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1章 アラサー女子、年下宇宙男子と出会う
1-3 職場に対する不安
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真智君にムカついている場合じゃなかった。これから高校二年の古文を教えるんだから。
うちの塾は個別指導が中心だ。広い教室には十卓のテーブルが置かれ、それぞれ竹を編み込んだ衝立で区切られている。パーテーションという大げさなものではない。
ざっと見渡すと、一組しか入ってない。
もうすぐ春休みなのに、生徒が減ってる。下手すると、私以外誰も来てないこともある。
大丈夫かな? この生徒数で、塾、やっていけるのかな?
私は塾の事務も担当している。
チラシを作って発注したりホームページを更新したりといった広報が、主な仕事。
塾長の疋田薫子さんは七十代の女性で、そういうことに関心がない。
疋田さんは、旦那さんが亡くなったあと、近所の子どもたちの面倒を見ようと塾を始めた。
勉強についていけない子、学校に馴染めない子など、疋田さんの人柄を慕って、多くの子どもが集まった。
私も二十年前、母がいなくなり塾の世話になった。というのも、疋田さんは私の父方の叔母なのだ。
このビルのオーナーだった父は、妹である疋田の叔母を支援した。
母がいなくなった時、私は学校に行かなくなった。父は私を無理に登校させようとはしなかった。その代わり、この塾を勧めた。優しい叔母のおかげもあって、学校に通えるようになった。
私が通っていた二十年前は、十卓のテーブルがいつも埋まっていた。なのに、今では半分埋まっていればいい方。
この国の子どもが減っているということが、原因かもしれない。
が、宇関で塾は増えている。首都に本部を持つ大手塾が進出している。
特にこの二年、生徒数が減っている気がする。
二年というと、真智君が通う西都科学技術大学の宇関キャンパスができたころだ。大学による町の変化が塾に影響している、とういうのは考えすぎかな?
「コイツ三年も彼女放置プレイしてひどい!」
高校二年生の杏奈ちゃんは、古典のヒーローに怒っている。
それは私も同意だ。
古代貴族の男性はいろんな女の所に通っているが、女は待つしかない。だから何年も放置して気まぐれに突然訪れる、ということもあったのだろう。
塾生の一人、杏奈ちゃんには、二年間、古文を教えている。
丸い眼鏡とツインテールが似合う杏奈ちゃんは、古代貴族の世界が好きで、古代を舞台にした乙女ゲームにもハマっている。もちろん十八禁じゃなく純愛で、ハグかキスどまりだ。
杏奈ちゃんに勧められ、私もそのゲームを少し遊んだことがある。古代の都に出没する妖怪を追っていく中、ヒロインは帝や竜神など様々イケメンと出会う。
いろんなタイプのイケメンが登場し、胸キュンなセリフを囁いてくれるが、ごめん、私は十八禁の暗黒皇帝陛下が好きなの。十七歳の彼女には言えないけど。
「しかも、みーんな、運命だからって諦めてない?」
それもわかる。古代は身分制度が固まっているため、ほぼ生まれで人生が決まる。下剋上は後の時代の話。
だからかな? 古代では、努力して逆境を乗り越える話より悲劇話が多いみたい。女が全然タイプじゃない男にモノにされても「結ばれるのは宿世です」と説得されてしまう。いや、それ「宿世」じゃないよね。あんたの身勝手な欲望を謎のワードで正当化するんじゃない!……千年以上も前の、実在か架空か微妙な人物に、つい怒ってしまう。
その点、現代はずっとマシだ。セクハラだ、犯罪だと訴えることができる。
なのに、セクハラ犯罪どころじゃない暗黒皇帝陛下に惹かれるのはなぜだろう、いやあの方は地球人じゃないし……高校生の前で陛下のこと考えるのは、やめようよ。
乙女トークを交えつつ二重敬語のポイントなどを説明、終わりに私はさりげない、いや、露骨な営業トークを始めた。
「杏奈ちゃん、春休みはどうする? せっかくの休みだから集中して三年生の準備始めようか? 古文以外の科目も大丈夫よ」
彼女は文系だから、私でも大体の科目は担当できる。
うちの塾は補習メインだから、あまりレベルの高い大学受験には対応していない。
それこそ首都総合大学に行きたい、となると私には無理だ。真智君のいる西都科学技術大学でも難しいかもしれない。なんたって首都の大学だし。
しかし、大手予備校についていけない子のサポートならできる。
「ごめん、先生」
杏奈ちゃんが、暗い顔をしてうつむいた。この子が私を「先生」と呼ぶことは滅多にない。どうしたんだろう。
「なっちゃん、親がね、理系に行けっていうんだ」
え?
「杏奈ちゃん、古典とか歴史好きで、神社の御朱印集めてたよね」
「うん。でも親が、古文や歴史は仕事にならないって。理系の方が就職いいって」
古文や歴史じゃ食べられない、理系の方が有利、と言われると……否定しきれない。有利不利より向き不向きで考えた方が、その子の幸せになるんじゃないか、とアドバイスはできるだろうが。
「お父さんお母さんとお話してみようか?」
杏奈ちゃんは首を振る。
「ごめんね。高校のクラスも理系コースに決まっちゃったの。あたし……数式とか好きじゃないんだけどなあ……」
「じゃあ、来年から古文はやめて、数学にしようか? 私、理系の数学は教えられないから、他の先生にお願いしてみるね」
自分の生徒が減るのは残念だが、そうも言ってられない。塾の生徒が減るよりいい。
それでも杏奈ちゃんは首を振る。
「親がね、サップスクールにしろって言うんだ」
彼女の口から、宇関駅前の大手予備校の名前が出た。
「そうか……わかった。がんばってね。サップの数学が難しかったら、自習室に聞きにきてね。私でわかるところあったら、フォローするよ」
杏奈ちゃんは別れ際、手を振って「なっちゃん、ありがと」と言ってくれた。
自分が行きたい道を進めない。杏奈ちゃんは可哀相だ。
しかし私は、可哀そうな杏奈ちゃんをうらやましくも思う。
理系を勧めるなんて、いい親だ。今はそういう時代なんだ。うちの父と代わってほしかった。
いや、時代じゃない。私の高校でも理系へ行く女子は、三割ぐらいいた。
父は古い人だった。私は父が四十九歳の時の子どもだ。子どもの時、周りのお父さんと比べておじいちゃんみたいな父を恥ずかしく思った。
家そのものが古い。素芦の家は、中世では宇関を中心に今の岡月県一帯を支配していたと、父から家系図をもとに何度も聞かされた。その家系図は今、ここにはない。町に寄贈してしまった。
古い家の人間からすると、就職に不利だから理系に行けと言ってくれるなんて、いい親だなあ、と思ってしまう。杏奈ちゃんには言えないが。
大学でも理工学部の子は忙しそうだった。忙しそうな彼、彼女たちを気の毒に思いつつも、まぶしく感じた。
うらやましがっている場合じゃない。塾生がまた一人減った。ヤバいでしょ。
事務室の奥にいる塾長の疋田さんに、また生徒が減ったと伝えた。
七十代になる女性塾長は、表情を変えずいつもの笑顔を向けてくれた。
「いーのよ。那津美ちゃん、あなたのせいじゃないから」
叔母は、いつのまにか髪を染めなくなった。グレーのショートヘアーに白い肌。気品と優しさがにじみ出た笑顔を見るとホッとするが、今は、そういう場合ではない。
「叔母さん、うちのバイト講師の動画を撮ってホームページに上げるのってどうです? どんな先生がいるのかわかったらアピールになるし……いっそ、講義の様子をライブ配信するとか、でも生徒の顔をネットに晒すのはまずいか……保護者の方が塾の様子をチェックできるよう、保護者限定アカウントでライブ配信とか」
叔母は笑顔のままポカンとしている。しまった。つい熱が入ってしまった。
塾長はネットが得意ではないので、塾のホームページやSNSは私が更新している。
たまに塾長もメッセージを書くが、アップするのは私の仕事だ。
「とにかくネットを使うのがいいかなって思います。チラシポスティングよりずっと楽だし」
ポスティングは業者に頼むともったいないので自分でやっているが、けっこう大変だ。
でも塾長は首を振るばかり。
「那津美ちゃん、いろいろ任せちゃってごめんね……あたしも考えてるよ……でもそういうのは、いらないよ」
疋田の叔母から笑顔が消えた。やはり、生徒の減少に心を痛めているみたい。
「わかりました。私、他の塾の様子を調べときますね」
そういって事務室をあとにした。
今日はもう帰ろう。カウンター式の受付があるロビーに出た。
そこには、高校生に見える少年が立っていた。
うちの塾は個別指導が中心だ。広い教室には十卓のテーブルが置かれ、それぞれ竹を編み込んだ衝立で区切られている。パーテーションという大げさなものではない。
ざっと見渡すと、一組しか入ってない。
もうすぐ春休みなのに、生徒が減ってる。下手すると、私以外誰も来てないこともある。
大丈夫かな? この生徒数で、塾、やっていけるのかな?
私は塾の事務も担当している。
チラシを作って発注したりホームページを更新したりといった広報が、主な仕事。
塾長の疋田薫子さんは七十代の女性で、そういうことに関心がない。
疋田さんは、旦那さんが亡くなったあと、近所の子どもたちの面倒を見ようと塾を始めた。
勉強についていけない子、学校に馴染めない子など、疋田さんの人柄を慕って、多くの子どもが集まった。
私も二十年前、母がいなくなり塾の世話になった。というのも、疋田さんは私の父方の叔母なのだ。
このビルのオーナーだった父は、妹である疋田の叔母を支援した。
母がいなくなった時、私は学校に行かなくなった。父は私を無理に登校させようとはしなかった。その代わり、この塾を勧めた。優しい叔母のおかげもあって、学校に通えるようになった。
私が通っていた二十年前は、十卓のテーブルがいつも埋まっていた。なのに、今では半分埋まっていればいい方。
この国の子どもが減っているということが、原因かもしれない。
が、宇関で塾は増えている。首都に本部を持つ大手塾が進出している。
特にこの二年、生徒数が減っている気がする。
二年というと、真智君が通う西都科学技術大学の宇関キャンパスができたころだ。大学による町の変化が塾に影響している、とういうのは考えすぎかな?
「コイツ三年も彼女放置プレイしてひどい!」
高校二年生の杏奈ちゃんは、古典のヒーローに怒っている。
それは私も同意だ。
古代貴族の男性はいろんな女の所に通っているが、女は待つしかない。だから何年も放置して気まぐれに突然訪れる、ということもあったのだろう。
塾生の一人、杏奈ちゃんには、二年間、古文を教えている。
丸い眼鏡とツインテールが似合う杏奈ちゃんは、古代貴族の世界が好きで、古代を舞台にした乙女ゲームにもハマっている。もちろん十八禁じゃなく純愛で、ハグかキスどまりだ。
杏奈ちゃんに勧められ、私もそのゲームを少し遊んだことがある。古代の都に出没する妖怪を追っていく中、ヒロインは帝や竜神など様々イケメンと出会う。
いろんなタイプのイケメンが登場し、胸キュンなセリフを囁いてくれるが、ごめん、私は十八禁の暗黒皇帝陛下が好きなの。十七歳の彼女には言えないけど。
「しかも、みーんな、運命だからって諦めてない?」
それもわかる。古代は身分制度が固まっているため、ほぼ生まれで人生が決まる。下剋上は後の時代の話。
だからかな? 古代では、努力して逆境を乗り越える話より悲劇話が多いみたい。女が全然タイプじゃない男にモノにされても「結ばれるのは宿世です」と説得されてしまう。いや、それ「宿世」じゃないよね。あんたの身勝手な欲望を謎のワードで正当化するんじゃない!……千年以上も前の、実在か架空か微妙な人物に、つい怒ってしまう。
その点、現代はずっとマシだ。セクハラだ、犯罪だと訴えることができる。
なのに、セクハラ犯罪どころじゃない暗黒皇帝陛下に惹かれるのはなぜだろう、いやあの方は地球人じゃないし……高校生の前で陛下のこと考えるのは、やめようよ。
乙女トークを交えつつ二重敬語のポイントなどを説明、終わりに私はさりげない、いや、露骨な営業トークを始めた。
「杏奈ちゃん、春休みはどうする? せっかくの休みだから集中して三年生の準備始めようか? 古文以外の科目も大丈夫よ」
彼女は文系だから、私でも大体の科目は担当できる。
うちの塾は補習メインだから、あまりレベルの高い大学受験には対応していない。
それこそ首都総合大学に行きたい、となると私には無理だ。真智君のいる西都科学技術大学でも難しいかもしれない。なんたって首都の大学だし。
しかし、大手予備校についていけない子のサポートならできる。
「ごめん、先生」
杏奈ちゃんが、暗い顔をしてうつむいた。この子が私を「先生」と呼ぶことは滅多にない。どうしたんだろう。
「なっちゃん、親がね、理系に行けっていうんだ」
え?
「杏奈ちゃん、古典とか歴史好きで、神社の御朱印集めてたよね」
「うん。でも親が、古文や歴史は仕事にならないって。理系の方が就職いいって」
古文や歴史じゃ食べられない、理系の方が有利、と言われると……否定しきれない。有利不利より向き不向きで考えた方が、その子の幸せになるんじゃないか、とアドバイスはできるだろうが。
「お父さんお母さんとお話してみようか?」
杏奈ちゃんは首を振る。
「ごめんね。高校のクラスも理系コースに決まっちゃったの。あたし……数式とか好きじゃないんだけどなあ……」
「じゃあ、来年から古文はやめて、数学にしようか? 私、理系の数学は教えられないから、他の先生にお願いしてみるね」
自分の生徒が減るのは残念だが、そうも言ってられない。塾の生徒が減るよりいい。
それでも杏奈ちゃんは首を振る。
「親がね、サップスクールにしろって言うんだ」
彼女の口から、宇関駅前の大手予備校の名前が出た。
「そうか……わかった。がんばってね。サップの数学が難しかったら、自習室に聞きにきてね。私でわかるところあったら、フォローするよ」
杏奈ちゃんは別れ際、手を振って「なっちゃん、ありがと」と言ってくれた。
自分が行きたい道を進めない。杏奈ちゃんは可哀相だ。
しかし私は、可哀そうな杏奈ちゃんをうらやましくも思う。
理系を勧めるなんて、いい親だ。今はそういう時代なんだ。うちの父と代わってほしかった。
いや、時代じゃない。私の高校でも理系へ行く女子は、三割ぐらいいた。
父は古い人だった。私は父が四十九歳の時の子どもだ。子どもの時、周りのお父さんと比べておじいちゃんみたいな父を恥ずかしく思った。
家そのものが古い。素芦の家は、中世では宇関を中心に今の岡月県一帯を支配していたと、父から家系図をもとに何度も聞かされた。その家系図は今、ここにはない。町に寄贈してしまった。
古い家の人間からすると、就職に不利だから理系に行けと言ってくれるなんて、いい親だなあ、と思ってしまう。杏奈ちゃんには言えないが。
大学でも理工学部の子は忙しそうだった。忙しそうな彼、彼女たちを気の毒に思いつつも、まぶしく感じた。
うらやましがっている場合じゃない。塾生がまた一人減った。ヤバいでしょ。
事務室の奥にいる塾長の疋田さんに、また生徒が減ったと伝えた。
七十代になる女性塾長は、表情を変えずいつもの笑顔を向けてくれた。
「いーのよ。那津美ちゃん、あなたのせいじゃないから」
叔母は、いつのまにか髪を染めなくなった。グレーのショートヘアーに白い肌。気品と優しさがにじみ出た笑顔を見るとホッとするが、今は、そういう場合ではない。
「叔母さん、うちのバイト講師の動画を撮ってホームページに上げるのってどうです? どんな先生がいるのかわかったらアピールになるし……いっそ、講義の様子をライブ配信するとか、でも生徒の顔をネットに晒すのはまずいか……保護者の方が塾の様子をチェックできるよう、保護者限定アカウントでライブ配信とか」
叔母は笑顔のままポカンとしている。しまった。つい熱が入ってしまった。
塾長はネットが得意ではないので、塾のホームページやSNSは私が更新している。
たまに塾長もメッセージを書くが、アップするのは私の仕事だ。
「とにかくネットを使うのがいいかなって思います。チラシポスティングよりずっと楽だし」
ポスティングは業者に頼むともったいないので自分でやっているが、けっこう大変だ。
でも塾長は首を振るばかり。
「那津美ちゃん、いろいろ任せちゃってごめんね……あたしも考えてるよ……でもそういうのは、いらないよ」
疋田の叔母から笑顔が消えた。やはり、生徒の減少に心を痛めているみたい。
「わかりました。私、他の塾の様子を調べときますね」
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