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1章 アラサー女子、年下宇宙男子と出会う

1-9 逃げる理由

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 もう何度も陛下ルートをプレイしたが、相変わらずのイケボイス……なんだけど……
 一年前、暗黒皇帝陛下に出会った。表沙汰できない不毛な恋だからやめよう、と決意したが、陛下の魅力からは逃れられなかった。

 今、何か違う。すごく冷静な自分がいる。
 陛下はいつも通り、妖しく冷たく酷薄で情け容赦なく美しい。が、私はそれを客観的に受け止めている。
 そして、客観的に受け止められない別の事態が私を支配している。

 ボサボサ頭の宇宙オタク大学生の丸い目が、甲高い声が、何度も浮かんでくる。陛下に情け容赦なく責められてるときも。
 これって、彼氏とエッチしてる時、他の男のこと考えてるみたいな感じ? 不倫みたいな?……不倫どころか普通にしたことないのに、私はなに妄想してる?

 大体、アサカワ君は『毎晩、好きな子と話す』とハッキリ宣言していた。『毎晩話す』って、らぶらぶイチャイチャ熱々ホクホクなんだね。
 可愛い彼女なんだろうな。そして、宇宙オタク話についていける頭いいリケジョさんなのかも。

 先輩の真智君なら、アサカワ君の彼女のこと知ってるかな……そこまで考えて、私はアサカワ君との約束を思い出した。真智君を説得すること。
 ひどいな、自分。どんな彼女か気になりすぎて、肝心なことを忘れていた。


 真智君に『アサカワ君、会いたいって』とメッセージを送る。
『流斗来た?』
 真智君から、すぐ返信がきた。アサカワ君の下の名前は「流斗」って書くんだ。それだけで幸せな気持ちになれる。上の名前の漢字も知りたい。

 その前に、約束を果たそう。真智君に電話を入れた。

「来たよ! それで物理の講義、替わってくれたよ」
「へー流斗先生の講義聞けたのか。ラッキーじゃん」
「うん、イーイコールエムシーノジジョウの式の素晴らしさを語ってた」
「E=MCの2乗は、確かに素晴らしい」
 こういうところ、真智君も宇宙研究をしているのだと思い出させてくれる。
 だから大切なことを確認したい。

「アサカワ君から聞いたけど、大学、行ってないんだって?」

 スマホの向こうが無音になった。電波状態が悪くなったのでは? と不安になる。

「流斗、それを言うかよ……今ね、俺、メチャ恥ずい。リア充してたかったのに」
 チャラい真智君の声が消え入りそうになり、気の毒に思える。
「リア充してるよ。でも、アサカワ君、心配してるから……」

「俺、学年は流斗のイッコ上だけど、あいつすごいから一年の時から二年の実験に参加して、俺ら実験パートナー組まされた。あいつの実験レポートにノート、すごい助かった」
 出会いはレポート目当てだったわけね。真智君らしい。

「その時からあいつは宇宙論の研究室出入りしてた。あいつと付き合ってるうちに面白そうだから、俺も宇宙やろうってなわけ」
 アサカワ君が真智君の影響を受けたのではなく、逆だった。

「でも流斗のやつ、二年の時はレポート貸してくれたのに、三年になったらすげー冷たくなって……僕は真智さんの先生じゃないって」
 それはその通り。

「で、俺は結局、流斗とは別の研究室行った。でもテンション上がらなくて、結局一週間徹夜して、卒研やっつけた」
 一週間で卒業研究をやるなんて真智君はできる子だ。彼の講義からも、頭の良さが伝わってくる。

「働くのイヤだから大学院行ったよ。そのころ流斗とは疎遠になって、気分も変えたくて、出来立ての宇関に移った。だけど、ここ、なーんにもないじゃん。首都キャンパスなら、インカレサークルで女子大の子と遊べたけど、宇関は男ばっか!」
 ごめんね田舎で。

「研究室じゃ俺みたいな奴放置プレイだろ? バイトでもするかって。疋田さんも那津美さんも、優しくて好きにさせてくれるから、すごい楽しかった」

「真智君のおかげで助かってるよ」
「那津美さんともっと仲良くしたいけど、疋田さんに手ぇ出すなって言われたから、我慢してるんだ」
 それ、事務の丸山さんにも言ってるよね。

「私たちのことは気にしないで、真智君が本当にしたいこと、進みなよ」
 また電波状態を心配したくなる沈黙が続く。

「俺、遊ぶ方は流斗より慣れてたから、先輩面してた。あいつも『真智さんすごいなあ』って言ってくれて……でもさ、一年もサボってるなんてバレたら……今さら、会えない」
「真智君!」
 消え入りそうな声を何とかしたくなった。

「私、真智君のこと好きじゃなかった」
「ひ、ひど……」
「私だって宇宙なんて難しい研究やりたかった。それに、私は塾で正職員なのに、真智君の方がずっと講義も上手で生徒に人気あって、だからね、ずっと嫉妬してたの」
「那津美さん……」

「そういう、私が嫉妬するようなイケてる真智君でいてほしいの! アサカワ君から逃げ回るんじゃなくて、カッコつけるの! 一年大学院に行かなかったカッコつく理由、考えようよ!」

「カッコつく理由?」
「研究より子どもたちを教える方に生きがいを見つけたとか、どう? なかなかカッコよくて、それっぽい理由になってない?」
 本当のことを言う必要はない。

「いーけど、俺のキャラじゃないよね、それ」
 真智君の声が明るくなってきた。

「講師やってる真智君、すごいイケメンだよ。大学院やめるなら、疋田さんに真智君を職員採用できるか聞いてみる」

 正直、真智君を正規職員として雇える余裕が塾にあるのかわからない。経理は、疋田さん自身が担当している。私も手伝いたいが、いつも「那津美ちゃんは、お金のこと気にしなくていいのよ」と言ってくれるので、甘えてた。

「那津美さん、ありがと。でも、塾に正規採用はありえないね」
 それもそうだ。首都の大学を出た彼が田舎の零細補習塾に就職なんて、ありえない。
「そうだよね。真智君なら、いくらでも就職できる。その時は塾長にお願いして、推薦状、書いてもらうから……あ、小さい田舎の塾の推薦状なんていらないか」
 また、数秒の沈黙のあと、返事が来た。

「わーった。そこまで那津美さんが言ってくれるなら、俺、流斗と話すよ」

「よかった! ありがとう!……あのね、もし、アサカワ君と会うの恥ずかしかったら、私も付き合うよ」
 これでアサカワ君に会う口実ができるし……違うって! それはいくら何でも真智君に悪い。
「……ヤバ……俺、マジ、あんたに惚れそう」
 唐突に通話終了された。

 すごい真智君。本気じゃないと分かっていてもクラクラ来る。
 私の方こそヤバい。
 陛下さえいれば幸せ♪ と思っていたのに、ヤバい。



 私は塾の事務を担当しているため、講義がない日も出勤する。
 春休みが近いのに生徒が集まらない。

 二年前、宇関町は変わった。
 首都と岡月県庁所在地を結ぶ鉄道路線に宇関が加わり、駅ができた。同時に真智君やアサカワ君が通う西都科学技術大学のキャンパスが建てられた。
 大手予備校が進出してきた。大学職員の家族が引っ越してきた。大学に付随して関係企業の支店も建てられる。
 宇関町に住む人の構成が変わってきた。

 生徒が大手予備校に取られてしまうと叔母に話しても「那津美ちゃんは気にしなくていいのよ」とおっとりと流すだけ。
 叔母は、旦那さんの遺産で充分暮らせるためか、儲けようという気持ちはないようだ。
 が、私は何とかしたい。

 今日も叔母にSNS活用を提案するが受け流されてしまい、全然違う話題になった。
「那津美ちゃん、あの人、アサカワさんとは、どうなの?」

 どうも何も、真智君をきっかけに知り合っただけだ。
 真智君はアサカワ君と話すと言った。そろそろ解決しただろう。
 彼の連絡先も知らない。私の名刺は渡したが、載ってるのは塾の共通メルアドだ。大体、彼からメールする用事はない。
 アサカワ君は、毎晩好きな子と話すのに忙しいはず。

「別に、真智君の知り合いというだけで」
「真智君はねえ、いい子だけど旦那さんとしてはちょっとね……アサカワさんは真面目そうだからいいと思うけど……もし上手く行かなかったら、誰か紹介するわね」

 叔母はアサカワ君のことをほとんど知らないのに、なぜ「真面目そう」と言うのか。見た目が地味だからか。ま、私もほとんど知らない点は同じだ。
 とはいえ正直に彼と何でもないと言ったら、叔母のお見合い攻撃が待っている。

「私はアサカワ君が好きなんですが、彼の気持ちがよくわからないので、がんばってるところです」

 こう言っておけば、叔母は無理にお見合いを持ってこないだろう。
 今後、アサカワ君に会えるとは思えないが、彼に私の発言を知られてもドンヒキされるぐらいで実害はない。
 もちろん私の本心じゃない。お見合い避けの作戦だ。決して本心ではない。私には暗黒皇帝陛下がいる。年下男子なんて好みじゃない。

 疋田の叔母はにっこり笑った。
「大丈夫よ。アサカワさん、那津美ちゃんを大切にしてくれるから」
 何の根拠もないが、叔母なりの優しさで、私の片思いを応援してくれるのだろう。
「私ね、ずっとずっと那津美ちゃんのことが心配だったの。あれ以来、いくら私がお見合い勧めても、逃げてたでしょ? 無理ないわ。ずっと信じていた人に裏切られたんだもの」
「それは本当にいいんです。もう何とも思ってません」

「これでもう悔いはないわ。ようやく決まったわ」
 叔母が姿勢を正した。これまでにないような微笑を向けた。

「那津美ちゃん、塾、閉じることにするわ」
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