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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-11 誕生日の夜、彼が来て……

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 今夜も、祭り準備の会合に顔を出し、大学側の進捗状況について報告する。
 ウェブカメラの設置については、土地所有者、設置場所の自治会、そして町役場の同意が得られたことを確認した。荒本さんががんばってくれたらしい。
 準備委員会の老人たちが、ニコニコしている。
「那津美ちゃん、今夜もよく晴れたね」
「大したもんだ。素芦もとあし家、復活だな」
 この前、祈りの歌を歌ったおかげか、初めて会合に出た時より、風当たりが良くなった。

 例によって私は、一足先に退出した。荒本さんがまた玄関までついてくる。
「荒本さん、どうしてこの前は朝河先生に失礼な態度を取ったんですか?」
 およそ宇宙の研究室に相応しくない騒ぎは、荒本さんが挑発したからだ。
「お前の流斗君がどんな男か知りたかったんだよ、兄ちゃんとしてな。思った以上にガキだったな」
 荒本さんに全く悪びれる様子はない。
「先生は祭りにすごく協力してくれます。次に会った時、ちゃんと謝ってください」
「そりゃ先生は協力するさ。お前とヤルためならな」
「やめて、セクハラ親父!」
 この男を死ぬほど憎み愛したことが嘘のよう。仕事上は頼りになるが、今や、ただただ鬱惜しい幼なじみだった。


 待ちに待った誕生日。いつもより一時間も早く目覚めた。
 窓を開ける。晴れ渡る快晴の空……ではなく、一面雲が垂れ込めている。
 でも、私の心は、何よりも晴れている。
 半年前は、ただ一人ぼっちで夜、ケーキを食べて過ごす予定だった。
 一年前とは違う今日。
 彼に、流斗君に出会ってから、いろいろなことが変わった。
 
 毎年の大掃除より念入りに部屋をきれいにする。
 どうにも雲行きがあやしいので、スマホで天気をチェックした。三日前に発生した台風は、勢力を増している。
 宇関には影響が少ないが、台風が通過した西地方では深刻な被害が発生し、土砂崩れが発生している。年々襲ってくる豪雨。月祭りでこの数年晴れないのも、異常気象なのだろうか。

 部屋を見渡してみる。何の装飾もなくあまりに素っ気ない。お金が貯まったら、カーテンを替え可愛いマットを敷こう。
 今回はかわいいクッションを買った。
 食器は、ギリギリ足りるかな? 大したもの作れないけど、安くてもそれなりに映えるレシピに挑戦しよう。
 久しぶりに布団をベランダに出し、軽くはたいてから取り込んだ。


 それに大事なこと……避妊。一人で生きるならするべきだけど……何を迷っているの?
 年月が経つ。国際科学賞を受賞した流斗君がテレビに映る。彼の隣で若い妻と子どもたちが誇らしげに微笑んでいる。
 私は、その子どもたちよりは成長している我が子に伝える。「お母さん、あの先生、ずっと応援してたの」
 その子は、目が大きくくせ毛で、数学や理科が得意で……。
 うわああああ。なに妄想しているの? 部屋の片づけを始めよう。

 もう一つ大事なこと。パソコンに眠る暗黒皇帝陛下のことは隠さなければならない。
 電源をいれても起動しないように、プラグを抜いてしまっておこう。パソコンそのものを隠すと勘ぐられるのでそのままにする。
 高性能のヘッドフォンも貧しい部屋には不自然だ。私はそれらを押し入れにしまった。
 いくら流斗君でも、勝手に押入れを開けたりしないだろう。

 狭い押し入れには、この前、荒本さんから返してもらった無意味な通帳類に年賀状。
 この七年間、中学、高校、大学の友人はみな、年賀状だけの友だちになってしまった。婚約破棄されたとき、そして父が亡くなった時、同情するメールが来た。少ししたらお誘いのメールも来た。
 それらすべてを断ったところ、メールは減って、今では同期会の誘いぐらいだ。
 思い出や感傷に浸るのはやめる。
 メールが減ってしまった今、唯一、毎年やってくるプレゼントが貯まっている。
「あれ、どうしよう」

 七個の箱はみな片手で持てるほどの大きさで、送り主は倉橋美子。日付は私の誕生日。品名はアクセサリー。
 送り返すのも面倒だ。伝票をはがして、新しく伝票を書いて張り付けて、送料を負担するのは無駄だ。
 捨ててもいいが、開けないと、燃えるゴミか不燃物かもわからない。
 かといって、直接相手に迷惑と言うこともできない。伝票で電話番号はわかるが、倉橋さんとは電話をする仲ではない。
 今年も送ってくるんだろう。それが憂鬱になる。

 そろそろ出勤だ。嫌なことは考えない。流斗君が来るのだから。


 いつも通り、私は大学で仕事に取り組んだ。
「飯島さん、台風心配ですよね。ご実家、西地方ですし」
「あ、まあ、おおきに」
 珍しく飯島さんにお礼を言われた。
 その台風のニュースを見た思い付きを提案してみる。
「沢井課長、うちの大学、天気予報とか水害対策の研究やってますよね。ホームページでピックアップしたらどうでしょう?」
 提案が効いたのかわからないが、沢井さんに「ケーキ買ってきたの。一緒に食べない?」と打ち合わせ室に招かれた。

「今日、誕生日でしょう?」
 沢井さんは私の履歴書を見ているので、誕生日を知っているのだ。
 打ち合わせ室のテーブルには、構内のミネルバカフェで買ったらしいケーキが二つ置いてある。紅茶も入れてくれたようだ。
 思わぬサプライズに喜んでいたら、次の質問で、それがぬか喜びだとわかる。
「朝河先生の部屋に泊まったわよね?」

 どうして? いや泊ったけど結果的に何もしてないし……そういう問題ではないか。
「あそこのマンション大学関係者が多いの。先生は有名人だから、そんなことしたら、あっという間に噂になるわ」
 誰から聞いたの? と追及しても仕方ないようだ。
「確かに先生があなたに関心があるから採用したけど……そこまで本格的になるとはね」
  できることなら『本格的』に付き合いたいけど、残念ながらそこまで本格的ではない。
「うちは職場恋愛は自由だけど、それでも隠すように付き合うわよ」
 その通りです。ごめんなさい。
「それに、あまり年下の男性に入れこむのは勧めないわ」
 少し前まで本当に私も思っていた。

 だけど。
 今日は、一緒にいたいんです。


 帰りに郵便局に寄って、早速開設された西地方台風義援金の口座に二千円入金した。
 父なら一桁、いや二桁上の額を入金しただろうが、これで勘弁してほしい。
 彼を迎える準備の方がお金を使ってるが、それも許してほしい。
 老舗の和菓子屋で、宇関名物の薄皮揚げ饅頭を買った。店頭でしか買えず、ネット通販もされていない。この名産品を買いに、他県から訪れる人がいる。

 家に戻ってスマホをチェックすると、流斗君からメッセージが届いていた。
『誕生日おめでとう!! 遅くなるけど待ってて』
 外国とウェブ会議があると言っていた。会議の休憩中に送ってくれたみたい。
 会議が伸びて彼が来られなくても、このメッセージだけで幸せだ。
 遠くの台風の影響で、雨がシトシト降っている。ニュースでは、直撃を受けた西地方の被害はまだおさまらず、屋上に取り残された人々がヘリコプターで救助される映像が流れている。

 大変な人々がいる一方、私は浮かれて冷蔵庫を開ける。
 映えるメニューは諦め、普通の和食にした。
 そろそろ冷蔵庫から出して、室温に戻そう。魚は、彼が来る時間を見計らって焼くことにする。
 焼きサバに肉じゃがにほうれん草の白和えにきんぴらごぼう。
 おじいちゃんかおばあちゃんの食卓だ。都会育ちの彼は呆れるか、それとも新鮮に思ってくれるか。

 家は、私が生まれたときから、年寄りばかりだった。私と父は四十九歳も離れている。
 子どもは私だけ。いや……母は年寄りではなかった。
 家の食事は、祖母と家政婦さんが担当し、母は配膳を手伝っていた。
 祖母は母のことを「あんな若くてきれいな娘さんが、よくうちに来てくれたね」と何度も言ってた。
「いつまでこんな田舎にいてくれるかねえ」と心配していた。

 古い人ばかりの家で、母は異質だった。宇関の中でも異質だった。
 ショートカットと白いTシャツとタイトジーンズが印象に残っている。
 あまり家にはいなかった。自治会の青年たちとタメ口で話していたのも、宇関の女としては異質だった。
 月祭りでは屋台を出し、田舎にはないスイーツを作り売っていた。屋台の組み上げなど男がするような大工仕事が得意で、私のため、かわいい椅子や機能的な棚を作ってくれた。みな処分したけど。
 時々、台所でオリジナルスイーツを作ってくれた。
 そんな母に……憧れていた。誇らしかった。


 母を思い出すうちに、私は唐突に気がついた。いつもくる倉橋さんからのプレゼントがまだ来てないことに。
 ポストを確認したが、不在伝票は入っていない。
 もう夜の七時だ。もしかして、今年は来ないのだろうか? いや、別になくてもいいんだけど。
 今まで送られてきた小包を押し入れから出した……宅配業者がバラバラだが、いずれも大手運送会社だ。
 もしかすると、近くの営業所まで来ているのかもしれない。
 こちらから営業所を訪ねてみようか。じっと待っているより早いだろう。

 宇関にある大手宅配業者をリストアップし、ネットで地図を表示させた。全ての倉庫を回るルートを作ってみる。二時間ぐらいで回れそうだ。
 流斗君が来るのは早くても九時ぐらい。今からちょっと回れば充分間に合う。
 地図の赤いピン止めマークのついた倉庫のどこかに、プレゼントがあるに違いない。

 確認しなければならない。
 あの倉橋美子さんが、今年もプレゼントを送るつもりがあるかどうか。もし送るつもりなら、それは何が何でも今日中に受け取らなければならない。
 この七年、唯一もらった誕生日プレゼントだから。
 今日中にもらわなければ、誕生日の意味がないから。

 私は、ある時から母を嫌いになった。
 私が母、倉橋美子さんを嫌いなのは、私と父を捨てて若い男に走ったからだ。


 降りしきる雨の中、私は車を走らせた。雨がウィンドウを叩きつけ、ワイパーが小刻みにドコンドコンとメトロノームのように動く。
 雨の夜の運転は、車線が見えにくく路面が光って怖いが、そんな場合ではない。
 
 まず近くの物流倉庫を訪ね、受付に尋ねた。
「こういう人からの荷物届いていませんか?」
 私は、数年前の同じ会社の伝票を見せる。
「はい。住所をお知らせください……いえ、こちらには来ていませんが」
「でも、毎年、必ず、荷物が来てたんです」
「送り主には確認されましたか? うちの会社で出したんですか?」
 確認? あの人に電話して「荷物来てないんだけど」って催促するなんて……ありえない。あの人が出ていってから、こちらから電話したことなど一度もない。あちらから電話がかかってきたのは、父の葬式の時だけだ。
 そのような関係性で、『確認』などできない。
「伝票番号が分かれば追跡できますけどねえ」
 当然、そのようなものはわからない。

 五か所ほど倉庫を回った。どこも同じだった。荷物は届いていない。伝票番号が分からなければ確認できない、と言われた。

 台風の影響か、ますます激しくなる雨の中、車を進める。ボンネットを雨がガツンガツンと叩く。
 なぜ荷物がないのか。唐突にその理由がわかった。
 ついにその時が来たんだ。
 私は今日、三十歳になった。
 倉橋さんは、私が三十歳になるまで、と決めていた。
 私は、また捨てられた。
 あの人は二十年前に家を出てから、何度も私を捨てる。
 こうして夜、長時間運転すると、頭がズキズキ痛くなってくる。
 あと何度捨てられたら、私は平気になるのだろう?
 平気になれば、土砂降りの中、町中を当てもなくドライブするなんて愚かなことをしなくなるのだろうか。

 
 いつのまにか十二時を過ぎている。私の誕生日は、終わってしまった。
 諦めるしかない。誕生日に受け取れないなら意味がない。
 おかしい。二時間ぐらいで全部回れるはずだったのに。五か所しか回れてない。
 それほど一か所で粘った覚えはないけど。
 確かに何度か所長さんらしい人に「いい加減にしてください! 警察呼びますよ」とは言われたけど。
「救急車呼びます」とも言われたっけ?
 さすがに警察や救急車を呼ばれるのは困るから諦めた。次の倉庫に回れないから。


 何の収穫もなくアパートに戻り、駐車場に車を駐めた。
 と、サイドウィンドウをゴツゴツ叩く音がする。
 これまでみたことないほど目を吊り上げた流斗君が、傘もささず濡れたまま雨の中に立っていた。


 車から出た私を流斗君が捕まえ揺さぶる。
「今までどこにいた!」「三時間待った!」「何で返事しない!」
 私ははっと我に返った。スマホを見ると、着信が十件、メッセージが二十件。
 ようやく私は、とんでもないことをしたことに気がつく。
 邪魔な荷物が来なくてせいせいした、と笑っていれば良かっただけなのに。
 
 流斗君に促されるように、私は部屋の鍵を開けた。
 彼は手に抱えた大きな箱を玄関に降ろして、ボソッと告げた。
「荷物、置いとくよ。じゃ」
 それは、パソコンショップの段ボール箱。濡れないようにちゃんとビニールで梱包されている。
 一方流斗君は、箱を持つため両手がふさがれ傘を使えず、すっかりびしょ濡れだ。いつものくせ毛がぺったり頭に張り付き、不謹慎にも私は美しい、と思ってしまった。
 が、彼はその美しい姿を長く見せることなく背を向けた。

 私はうつむいたまま、彼の腕を取る。
「ありがとう、あの……遅いし、良かったら、泊っていく?」
 が、彼は私の腕を振り払う。
「遅すぎるよ。悪いけど、今、あなたが好きそうなことする気になれない」
「違うわ。明日も仕事でしょ? だから、今日はゆっくり休んで、ね?」
 それでも彼は、振り返らない。
「パソコン、初期設定は済んでるから、自分でデータ移行やっといて、じゃね」
「待って、濡れたままだと風邪ひいちゃう。タオル持ってくるから」
「こんなことなら、会議、最後まで出ればよかった」
 彼は、雨の中、走っていった。
 私は二階の窓から、彼の車が去るのをじっと見つめていた。


 よろよろと、玄関に置いてある彼の贈り物であるパソコンの箱の元に戻る。
 と、そばに紙袋が置いてあった。
 彼の忘れ物だ。と、紙袋の中身を見た。
 違う、これは……。
 プラスチックのケースに収められた二個のチョコレートケーキ。小さな造花を手に持った猫のぬいぐるみ。コンビニで買ったんだろうか。
 流斗君、私の誕生日を楽しく過ごそうと考えてくれたんだね。
 外国との会議を切り上げて駆け付けてくれたんだね。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 私は、紙袋をくしゃっと抱きしめた。


 冷蔵庫から安い白ワインを取り出した。彼からもらったケーキ、そして用意した宇関のスイーツ薄皮揚げ饅頭を口にする。
 当初の予定通り、清らかな身のまま、三十歳になった。
 豪華なスイーツに囲まれて、独りで一日遅れのバースデーを祝った。
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