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2章 アラサー女子、年下宇宙男子にハマる

2-11 父が死んだ夜

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 八月になった。大学のバイトを始めて二か月が過ぎた。
 今日は平日だが、バイトを休ませてもらった。
 車を三十分ほど近く走らせると、宇関町北西の境にある珂目山かめやまに着く。麓の寺、珂目寺かめでらは、創建が中世と伝えらている。素芦もとあしの先祖がこの地に来たころと重なる。
 本堂の前には、狛犬ではなくウサギと亀の像が置かれている。

 宇関町の古い寺は、このウサギと亀を祀っているのだ。寺だけでなく神社も同じようにウサギと亀の像が置いてある。
 私は、神社も寺もウサギと亀を祀るものだとずっと思っていた。高校に進学し宇関町から出るようになってから、ウサギと亀を祀った寺社は宇関町だけだと知った。

 住職に挨拶した。菓子折りと、白い封筒を渡す。
 封筒には、現金二万円が入っている。
「少なくて申し訳ございません」
 毎年私は、頭を深々と下げる。
素芦もとあし様には、お世話になりました。もうこのようなものは無理なさらず……」

 父はかつてこの寺の総代だった。私が今渡した額の何十倍も寄付していただろう。
 が、今の私はそれが精一杯だった。いい加減に次の就職先を探さなければ、と思いつつ、私は寺の墓地に入る。
 墓地の奥に、他の墓より広い区画がある。つやのない古い墓石だ。長年風雨にさらされ、石の角も丸みを帯びている。
 素芦の先祖と共に、父と祖父母が眠っている。
「お父さん、ご無沙汰してます」


 私は、墓石に水をかけ、ブラシでこすった。緑色のコケが落ちる。水滴を雑巾で拭った。
 備え付けの花入れに茶色く変色した水が溜まっているので、そこも流した。

 人が訪れた気配はない。線香の台に何もない。ここを訪ねるのは、私と疋田の叔母ぐらいだ。せめて叔父が来てくれればいいが。
 宇関の外に父の弟が家族と共に暮らしている。叔父は、他県の大学に進学し家を出て、そのままそこで就職し家庭を持った。宇関からは車で半日はかかる遠方のため、滅多にこない。父の七回忌以来会ってない。

 私は墓石の前で父に語った。
 お父さん、私が、ミツハで働いたら怒りますよね。ミツハに全財産奪われたし。
 でも、これから仕事を探さないといけないんです。宇関では私を雇ってくれる人がいません。
 宇関の素芦もとあし家は、私で終わります。財産のない年増の私の婿になる男なんていませんから。
 墓石の縁をそっと指でなぞった。

 墓地の入り口から、大きな男が近づいてくる。私はその男を睨みつけた。
「那津美か」
「先日はお世話になりました」
 私は唇を引き締め頭を下げた。私にミツハ不動産の就職を勧めたかつての幼なじみ、荒本丞司がそこにいた。

「お忙しいところ、恐れ入ります」
 なぜこの男がここにいるのか問いただしたいが、こらえて私は頭を下げる。
「荒本家には、素芦もとあし家を守る義務があるからな」
 私は、爆笑したくなる衝動を必死にこらえた。守る義務? 滅亡寸前まで追い込んで!
「あまり長居されないように……父に呪われても責任持てませんので」
「親父さんの呪いぐらい、受け止めてやる」
 荒本丞司は、立派な菊の花束を花入れに挿した。

 墓地を出た先には、住職が立っていた。
「お嬢様。どうか……」
 とてもバツが悪そうな顔をしている。
 荒本はただの墓参りに来たのではない。相当な額を寺に寄付したのだろう。

「非力な私に変わって、荒本様が総代を務められ、心強く思います」
「お嬢様、金の多寡ではございません。素芦家のご先祖様もお父様も、ただ、お嬢様が幸せに暮らすことを願っておられます」
 私は住職に力なく微笑みその場を去った。
 お金の多寡じゃない? 嘘に決まっている! 住職に少しでも心があれば、荒本を足止めするぐらいのことはできたはず。


 私が幼い時から、父は我が家に出入りするあの男を可愛がっていた。父は、あの男を素芦もとあし不動産に入社させるつもりだった、将来の社長として。
 が、彼は、父の意に反して首都のミツハ不動産に就職した。当時彼は「他の会社に入って素芦を継ぐための勉強をしたい」と言ったが、嘘だった。

 七年前、彼自身の愚かな振る舞いで、素芦を継ぐことが叶わなくなる。すると荒本は報復に出た。
 彼は、素芦不動産の社員をミツハ不動産に引き抜いた。有望な社員の多くがミツハに移り、父の会社は経営が立ち行かなくなる。
 七年前の今日、宇関町の南境の川の中流から、父の遺体が見つかった。
『月に行く』とメモを残して。


 川沿いの運動公園に父の車が止めてあり、シートに『月に行く』というメモが残されていた。河原には、父の靴と靴下、そして服が丁寧に折りたたまれ置いてあった。
 誰かと会ったり争ったりした形跡はない。
『月に行く』のメモの意味は、天に昇る、とも考えられ、状況から自殺の可能性が高いとされた。

 父の死後、何も知らない私は、相続について荒本に任せるしかなく、家屋敷を含めた全財産がミツハに奪われた。
 素芦の生まれである証は何も残らず、私は古いアパートに引っ越した。
 よりによって荒本は私にミツハ不動産への就職を持ち掛けるが、当然、断る。

 彼が私をミツハに誘う理由はわかる。私を彼の下に置き、蔑みたいのだ。彼を追いだした私たち親子に復讐するために。
 ミツハに就職すれば、周囲の冷ややかな視線に晒されるだろう。
 そこまでわかっているのに、私は情けないことに、ミツハへの就職を考えてしまう。もうすぐバイトは終わってしまう。どうにかしないといけない。


 車のキーを入れ、スマホをマナーモードにする。と、流斗君からのメッセージに気がついた。
『広報に行った。今日、休みなんだ。』
 流斗君が広報課に来てくれた? もしかすると、取材を受ける気になったのだろうか?
『動画、チェックした。』
 取材OKではないのね。でも、動画をちゃんと見てくれたのは嬉しい。
『修正、いっぱいあります?』
 と、そこで電話がなった。

「うん、用語いくつか間違えていた。明日メール見といて」
「ええ! がんばって調べたのに」
「わからないなら、僕に聞いてよ」
 それをすると長くなるんです。飯島さんに「長すぎる!」と叱られちゃいます。

「今、何しているの?」
 私は答えに詰まった。父の命日で墓参り……スピーカーの向こうの少年のような声に、そう答えられなかった。
「わかった! まだ寝てるんだ?」
 今は、ちょうど十二時を回ったころだ。確かに、休日は十二時過ぎまで寝てしまうこともあるけど。
「ひどいな流斗君、私ってそう見える?」
 他愛もない会話で時間が過ぎる。

「今日はね、宇関の名所めぐり。これから山の寺を出るところ」
 当たり障りなく、今日の行動を伝えた。昼間まで寝ている人間と思われたくない。
「山か……僕の実家は川沿いなんだ。工場街の川だから、コンクリート護岸で味気ないけど、よく遊んだ」
「ここにも川があるよ。宇鬼うき川って言うの。中流の運動公園は気持ちいいわよ」
 父が亡くなった川の中流沿いにある運動公園は、整備されている。都会の川とは違うだろうが、川の気分は味わえるだろう。

「へー、じゃあ、今度そこ、案内してもらおうかな」
 以前、私はその運動公園に遊びに行っていた。が、父の死後訪れたことはない。
「そうねー、あ、それなら山沿いの渓流はどうかな? こっちの方が、田舎って感じで、流斗君、楽しいかも」
 とっさに誤魔化した。自分で勧めておいて変だが、父が溺れた川を案内する自信はない。
「山奥の渓流? いいね、出国前に行きますか!」

 出国?

「しばらく外国だよ。そこにすごい望遠鏡があるんだ」
 彼がこれから行く国は、この国の反対側だとか。
 宇関に来たばかりなのに、もう行ってしまうの?
「じゃあ、先生の動画、急いで修正しないとね」
「がんばってね、広報さん」
 彼の朗らかな声がいつまでも耳に残った。


 流斗君が果ての国に行ってしまう。
 いつ帰ってくるの? 「しばらく」ってどれぐらい? 怖くて聞けなかった。
 バイトが終われば、彼との接点もなくなるが、その前に彼は飛びだってしまう。
 彼は、新しい世界への旅立ちを楽しみにしていた。私が今、こんな喪失感に囚われているなんて、少しも思ってないだろう。

『すごい望遠鏡』について、スマホでざっと調べてみた。
 私が思う天文台のイメージではなかった。巨大なパラボラアンテナが何十台も砂漠の広い平原に並んでいる。この国から行くと二日近くかかるらしい。
 流斗君、好きそうだな。

 と、突然、運転席側のサイドウィンドウから、ごつごつと音が鳴った。
「ひっ!」
 私は車内で悲鳴を上げる。
 荒本丞司の顔がそこにあった。


 私は慎重に、サイドウィンドウを半分だけ下げた。
「那津美、何かあったのか!?」
「何か用です?」
「お前が泣くなんて、ありえない」

 泣いている? 確かに涙が頬を伝っていた。
「私が泣くのがそれほど異常なことですか?」
「お前は、親父さんの葬儀すら泣かなかった」

 あの時は、泣く余裕すらなかった。父の葬儀は、わずかな関係者のみで行われた。
 が、この男は豪華な花輪を送り付け、高額な香典を手に夫婦でやってきたのだ。私は怒鳴り付けたい衝動を必死に抑え、香典を後で返した。
 あの時、もう一人、怒鳴り付けたい参列者が現れたことを思い出す。同じように私は恭しく礼を言い、後ほど香典を返したのだ。

 そういえば、私は、いつ泣いたのだろうか? 父を思って泣いたことがあったのだろうか?
「私のこと、父の死すら悲しまない冷たい人間と思っているんですね」
「本当にそうなら、お前はミツハで働いてる」
「私がミツハに行くことはありません」

 ミツハで働くことも考えたが、反射的に私は断言した。
「ミツハの支店でなくていい。関連会社や取引先を探してやる」
「結構です。就職決まりましたから」
「大学のバイトだろ? いつクビを切られるかわからんぞ」
 既にクビは決定しているが、この男には関係ない。
「失礼します」

 私はサイドウィンドウ閉じて、出発した。慣れた道を進む。
 今度は自分が泣いてることがわかった。
 荒本に傷つけられたからではない。
 父の命日に父を思って泣くべき時なのに、私が泣いたのは、流斗君が外国に行くからだった。そんな自分が恥ずかしくもあり情けなくもあり、泣きながらウィンカーを出して車線変更した。

 そして決意する。私はミツハでは絶対に働かない。
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