珂目山神社の亀石の池も映るの?」
赤の他人として礼儀正しく接する。
「はい。宮司様が池で禊を行いウサギさまにお祈りを捧げて、池に折り紙で作った小舟を流します」
素芦家の嫁を十年やっている女性なら当然知っていることを、私はあえて伝えた。
「祭りは変わらないのね」
倉橋さんは寂しげに笑っている。
「変わりました。昔は駅前広場にステージはなかったですし、大学の参加もなかったし」
その後、私は疋田の叔母に「ごめんなさい。私、これからお手伝いに入るので」と言い残して仕事に移る。
叔母は「じゃ、私はのんびりとぶらぶらしているから、後は二人でよろしくね」
そう言って、去ってしまった。
叔母さん、いかないで。私、倉橋さんと二人きりになりたくない。
「関係者以外立ち入り禁止の場所もあるので」と、彼女にくぎを刺した。
なぜかこの人は、毎年、祭りの時だけ宇関にやってきて、私にずっと付きまとう。
誕生日。私は、この人からのプレゼントが来ると確信し、探し回った。
同じようにこの人が祭りに来なかったら、探し回ったのだろうか? え? 私は何を考えているの?
大学のブースを回り、必要な物品など聞きまわった。
そこに赤白の法被をまとった大柄な男性が近づいてきた。
「荒本さん、神社の方はいいんですか?」
この人、どんな恰好も似合うが、この祭りの出で立ちが一番カッコいい。悔しいことに。
「そっちの大学が用意してくれたこいつで見たんだろ?」
そういって、タブレットに映し出されたモニターを見せてくれた。
「ごめんなさい。中々見る暇がなくて。でも無事に、亀さまにお祈りして、これから月を目指すんですよね」
「そういうこと。ほら、上流で小舟が流れているだろ?」
タブレットのモニターに、頼りなげに浮かぶ小舟が映っている。
荒本さんは何かに気がついた。
「おや、美子おばさんじゃあないですか」
後ろに立っている倉橋さんに荒本さんは声をかける。その声には侮蔑の色が含まれている気がする。
彼も、二十年前に父と私を捨てたこの女性を、許せないのかもしれない。
荒本さんは、倉橋さんの挨拶を無視して、私を向いた。
「那津美、これから、大学経由のスポンサー様に挨拶するぞ」
マメな人だ。新たなビジネスチャンスを狙っているのだろう。
「では、紹介しますね」
私たちは、ブースに出入りするスポンサー企業の担当者を探しては声をかける。
その間も、倉橋さんは追いかけてくる。
荒本さんは、法被の袂から名刺を出しては交換する。合間を縫って、耳に挿したペンでもらった名刺に書き込みをしている。
私がついてなくても、彼のことだから、上手く目的を達成するだろう。
「私、買い物行ってきます」
駅前の駐車場に向かった。倉橋さんは相変わらず一定の距離を保ったまま着いてくる。
「倉橋さん、どうされます? 私はこれから、ホームセンターに行きますが」
「あなたと一緒にいるわ。荷物持ちぐらいはするわよ」
そういって、後部座席に座った。
青いコンパクトカーを走らせ北に向かう。
静かな時間が流れるがおもむろに彼女が口を開いた。
「疋田のおばさまに聞いたわ。お付き合いしている人いるんですって?」
叔母さんのおしゃべり! お見合いを避けるため、流斗君に片思いしているとは言ったけど。
「そんな人いません。私は結婚する気はありませんから」
不快な対話を進めるうちに車はホームセンターに着く。私は無言で、あちこちのフロアを回る。もちろん、倉橋さんには一切の荷物は持たせないで用をすませた。
大学のブースに戻って回り、調達した道具を渡す。
タブレットを確認した。各地で子どもたちのお芝居が始まろうとしている。
漁師の恰好をした男の子が、舞台に登場した。
月祭りがやって来た。
残念ながら、今年の祭りも曇り空だ。月の出まで晴れればいいが。
私がちょっと準備委員会に顔を出したぐらいじゃ、この数年の気象状況は変わるわけない。
それでも私は、晴れるよう祈った。
駅前の公園に向かった。大学を初めとした企業や団体の出展ブースは、この公園に設置される。
西都科学技術大学のコーナーに、ぼちぼちと作業する人たちが集まってきた。
広報課は課長を初め勢ぞろいだ。沢井さんはもちろん、飯島さんや海東さんも参加している。
「素芦さんは、祭り委員会のお手伝いもあるんでしょ? 大学側は私たちに任せて」
「ありがとうございます。なるべく手伝いますが、時々抜けるかもしれません」
そう言っても祭りの委員は外れているため、大した仕事は受けてない。なるべく今回は大学の手伝いをしよう。
大学が出した四つのブースを回って声をかけた。
「真智君、おはよう。朝からお疲れ様」
今日の真智君は作業服風のジャケットと、彼にしては地味だ。前髪は相変わらず赤いけど。
「おはー、那津美さん、今日、感じ違うね」
あまり私はパンツルックが好きではないが、今日は祭り。ジーパンに月祭りの法被を羽織った。長い髪も団子にまとめている。
「私、今日は裏方さんだし。宇宙棟に何か足りない物はない?」
「さーねー、流斗先生じゃないと。ほら、あっちにいるよ」
流斗君は宇宙棟ではなく、情報棟のブースにいた。ウェブカメラモニターのシステムを用意してくれた尾谷先生と話し込んでいる。
流斗君も諦めたのか、お詫びのメールが来なくなった。
恥ずかしくこちらから仲直りしようと言い出せないまま、祭りの日を迎えてしまった。
「おはようございます。先生方も朝からお疲れさまです。何か足りないものはありますか?」
尾谷先生が、タブレットを私に見せた。
「素芦さん、祭り事務局のみなさんに、早めにカメラと端末の電源を入れるよう、伝えてください」
「わかりました。朝河先生は何か? 宇宙棟は大丈夫ですか?」
気まずさを押し殺して、私は声をかけた。
流斗君は普段と変わらない、Tシャツにジーパンだ。
「こっちは大丈夫です。尾谷先生からカメラの説明を受けました」
「これ、もともと朝河先生のアイデアですからね」
笑顔を向けたが、そっぽを向かれてしまった。仕方ないけど落ち込んでくる。
私はその場を去って、カメラの端末担当者に電話を入れた。わからない、という人には直接出向く。遠方にいる相手には車で駆け付ける。ハイテクなシステムなのに、すごく原始的なフォローをしている。
朝はあっという間に終わり、いよいよ祭りが始まった。
祭りのために組み上げられた壇上には、巨大モニターが設置された。
モニターの電源が入り六分割された画面が表示される。どこもちゃんと映っていることに私は安堵した。
この月祭りは、北は珂目山、南は宇鬼川中流の運動公園と、町の全体が会場となってそれぞれで行われる。
それぞれの会場で何が行われているかモニターに表示される。カメラを置いた会場は二十か所もあるので、適宜切り替わる。
このモニター管理システムを尾谷先生の学生さんたちが作ったのだ。ポイントは自動的に切り替わるところだ。カメラの映像をコンピューターが解析し、大きな動きがあったところを優先して表示させるのだ。
それだと全く表示されない会場も出てくるので、そこはバランスよくプログラムする。
手動で表示することもできる。
式が終わると、壇上に、法被を羽織った若い女の子が現れた。ハキハキと臆することなく集まった人々に「そろそろ始めますよー!」と呼びかけている。
懐かしい気持ちがこみ上げた。この声を聞くのは半年ぶりだ。
「杏奈ちゃん、すごいわ」
舞台の子は、前の仕事、塾講師だったときの生徒だった。
杏奈ちゃんは塾が閉鎖される前、文系から理系に移り、駅前の大手予備校に通うため、カメノ塾をやめたのだ。
彼女はモニターをさしマイクを手に取った。
「今日は、宇関の月祭りでーす。宇関町のあっちこっちでお祭りやるからチェックしてね。はい、これから珂目山の亀石に水をかけて、お祈りします」
六分割された画面の一つが大きくなった。
杏奈ちゃんは、次から次へと祭りのポイントを解説した。
今回、宇関の高校生有志が、舞台で随時、モニターを元に見どころを説明することになったのだ。
出番が終わって舞台から降りた杏奈ちゃんに、私は声をかける。
「杏奈ちゃん、久しぶり」
「なっちゃんだあ。塾、終わっちゃったんだよね」
「そうなの。疋田先生がお嬢さんのいる県に引っ越しちゃってね」
「ばあちゃん先生なら、さっき、どっかで見たよ」
疋田の叔母は、いつも塾の子どもたちと一緒に祭りを盛り上げてくれた。県外に行っても来てくれたのが嬉しい。
「なっちゃん、先生辞めちゃったの?」
「今はね、先生じゃないけど、大学で事務の仕事をしているのよ」
「大学って拓弥君と一緒? まさか拓弥君おっかけたの?」
杏奈ちゃんは真智君を名前で呼んだ。塾生の女の子はみな彼のファンだったからわかるが、神社大好きな杏奈ちゃんが、物理の真智先生と接点があったのは意外だ。
「それはないよ。真智先生の知り合いに教えてもらったの」
真智君の後輩を追っかけたと言えなくもない。
「違うんだあ。よかった」
よかった?
「杏奈ちゃん、これから真智先生の出番だから案内するね」
私は杏奈ちゃんを連れて公園に移動し、大学のブースに連れて行った。
「真智先生は宇宙の研究をしているの。ここね。あ、ちょうど説明がんばってるわ」
杏奈ちゃんは、何も言わず、子どもたちに実験イベントを見せる真智君をじっと見つめている。
「杏奈ちゃん、理系に変えたんだよね。宇宙とか興味あるの?」
「違うよ。あたし、やっぱり歴史やることにしたの」
「そうか。良かった。神社とか好きだったし、よくお父様お母様を説得したね」
受験生は誇らしげに胸を張った。
「親はね、数学出来ないから文系に逃げるんだ、って言うの。だから逆に見返してやろうと数学がんばったの。そしたら諦めてくれた」
「偉いなあ」
途端に彼女は力強くVサインを突き出す。
「へへー、あまり学校じゃ言えないけど、推薦ゲットした!」
「すごい! おめでとう! よかった」
私が彼女の推薦合格に何か力になったわけではないけど、二年間教えた子の成功は嬉しい。
思わず私は杏奈ちゃんの頭を撫でた。
「拓弥君が言ったの。考古学だと放射性物質で年代測定するから、数学できて損はないって」
杏奈ちゃんが「拓弥君」と真智君を呼ぶのは、つながりがあるのだろうか。
「真智君って、もしかして杏奈ちゃんが今いる塾で講師してるのかな?」
今、彼は研究室にまじめに通っている。講師バイトなんてできるのだろうか?
「違うよ。思い切ってアドレス聞いたら教えてくれたんだ」
ボソッと語る杏奈ちゃんが頬を染めている。恋する乙女みたい。
女子トークをしているうちに、真智君のイベントが終わった。
二人でブースの裏側でまったりしている真智君に声をかけた。
「あれ、那津美さんに杏奈。おお、俺たちカメノ塾復活じゃん」
真智君、杏奈ちゃんを呼び捨てにしている。そういう仲なの? 先ほどの杏奈ちゃんの反応とあわせて何か不安だ。
「真智くーん、杏奈ちゃん泣かせたら承知しないからね」
「え! ちょっと待って那津美さん。別にコイツ……あ、いや杏奈、ごめんごめん」
私はそっと二人から離れた。
そろそろ待ち合わせの時間だ。駅前のステージに戻る。
「叔母さん! 元気でしたか?」
私は、かつての雇い主だった叔母に駆け寄った。
少しやせたが、半年ぶりに会う叔母は、それほど変わらず微笑んでいる。
「那津美ちゃん、いつもと何か違うわね」
「ええ、私、大学の広報のバイトしているんで、あちこち回ってます」
叔母の隣に、五十代半ば、いや正確には五十五歳の女性が立っている。
ベージュのパンツスーツにショートヘアが合っている。古代の貴族の肖像画に出てきそうな上品な顔立ち。地味で儚げで気品に溢れている。物質的にも精神的にも幸せな生活を送っているのだろう。
「こんにちは。倉橋さん。宇関の祭り、今年もお越しいただきありがとうございます」
その女性は「今年も楽しみよ。なこ」と笑った。
また、この人、来たのか。
二十年前に、若い男と再婚するために父と私を捨て、宇関を出た母。
なぜか、毎年、月祭りだけは顔を出す。疋田の叔母と一緒に。
叔母は、素芦家に泥を塗った女性と不思議なことに仲が良い。私に気を遣って叔母は何も言わないが、二人は連絡を取り合っているようだ。
「那津美ちゃん、せっかくだから、お母さんに大学の展示、見せてあげたら」
おろおろと叔母が私たち母子を取り成そうとする。
「倉橋さん、ブースまではお連れしますが、忙しいので充分案内できませんよ」
父の葬儀の後、私はこの人を、赤の他人として実に礼儀正しく接することにしている。
「なこ。勝手にあなたに着いていくから、気にしないでね」
私は顔がゆがんでくるのを抑えられない。どれほど私が他人行儀に接しようと、母親面をやめないのだ。
「じゃ、行きましょか。那津美ちゃんの働きぶり、見たいわ」
「叔母さん、私、ただのバイトなのよ。恥ずかしいわ」
ことさら私は、叔母に笑顔を見せる。叔母との仲を倉橋さんに見せつける。
私は叔母に向けて、大学のブースを案内した。
「今回はね、ここのテレビの画面に、祭りのあちこちの会場が映るの。珂目山の神社とか、宇鬼川の運動公園とか」
「すごいねえ、那津美ちゃん」
「いや、作ったのは学生さん。アイデアは先生」
それまで無言で聞いていた倉橋さんが私に尋ねる。
「このモニター、珂目山神社の亀石の池も映るの?」
赤の他人として礼儀正しく接する。
「はい。宮司様が池で禊を行いウサギさまにお祈りを捧げて、池に折り紙で作った小舟を流します」
素芦家の嫁を十年やっている女性なら当然知っていることを、私はあえて伝えた。
「祭りは変わらないのね」
倉橋さんは寂しげに笑っている。
「変わりました。昔は駅前広場にステージはなかったですし、大学の参加もなかったし」
その後、私は疋田の叔母に「ごめんなさい。私、これからお手伝いに入るので」と言い残して仕事に移る。
叔母は「じゃ、私はのんびりとぶらぶらしているから、後は二人でよろしくね」
そう言って、去ってしまった。
叔母さん、いかないで。私、倉橋さんと二人きりになりたくない。
「関係者以外立ち入り禁止の場所もあるので」と、彼女にくぎを刺した。
なぜかこの人は、毎年、祭りの時だけ宇関にやってきて、私にずっと付きまとう。
誕生日。私は、この人からのプレゼントが来ると確信し、探し回った。
同じようにこの人が祭りに来なかったら、探し回ったのだろうか? え? 私は何を考えているの?
大学のブースを回り、必要な物品など聞きまわった。
そこに赤白の法被をまとった大柄な男性が近づいてきた。
「荒本さん、神社の方はいいんですか?」
この人、どんな恰好も似合うが、この祭りの出で立ちが一番カッコいい。悔しいことに。
「そっちの大学が用意してくれたこいつで見たんだろ?」
そういって、タブレットに映し出されたモニターを見せてくれた。
「ごめんなさい。中々見る暇がなくて。でも無事に、亀さまにお祈りして、これから月を目指すんですよね」
「そういうこと。ほら、上流で小舟が流れているだろ?」
タブレットのモニターに、頼りなげに浮かぶ小舟が映っている。
荒本さんは何かに気がついた。
「おや、美子おばさんじゃあないですか」
後ろに立っている倉橋さんに荒本さんは声をかける。その声には侮蔑の色が含まれている気がする。
彼も、二十年前に父と私を捨てたこの女性を、許せないのかもしれない。
荒本さんは、倉橋さんの挨拶を無視して、私を向いた。
「那津美、これから、大学経由のスポンサー様に挨拶するぞ」
マメな人だ。新たなビジネスチャンスを狙っているのだろう。
「では、紹介しますね」
私たちは、ブースに出入りするスポンサー企業の担当者を探しては声をかける。
その間も、倉橋さんは追いかけてくる。
荒本さんは、法被の袂から名刺を出しては交換する。合間を縫って、耳に挿したペンでもらった名刺に書き込みをしている。
私がついてなくても、彼のことだから、上手く目的を達成するだろう。
「私、買い物行ってきます」
駅前の駐車場に向かった。倉橋さんは相変わらず一定の距離を保ったまま着いてくる。
「倉橋さん、どうされます? 私はこれから、ホームセンターに行きますが」
「あなたと一緒にいるわ。荷物持ちぐらいはするわよ」
そういって、後部座席に座った。
青いコンパクトカーを走らせ北に向かう。
静かな時間が流れるがおもむろに彼女が口を開いた。
「疋田のおばさまに聞いたわ。お付き合いしている人いるんですって?」
叔母さんのおしゃべり! お見合いを避けるため、流斗君に片思いしているとは言ったけど。
「そんな人いません。私は結婚する気はありませんから」
不快な対話を進めるうちに車はホームセンターに着く。私は無言で、あちこちのフロアを回る。もちろん、倉橋さんには一切の荷物は持たせないで用をすませた。
大学のブースに戻って回り、調達した道具を渡す。
タブレットを確認した。各地で子どもたちのお芝居が始まろうとしている。
漁師の恰好をした男の子が、舞台に登場した。
1
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる