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2章 アラサー女子、年下宇宙男子にハマる

2-9 宇宙オタク、再び先生する

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 流斗君の研究インタビュー撮影前に、話を聞くことにした。
 彼は、モニターやファイルを広げ、一つ一つ説明してくれる。
 専門用語がビシバシでてきて厳しい。
 まずはじめに、一般的に言われている宇宙の始まりについて説明してくれた。
 そして、流斗君が携わるプロジェクトについて話してくれる。

「世界中で、宇宙の始まりに何があったか、観測しています。この国でも、今年の終わり、宇宙の始まりに現れた信号を観測する人工衛星を打ち上げることになったんです」
 前、尾谷先生の研究室で、宇宙を観測する人工衛星を打ち上げる話は、聞いた。

「この宇宙観測衛星プロジェクトは、もうずいぶん前から、宇宙研究センターが主導して、多くの大学や研究機関が参加しています進めています。宇宙研究センターはこの宇関から西の方、遠くにあるんだけどね」

 宇宙研究センターは、気象衛星や惑星探査機などを打ち上げ、よくニュースに登場している。

「僕は二年前から、このプロジェクトに参加しています。僕の研究は、宇宙の始まりにたくさん生まれた別の宇宙、マルチバースをテーマにしています」
 難しいけど、別の宇宙、マルチバースの話は何度か聞いている。

「そこで、このプロジェクトで宇宙の始まりを観測するなら、そのデータを解析すれば、宇宙の始まりにできたとされるマルチバースの証拠が見つかるのでは? と考えているんです。僕にとってまたとないチャンスです」

……彼はマルチバース、この宇宙の他にも別の宇宙があることを証明したい。そこで、これから始まる人工衛星のプロジェクトに参加し集まったデータを調べる、ということでいいかな?

「那津美さん、僕らは宇宙のこと、ほとんどわかってないんですよ」
 麦茶をそそりながら語る流斗君の目が、キラキラしている。
「宇宙を構成するもののうち、ダークマターはおよそ4分の1、ダークエネルギーは7割弱。宇宙の95%は正体不明の物質とエネルギーでできているんだ」

「ダーク? 何か怖いですね」
「わからないという意味では怖いよね。暗黒物質とか暗黒エネルギーとも言うよ。もっと怖くなった?」
 暗黒と聞くと、真っ先に私は、宇宙の暗黒皇帝陛下を思い出してしまう。いい加減にこの癖、卒業したい。仕事中なのに。
「そうですね。ゲームのラスボスの技みたい」
 バカバカバカ! なんで自ら墓穴を掘る発言をするの!

「RPGではよく出てくるか……でもある意味、ダークエネルギーは究極のラスボスかもしれないね」
 それは乙女ゲームの陛下とは全然関係ない話。
「えー、もしかして宇宙を破壊してしまうエネルギーとか?」
 だ・か・ら! 乙女ゲームのラスボスにして裏ヒーローと一緒にしちゃダメだって!
「その可能性はあるよ」
 無邪気な顔の大きな目が、キラッと光った。

「宇宙はね、誕生以来、どんどん膨張しているんだ。聞いたことあるかな?」
 何となくだけど、始まりにビッグバンがあって、どんどん広がっているというのは、時々科学番組でやってるから聞いている。
「その広がり方が加速していることがわかったんだ。宇宙を広げるエネルギーの正体がわからないからダークエネルギーと呼ぶ。意味不明だからダークというのであって、ラスボスみたいに、悪いことするからじゃないよ」

 ああ、話が長い。
「悪いことしない? でも先生、宇宙を破壊するっておっしゃってませんでした?」
 流斗君、待ってましたとばかりのドヤ顔を見せつける。

「今は、宇宙が広がるといっても、一つの銀河はまとまったまま広がる。僕らの太陽系も、そのままの形を維持できる。でもね、宇宙を広げるダークエネルギーがどんどん強くなっていくと、銀河も太陽系もみんなバラバラになる。地球も太陽から離れていってしまう」
「じゃあ、星は見えなくなって地球は独りぼっちになるんですね」

 彼は意地悪そうに微笑む。
「そのうち、地球そのものも分解して、分子、原子もバラバラ、そして最後はただの素粒子になる。宇宙のすべてが、バラバラの素粒子になっておしまいだ」
 生き物も星も何もかもバラバラになる宇宙の終わり。そんな恐ろしい話をなんて楽しそうに語るんだろう。
「そんな心配しなくても大丈夫。これは一つの説に過ぎないし、もし事実だとしてもずーっと先だよ」

 わからないことを一気に聞かされ、私はミルクティーをすすって気持ちを落ち着けた。
「でもさあ、残りの5%に満たないバリオンが、宇宙の95%の謎に挑もうとしてるんだからすごいよなあ」
「えっ! バリオン!?」

 今、彼は何といった?
 わからない単語の羅列で疲れた私の頭に入ってきた単語『バリオン』
 宇宙の暗黒皇帝陛下が太陽の乙女を蔑みつつ愛をこめつつ呼んでいたじゃない。
『哀れなバリオンの乙女よ』と。

 思わず私は飛び上がらんばかりに驚いた。
 そして流斗君の大きな目が一層丸くなった。
「へー、素芦さん、バリオン知ってるんだ。勉強してるんだね。科学好きの子どもなら知ってるけど、大学の物理で初めて聞いた、という人も多いよ」

 これ以上ない墓穴だ。
 いや、私がドハマりしている十八禁乙女ゲームのダークヒーローがヒロインをそう呼んでいるんです……なんて言えない。
 といっても、知ってるふりもできない。

「あー、えーと、たまたま真夜中に見たアニメで、聞いたような気がします」
「なーんだ」
 ああ、流斗君、笑っている。絶対馬鹿にしている。
「まあ、その方が那津美さんらしいな。でも、それだけ驚くということは、インパクトあるキャラクターだったんだね」
「えー、それより、バリオンってどういう意味なんですか?」

 墓穴を掘る前に本題に切り替えよう。
「バリオンとは簡単に言うと僕らのことだよ。僕らだけでなくて地球、太陽、恒星、銀河系など、観測できる物質はバリオンだ。学校で習う水素とか鉄とか、僕らがよく知ってる原子のことだよ。厳密にいうとそれだけじゃないけど」
「えーと……つまり、普通っていうことで?」

 流斗君がカラカラと笑う。
「そう! 普通ってこと。だけど宇宙全体からすれば、5%にもならない少数派なんだ。だから、宇宙のマイナーな一族である僕らバリオンが、残り95%の暗黒の宇宙の謎に挑戦するって、すごいなあって思うんだ」

 難しい話が多いけど、私たちや目に見える星は宇宙の5%弱のバリオン。残りの95%は正体不明ってことでいいのかな。
 流斗君は、95%の謎をワクワクしながら語る。
 でも私は何か怖い。宇宙って怖い。正体不明の95%に取り囲まれてるなんて。
 自分の人生、運命も、正体不明の95%に決められているのだろうか?
 生きるって怖い。


 難解な話を一通り聞いて、私は、質問事項をまとめ、撮影日を決めた。
「では、先生、これ、いただきますね」
 私は、飲みかけのミルクティーの缶を取った。
「邪魔じゃない? 置いてっていいよ」
「いえ、まだ残っているのでいただいちゃいます」
 飲みかけの缶飲料を置いていっても、流斗君でなくても、研究室の学生か事務の人が片付けなければならない。それは申し訳ない。
 私は研究室を後にした。


 広報課に戻ると、飯島さんから「遅いよ! 二時間も何してたんですか!」と叱られた。
「ごめんなさい。朝河先生の研究について説明を受けたのですが、私の勉強不足で時間がかかりました」
 その前に、別件でもめたことは言えない。
 沢井さんが割って入る。
「飯島君、あまり怒らないであげて。朝河先生の動画撮影なんて、私たちにはできないんだから」
「沢井さん! 何でこの人、甘やかすんです!?」
「飯島さん、申し訳ありません。次から気をつけます」
 私は頭を下げる。
 と、沢井さんは飯島さんに何か囁き、二人は事務室奥の打ち合わせスペースに行った。

 飯島さんは、流斗君とそれほど年は変わらない。広報課の職員として忙しそうにしている。私は仕事を手伝っているつもりだが、どうも嫌われているようだ。

 向かいの席のパートの海東さんが「どんまい」と励ましてくれた。
「いえ、私が悪いんです」
「そんなの気にしないの。それより、朝河先生の研究室で話聞いてきたんでしょ? いーなー」
 おや、海東さんも流斗君のファンだったりして?

「じゃあ、今度撮影の時、立会してみます? 沢井さんに聞いてみますね」
「いや~私、別の仕事あるし。いえね、大学が出来てからここで仕事してるけど、先生方の研究室、書類届けに行ったりはしても、長時間入って話聞いたりとかないのよ」
 海東さんは宇関に大学ができた時から働いている。二年以上広報でバイトしているのに、そういうものだろうか。

「私さ、SF、特に昔の壮大なスケールのSFが好きでね~」
 突然、海東さんは自分の趣味を語りだした。
「宇宙の研究って、SFみたいじゃない。朝河先生はマルチバースでしょ。SFじゃ平行宇宙ってよく使われるテーマでね。自分の選択によって未来が変わるでしょ? でね、別の選択した未来はどうなるかって、気にならない?」
 海東さんのSF談議が止まらない。
 SFということは、暗黒皇帝陛下のことも知ってたりして……やめよう、職場のパート同士でそんな微妙な話題をするのって気まずい。

 流斗君のインタビュー撮影をしても、バイトの更新は駄目なのだろうか。すると、私がここで働けるのは、あと一月半ひとつきはんだ。
 そろそろ、本当に次の仕事探さないとね。
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