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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-1 採用された本当の理由

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 事務室奥の打ち合わせコーナーで、私は沢井さんと面談している。
「朝河先生、取材受けることになって良かったわ。じゃ、三か月契約更新ね。ここにハンコお願い」
「ありがとうございます」
 用意した三文判を押す。「素芦」なんてハンコはどこにもない。失くすとまた作ってもらわなければならない。

「これから先生の取材の手配、どうしましょうか?」
 沢井さんは首を傾げた。
「あなたたち、喧嘩でもしたの?」
 今度は私も首を傾げる
「先生、あなたを担当から外してくれって」

 一瞬、自分の顔から血の気が引いた。そうよね。当然だ。彼は怒ってたもの。
 なのに、仕事ではまだ関われる、と微かな望みに期待をしていた自分の間抜けさに笑ってしまう。
「わかりました」
 私は静かに微笑んでみせる。
「でもその方がいいわ。あなたは先生の研究室に行くと中々帰ってこないし、先生だって何かとこっちに来るし……飯島君はそのたびに不機嫌になるしね」
 そんな風に私は思われていたのか。流斗君にも悪いことをした。

「迷惑かけました。その……」
 そういう状況だと切り出しにくい。
「沢井課長。来月この宇関で祭りが開かれます。その準備で、時々早退させていただいてもいいでしょうか? 準備がない日は、何時までも残ります」
「ああ、月祭りのことね。素芦もとあしさんは準備委員の役員さんとか?」
「……いえ、ただの手伝いです。課長も知ってるんですね」
「だって、うちの大学、去年、参加したもの」

「そうなんですか!」
「学生たちの一部は踊りに参加して、ブースも出したわ。協賛もしてるわ」
 そういえば、私はもう祭りの役員から外れていたからあまり気にしなかったが、昨年、チラシで大学の名前を見た記憶がある。
「ちょうどよかった。素芦さん、祭りの大学担当、任せるわ。向こうの手伝いの時は、大学のPRよろしくね」
 難しそうな仕事だが、何か大きなことに打ち込めるのはありがたい。

 沢井さんから、一通り資料をもらった。これは、昨年から始まった新しい月祭りだ。
 駅が開通したため、地元の山奥や川でひっそり行う儀式の他、宇関を知ってもらおうと、駅前の公園を中心に、屋台やブースを出した。
 子どもたちの月祭りの劇も、駅前の公園で行った。
 西都科学技術大学も協賛し、大学PRのブースを出した。
 そしてミツハ不動産もだ。かなり寄付をしているのか、ブースの面積も広い。単なる不動産のPRだけではなく、未来のモデルハウスの展示など行ったようだ。

 ふと思いついた。
「課長、さすがに大学からの協賛金は増やせませんよね」

「ごめん! 私も経理や本部に掛け合ったけど、精一杯なの」
「いいえ……もし祭りの委員会でブースの拡張が認められれば、先生方、協力してくれるでしょうか?」
「どういうこと?」

「大学のPRだから、いくつかの研究室にブースを出してもらって研究そのものをPRしてもらうんです。欲を言えば、ウサギ・亀・月……あと海、水でもいいかな? それらのキーワードに少しでもひっかけてもらえれば最高です」

「キーワードのところはよくわからないけど、あなたの力でブースを広げてもらえるの?」
 まったく自信はない。
「委員会で掛け合ってみます」
「よろしくね。それにしても、朝河先生のおかげね」
 沢井さんが、また変なことを言う。

「先生ね、五月ころかな。人事にこういう人が応募していないか? 応募したらいい人材だから採用した方がいいって乗り込んだそうよ」

 思い出した。
 真智君の合コンの帰りに送ってもらった時、私がアルバイトに応募すると言ったら、彼は人事に推薦すると答えた。
 あのころはただの学生と思ってたから、冗談と受け流した。仮に万が一、本気でそんなことをしても、事務の人、そして先生に叱られるだけと、笑っていた。
 でも、准教授がそれをやったとしたら?

「広報で、やめたパートさんの替わりが欲しかったから、あなたのエントリーシートを見たんだけど……なぜ先生が熱烈に推薦するのか、わからなかった。悪くはないけど普通の経歴だし」
 今ならそれはわかる。岡月大学を出たというのは、特筆するほどではないのだ。
「でも面接であなたの顔を見てわかったわ。人事課長も『先生も若い男だから』って笑ってたわ」

 自分の顔がゆがんでくるのがわかる。
「だから取材を拒む朝河先生だって、あなたなら効くかもしれないって思いついたの」

 面接では執拗に、この大学の「知り合い」との関係を尋ねられた。
 私は立ち上がって無言で沢井さんに頭を下げる。
「言っておくけど、初めからバイト更新するつもりだったわ。正直言うと、最初、あなたボンヤリしてたから、バイト更新をチラつかせたのよ。そしたら、がんばるようになったし、今はちゃんとあの飯島君にも負けず働いているしね」

 そんなこと、今さら言われても、どう思えばいい?
 私は、何度も宇関の外の面接を受けようとして電車に乗り、そのたびに発作に襲われた。
「あなたが怒るのも無理ないわね。でも、朝河先生に取材受けさせたかったから、ギリギリまで待ってたの。二十代前半の若い先生が宇宙という人気分野で活躍という受けるコンテンツ、うちみたいな地味な大学にとって欠かせないの」
 そうですか。本当に広報課長は熱心で頭が下がります。
「まあ、どういう手段で朝河先生に取材を引き受けさせたかは追求しないわ。じゃ、祭りのこと、よろしくね」
 全身の血がカっと燃えるのが分かる。

 私が採用されたのは、自分の経歴ではなかった。
 流斗君に気に入られたから。大学で注目を浴びる若い准教授が推薦したからだった。
 そして沢井さんは、私がまるで枕営業でもしたかのように言う。いや、沢井さんが私にそうけしかけたのではないか。
 それは……私ではなく、朝河流斗先生に対する侮辱だ。
 彼は、約束を破った私に対して怒っている。が、取材を引き受けたのは、あの時、私が発した言葉のどれかに同意したからに違いない。
 私は、ハニートラップに類する発言は一切していなかったのだから。



「お前、この部屋は七年ぶりか?」
 向かいのソファに腰かけた男が尋ねたので、私は静かにうなずいた。
 ミツハ不動産宇関支店の副支店長室は、ビル七階の最上階にある。
 以前、荒本と会ったのは一階の応接室だ。この部屋は確かに七年ぶりだ。
 私は、さっそく用件を切り出す。
「宇関の月祭りで、昨年、私どもの大学もいくつかブースを出展させていただきました。勝手ながら今年は、副支店長のお力で、ブース拡張を許していただき、大学で何が行われているか、町民の皆様にアピールしたいのです」

 荒本は眉をひそめた。
「それは、祭りの実行委員長に頼むんだな」
「荒本副支店長は、月祭りの委員長にも顔の効く方です。ミツハ不動産様と、宇関町、大学の連携は、これからも大切ではないかと思います」
 男はソファから立ち上がり、私の隣に腰かけた。
「那津美、その慇懃無礼、いい加減にしろ」
 荒本の腕が私の肩に伸びてきた。

「やめてください!」
 突然触れられた。反射的に私は男の手を振り払う。
「大したことないだろ? 昔はもっとすごいことたくさんしたじゃないか」
「ずっと昔でしょ! 荒本さんには、奥さんだって子どもだっているじゃない!」
 私はこの男の妻をよく知っている。
「子どもは生まれたさ。が、俺は、結婚したわけじゃない」


 百五十年前の革命のころから、素芦もとあし家は徐々に凋落していった。一方、そのころ素芦家から分かれた荒本家は、時流に乗り力を伸ばしていった。
 荒本家の次男、丞司は私の五歳上で、親戚ぐるみの付き合いもあり、一人っ子の私にとって、頼もしい兄だった。
 幼い時から、彼は私のすべてだった。いじめっ子に絡まれたとき、助けてくれた。
 学校も塾も小さい時、手をつないで連れてってくれた。大きくなり、学校が別々になったときも、よく迎えに来てくれた。
 祖母も父も、彼を頼りにしていた。一人だけ、いい顔をしない人がいたけど……今は、もういない……。

 思春期を迎えたころ、彼はただの兄ではなくなった。いつも彼のことばかり頭にあった。中学や高校の文化祭に現れる大人な彼を、同級生に自慢した。
 父も私も、彼を素芦の将来の婿として捉えていた。
 私が大学に入ったころから、彼も私を一人の女として接してくれるようになった。キスも何もかも彼が初めてで唯一の男。私の心も体も、彼によって満たされた。しかし、私はバージンのままだった。
「これ以上したら、親父さんに叱られるからな」
 いつも彼は私を喜ばせた後、そういって額にキスをした。

 私は、大学卒業を前にしても、同期のように就職活動はしなかった。バイト先の地元の塾で働きつつ、荒本丞司の妻になるのだから。
 卒業後、私は彼と結婚するはずだった。
 結婚式の準備に追われていた四月。月祭りの実行委員会に、私は父と二人で出かけた。が、父が資料を忘れたというので、私は取りに戻った。
 そこで見たのは。
 荒本丞司と我が家の家政婦が半裸で抱き合う姿だった。


 当然、その場で婚約を解消した。
 すると彼は、素芦もとあし不動産の社員をミツハに引き込み、父の会社を破壊した。彼自身の浅はかな行為が招いた事態なのに、私たち親子を逆恨みし復讐を遂げた。
 私にとって、男とは彼しかいなかった。
 なのに目の前の元婚約者は、私になれなれしく振舞い「自分は結婚してない」などとうそぶく。
「結婚していない? 真理恵さん、会合でも一緒じゃありませんか?」
 私は、その時彼と抱き合っていた家政婦の名前を出した。
「一緒に暮らして子どももいるが、籍は入れてない」

「要するに、事実婚ってことですね」
「子どもができた以上、父親としての責任は取る。が、それだけだ」
「わかりました。でも、荒本さんが独身だからといって、私にそんな態度すれば、セクハラですよ」
 私はソファの端に逃げた。
「仕事の話をするか」

 私はA4ペーパーの資料を見せ、大学の祭りブースのイメージについて説明した。
「大学自身からの協賛金は少ないでしょう。ですが大学では世界的な研究もたくさん進めています。宇関の町を全国にPRするために、ぜひうちの大学を活用してほしいんです」
「お前、すっかり大学のガワの人間なんだな」
「私の仕事ですから」と微笑んでみせる。
 荒本は腕くみして考えている。
「……大学側でもっと祭りのスポンサー集められないか?」

「え?」
「こっちは不動産屋だ。が、お前らは俺たちが知らないインテリ企業とか、装置を作ってる町工場とか、付き合いあるだろ?」
 荒本の顔は長い付き合いの中で一度も見たことのない厳しい顔だった。
 彼はずっと頼もしい優しい兄で恋人だった。
 今、目の当たりにしたのは、ビジネスマンとしての、不動産屋副支店長としての顔だ。

「わかりました。大学関係者に当たってみます」
「祭りは九月だ。一か月で集められるか?」
 荒本……荒本さんがこちらの提案に意欲的なのは意外だった。彼の人間性に抵抗はあるが、仕事という面では案外公平に扱ってくれるのかもしれない。
 だから私は大きくうなずいた。
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