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6 主人公は、あっさりワナにはまる
(24)しつこいけど、カップリング好きなんです
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今、トリファントスは、王女たちの館の客間で椅子に腰かけ、カッサンドラと向き合っている。未婚女性ばかりのスペースに一族でもない怪しい中年男が入っていいのかためらうが、王女に懇願されれば、断るわけにいかない。
「兄はトロイアに身も心も捧げています。私もプリアモス王の娘、兄を見習うべきと思っていました」
「いや、あんたは若い娘さんなんだから、そんな思い詰めなくても……」
「アポロン様に捨てられ敵の男の奴隷にされる……トロイアの王女なら覚悟すべきなのでしょう」
カッサンドラはわが身をギュッと抱きしめる。
「なのに私は……恐ろしい運命が待ち受けているのなら、今のうちにトロイアの男の妻になり、人の子の母となろうかと……本当はお兄様の勧めに従った方がいいのかと、迷っています」
王女の声が消え入りそうだ。
「こんなこと、アポロンの花嫁として考えてはいけないのに。なぜ賢者様は、二度と会えない方を思い続けられるのでしょう?」
王女の尊敬のまなざしに、トリファントスの胸の痛みが増す。
女との関係は、高貴な姫君がうっとりするような純愛ではない。相手は屋敷の女奴隷だった。無理強いした覚えはないが、愛をささやいたことはない。毎日パンを食べるような、何の感慨もない関係だった。
その程度の薄い人間関係しか築けなかった自分が、王女の人生にアドバイスなどできるわけがない。
とはいえ、カッサンドラの運命はあまりに過酷だ。なんとか避けられないか? 滅亡の予言に怯える王女の心を、少しでも軽くしてやりたい。
「カッサンドラさん、アポロン様に惚れてるんだったら、迷わず追いかけるんです。アポロン様が何かプレゼントするかもしれませんが、神様の贈り物はロクな物ではない。あんたは贈り物には目もくれず、ただアポロン様に愛想よくするんですよ」
王女はごくりと生唾を飲み込んだ。
「アポロン様はあんたを捨てるかもしれない。でも大丈夫。あんたは独りじゃない。立派なお父さんとお兄さんが着いてるじゃありませんか」
カッサンドラの眼が見る見るうちに輝きを取り戻す。
「ありがとうございます、賢者様! もう迷いません! アポロン様に捨てられたら、その時はその時ですもの」
「心配しなくても、お父さんとお兄さんが、トロイア一のすごいイケメンを紹介してくれますって」
王女は首を傾げて微笑んだ。
「そうなったらお兄様は、賢者様と結婚しろってうるさく勧めるでしょうね」
王女の微笑みにトリファントスの胸が高鳴る。
「いやははは~。俺、カッサンドラさんより二十歳も年上ですよ。無理ですって」
「年は関係ありませんわ」
中年男の鼓動は激しく乱れる。悲劇の美しい王女は自分に気があるのか? と都合良い解釈が、全身を駆け巡る。
「アポロン様は、何百歳も年上です。トロイアのはじまりから守ってくださっていますから」
そうくるか。中年男は、自分の勘違いに苦笑いを浮かべつつも、旅仲間だったトロイアの王子、パリスを思い出した。
彼がいなくなって三か月経つが、恋仲の侍女オイノネはもちろん、王宮の女たちはみな、未だにあの美青年を懐かしみ、早く帰ってほしいと願っている。
パリスなら、この状況で「アポロン様が羨ましいなあ。君みたいな美しい人に強く思われて」とか言って抱き締め、何度もキスするのだろう。
しかし、トリファントスは、そんなことはできない。王女の世界は、アポロンを中心に回っているのだから。
待てよ? アポロン……太陽の神が世界の中心?
トリファントスは、憎たらしい父のホクホク顔を思い出した。
ある日、父ディオファントスは、アレキサンドリア図書館から嬉々として戻ってきた。父は、アリスタルコスという紀元前三世紀の天文学者について、息子に滔々と語る。その天文学者は、地球は他の五つの惑星と共に、太陽の周りをまわっているという、地動説を主張したらしい。
世界の中心が太陽など、偉大なアリストテレスも主張していない。が、トンデモ好きの父はかの学者の説に魅了されたのか、蝋板を取り出し、一心不乱に唸り、計算式を書きだした……。
トリファントスはパリスのように女を口説くことはできない。ただ、女が喜びそうな話題を提供するのみ。
「カッサンドラさん、俺たちの時代には、世界はアポロン様を中心に回ってる、なんて話も伝わってます。それに神殿のアポロン像はピカピカに磨かれて、すごいイケメンですよ」
「アポロン様が世界の中心ですって! 神の栄光は、未来に語り継がれているのですね!」
トリファントスは、恍惚とした王女を微笑ましく眺める。
そのとき、ガタンと床が鳴った。王女の椅子が倒れたのだ。
カッサンドラは突然立ち上がり、天井のどこかを見つめた。
「ふふ……いやですわ、アポロン様……違いますの……もう……」
王女は頬を染め笑っている。その笑顔は、これまでの張り付けたような微笑みではなく、とろけんばかりの女の顔だった。
トリファントスは、ただただ見とれるだけだった。そこにいるのは誇り高い王女ではなく、恋する普通の娘だった。
が、見とれていたのはほんとひととき。
「ええ、私にはアポロン様だけで……」
カッサンドラの言葉が切れた途端、彼女の身は、直立したまま右に倒れ、したたかに床を打ち付けた。
鈍い音が客間に響く。
「カッサンドラさーん!」
男の叫びが鈍い音に重なった。
「兄はトロイアに身も心も捧げています。私もプリアモス王の娘、兄を見習うべきと思っていました」
「いや、あんたは若い娘さんなんだから、そんな思い詰めなくても……」
「アポロン様に捨てられ敵の男の奴隷にされる……トロイアの王女なら覚悟すべきなのでしょう」
カッサンドラはわが身をギュッと抱きしめる。
「なのに私は……恐ろしい運命が待ち受けているのなら、今のうちにトロイアの男の妻になり、人の子の母となろうかと……本当はお兄様の勧めに従った方がいいのかと、迷っています」
王女の声が消え入りそうだ。
「こんなこと、アポロンの花嫁として考えてはいけないのに。なぜ賢者様は、二度と会えない方を思い続けられるのでしょう?」
王女の尊敬のまなざしに、トリファントスの胸の痛みが増す。
女との関係は、高貴な姫君がうっとりするような純愛ではない。相手は屋敷の女奴隷だった。無理強いした覚えはないが、愛をささやいたことはない。毎日パンを食べるような、何の感慨もない関係だった。
その程度の薄い人間関係しか築けなかった自分が、王女の人生にアドバイスなどできるわけがない。
とはいえ、カッサンドラの運命はあまりに過酷だ。なんとか避けられないか? 滅亡の予言に怯える王女の心を、少しでも軽くしてやりたい。
「カッサンドラさん、アポロン様に惚れてるんだったら、迷わず追いかけるんです。アポロン様が何かプレゼントするかもしれませんが、神様の贈り物はロクな物ではない。あんたは贈り物には目もくれず、ただアポロン様に愛想よくするんですよ」
王女はごくりと生唾を飲み込んだ。
「アポロン様はあんたを捨てるかもしれない。でも大丈夫。あんたは独りじゃない。立派なお父さんとお兄さんが着いてるじゃありませんか」
カッサンドラの眼が見る見るうちに輝きを取り戻す。
「ありがとうございます、賢者様! もう迷いません! アポロン様に捨てられたら、その時はその時ですもの」
「心配しなくても、お父さんとお兄さんが、トロイア一のすごいイケメンを紹介してくれますって」
王女は首を傾げて微笑んだ。
「そうなったらお兄様は、賢者様と結婚しろってうるさく勧めるでしょうね」
王女の微笑みにトリファントスの胸が高鳴る。
「いやははは~。俺、カッサンドラさんより二十歳も年上ですよ。無理ですって」
「年は関係ありませんわ」
中年男の鼓動は激しく乱れる。悲劇の美しい王女は自分に気があるのか? と都合良い解釈が、全身を駆け巡る。
「アポロン様は、何百歳も年上です。トロイアのはじまりから守ってくださっていますから」
そうくるか。中年男は、自分の勘違いに苦笑いを浮かべつつも、旅仲間だったトロイアの王子、パリスを思い出した。
彼がいなくなって三か月経つが、恋仲の侍女オイノネはもちろん、王宮の女たちはみな、未だにあの美青年を懐かしみ、早く帰ってほしいと願っている。
パリスなら、この状況で「アポロン様が羨ましいなあ。君みたいな美しい人に強く思われて」とか言って抱き締め、何度もキスするのだろう。
しかし、トリファントスは、そんなことはできない。王女の世界は、アポロンを中心に回っているのだから。
待てよ? アポロン……太陽の神が世界の中心?
トリファントスは、憎たらしい父のホクホク顔を思い出した。
ある日、父ディオファントスは、アレキサンドリア図書館から嬉々として戻ってきた。父は、アリスタルコスという紀元前三世紀の天文学者について、息子に滔々と語る。その天文学者は、地球は他の五つの惑星と共に、太陽の周りをまわっているという、地動説を主張したらしい。
世界の中心が太陽など、偉大なアリストテレスも主張していない。が、トンデモ好きの父はかの学者の説に魅了されたのか、蝋板を取り出し、一心不乱に唸り、計算式を書きだした……。
トリファントスはパリスのように女を口説くことはできない。ただ、女が喜びそうな話題を提供するのみ。
「カッサンドラさん、俺たちの時代には、世界はアポロン様を中心に回ってる、なんて話も伝わってます。それに神殿のアポロン像はピカピカに磨かれて、すごいイケメンですよ」
「アポロン様が世界の中心ですって! 神の栄光は、未来に語り継がれているのですね!」
トリファントスは、恍惚とした王女を微笑ましく眺める。
そのとき、ガタンと床が鳴った。王女の椅子が倒れたのだ。
カッサンドラは突然立ち上がり、天井のどこかを見つめた。
「ふふ……いやですわ、アポロン様……違いますの……もう……」
王女は頬を染め笑っている。その笑顔は、これまでの張り付けたような微笑みではなく、とろけんばかりの女の顔だった。
トリファントスは、ただただ見とれるだけだった。そこにいるのは誇り高い王女ではなく、恋する普通の娘だった。
が、見とれていたのはほんとひととき。
「ええ、私にはアポロン様だけで……」
カッサンドラの言葉が切れた途端、彼女の身は、直立したまま右に倒れ、したたかに床を打ち付けた。
鈍い音が客間に響く。
「カッサンドラさーん!」
男の叫びが鈍い音に重なった。
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