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6 主人公は、あっさりワナにはまる

(19)予言者は群衆に訴える

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 王子デイポボズが、港のポセイドン神殿でアカイアの船乗りたちと話し合っていたころ、トロイア城下の大きな広場で王プリアモスが何千もの群衆に呼びかけていた。

「トロイアの民よ。不吉な雲は消え去った。案ずることはない! この……」

 王は、傍に立つ娘に顔を向けた。

「カッサンドラがアポロン様に祈りを捧げたところ、すぐさま太陽は力を取り戻したのだ」

 町の民は、途端に「王様! カッサンドラ様!」と、次々と歓声を上げた。
 王女はたおやかに両腕を民に向け、言い放つ。

「トロイアの人々よ。アポロン様に祈るのです。トロイアの始まりから、アポロン様は私たちを守ってくださいました。そのことを一日たりとも忘れてはなりません」

 王女の凛とした声が群衆の耳に響き渡る。人々はカッサンドラへの賛辞を惜しまない。
 プリアモス王と王女カッサンドラの後ろには、アイネイアスをはじめ、トロイアの王族たちが控えている。
 そして王族ではないが、トロイアで賓客として遇されている未来人トリファントスもその中にいた。

 トリファントスは「へー、こっちのカッサンドラさんは、人気者だなあ」と小さく呟いた。
 彼が知るカッサンドラは、悲劇の王女だった。
 呟きは、民の喝采にかき消され、気に留める者はいない。
 いや、彼のそばにいた若者は、聞き逃さなかった。

「こっちのカッサンドラって?」

 王族アイネイアスが、トリファントスに耳打ちした。

「うわ、ヤバ、な、なーんでもないっすよ。いや~、カッサンドラさん、カッコいいなあ」

 トリファントスは、頭を掻きヘラヘラ笑ってその場を取り繕った。
 アイネイアスが細い目をますます細めて、中年男を訝しげに見つめる。眠たそうな若い王族の視線が、未来から来た男に突き刺さる。

(ああ、また俺、余計なことをしゃべっちまったよ)

 男は口を覆って、民を励ます王と王女に意識を集中させた。
 プリアモス王は、長い腕を空に掲げ、群衆に向かって高らかに呼びかける。

「トロイアには、アポロンに愛でられし王女だけではない。神はこの」

 王の長い腕が、傍らに立つ中年男に伸びてきた。

「予言者を、我らのトロイアに遣わしたのだ」

 途端、トリファントスは、民の注目を一斉に浴びた。

(え? 俺? 俺っ!!?)

 トリファントスは、朝から雷の恐怖に怯え、自室の片隅で縮こまっていた。
 雷が治まったところ、王族アイネイアスが「王様が町に出るから、一緒にどうです?」と誘うものだから、未来人は深く詮索することもなく、大人しく従った。
 こんな展開になるとは、一切、聞かされていない。
 彼が頼みとするヘクトルは、雷の被害が大きい南のイデ山に向かった。十日ほどは帰らないと聞かされている。

 この場で予言者と期待されているが、トリファントスは、たまたま千五百年先の世界で生きていただけの凡人だと自覚している。父は偉大な数学者だったが、これまた偉大な父のお陰で家に閉じ込められ、四十歳を過ぎてしまった。
 何千人もの人々の前で演説などしたことはない。

 トリファントスは自らを指さし、キョロキョロと王に王女そしてアイネイアスに救いの眼差しを向ける。しかしだれもが深刻な面持ちでゆっくり頷くのみ。どうやらここで、何らかのアクションをしなければならないらしい。
 彼は大きく息を吸った。自分は神の使いだ、カリスマオーラでピカピカに輝く、スケールのでっかい偉人だと、言い聞かせて。

「あー、えーと、みなさーん」

 呼びかけてみるが、その先の言葉が、何も思いつかない。頭が真っ白になった。予言者らしい風格を演出しようにも、自分はただのアレキサンドリア一般市民に過ぎない。

「あ、えーとですねえ、このトロイアには、王様に王女様、そうそう忘れちゃいけないな、ヘクトル様がいるから、大丈夫っすよ」

 彼は自分のつたない言葉に失望した。足がガタガタと震えてくる。王や王女は自分をどう見ているのだろうか、トリファントスは恐ろしくて、振り返る気になれない。

「でも、油断して怠けるとやばいから、そこは、毎日、ちゃんと働きましょうぜ」

 彼は、これ以上この場で発言することに耐え切れなくなった。締めくくりの一言を付け加える。

「えーと、その……そうだ。家族や友だちを大切にしましょうね」

 トリファントスの引きつった笑顔に、汗がタラタラと流れる。もっと神の使いに相応しい言葉があるだろうに、子供に言い聞かせるような説教しか思いつけない自分が、情けない。
 呆れた群衆は笑い転げるに違いない、と彼は身構えた。

 が、しばしの静寂のあと、詰めかけた群衆は、「予言者様ー!」「ありがたい!」「俺たち、がんばります!」と喜びの声を上げた。
 プリアモス王も顔をほころばせて、人々に呼びかけた。

「神の使いの言葉を聞いたか。みな一層、務めに励めよ。アポロン様に祈りを捧げるのだ」

 トリファントスの笑顔は引きつったままだ。
 つたない自分の言葉を軽蔑することなく、心から受け入れてくれる。なんと優しい人たちなのだろうと、彼の胸は熱くなる。

 千五百年先の世界から来た彼は知っている。トロイアが跡形もなく滅ぼされることを。
 ヘクトルもパリスもプリアモス王も、アカイアの王たちに殺される。アイネイアスはからくもトロイアを脱出し、やがてイタリア半島で新たな王となりローマの祖となるが、そこに至るまでは苦難の連続だ。
 そして王女カッサンドラには、もっと悲惨な運命が待ち受けている。

――言えない! 俺には言えない! こんなイイ人たちの前で、本当のことなんて言えない!
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