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2章 アラサー女子、年下宇宙男子にハマる

2-3 カフェでスイーツデート

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 朝河先生に取材を引き受けさせる。
 広報課長がスルーされているのに、新人アルバイトがこのミッションを達成できるとは思えないが、取り掛かることにしよう。
 昼休みの雑談タイムには言いにくい。仕事なんだから業務時間内にお願いしよう。
 これまでの取材依頼書をまとめて一枚のリストを作り、初めての仕事メールを先生に送った。
 
 メールだけだとスルーされそうなので、内線を入れた。
 こちらから電話を誰かに発信するのも初めてだ。
「はい、朝河です」

 芝生で弁当を食べた時とは違う、落ち着いたよそ行きの声。仕事モードに入った彼と接し、私も緊張する。
「お疲れさまです。広報の素芦もとあしです。メールを送りましたので、ご確認願います」
「はい……メール見ました……そういうことですか」

 明らかに声のトーンが下がった。彼は静かに怒っている。が、これは私の仕事。勇気を振り絞って切り出した。
「全てとは言いません。一つでも取材を受けていただけませんか?」
「……すみません。忙しいので……あと、メールを送っただけで、電話する必要はありません」
 呆気なく内線が切られた。
 先ほどのお昼での無邪気な人とは違う。彼は、かなり手ごわい先生だ。


 沢井さんに、ミッションの失敗を伝える。
「だから、休み時間の方がいいのよ。次はいつ会うの?」
「それは……」
「素芦さんから、誘ったらどう?」
 美魔女の課長が蠱惑的な目で見つめている。すみません、それは無理です。だから首を振るしかなかった。
 できれば挽回したかったけど、嫌なことを朝河先生に押し付けなくて良かったと思うことにしよう。


 芝生の丘でお昼を食べて以来、朝河先生から何も連絡はない。私が取材をお願いしたから、機嫌を損ねたのかもしれない。
 沢井さんに、何度も催促されるので、一度、内線で朝河先生に聞いてみたが、答えは「忙しいので」で終わり。

 何も進展がなくしびれを切らした沢井さんが、打ち合わせコーナーに私を呼び出した。
「素芦さん、あなたは三か月の期間限定契約だって知ってますよね?」
 もちろん知ってる。
 でも、それは書類上のことで、実際は、ずっと三か月更新で続けられる。塾のアルバイトさんともそういう契約をしていた。
「朝河先生から取材を取りつけたら、契約の延長を考えてもいいわ」

 初め、沢井さんが言ってる意味を理解できなかった。
 数秒経って理解した途端、私は上司に訴える。
「先生の取材の取りつけなんて、課長ができなかったことを私ができないからクビなんて、あんまりです」

 沢井さんはにっこり笑った。
「クビ、とは言わないの。三か月の更新を延長しない、というだけ。契約違反でもなんでもないでしょ?」
「でも……海東さんだって大学ができてからずっと働いてるって聞いています」
 先輩パートさんの名前を出した。
「海東さんは海東さんよ。でもあなたを採用したのは、朝河先生に働きかけてもらえそうだったからなの」
 よくわからない。
「いいから、先生と話すきっかけを作ってね」


 何を言っても沢井さんは認めてくれない。
 先生が取材を引き受けてくれなかったら、このバイトは三か月で終わる。
 やりたくない仕事だが、上司には逆らえない。私は、スマホからメッセージを送った。
『先生とカフェでランチしたいです』
 本当に若い男の子を追いかけるおばさん妖怪になってきた。
 さっそく返信が来た。
『ごめん! 昼前に会議ある。五時どう?』
 あまりに素早い返信で、小躍りしたくなる。が、申し訳なくも思った。これから、先生が嫌がることをお願いするのだから。


 十七時に、カフェテリアで待合せとなった。バイトは十六時上がりなので時間つぶしのため、大学の本屋に行ってみる。
『異世界でレベル99商人目指します』『薬草に転生しました』といったライトノベルが置いてあったのが意外。お堅い理工系専門書ばかり売ってると思ってた。現代世界の主人公が交通事故などで死んで、異世界に転生し活躍する物語は、嫌いではない。

 もちろん、理工系の図書は充実している。ここも専門書ばかりと覚悟したが、私でも読めそうな本が並んでいる。
 鉱物やタンパク質などをゆるキャラや萌えキャラにたとえて解説している本が面白そうだ。擬人化シリーズとして並んである。円周率πや光速cなどの定数も、擬人化されている。が、解説は思った以上にハードで、立ち読みでサラっと読んでも理解できない。

 一口に理工系といっても、分野は情報・建築など様々だ。
 朝河先生の専門、宇宙はどうだろう。と、私はそこで彼を見つけた。
「先生、こんなところにいる!」
 新書の宇宙論解説書だ。パラパラと眺めるが、立ち読みレベルじゃ全然わからない。
 入門書のわりに数式がチョコチョコ出てきて難しいが、あどけない彼が、こんなハードな文章を書いているかと思うと、何かヤバい、ドキドキする。

 雑誌コーナーでは、理工系雑誌のバックナンバーが充実している。宇宙ということで、三年ぐらい前の天体雑誌を手に取ってみた。一般の天文ファン向けの雑誌なので、私も少しはわかる。
 季節の星座や望遠鏡の選び方のほか、先生に貶された私の卒論のテーマ、千年前の超新星爆発についても説明があった。恥ずかしいが懐かしくもある。
 雑誌の後ろに、若手研究者のインタビューが載っている。
 そこに朝河先生がいた。大学生の彼が笑っている。

 先生は、このころから国際的な科学雑誌に、画期的な論文を発表していたので、雑誌のインタビューを受けていたのだろう。
 自身の研究について説明しているが、「スイーツ好き」、「三人兄妹の長男」といったプライベートについても答えている。私が一番気になる彼の「彼女」についてはさすがに質問もなかっただろうし答えてもいないが、先生は雑誌の取材に誠実に対応している。
 新書と雑誌をレジに持っていった。


 待ち合わせ場所は、ミネルバカフェというガラス張りのカフェテリアだった。天井がピラミッドの形をしていて、温室みたい。実際、中を覗くと、棕櫚など観葉植物がたくさん置いてある。
「うわあ、かわいい。大学じゃないみたい」
 私の出身、岡月大学には、オシャレなスペースはなかったので、テンションが上がる。
 店のカウンターのショーケースには、イチゴのタルトやブルーベリーチーズケーキなどが並んでいた。

 と、見とれていると背後から声がした。
「はあ、はあ、ごめん! 待ったよね!」
 顔を紅潮させ息を切らしている朝河先生だった。

「先生、どうしたんですか?」
 自然に「先生」と言えるようになった。
「いや~、学生の実験が思ったより進まなくて、でも、間に合ってよかった」
 律儀な先生だ。彼の赤く染まった頬を見るだけで、嬉しくなる。
「無理しないでください。先生忙しいんでしょ?」
 朝河先生は首を振る。
「いや……一度ゆっくり話したかったんだけど、昼休みはあっという間だし、時間が全然取れなくて。素芦もとあしさんが誘ってくれて良かった」
 バッサリ取材を断られ、気まずく感じていたが、彼の笑顔に救われた。

 カウンターで先生はプリンとコーラを、私はチョコレートケーキと紅茶を頼む。
「僕、ここのケーキ制覇しましたよ」
 と、笑いながら彼は、私の分も払ってくれた。
 ほどなく、デザートが乗ったトレイを渡された。先生の案内で、窓際の丸テーブルに向かい合って座る。
 時間が十七時と中途半端なこともあって、あまり人はいない。

「食堂より落ち着くでしょ?」
 丸っこい目で見つめられる。二人でスイーツを食べるのは初めてだ。
「ここのケーキ、見た目より美味しいよ。このプリンは、カラメルソースがいい感じに苦くて好きなんだ」
 あの雑誌にも書いてあったけど先生はスイーツ男子だ。
「このチョコレートケーキも食べました?」
「うん、結構しっとりしているよ。あ、一口もらっていい?」
 私が答える前に、先生はスプーンでケーキをすくった。

「美味しいよ。食べてみなよ」
 最初に会った時も、ジュースの缶を交換してきた。きっとこういう行為に抵抗がない人なのだろう。
 私は、同性の友人とならケーキをシェアするが、異性のただの知り合いとはそんなことはしない。特別な人ともそういうことはなかった……もう思い出すのやめる。
「美味しい。チョコレートの層がしっかりしている。紅茶とも合うわ」
 当たり障りのない感想だ。ストレートティーも香りがいい。
素芦もとあしさん、紅茶、好きなんだね。送ってもらった時、ミルクティーだったし」

 送ってもらった時? もう三か月も前だ。私自身、何を飲んだか覚えてないのに、なぜこの人はそんなことまで覚えているんだろう。
 やっぱり記憶力が普通の人とは違うんだ。
「先生すごいわ。だから、あんな難しい本も書けるのね」
「本?」
 私はカバンから買ったばかりの新書を取り出して、先生に見せた。

「う、うわ~、これかあ」
 朝河先生が頭を抱えている。その表情は、私が高校生だと勘違いしたときと変わらない。
「先生の頭には、この本よりもっともっとすごい数式がいっぱい詰まっているんですね」
 目の前の若い先生は頭を抱えたままだ。
「これね、編集に叱られて、もっと式を減らせって……僕はあまり書くのも話すのも得意じゃなくて」
「論文いっぱい書いてるんでしょう?」
「論文は別だよ。論文も別の意味で大変だけど、少なくとも、こういう用語は知らないだろうな、数式じゃ伝わらないよな、って悩まないし」

 今がチャンスだ! 彼に取材を引き受けてもらわなければならない。自分の進退がかかっている。
「そ、そんなことないです……これ、とてもわかりやすかったですよ」
 そして私は切り札のように、天体雑誌のバックナンバーを取り出し、テーブルの上に置いて開いた。

「朝河先生、とてもすばらしいインタビュー記事だと思いました」
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