ギリシャ神話ファンタジーを書いてます ~パリスの大冒険~

さんかく ひかる

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6 主人公は、あっさりワナにはまる

(42)逃避行

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 王の玉座らしい椅子の下には地下へ繋がる穴が隠され、木の梯子が掛けられてあった。
 ガイアが「先に荷物を」と促し、パリスは自分と彼女達の荷物を穴に落とす。すぐさまポスっと鳴ったので、思ったより浅い穴らしい。
 パリス、ヘルミオネ、ガイアの順で梯子を下りた。穴の深さはパリスの背より少し高い程度だった。

「蓋を閉めないとね」

 パリスは梯子に足をかけ、天井に腕を伸ばした。石蓋の裏側に掘られた窪みに手を入れて、きっちり閉める。
 ガイアは「玉座を戻さないと」と辺りを見回した。
 乳母の指摘でパリスはおろおろする。椅子がずれたままでは、石蓋が外から丸見えだ。

「落ち着いてください。今から戻します。パリス様、どいていただけますか?」

 ガイアはパリスを梯子から遠ざけて、かがみ込んだ。梯子の根元に手を伸ばし操作をしている。ヘルミオネがガイアの手元を照らした。梯子の先に手のひらほどの車輪が繋がっていた。
 乳母が梯子の支柱を押すと、小さな車がゴロゴロと動き、梯子が移動する。ガタンと鳴り、車輪付きの梯子は止まった。

「この梯子は上の玉座に繋がっています。これで元に戻りました」

 ネジも滑車もない青銅器時代にどういう原理で梯子や玉座が動くのか、突っ込んではいけない。
 この造物主は、ラジオ工作の授業で熱を当ててはいけない部品に半田ごてを当てて破壊したという、輝かしい経歴を持つ。そんな造物主にまともなメカ描写ができるわけないが、ファンタジーの定番である隠しダンジョンをどうしても出したかった。
 まあギリシャ神話では、鍛冶の神ヘパイストスがロボットのメイドを作っちゃうし、ダイダロスは謎の翼で空を飛んだ。そういう時代だったということで、ご容赦願う。
 話を戻す。パリスは、鮮やかに梯子を操作する乳母を、まじまじと見つめた。

「すごいね、ガイアさん」

「この通路は限られた者しか知りません。しばらく気がつかれないでしょう」

「ガイアはなんでも知ってるのよ」

 ヘルミオネが誇らしげに乳母の背中に頭を寄せた。
 パリスの尊敬のまなざしをよそに、ガイアはヘルミオネから灯りを受け取り「急ぎましょう、着いてきてください」と促した。


 地下は複雑な迷路になっており、ガイアの先導がなければ出られなかっただろう。行き止まりと思われた壁に、ガイアが触れると反転して新たな通路が出現する。

「ガイアさん、よく迷子にならないね」

「私は昔からこのスパルタで……仕えていましたから……」

「すごいなあ。この王宮を作った人は」

「どこの王宮にも恐らくあるかと思います……」

 暗がりの中パリスは、トロイアの王宮には、もっと大きな迷路が地下に伸びているのか? と想像する。ヘクトルなら知っているだろうか?
 やがて壁も地面も人工物から自然の洞窟に変わった。足元がびちゃびちゃとぬかるむ。ヘルミオネは高貴な育ちにも関わらず、不平を言わず黙々と歩いた。

 風が流れてきた。自然の照明が見えてきた。
 穴蔵から出ると、スパルタ郊外の丘の斜面だった。空は白みかけている。
 パリスが振り返ると、乳母と王女が見つめあっている。

「ヘルミオネ様、いけません。きれいなお顔が……近くの泉で汚れを落としましょう」

「あはは、ガイアだって泥んこだよ」

 パリスは二か月ぶりにヘルミオネの笑顔を見て、決意を新たにした。
 この子を怪物の花嫁にしてはいけない。

 三人はガイアの先導で木々に囲まれた泉にたどり着き、顔と足を洗った。乳母は荷袋を開き、長い布をパリスに渡す。

「パリス様、その美しい巻き毛は目立ちすぎます」

 パリスはトロイアに行くまで自覚はなかったが、どうやら自分はトロイア人の容姿をしているらしい。ヘルミオネとガイアの金髪も目立つため隠すことにした。
 三人が頭を布で覆い支度ができたところで、パリスは二人に向き直った。
 これからの行先と計画を、打ち明ける時がきた。

「僕、ちゃんと言ってなかったけどその……トロイアの王子なんだ」

 二人の女は静かに頷いた。

「あ、あれ? 驚かない?」

 実は王子様でした展開ってドラマで一番盛り上がるポイントなのに、とパリスはがっかりする。
 ヘルミオネが笑った。

「宮のみんながトロイアの王子に違いないって言ってたわ。それにお父様が教えてくれたの」

 メネラオスにも王子と名乗った覚えはないが、そうとくれば話は早い。パリスは、王女と怪物の結婚を阻止するアイデアを披露した。
 トロイアに向かい、ヘルミオネとトロイアの王子との結婚をプリアモス王に提案する。プリアモス王が受け入れたら、メネラオス王に王女との結婚を願うことを。

「ヘルミオネのお父さんだって、トロイアの王子との結婚なら受け入れてくれると思うんだ。どうかな?」

 ヘルミオネが途端に顔をおおった。目に涙を溜めている。
 パリスは自分の迂闊さを思い知る。
 この子は、嫁に行くなら王女をやめて、踊り子になりたいと言っていた。大国の美しい王子との結婚なら喜ぶだろうなんて、大人の身勝手な押しつけに過ぎない。

「ごめんごめん。ヘルミオネの気持ちを考えずに勝手に決めて。嫌なら別の案を考え……」

 言葉が終わらないうちに、ヘルミオネがパリスに抱きついてきた。

「私、結婚する!」

 少女の涙は喜びの涙らしい。やはりこの子も女の子だ。大国の王子との結婚は嬉しいのだろう。

「喜んでくれるのは嬉しいけど、まだ決まってないよ。王様やヘクトル……一番上の王子だけど、反対されるかもしれないし」

 ヘクトルに反対されれば、この計画は成立しない。

「反対されたら、一緒に逃げればいいじゃない!」

 顔も知らぬ王子との結婚にここまで前向きになれるのは、幼さゆえか。パリスはかえって不安になった。ヘルミオの布で覆われた頭をなでながら、乳母に顔を向けた。

「ガイアさんは?」

「私はヘルミオネ様が幸せなら……それに憧れのトロイアに行けるとは、夢のようです」

 三人の意志が固まったところで、朝日が顔をのぞかせた。パリスはアポロンを思い浮かべ、旅の成功を祈る。
 二人を連れて、スエシュドス老人と待ち合わせている宿に向かった。ちょうど約束の二か月が経っていた。


 パリスは追手が来ないかキョロキョロと警戒しながら進むが、何事もなく宿に着いた。
 老人は宿の一階の片隅でチーズを頬張っていた。別れた時と同じようなボロ布を纏っていた。

「おお、パリスさん! おや? 美人さんを二人も連れて、パリスさんらしいのう」

「おじいちゃん、そんなんじゃないって」

 老人の表情は伸びた眉毛とボサボサの白髪に隠れて見えないが、声が喜びに溢れている。
 ヘルミオネとガイアは、パリスから旅仲間の老人のことは聞いており、二人とも笑顔を見せる。

「スエシュドスさん、この二人は踊り子で、親子で世界中を旅しているんだ。酒場で知り合ってトロイアの話をしたら、行きたいって」

 さすがにパリスもこの老人に真実を打ち明けない。トロイアに着くまでは親子設定でいこうと、二人と打合せ済みだ。

「そうかそうか、お名前はなんとな?」

 老人は声を弾ませ、踊り子の親子に顔を向ける。
 しまった。パリスはそこまで考えていなかった。王女の名前を明かすわけにいかない。

「私はガイアと言います」

 一瞬パリスは顔を引きつらせるが、王女の乳母の名前は知られていないから、問題ない。

「それで、このむ、む、む、娘は……ムーサです」

 打合せ済みとはいえ、ガイアにとって、王女の母を演じるのは抵抗があるようだ。

「おお! 大地の女神に芸術の女神とはすごい親子じゃのう」

「ええ、私、お、お、お母さんみたいな踊り子になるの」

 ヘルミオネはガイアにピタッと身体を寄せた。ぎこちなくも踊り子の娘を演じている。
 自己紹介が終わったところで、スエシュドスはパリスに話しかけた。

「そうそうパリスさん、トロイアから来た船乗りに聞いたんじゃが、ヘクトルさんが早く戻れって言ってるそうじゃ」

「ヘクトルがなんでだろ? ま、それなら急いだ方がいいよね。近くの港から船でトロイアに行こう」

 ヘクトルの意図はわからないが、スエシュドスに怪しまれずトロイアへ急ぐ理由ができて、パリスはホッとする。
 運よく、手ごろな大きさの船とトロイア行きに慣れた船乗りが見つかった。パリスとスエシュドスも交代で船を漕ぐことにした。

 心配していた追手もやってこない。キルケの仕込んだ薬が効いているのだろう。
 船乗りは慣れたもので、点在する島に停泊し、現地で食料を交換して航海を進める。旅の間、ヘルミオネはガイアに「お母さん」と甘え、ガイアは「いい子にしなさい」と頬をなで、本当の母子のように振舞う。
 海は荒れることなく穏やかで、順調に進む。十日ほどでトロイアのある大地にたどり着いた。
 神の加護のおかげだと、パリスはアポロンに感謝した。
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