ギリシャ神話ファンタジーを書いてます ~パリスの大冒険~

さんかく ひかる

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6 主人公は、あっさりワナにはまる

(41)出会ったばかりなのに、もうお別れ

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 夜中、スパルタの王女ヘルミオネはパリスの部屋に忍び込み、一緒に逃げてと訴えた。
 パリスは「いきなりそんな、無理だって!」と当然断るが「もう時間ないの」と王女は涙交じりで囁いた。

「このままだと私、明日クレタ島に行くしかないの」

「それって、ミノタウロスのいる島だよね」

 王女は小さく頷いた。パリスはもちろん納得がいかない。

「おかしいよ、メネラオスさんがいないのに……そうだ。王様いないからって、断ればいいよ」

「ダメなの。お父様がクレタの王様にお願いした書版を、使者が持ってきたの。だから王宮のみんなが私をクレタに行かせようとしている」

「お願いの書板? それ、偽物じゃない?」

 ヘルミオネは悲しげに首を振る。

「粘土版にお父様の指輪の印章が押してあって、本物だって大臣たちが言ってた。私にも本物に見えた。お父様の印章は特徴があるもの」

「なんて書いてあったの?」

「お父様の留守中、私をクレタに連れていって欲しいって」

 パリスは努めて笑顔を見せた。

「で、でも、粘土板に、ミノタウロスと結婚しろとは書いてないんでしょ?」

「私、お父様に言われたの! アウリスの競技会が始まったら、ミノタウロスに嫁ぐようにって」

 パリスは天井を仰ぐ。パリスは育ての親に愛された。ヘクトルは幼い息子が可愛くて仕方ない。実の父プリアモスはパリスには冷たいが、ヘクトルのことは大切に思っている。そもそも、プリアモスがパリスを捨てたのは、長子ヘクトルの地位を守るためだった。
 あの地味なおじさんは、なぜ可愛らしい娘を怪物にやろうとする? 理解できない。
 メネラオスを説得するつもりでスパルタに来たが、時間はない。このままでは、可憐な少女が怪物の花嫁にされてしまう。

「パリス様、どうかお願いします」

 部屋の入口から、大人の女の声が響いた。燭台を手にした王女の乳母が入ってきた。
 女は大きな荷袋を背負っている。すでに逃走の支度を済ませているようだ。

「ガイアさん……で、でも……」

「パリス様は、私が母の代わりになってヘルミオネ様を守るべきとおっしゃいました。私は母にはなれませんが、王女様の幸せを願っております」

「じゃあ、アウリスに行ってメネラオスさんを説得しよう」

「ダメ! アウリスなんか行ったら私、そのままお父様の力でクレタへ行かされる! 競技会にはすごい戦士がたくさん集まってるのよ! パリスがいくら強くても勝てないよ!」

 パリスは腕組みして考え込んだ。ヘルミオネの言うとおり、単身で会場に乗り込んでも勝ち目はない。

「パリス様、私もメネラオス様に訴えたのですが……所詮、私は一介の乳母、王様のお考えを変えるなんてとても」

 ガイアも悲痛な面持ちで俯いている。
 三人が王女の行く末に頭を痛めている時だった。ヒタヒタヒタと、サンダルの音が近づいてくる。

「隠れて!」

 パリスはヘルミオネとガイアを部屋の奥に通し、廊下に出た。
 大人と子供の影が近づいてくる。
 大人と子供? 影が近づくに連れ、パリスはほっと息を吐く。

「キルケさんとゼノン君か」

 と、パリスの呟きを耳にしたのか、ガイアが部屋から出てきた。

「お願い! 私たちを見逃して!」

 魔女は大きく頷いた。


 パリスの部屋で、大人三人と子供二人が息を潜めて座り込む。

「ゼノン君、君をアウリスに連れていきたかったけど」

「あのね、僕、おばちゃんの子供になるんだ」

 おばちゃんの子供?
 キョトンとするパリスに、ゼノンもキルケも眩しいばかりの笑顔を向ける。

「ゼノンには大きな力が秘められています。私はこの子を偉大な魔術師に育てたいのです」

 行き掛かりで拾った子供だ。誰も面倒を見てくれないなら、パリス自身で育てようとぼんやり考えていた。しかし自分一人では厳しいので、トロイアに連れて帰りアンドロマケやオイノネに助けてもらおうかと、甘えたプランを立てていたところだった。
 とはいえ、ゼノンは普通の子供ではないようだ。パリスは子供と楽しく遊ぶことはできるが、ゼノンの不思議な力を伸ばすことも理解することもできない。

「そうか。ゼノン君がいいなら、それがいいよね」

 キルケにはゼノンを育てる力がある。
 寂しい魔女と親に捨てられた子供。新たな親子の誕生をパリスは心から祝福した。魔女の手を握りしめ「ありがとう、キルケさん」と熱い眼差しを送った。
 しかし魔女は男の手を振り払い、ガイアに向き直る。

「ガイア様、私はこれから、厨房の鍋に強い眠り薬を入れます。王宮の兵士たちは一日、目覚めないでしょう。その間にできる限り逃げてください」

「ああキルケ! 私たちを助けてくれるのね!」

 ガイアは涙目になって魔女を抱き締める。キルケは女の身を離し「しばらくお待ちを」と、部屋を出た。
 ほどなく小さな壺を抱えて戻り、ガイアに手渡した。

「これが残りの薬です。いつかお会いできたとき、次の薬をお渡しします」

 乳母は壺を抱きしめ、首飾りをキルケに渡す。

「ありがとう、キルケ。少ないけれど取っておいて。なるべく早く会えるといいわね。そのメネラオス様に……いえ、どうかあなたもお健やかに」

 パリスも出会ったばかりの魔女と子供に別れを告げる。

「ゼノン君、がんばってね。キルケさんと仲良くね」

 キルケともっともっと親密になりたかったが、別れを惜しむ暇はない。キルケとゼノンは元の部屋へ去っていった。
 パリスは立ち上がり、ガイアを促す。

「夜中は門が閉まっているよね」

「私が王宮の抜け道を案内します」


 荷物を背負った乳母はヘルミオネの手を取り、パリスを大広間に案内した。
 若者は辺りを灯りで照らす。奥に大きな椅子が二脚並んでいた。暗くてはっきりとは見えないが、椅子の背もたれのあちこちがキラキラと光っている。宝石を埋め込んだ椅子らしい。

「すごい立派な椅子みたいだね。もしかして王様とお妃様が座るのかな?」

 ガイアは若者の問いに答えず、片方の椅子の後ろに回った。
 パリスは女の後ろから灯りで椅子の背を照らす。
 ぷっくりした手が椅子の背をなでた。カチッと小さな音がした。ガイアはもうひとつの椅子の後ろに回り、ぐいぐいと押した。
 椅子が半分ずれたところで、床に嵌め込まれた大きな石板が現れた。石板には手のひらほどの窪みが、斜めに穿たれている。

「パリス様、蓋を持ち上げていただけますか?」

「ここに手を入れるのかな?」

 パリスは灯りをヘルミオネに渡して、石板の窪みに手のひらを差し入れた。うまい具合に石板が持ち上がる。
 板の下には、大人が通れるほどの穴が隠れていた。闇へと続く穴の縁に、木の梯子が掛かっていた。
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