上 下
82 / 101
6 主人公は、あっさりワナにはまる

(25)奴隷と王女

しおりを挟む
 カッサンドラが突然倒れた。慌ててトリファントスは、床に伏した王女に駆け寄る。

「誰か! うわ! アチチッ!」

 王女を抱き起こそうと肩に触れるが、焼けた石のように熱い。
 が、ほどなく客間に何人もの女たちが駆け寄り、カッサンドラの身を二人がかりで立ち上がらせた。

「危ないですよ! カッサンドラさん、火みたいに熱くなってる」

 トリファントスは、カッサンドラに触れた侍女たちが火傷するのではないかと危惧するが、女たちは顔色変えず平然とカッサンドラの体に触れる。
 王女の右肩を支える侍女が、主人にささやいた。

「カッサンドラ様、アポロン様とお話しするときは、神殿か寝室のどちらかでお願いしますね」

 王女の左肩を支える侍女がトリファントスをチラッと眺め、呟いた。

「カッサンドラ様が、珍しくも男の方を部屋にいれたからかしら」

 王女は二人の侍女に支えられ、何も告げずトリファントスの前から姿を消した。

「ちょっ! カッサンドラさーん」

 トリファントスは床に跪き、虚しく叫ぶ。王女がいなくなった部屋に中年男の叫びが響き渡る。
 と、虚しい叫びの響きの元へ、若い女が駆けつけた。

「賢者様、あのときはお世話になりました」

「あ、あんたは……確か結婚が決まったって……」

 トリファントスの適当な励ましで恋を成就させた娘が、そこにいた。

「なにもかも賢者様のお陰です」

「それは良かったけど、なあ、俺、カッサンドラさんに、なんかやっちゃったかな?」

 ノロノロとトリファントスは立ち上がる。合わせて侍女も立ち上がった。

「いつものことですよ。カッサンドラ様、アポロン様とお話しされる時、魂が神様の世界に行ってしまい、体が眠ってしまうんです」

 言われてみると、カッサンドラはアポロンと話しているようだった。

「突然神様の世界にいっちまうのか……大変だなあ」

「カッサンドラ様が小さいときは、お食事中でもアポロン様とお話が始まるから、大変だったそうです。先輩から聞きました」

「あんたたち、苦労してるんだね」

「いえ賢者様、私が勤めてからは、そんなことはなかったんです」

 若い侍女が首を傾けているところへ、年嵩の侍女が割り込んできた。

「アポロン様、面白くなかったんでしょうね。姫様が他の男と楽しそうにお話しされてたから」

 年配の侍女が笑い、トリファントスを見つめている。

「へっ? 俺?」

 トリファントスは自らを指差した。

「お気に入りの姫を取られたくなかったんでしょう」

 中年男は、倒れたカッサンドラの症状を思い出す。

「……そうだ……俺、カッサンドラさんを起こそうとしたけど、すごく熱くて触れなかった。なのに、あの人たちが平気だったのは……」

「男の方は、アポロン様とお話し中の姫様に触れることはできませんよ。それもアポロン様の技でしょう」

「そういうもんなのか……で、カッサンドラさんがアポロン様と話してる時、世話はどうするんで?」

 若い侍女が首を振った。

「眠ったままなので見守るだけです……お目覚めの時はげっそりされています。一度、三日間も起きなかったので、無理やり起こして水を飲ませたら……すごく叱られました。『アポロン様を蔑ろにするのか!』と」

「大変ですねえ。神様の花嫁も、世話する人も」

 侍女たちは微笑みを崩さない。
 賢者は女たちに見送られて、王女たちの館をあとにした。


 トリファントスは、アポロンに嫉妬対象として認められたらしい。ただの未来人にとって、それは面映ゆくも光栄である。
 しかもヘクトルはどういうわけか、カッサンドラと中年男をくっつけたがっている。

(無理だよなあ。歳離れすぎだし、第一、カッサンドラさんはアポロン様の子供が欲しいんだから)

 中年男は自嘲気味に、王宮の中庭を歩む。

「フィロメナは、元気にやってるんだろうな」
 
 彼の元から去っていった女の名を、ボソッと呟いた。トリファントスは、女が傍にいた時、名を呼んだことはほとんどなかった。
 女は彼より七歳も上で、目が細く少し太っていた。よくケラケラ笑い「坊っちゃま、たまには外に出ないと」と、市場に引っ張られ、買い物に付き合わされた。
 カッサンドラと彼を捨てた女は、見た目も立場も何もかも違い過ぎる。

 カッサンドラを形作るものは、アポロンへの愛。
 そしてフィロメナも、神への愛ゆえ、男から去った。


 ――あたし、イエス様にお仕えすることしたんです。
 ――例の異教か……すごい流行ってるみたいだが、大丈夫か? 昔は信者が迫害されたんだろ?
 ――怖くなんかありませんって。イエス様は、処女マリア様がお産みになった神様の子ですよ。
 ――処女が産んだ神の子? 訳わからねえなあ。
 ――お坊ちゃま、あたしはね、苦しかったんです。叶わない望みなんか持ったもんだから。でもイエス様のおかげで、苦しい気持ちが嘘みたいに消えちゃったんですよ。

 トリファントスは父の思惑で屋敷に閉じ込められ、女性とは縁がなかった。
 唯一の例外が、屋敷の女奴隷フィロメナだった。
 フィロメナは、トリファントスが子どもの時からの世話係で、彼がニ十歳になると夜の相手も務めるようになった。
 父の命令だろう。身勝手な父も、息子が女の一人も知らず一生を終えるのは、不憫と思ったのかもしれない。
 フィロメナとトリファントスが男女の関係になり十年以上経ったある日、女は屋敷を出ていった。


 トリファントスは、フィロメナの望みに気づいていた。彼女は、屋敷の坊っちゃまの正式な妻になりたかったのだろう。
 奴隷との結婚は不可能ではない。が、トリファントスは、結婚のために動こうとしなかった。結婚の必要性を感じなかった。フィロメナは永遠に傍にいるものと、疑いもしなかった。

 ――フィロメナ……本当に二度と会えなくなったんだな……。

 中庭を照りつける太陽に頭を向ける。アレキサンドリアの日差しに比べると心許ないが、太陽が天にあることは変わらない。
 空に輝くトロイアの守護神。そして世界の中心にあるかもしれない神。
 父から解放され、憧れの英雄が生きる異世界に移れたのに、また元の世界と同じように、何もなさず手をこまねいたままでいいのだろうか?

 カッサンドラとフィロメナ。年若い王女と、年上の奴隷。
 二人をつなぐものは、清らかな乙女が産んだ神の子。

「アポロンさんよーーーー!」

 男は力一杯叫んだ。

「カッサンドラさんを捨てるんじゃねーよ! 絶対に、あの人がおばあちゃんになって冥府のハデス様の元に送られるまで、可愛がってやるんだぞ!」

 一斉に王宮の使用人たちが、賢者を振り返る。人々の好奇の視線が、トリファントスに突き刺さった。

「あ、えへへへへ」

 トリファントスは、引きつり笑いを顔に貼り付けたまま、自室にダッシュで駆け戻り、我が身を振り返る。

 ローマ帝国でも、ギリシャ古来の神は崇拝されている。しかし、古来の神が地上に現れ奇跡を起こすことはまずない。神を茶化そうが不敬を働こうが、呪われることはない。
 が、トロイア伝説の時代では、神はしばしば人間界に現れ、奇跡やら災いやらを起こしていた。

「お、俺………やばかった?」

 神々が人間に直接干渉するこの時代、トリファントスは、アポロンにタメ語で命令した。

「うわあああ! アポロン様すいませーん!」

 男は寝具に潜り込み、ブランケットで頭を覆い、いつまでもガクガクと震えていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

箱庭から始まる俺の地獄(ヘル) ~今日から地獄生物の飼育員ってマジっすか!?~

白那 又太
ファンタジー
とあるアパートの一室に住む安楽 喜一郎は仕事に忙殺されるあまり、癒しを求めてペットを購入した。ところがそのペットの様子がどうもおかしい。 日々成長していくペットに少し違和感を感じながらも(比較的)平和な毎日を過ごしていた喜一郎。 ところがある日その平和は地獄からの使者、魔王デボラ様によって粉々に打ち砕かれるのであった。 目指すは地獄の楽園ってなんじゃそりゃ! 大したスキルも無い! チートも無い! あるのは理不尽と不条理だけ! 箱庭から始まる俺の地獄(ヘル)どうぞお楽しみください。 【本作は小説家になろう様、カクヨム様でも同時更新中です】

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

もうダメだ。俺の人生詰んでいる。

静馬⭐︎GTR
SF
 『私小説』と、『機動兵士』的小説がゴッチャになっている小説です。百話完結だけは、約束できます。     (アメブロ「なつかしゲームブック館」にて投稿されております)

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

異世界大使館はじめます

あかべこ
ファンタジー
外務省の窓際官僚・真柴春彦は異世界に新たに作られる大使館の全権特任大使に任命されることになるが、同じように派遣されることになった自衛官の木栖は高校時代からの因縁の相手だった。同じように訳ありな仲間たちと異世界での外交活動を開始するが異世界では「外交騎士とは夫婦でなるもの」という暗黙の了解があったため真柴と木栖が同性の夫婦と勘違いされてしまい、とりあえずそれで通すことになり……?! チート・俺TUEEE成分なし。異性愛や男性同士や女性同士の恋愛、獣人と人間の恋愛アリ。 不定期更新。表紙はかんたん表紙メーカーで作りました。 作中の法律や料理についての知識は、素人が書いてるので生ぬるく読んでください。 カクヨム版ありますhttps://kakuyomu.jp/works/16817330651028845416 一緒に読むと楽しいスピンオフhttps://www.alphapolis.co.jp/novel/2146286/633604170 同一世界線のはなしhttps://www.alphapolis.co.jp/novel/2146286/905818730 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2146286/687883567

おっさんの神器はハズレではない

兎屋亀吉
ファンタジー
今日も元気に満員電車で通勤途中のおっさんは、突然異世界から召喚されてしまう。一緒に召喚された大勢の人々と共に、女神様から一人3つの神器をいただけることになったおっさん。はたしておっさんは何を選ぶのか。おっさんの選んだ神器の能力とは。

処理中です...