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2章 アラサー女子、年下宇宙男子にハマる

2-13 山奥の渓流でデート

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 流斗君と約束した通り、宇鬼川の源流がある珂目山かめやまに出かけることになった。
 今回は、私が車を出す。流斗君は少し抵抗したが、今まで何かとご馳走になったお礼ということで納得してもらった。

 私は運転しながら広報課で動画編集時に失礼な態度を取ったことを詫びた。
「ううん、僕が全面的に悪い。那津美さんの仕事邪魔して本当に悪かった。ただ、何でも僕は自分でやりたくなるんだ。自分で理論立てたら、自分で実験してみたい」
「研究ってそういうものですよね」
「物理では理論と実験って分かれているよ。分業した方が効率いいってことで。僕みたいなのは古くて非効率ってこと」
 彼が怒ってなくて安心する。古くて非効率という意味は、よくわからないけど。

 土産物店が集まった商店街が現れた。駐車場に車を駐め、ハイキングコースに入る。
 スギやヒノキの森の中を、私たちはゆっくり進んだ。

「那津美さーん、ちょっと休まない?」
 二十分ほど経つと、流斗君がギブアップする。
「もうすぐよ。あと五分ぐらいかな?」
「平地の五分と山道の五分、違うって。少なくとも位置エネルギーの上昇分、僕らは消費しているわけで」
 謎なことを言ってるが、彼の弱点を発見した私は、ちょっといい気持ちになる。
「ほら、水音、聞こえるでしょ?」
「あ、もしかして滝?」
 耳を澄ませると、ゴゴゴとうなる音が聞こえてきた。
 と、流斗君は元気が出たのか、立ち上がった。


 視界が開け、滝つぼが目の前に現れた。滝の高さは五メートル、幅は一メートルほどで、それなりに見ごたえがある。そして、高さ一メートル、幅が二メートルもの大きな岩が、池を堰き止めている。丸っこく亀の甲羅に似ていることから、亀石と呼び、この滝つぼも亀石の池と呼んでいる。

「僕が知ってる川とは大分違うけど、いいね」
「気持ちいいよね。元気出た?」
 私は、滝つぼの澄んだ水をすくって飲んだ。
 流斗君も一緒に、水を飲む。
「うわー、メチャクチャ美味しいな。元気出た出た」

 彼の笑顔が今日の青空のようにまぶしい。
 気持ちい景色を流斗君と一緒に見て楽しいのに、切なくなってくる。こんな風に過ごせるのは最後だろう。
「望遠鏡の国って遠いし、簡単には帰ってこれないよね」
 切ない気持ちをついこぼす。
「行くだけで二日かかるし、学生を二人連れて学会発表して、天文台の見学とかあるから、二週間いるよ」
 え? 二週間?


 流斗君は、まもなく外国へ行く。期間は二週間という。つまり普通の海外出張ということだ。
 この話を聞いた時、私は、父の墓参りをして、あの荒本丞司に遭遇し、普通の精神状態ではなかった。
『しばらく外国』と言っただけで、何か月も何年もいなくなるかと勘違いした。
 楽しそうに報告する彼のことを思い悲しくなった。自分の一方的な気持ちだと自覚しても、彼の心には別の人がいると知っても、私としばらく会えなくなることを少しは悲しんでほしかった。

「なーんだ! 私てっきり、何年もいなくなるかと勘違いしちゃった」
「那津美さん、あれだけ僕の話聞いていたのにわかってないの? 僕は、これから始まる宇宙観測衛星打ち上げプロジェクトに参加しているんだよ。今回の出張は、学会発表と次の研究テーマの模索だよ」
 もうすぐ私のバイトは終わるが、彼が帰国してからになりそうだ。
「宇関にいる間は、こんな風に出かけて楽しんでね」
 今度、流斗君が出かけるとき、誰が一緒なんだろう? と思いつつ私たちは、滝つぼを囲む岩に腰かけた。

 流斗君は私の顔を見ている。
「那津美さんは、地元が好きなんだね」
 地元が好きかどうか私にはわからない。ここで生まれ育っただけだから。
「何もない田舎だけど、来月の月祭りは、おもしろいわ」
「祭り? 僕の地元では地味な祭りがあったな」
「都会でも祭りなんてあるの?」
「都会かどうか微妙だけど、あるよ。駅前広場で太鼓叩いて踊って、屋台が出て、カラオケとかやってた」
 駅前の広場というのが、都会だ。

「ここのお祭りでは、初めに、神社の宮司様がこの滝つぼに入って祈るの。この大きな岩が、亀石よ。亀の甲羅に似ているでしょ? 亀さまの魂が宿っていると言われているわ」
 私は、水を塞き止めてる巨大な岩を指さした。
「池にウサギと亀を象った折り紙の小舟をたくさん流してみんなで見守るの。川沿いの地区は、中流でも同じような折り紙の小舟を流すわ」

「似たような儀式、どこかでやってたよね」
精霊しょうろう流しやささ舟とか、川に流すまつりはあちこちあるわ。そして月が昇ったら、亀さまがウサギさまに会えますようにって、みんな歌うの。でも、このところ祭りで月を見たことないな。雨か曇が多いわね」
「ウサギと亀? ウサギと亀が競争して、途中で休んだウサギが負けて、亀が勝ったというあれ?」
 私は、その童話を知る前に、宇関に伝わるウサギと亀の話を知った。なので、外で伝わる競争話に違和感というか物足りなさを覚える。

「宇関に伝わる話でも、ウサギと亀は競争するわ。でもね、その後が大分変わるの。子どもたちが劇をやるから、よかったら見てね」
「こういう田舎の祭りって、すごいんだろうなあ」
 そこまで期待を持たれると恥ずかしい。
「流斗君の地元とは違うかもね。ここから昇ると神社に出るよ」

 入った山道の反対側の茂みに囲まれた道を上る。茂みを超えると視界が開ける。神社の境内に出た。
 珂目山神社も創建が中世だと言われている。
「へー、ウサギさまと亀さまね」
 流斗君が、対に置かれているウサギと亀の像に感心している。
 宇関の外では狛犬が置かれる場所に、ウサギと亀を祀る。外の人には珍しいだろう。

 珍しいことに、神社の本殿に人が集まっていた。フォーマルなスーツや着物に身を包んだ人の中心に、紋付袴を着た男性と白無垢に身を包んだ女性が立っている。
 最近は大分減ったが、昔は、地元の人間はここで結婚式を行っていた。父と母もここで式を挙げた。写真が残っている。

「花嫁さんだ」
 流斗君がボソッと呟き、じっと眺めている。口元が緩みニヤニヤしている。
 胸が締め付けられた。彼は今、何を考えているのだろう? 彼女を重ねているんだろうな。
「那津美さんも、ああいう式をするの?」
 無邪気に聞かないでほしい。

「残念ながら、私は結婚できそうもないし、第一、結婚式ってすごい準備大変なんだから」
「……準備したことあるみたいだね……」
 余計なことを口走ってしまった。
 ふいに彼に手を取られた。そのまま神社の境内を降り、鳥居をくぐって階段を下る。
 暖かい手が切なくなる。
 この手は別の人につながれている。今、つながっているのは、友情の証ではあっても、特別なものではない。
 特別な絆ではないとわかっているのに、私はずっとつながれていたかった。


 昼は、神社近くのそば屋に行った。
「立ち食いそばとは全然違うな!」
 流斗君はあっという間に、平らげてしまった。
「高校で電車に乗るようになって、駅の立ち食いそばすごい憧れてたんだ。それもおいしかったけど、違うなあ」
「珂目山の清水しみずとそば粉を使ってるの」
「さすが千円もするそばだ」

 私は幼いころ、そばの値段も知らなかった。そばというと、この麓のそば屋さんのイメージが強く、初めて宇関の外で食べたそばの味が微妙だったことにショックを受けた。
 昼食代は私が出した。
 そば屋のカウンターに、珂目山かめやまみやげが置いてある。液体の入った高さ二十センチメートルの緑色の瓶が、私を過去に引き戻す。

 父は酒が好きだった。私が幼いころから、よく晩酌していたっけ。母がいなくなってから、一層飲むようになった。

『那津美、お前は、あの女のようになるなよ』
 酔うたびに私にそう何度も言い聞かせた。
『ばあさまの言う通りだったな。都会の若い女は信用できない』
 父は母を恨んでいた。憎んでいた。
『こんなお酒があるから、お父さん、おかしくなるの。飲むならこっち、珂目山のお水よ』
『那津美、酒を粗末にするな。罰当たるぞ。珂目山の酒は、ウサギさまから頂いたありがたい酒なんだぞ』

……私は何を思い出しているんだろう? せっかく流斗君と楽しく過ごしているのに。

 珂目山の水とお酒。どちらも名産品だ。
 私は、緑色の瓶と無色のペットボトルを買って、流斗君に渡した。
「これね、珂目山の水と地酒。お酒はダメなんだっけ?」
「全く飲めないわけじゃないよ」
 口を尖らせるが、すぐ子どものような笑顔に変わる。

「ありがと。へへ、那津美さんからもらっちゃった。明日からしばらく美味しい水は期待できないからな」
「明日出発なの? そろそろ戻った方がいいよね。今日は早く戻って休まないと」
「そうやって、姉さんぶるんだ」
 また口を尖らせた流斗君に手を取られた。

 手の暖かさに酔いしれながら、私は山すそを眺めた。山の向こうから、膨らみかけた月が顔をのぞかせている。
「流斗君、白い月だよ。私ね、白い月が好きなんだ」
 昼間の太陽に隠れた白い月は、青い空にひっそりとたたずみ、はかなげで美しい。

「月には、餅をつくウサギがいるの」
「それって、滝つぼで話した月祭りと関係あるの?」
「鋭い。普通の話は知ってる? 飢えたお爺さんに、何も持ってない兎は、自分を食べてくださいって身を捧げるの。お爺さんの正体は神様で、月にウサギをのぼらせたの」
「ひどい話だなあ」
「自己犠牲の尊さを現わしてるのでしょうね。でも、ここでは、別の話が伝わってるの」
「気になるな。亀と競走したウサギの話だよね?」
「月祭りの劇を楽しみにね」
「向こうに行く前に未練は潰さないと、検索してやる!」
 未練を潰す……。私の未練、彼と過ごせる日が残り少ないなら、私は、何をしたい?


 流斗君の住むマンションを目指し、ハンドルを操作する。
「あ、宇関の人のブログヒットした……へー、ウサギと亀ね。面白い伝説だね」
 助手席の流斗君は、スマホを操作している。そんなブログがあったんだ。
「もう、この国に未練なくなった?」
「うーん、もう一つあるな。ほら、あれ」
 流斗君は、道沿いに建つラブホテルの紫色の看板を指さした。

 この道は、あの星空を見た駐車場にもつながる。健全な観光地に突然現れる、妖しい世界への窓。
 というより……流斗君ってそういうキャラ? 結構ショックなんだけど。いや、彼は女の子が好きで彼女がいるのだ。
「ああいうホテルって普通のホテルとどう違うのか、気になりません?」
「ならないナラナイ!」
「それは、那津美さんがすでに行ったことあるから?」

 声のトーンが低くなった。少しは私のこと気になるの? だったら嬉しい。
「私はああいうところより、普通のホテルが好きなの」
「へー、そうなんだ。覚えておくよ」
 不機嫌そうな声。
 言えない。そういう目的でホテルに行ったことない、なんて。経験豊富な年上の女でいたい。

「そんなこと覚えなくていいの。彼女いるんでしょ? お願いしたら?」
 流斗君は黙ってしまった。
「彼女? ああ、彼女ね。ああいうところに行けるようになるのは、ずっとずっと先だろうなあ」
「そうか。それは切ないよね」
 彼女はかなり若い女の子なのかな? 中学生とか? まさか小学生? これ以上、怖くて聞けない。
「全然切ないと思ってないよ。今のままで充分楽しいし」
 彼は明るくあっさりと答える。強がっているのだろうか? それとも本心?

 心の交流だけで満足できるなら、遊びではなく本当に好きなんだろう。
「若いんだから、好きにしなさい。でもね」
 アクセルペダルに力が入りそう。危ない。
「避妊と感染予防はちゃんとしなさい!」


 車を流斗君の住むマンションのロータリーに停めた。
 助手席の彼はシートベルトを外している。
 初めて彼を送った時、私は彼にシートベルトの外し方を教えた。あの時は、高校生と勘違いした。

 彼は、明日、旅立つ。
「じゃ、向こうの国でがんばってね」
 何て月並みな言葉なんだろう。
 私のバイトは、彼が帰国して数日で終わる。彼とこんな風に過ごせるのは、今日が最初で最後かもしれない。

「その国でこんにちは、と、ありがとうって何て言うの? それぐらいは覚えておかないとね」
 何、未練がましく時間稼ぎしているの、私は。
「こんにちは、は、ブエナス・タルデス。で」
 彼は言い終わらないうちに、私に近寄ってきた。
 パーキングブレーキが足元にあるため、助手席と運転席の間に遮るものはない。

 流斗君の右手が、私のシートベルトのバックルに伸びて、ボタンを押す。
「あ、あの?」
 私のシートベルトがあっという間に外された。彼の左手が私の肩を掴む。
 目の前に無邪気な笑顔が目の前にぬっと現れた。
「グラシアス・アミーガ」

 私が何も反応できず固まっていると、流斗君は「ありがと友よ、って意味」と補足してくれた。
「わ、わかった! 挨拶はばっちりね」
 にっこり笑った流斗君は、私の腕を取り助手席に引き寄せた。
「まだ、足りないや、挨拶の練習しないとね」
 流斗君が私の肩に腕を回し、顔を近づけた。

 ちゅっ。

 頬に柔らかく暖かな感触が降りてきた。
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