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6 主人公は、あっさりワナにはまる
(28)神の加護を受けた二人の男
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商人との交渉を乗り切ったヘクトルは、槍を壁に立てかけ元に戻した。息を吐いてアイネイアスに微笑む。
「アイネイアス……助かった。俺は、槍を振り回すのは得意だが、商売は全く駄目なんだ……父上とは違って」
「そんなことないですよ。堂々たる王様ぶりでした」
王様ぶりと言われた男は、首を振る。
「いや……お前がティノマコスを捉えなければ、俺はあの男に屈していただろう」
「そうですか? 僕はむしろ、槍でいきなりブスっと刺すんじゃないかと、ハラハラしてたんですけどね」
ヘクトルはニヤッと笑い、アイネイアスの肩を叩いた。
「やはりお前は、部屋の外で待っていたんだな」
「入りづらい雰囲気だったもんで……」
王子は又従弟の肩を揺さぶる。この聡い男は、入室に一番効果的なタイミングを狙ったに違いない。
「その楔形文字は、どうした?」
ヘクトルは、アイネイアスが持っている粘土板を指さした。
「最近、楔形文字の練習を始めたんです。商人に会うと聞き、使えるかも、と持ってきました」
粘土板を持って青年は、照れくさそうに微笑んだ。
「ティノマコスが楔形文字をあまり知らなくて助かりました」
ヘクトルは腹を抱えて笑い転げた。
「あはははは! さすがトロイア一の知恵者! アフロディテ様の血を引くだけある!」
アイネイアスの眉毛がピクリと動いた。
「ヘクトル兄さんも、そう言うんですね。僕が女神の子だと」
アイネイアスがトロイアの王宮で暮らしてから、十年が経つ。トロイア王の遠縁のアンキセスが「プリアモス王に仕えさせたい」と、体格のいい少年を連れてきた。
彼はトロイアの王子達と似ておらず、王族らしい風格も、女神の華やかさもなかった。
「お前は間違いくアフロディテ様の息子だ。お前の知恵と力が、何よりの証拠ではないか」
神殿で鍛えられたアイネイアスは、トロイア王宮で存分に力を発揮した。今では、ヘクトルに次ぐ戦士として、誰もが彼を神の子と認めている。
「僕にはそれしか道がなかったんです」
「はは、俺も同じだ。産まれた時から、道は定められていた」
英雄は豪快に笑った。
アポロンから力の証を授かった王子に示された道は、ただひとつ。トロイアを栄えさせ守ること。
ヘクトルにはアポロンの、アイネイアスにはアフロディテの加護がある。
神の加護を受けた者にしかわからない苦しみを、この男も感じているに違いない――ヘクトルはある意味、弟たちより親しみを覚えていた。
アイネイアスは何を思ったのか、肩を落として大きくため息を吐いた。が、それはほんのひと時のこと。いつもの表情を取り戻し、おもむろに切り出した。
「どうです? 僕が鉄の製造技術を学びに、ヒッタイトへ行くのは。青銅より強い武器が、錫石なしで作れるんですよ。あんな商人に馬鹿にされなくてすみます」
アイネイアスは、その辺の海岸を散歩してくると言わんばかりの調子で、提案した。
途端にヘクトルは目を剥いた。
鉄の製法を学ぶ? それが不可能だと、トロイアの王族はみな知っている。
「冗談でもやめろ! 鉄の製法をヒッタイトは厳重に隠している……精錬所に忍び込んだスパイは、みな殺されたと聞くぞ」
「一か八かですよ。ヘクトル兄さんが殺されるわけにはいかない。でも、僕なら……問題ありませんよね」
アイネイアスは、平然と口元に笑みを湛えたまま、言い放った。
「馬鹿を言うな!」
ヘクトルは、又従弟の腕を取り、強く抱きしめた。
「お前は、トロイアになくてはならない戦士だ! だから父上は信頼の証にクレウサ……妹をお前に与えた。お前はもうプリアモス王の息子だぞ!」
アイネイアスと王女クレウサとの結婚が決まったのは、先日のことだ。
「……恥ずかしいから勘弁してくださいよ」
アイネイアスは、大きな腕の中で身をよじる。ヘクトルは気まずそうな顔で、義理の弟を解放した。
「つい、その……すまん……いや、命は大切にするんだぞ」
アイネイアスはいつもの眠そうな顔で笑った。
「命を大切……それ、トリファントスさんにもよく言われます」
「賢者殿の言うことだ。お前の未来に関わりがあるのだろう」
トロイアの跡継ぎは、大きく頷く。
アイネイアスはヘクトルから視線をそらして呟いた。
「そ、そんなことよりヘクトル兄さん、最近、王様を見かけませんね。錫石の商人と、いつも交渉されていたのに」
ヘクトルは、知恵者のするどい指摘に頭を抱えた。
彼が商人との交渉という苦手分野に取り組んだのは、父が拒絶したからに過ぎず、ヘクトルの本意ではない。父に深慮があったとは思えない。彼は父から何も指示を受けていない。
「そうだ。俺がイデ山から戻ってから、父上はまつりごとから遠ざかってしまった」
政治に無関心な王――。
ヘクトルにとって、トロイア全体にとって、商人との交渉以上に大きな問題だった。
「アイネイアス……助かった。俺は、槍を振り回すのは得意だが、商売は全く駄目なんだ……父上とは違って」
「そんなことないですよ。堂々たる王様ぶりでした」
王様ぶりと言われた男は、首を振る。
「いや……お前がティノマコスを捉えなければ、俺はあの男に屈していただろう」
「そうですか? 僕はむしろ、槍でいきなりブスっと刺すんじゃないかと、ハラハラしてたんですけどね」
ヘクトルはニヤッと笑い、アイネイアスの肩を叩いた。
「やはりお前は、部屋の外で待っていたんだな」
「入りづらい雰囲気だったもんで……」
王子は又従弟の肩を揺さぶる。この聡い男は、入室に一番効果的なタイミングを狙ったに違いない。
「その楔形文字は、どうした?」
ヘクトルは、アイネイアスが持っている粘土板を指さした。
「最近、楔形文字の練習を始めたんです。商人に会うと聞き、使えるかも、と持ってきました」
粘土板を持って青年は、照れくさそうに微笑んだ。
「ティノマコスが楔形文字をあまり知らなくて助かりました」
ヘクトルは腹を抱えて笑い転げた。
「あはははは! さすがトロイア一の知恵者! アフロディテ様の血を引くだけある!」
アイネイアスの眉毛がピクリと動いた。
「ヘクトル兄さんも、そう言うんですね。僕が女神の子だと」
アイネイアスがトロイアの王宮で暮らしてから、十年が経つ。トロイア王の遠縁のアンキセスが「プリアモス王に仕えさせたい」と、体格のいい少年を連れてきた。
彼はトロイアの王子達と似ておらず、王族らしい風格も、女神の華やかさもなかった。
「お前は間違いくアフロディテ様の息子だ。お前の知恵と力が、何よりの証拠ではないか」
神殿で鍛えられたアイネイアスは、トロイア王宮で存分に力を発揮した。今では、ヘクトルに次ぐ戦士として、誰もが彼を神の子と認めている。
「僕にはそれしか道がなかったんです」
「はは、俺も同じだ。産まれた時から、道は定められていた」
英雄は豪快に笑った。
アポロンから力の証を授かった王子に示された道は、ただひとつ。トロイアを栄えさせ守ること。
ヘクトルにはアポロンの、アイネイアスにはアフロディテの加護がある。
神の加護を受けた者にしかわからない苦しみを、この男も感じているに違いない――ヘクトルはある意味、弟たちより親しみを覚えていた。
アイネイアスは何を思ったのか、肩を落として大きくため息を吐いた。が、それはほんのひと時のこと。いつもの表情を取り戻し、おもむろに切り出した。
「どうです? 僕が鉄の製造技術を学びに、ヒッタイトへ行くのは。青銅より強い武器が、錫石なしで作れるんですよ。あんな商人に馬鹿にされなくてすみます」
アイネイアスは、その辺の海岸を散歩してくると言わんばかりの調子で、提案した。
途端にヘクトルは目を剥いた。
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「一か八かですよ。ヘクトル兄さんが殺されるわけにはいかない。でも、僕なら……問題ありませんよね」
アイネイアスは、平然と口元に笑みを湛えたまま、言い放った。
「馬鹿を言うな!」
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アイネイアスは、大きな腕の中で身をよじる。ヘクトルは気まずそうな顔で、義理の弟を解放した。
「つい、その……すまん……いや、命は大切にするんだぞ」
アイネイアスはいつもの眠そうな顔で笑った。
「命を大切……それ、トリファントスさんにもよく言われます」
「賢者殿の言うことだ。お前の未来に関わりがあるのだろう」
トロイアの跡継ぎは、大きく頷く。
アイネイアスはヘクトルから視線をそらして呟いた。
「そ、そんなことよりヘクトル兄さん、最近、王様を見かけませんね。錫石の商人と、いつも交渉されていたのに」
ヘクトルは、知恵者のするどい指摘に頭を抱えた。
彼が商人との交渉という苦手分野に取り組んだのは、父が拒絶したからに過ぎず、ヘクトルの本意ではない。父に深慮があったとは思えない。彼は父から何も指示を受けていない。
「そうだ。俺がイデ山から戻ってから、父上はまつりごとから遠ざかってしまった」
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