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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-16 二十年前、初めての首都

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 かつての我が家だった古民家カフェのオーナーと、顔を見合わせている。
 彼女は倉橋美子さんの知り合いらしい。
 オーナーは私のことも知っていた。

「あなたに会ったのは随分前だから、覚えてないか。二十年前かな? お母さんと二人で一緒に首都に来たでしょ? その時、私が働いてたパスタカフェに来てくれて」
 二十年前? 倉橋さんがこの家を出る直前だ。

「私は、美子とは大学の同期でね。まさか美子が同期で最初に、田舎のおじさん……ごめんね、結婚するなんてびっくりしたし、その後も……あ、ごめんなさい」
 カフェのオーナーは、友人である倉橋さんから、宇関町の古民家がテナントを募集していると聞き、出店することにしたそうだ。

「彼女、就職して二年目にここの祭りで、あなたのお父さんと会って、結婚を決めたの」
 しかし倉橋さんは若い男を選び、宇関を、父を、私を捨てた。
「彼女にもいろいろあったみたいだけど、あなたはお母さんに複雑な気持ちだよね」
「いいえ、幸せそうで良かったと思います」

 倉橋さんは今、キャリア官僚の夫との間に息子と娘をもうけ、首都の高級住宅地で暮らしている。
 倉橋さんの子どもたちは、私の弟と妹ということになる。写真でしか知らない二人。二人は自分たちに姉がいるなんて、知らないかもしれない。

 タルトを口にした。これも、懐かしい味だ。この人と母は、友だちだ。レシピが共通してるのかもしれない。
「あなたは、小学校の中学年だったよね。ずいぶんお姉さんに見えたわ。美子が自慢していた。お父さんに似て良かったって、あ、またごめんね。美子から事情は聞いてたのに」
 それから、当たり障りのない雑談をすませ、私は店を出た。


 二十年前、私は母と二人で出かけるぐらい仲良かったのか。思い出そうとするが、運転をしながら下腹部に鈍い痛みを感じる。生理が来たようだ。
 家に戻りショーツを着替えながら、唐突に思い出した。
 どろりと流れる血の感触と共に、記憶が蘇る。二十年前、初めて知ったその感触の記憶。
 私は周りの子より成長が早かった。倉橋さんが家を出る直前、私は初潮を迎えたのだ。
 私は、あのころ、倉橋さんが、母が大好きだった。


**************************


 十歳の誕生日を迎える前だった。
 学校の授業で習ったとはいえ、トイレで赤黒く染まった下着を見ればうろたえる。これがそうか、と。真っ先に母を呼んだ。
「良かった~。大丈夫よ」
 母は笑顔で私を抱きしめ、ナプキンをつけた生理用ショーツを履かせてくれた。前から準備していたのだろう。
 周囲より成長していた私は、うつむくばかりだった。

「このお家では、女の子が大人になると、みんなにお披露目するんだって。お祖母ちゃんに話しておくね」
「やだ! そんなのいや!」
 子ども心ながら、そんなことを広めるなんて恥ずかしかった。ただでさえ、私は周りから、背が高いこともさることながら、発達してきた胸のことでからかわれていた。

 母は私の頭を撫でた。
「それはそうよね。全然恥ずかしがることじゃないけど、でもみんなに宣伝するの嫌よね、わかった。じゃ、これはママとなこの秘密にしておこうね」
「ママ、絶対、誰にも言わないで」
「じゃ二人でお祝い。今日は、おばあちゃんもお父さんも出かけてるから、ペンネゆでようか。なこ手伝ってね」
 母と二人のランチタイムは、パスタと決まっていた。一緒に台所に立ち、私はお湯を沸かしたり皿を並べたりして手伝った。そんな時間を楽しみにしていた。


 が、二人の秘密は続かない。
 ほどなく祖母と母が争う。
「お義母さん、それだけはやめてください。今は、そういう時代ではありません」
「素芦の娘はみな、そうしました。嫁に行った薫子も同じです」
「薫子姉さんも嫌だって言ってました! この子はまだ十歳になったばかりよ!」
 何となく、私のことを争っているのだと分かった。

「ママ、私、おばあちゃんのいう通り、お披露目してもいいよ」
 すごく恥ずかしかったが、母が祖母と争う方が耐えられなかった。
「ダメ! 絶対にダメなの! いい? なこはね、もっと大人になったら、自分で好きな人を選ぶの」
 そして、月祭りの早朝。
 まだ、日が昇る前、私は母に叩きおこされた。


「なこ、今日は、お祖母ちゃんの家に行こうか?」
「お祖母ちゃん?」
「ママのママの家よ。ちょっと遠いけど、電車に乗るよ」
「電車? ダメだよ、今日はお祭りだよ」
「今のうちに出て、夜、戻ろう?」
 そういって、母は強引に私を外に連れ出し、車に乗せた。
「ママ! どこ行くの!? お祭り始まっちゃうよ!」
「たまにはいいじゃない。祭りは毎年くるから。今日は、首都のおばあちゃんのところ、行こ。ほら、電車だよ」

 当時、宇関には電車の駅はなく、最寄り駅まで車で三十分ほどかかった。
 子どもだった私は、母が好きだったこと、初めて目にする電車の誘惑に勝てなかったこと、そして古い祭りに飽きていたこともあって、そのまま母に従った。


 駅の券売機で迷うことなく切符を買う母、改札機にそれを通す母の姿が、まぶしく感じられた。
「ママカッコいい!」
「やだな。こんなことでカッコいいなんて、なこだってすぐ慣れるよ」
 私はおずおずと渡された切符を改札機にいれた。
 電車も楽しいが、車窓の風景の変化に私は目を見張る。

 初めて降りた首都の駅は、あまりに人が多く「お祭りがあるの!?」とうろたえた。
「ここはね、いつも人が多いのよ。ママ、若い時はそういうのが嫌で疲れて、宇関でお父さんと結婚したんだけど……今となると懐かしいわ」


 母は私を駅前のプラネタリウムに連れてってくれた。
 プラネタリウムは、学校の校外学習で見たことがある。
 が、都会のプラネタリウムは、全く違った。
 大人向けのプログラムで、音楽鑑賞の授業で聴くようなクラシック音楽に乗せて、星座のロマンティックな神話と、当時はやったTVドラマのラブストーリーが交互に語られる。

 ゆったりとしたフルートの優しいメロディが流れ、夜が明け、私も目が覚めた。
「なこ、寝ちゃった?」隣で母が囁く。
「寝てないよ!」つい虚勢を張った。子どもだと馬鹿にされたみたいで恥ずかしかった。
 女神が夫の浮気に耐え兼ね愛人に嫌がらせする、という神話は、小学生の私にはよくわからず、退屈だった。


 昼になり、パスタカフェに行った。母の友人が働いているという店へ。
 そこで母が時々作るような料理を食べた。
 母と、友人は盛り上がっていた。私もそれなりに会話に混じり、その時は月祭りのことなど忘れていた。

 母方の祖父母の家を訪ねた。私にとって、初めての訪問。
 もう一人の祖母は大げさに泣きながら私を抱きしめた。
 豪華な夕飯をごちそうしてくれた。

 さすがに私は「お家帰らないの?」と心配になってくる。
「なこ。ここで、ママとおばあちゃんたちと暮らさない?」
 敷かれた布団の上で母が尋ねた。

「え? だって、お父さんもおばあちゃんも宇関だよ。学校もあるし」
「そうか……じゃあ、中学からこっちに引っ越さない?」
「嫌だよ。沙羅ちゃんも同じ中学に行くし、それに……お兄ちゃんもいるし」
 今から思うと、あのころから荒本さんが好きだった。
「だめ! 丞司君はだめ! あの子は乱暴者だし。なこ、クラスに頭いい子、カッコいい子、サッカー上手い子いないの?」
 私は首を振った。
「だめ。みんな、子どもだよ」

 母はくすくす笑った。
「わかった。それならママ、もうちょっとだけ、がんばってみるね」
 初めて私は母の実家に泊まった。


 翌日、首都の祖父母の家で朝食をいただく。スクランブルエッグにシーザーサラダと、普段の朝食とは違って、新鮮な気持ちになった。
「那津美ちゃん、これからは、もっと遊びに来てね」
 祖母の願いに私は力強くうなずく。ここで暮らす気にはなれないが、シーザーサラダは美味しいし、首都はオシャレなお店が多いので、遊ぶには楽しい。

 ピアノを弾きながら歌ったりと家でのんびりしていると、客が来た。
「こんにちは。美子さんが帰ってると聞いたんだけど」
 知らない男の人が訪ねてきた。母と同じくらいの年に見える。
「倉橋君じゃない。ずいぶん大人になったのね」
「ひどいよ美子先生! これでも俺、国家公務員ですよ」
「ごめんね。もう、お父さんになってもおかしくない年よね」
 玄関先で盛り上がっている二人に対し、面白くない気持ちになった。

 その男の人は、母が大学時代に家庭教師をした近所の子だそうだ。
「仕事が忙しくて結婚どころじゃないですよ。美子さんは全然変わってないですね。こんな大きなお嬢さんがいるなんて。よろしくね、那津美ちゃん」
 私は形通り、その男性と握手した。母と楽しそうにしているその男の人を、苦手に思った。


 そして、午後、キッズインナーショップに母は連れてってくれた。
「なこは、そろそろこういうの着けた方がいいわね」
 と、母は、子ども用のブラを見せたが、私は嫌がった。
「じゃ、こっちのタンクトップにしようね」
 宇関には売ってない、可愛いインナーをいくつか買った。



 戻った後、何があったか思い出せない。
 いつのまにか母はいなくなっていた。
 父は何度も繰り返した。
「あの女はもうお前の母親じゃない。若い男と出ていった。忘れろ。お父さんも忘れた」
 まもなくその若い男が、首都の祖父母の家で会った、倉橋という男だと知った。


**************************


 母はあの時、私を連れて出るつもりだったのかもしれない。
 私が嫌がるから、独りで出ていったのだろうか。
 首都の家で会った倉橋さんの様子は、久しぶりに会ったように思える。父に隠れて二人が付き合ったことは、なかったのだろう。
 しかし母は、半年後に再婚した。そしてその半年後に子どもが生まれた。私の弟だ。

 都会生まれの母は、田舎暮らしに耐えられなかったのだろう。
 だから年下の男性と再婚した。二十四歳年上の父を捨てて。
 宇関の田舎を、年老いた父と私を捨て、若い男を選び絵に描いたような幸せを手にした母。

 私は、荒本さんと婚約を破棄しても、年下の男は好きになるつもりはなかった。
 年取った男を捨て若い男を選ぶ。それが醜い行為に思えて仕方なかった。

 なのに、母と倉橋さん以上に年が離れている流斗君を好きになってしまった。
 好きなのはやめられない。年下だろうが、宇宙オタクだろうが、彼が別の人を好きだろうが。
 会いたい。でも恥ずかしくて今さら、ごめんね、仲直りしよう、なんて言えない。


 車の中で余計なことを考えているうちに、図書館に着いた。
 目的は、素芦の古文書の調査だ。
 一日や二日でできる仕事ではない。大学卒業から七年経っているし、古文書の解読はあまり得意ではない。
 が、わからなくてもまず目を通し、祭りの由来に関するできごとを、一つでも知りたい。

 私はカウンターの職員にその旨を告げると、奥から館長が現れた。
「那津美さん。素芦文書を調べたいんですか。いいですね~。でも、町役場の人が調べたいと言って貸し出したばかりなんですよ」
「そうなんですか。では文書が戻ったら、連絡いただけますか?」
「いいですよ~。月祭りのことで調べたいそうで、お祭りが終わった後になりますが……」
 それは残念だが、来年の祭りに役立てばいい。
 むしろ、役場の人が文書に関心を持ってくれて、嬉しくなった。


 祭りについて調べる、という当初の目的はほとんど果たせなかった。
 懐かしい気分に浸っただけ。
 アパートに戻り、すぐテレビをつけた。今は、旅番組とかお笑いとかそんなもので気を紛らわせたいが、時間帯が時間帯なだけにニュースが多い。

「幼い子どもが強制的に結婚させられる児童婚が、世界で問題となっています」
 悲しいニュースが多い。まだ年端もいかない女の子が無理に結婚させらてしまうとは。家が貧しかったり、部族の慣習として続いていたり、という理由で、難しい問題のようだ。
 この国も少し前までそうだった。曾祖母の世代だと十代で結婚するのが普通だったらしい。今は、結婚年齢がどんどん上がり、一生独身の人も増えている。私もその一人だ。

 結婚……そんなこと望んでないけど……せめて、仲直りしたいけど……きっかけが……
 それは後にしよう。
 もうすぐ月祭りが始まるんだから。
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