ギリシャ神話ファンタジーを書いてます ~パリスの大冒険~

さんかく ひかる

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6 主人公は、あっさりワナにはまる

(1)パリス家出後のトロイア王宮

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 パリスを見送ったヘクトルは、真っ先に王と王妃の元に赴き、友の出奔を釈明し頭を下げた。

「パリスに罪はありません。すべて私の愚かさが招いたことです」

 母は「お前があの子に意地悪するからよ」となじり、父は「やはりあれは災いの元だ」と吐き捨てる。
 ヘクトルは父の心配を取り除こうと試みた。

「パリスには言い聞かせてあります。予言者が告げるヘレネ王妃に気をつけるように」

 王は「アレクサンドロスが誘拐するアカイアの王妃は、ヘレネなのか?」と目を見開く。
 ヘクトルは「失礼しました。父上に王妃の名を伝えておりませんでした。ヘレネをご存じなのですか?」と身を乗り出す。

「十五年前、スパルタの王宮を訪ねてみた。見るとアカイア中の王子たちが金銀財宝を携えて集まっていた」

 王妃ヘカベが眉を寄せた。

「王子たちに聞くと、王女ヘレネに求婚すると言う。ヘレネはアフロディテ様さながら美しく、琴の調べに合わせ華麗に舞っていた。白鳥のように優美であった」

 プリアモス王が微笑むのと対照的に、ヘカベは目をつり上げる。

「思い出したわ。スパルタの美しい王女の噂を耳にした途端、あなたはそそくさと船を出したのよ」

 またか、とヘクトルは歎息する。

「父上も、ヘレネ王女と結婚するつもりだったのですか?」

「やはりそうだったのね!」

 王妃に睨まれ、王は身をすくませる。

「何を言うかヘクトル。私はお前の嫁を探していたのだぞ」

「は? 十五年前、私はアンドロマケと婚約したばかりでしたが」

「……いや、お前をアカイアの王女と結婚させる手もあるかと……」

「アカイアの嫁なんてとんでもないわ! アンドロマケが来てくれて良かった。いつも、アステュアナクスのかわいい顔を見せにきてくれるの……ヘクトルにはすぎた嫁です」

「それは、私が一番わかっていますよ……父上、続きをどうぞ」

 ヘクトルは(女好きの父は、息子の嫁探しを口実に美貌の王女を見たかっただけでは?)と勘繰る。が、これ以上、母の機嫌を損ねることはないと、口をつぐんだ。

「ヘレネの婿には、スパルタ王の地位が約束されていた。スパルタ王子は、若くして亡くなったからな」

 スパルタはギリシャの中でも大きな都市だ。権力と美貌のダブルコンボで、ヘレネに求婚者が殺到したのかもしれない。

「ヘレネ王女は、ミュケナイのメネラオス王子と結婚した。パッとしない男で、なぜ選ばれたかわからぬ」

「私はスパルタのメネラオスを存じていますが、兄とは違い誠実な王です。しかし、王妃は見かけませんでした」

「さようか……ヘレネが息災であれば良いが。子の一人や二人を産んでおるだろうな……」

 プリアモス王は、懐かしそうに目を細める。
 ヘカベ王妃は「そんな王妃どうでもいいでしょうに。それよりアレクサンドロスは大丈夫かしら?」と胸に手を当てた。


 両親から解放されたヘクトルは、館に戻る途中でパタと足をとめる。

「ヘレネはスパルタの王妃か。ならパリスに、スパルタへ近づくなと伝えたいが……いや、俺はスパルタで王妃に会っていない。ヘレネ妃は人前に出るのが嫌なのだろう」

 侍女も小間使いがすれ違いざまに「ヘクトル様」と頭を垂れる。そのたびにヘクトルは小さく頷く。

「トリファントス殿が、何度も言ってるじゃないか。ここは賢者の知るトロイアとは違う、と」

 賢者の予言で当たったのは、ヘクトルとパリスが兄弟ということ。他の予言はまだわからない。ヘクトルがアキレウスに倒され、そのアキレウスをパリスが倒す……そこまではよしとしても……トロイアの滅亡。その予言だけは絶対当ててはならない。
 トロイアの行く末を案じていると、幼子の「ちーちー」との掛け声と共に、膝が暖かなものにくるまれた。

「じじ様とばば様に会ってきたぞ」

 いつの間にかヘクトルは、自分の館に戻っていた。
 膝にまとわりつく息子を抱き上げ、バルコニーに出る。微笑む妻と目が合った。

「母上が喜んでいた。お前がコイツを連れてよく訪ねてくれると。無理することはないからな」

「お義母様が坊やをかわいがってくださるので、私は休ませてもらえるのよ。ね?」

 アンドロマケは、夫が抱く息子の頬をちょんとつつく。
 ヘクトルは息子をゆすった。

「もう一人のじじ様とばば様にも、会いたいだろ?  お前が生まれた時、はるばるテーベから祝いに来てくれたんだぞ」

「ヘクトル様がよくテーベに使いを寄越してくださるから、父母の様子は伺っております」

「アステュアナクスが走って喋れるようになったところを、見せたくないか?」

「では、坊やが大きくなって長旅を我慢できるようになったら、お願いしようかしら」

「その時は俺も行くか。エエティオン殿とまた酒を酌み交わしたい」

 ヘクトルは妻の父の名を、親しみを込めて呼んだ。

「舅殿は、素晴らしい王だ。テーベ周りの麦畑は、トロイアの食を支えてくれるからな」

「あなたはテーベにいらっしゃるたび、父と剣を交えてらしてたわね」

「エエティオン殿は、戦士としても素晴らしい。なかなか勝たせてくれなかったな」

 ヘクトルは、息子を抱えたまま、バルコニーでオレンジ色に輝く海を見つめた。

「お前の叔父上は……違う、父の友達は海を渡った。もう、向こうに着いただろうな」

「ふね、のるの~」

「今度、海に連れてってやる……お前が大人になるまで、父が守ろう。もう一人の守護者は消えてしまったからな」

 アンドロマケは、小さく首を振った。

「あなた、パリス様には、いえ、アレクサンドロス様には、時間が必要なのよ。今度、戻った時には、もう少し優しく……」

「アンドロマケ、アレクサンドロスは死んだ! その名を口にするな!」

 父の怒号に幼子は身をすくませ、泣き出した。「すまんすまん」とオロオロする男から、母は「坊や、こっちにいらっしゃい」と子供を引き寄せ、奥の間に消えた。
 残されたヘクトルは、海を見つめる。

「やはりパリスには、ヘレネがスパルタの王妃だと伝えるべきか? いや、万が一連れて帰っても、追い返せばいいだけだ。あれはトロイア王家とは関係ない。ただの知り合いだ」

 陽がすっかり沈んでも、ヘクトルはバルコニーに立ったまま、ああでもない、こうでもないと、独りごちた。
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