ギリシャ神話ファンタジーを書いてます ~パリスの大冒険~

さんかく ひかる

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5 定番ですが、主人公は王子様

(19)結婚前日

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 パリスの結婚まであと一日。明日の花嫁が日の出と共にやってきて、パリスの朝支度を手伝う。

「お顔を拭きますね」

 オイノネは、水を浸し硬く絞った布で、パリスの美しい顔を優しくこすった。顔だけではなく、腕や脚を丁寧に拭う。

「気持ちいいな。せっかくだから背中もお願いしようかな」

 パリスは寝台にうつぶせになって、眩しい身体を朝日に晒した。オイノネは顔を赤らめながらも懸命に務めを果たす。
 娘の柔らかな手の感触を味わい、パリスは目を閉じ、明日からの暮らしを考える。
 こんな風に毎日優しくしてくれるなら、結婚って悪くないかも……他の女の子と遊べないのは残念だけど……。

「パリス様、他の女の方と仲良くされてもいいんですよ」

 背中から聞こえる娘の声が、震えている。
 王子は目をパチッと開けがばっと跳ね起きた。目の前の小さな身体をギュッと抱きしめる。

「オイノネ、そんなこと言わないで」

 パリスはささやきながら、結婚とはなにか思い知らされた。
 女神ヘラは、夫ゼウスの愛人たちに嫌がらせをする。オイノネのように、夫の浮気を許す妻というのは、格別に寛大な女と評価される。

 ――他の女なんかどーでもよくなる

 結婚したら、本当にそんな気持ちになるのか? パリスは、その感情が不吉に思えてならなかった。


「アレクサンドロス様! 倒れてもすぐ立ち上がるんです!」

 結婚前日も、中庭でパリスはモブ兵士にしごかれていた。

「少し休ませて! もう陽があんなに上ってるよ」

 彼は手足をだらしなく伸ばし、石畳の上で寝そべる。兜の隙間から、太陽神アポロンの恵みで輝く青空を眺めた。
 右に寝返りを打つ。目の前には石を組んだ壁がそびえ気分が圧迫される。壁の高さは人間二人分といったところか。屋上では幾人かの男たちが固まっていた。

「あれ?」

 パリスは半身を起こし、兜を脱いだ。群れの中、頭一つ大きな男が目立つ。

「ヘクトルだ」

 彼らがなにを話しているのかわからないが、ヘクトルが輪の中心になり指図しているようだ。
 自分はモブ兵士に叩きのめされ地面に転がっているのに、あいつは屋上で偉そうにしている……立場の違いを思い知らされ、惨めになってくる。

 と、輪の中心人物が動き出した。こちらに近づいてくる。
 ゲッ、サボってるの気がついたか。説教されるんだろうなあ……とボンヤリしていたら、ヘクトルは腰の剣を抜き、外壁をするっと乗り越え、中庭に飛び降りてきた。
 剣を構えた男が、パリスの真上に落ちてくる。このままだとヘクトルの剣に串刺しにされてしまう!

「ぎゃああああ!」

 パリスはゴロゴロ転がり、ヘクトルの攻撃を避けた。
 落ちてきた男は、剣をくるっと高く掲げ、難なく石畳の上に着地した。

「僕を殺すのか!」

「動けるじゃないか。すぐ立て」

 ヘクトルは転がるパリスに剣を突き出す。

「僕は、明日結婚するんだよ。一日ぐらい休ませてよ」

「では明日結婚するお前に、夫の役目を教えてやる」

 ヘクトルは、剣先をパリスの喉元に突きつける。

「ひっ! やめて!」

「妻を守ることだ」

「僕、ちゃんとオイノネを大切にするよ。浮気なんか絶対しないって!」

「そうじゃない! お前がこうして寝そべってる間に、オイノネがならず者に連れ去られるということだ!」

「勝手にそんなこと決めるな! 戦いは嫌だ! 僕の弓は動物を狩るため、人間のためじゃない!」

 ヘクトルは顔を歪め「お前はわかってない」と吐き捨て剣を鞘に納め、去っていった。

 アポロンの力で輝くトロイアの青空が、パリスの目に刺さる。
 ヘクトルの恐れる未来。国が滅び妻が敵に奪われる。パリスは彼の恐怖に押し切られるように、自分の未来を選択した。
 代償に、きれいな衣服に美味しい食べ物、柔らかな寝床に優しい娘が与えられた。
 一方、身は王宮に閉じ込められ、なにも自分の意志では決められない。王子? 奴隷とどう違う?
 自分は奴隷ではない。ヘクトルの奴隷ではない!

 パリスはのろのろと立ち上がり、鎧を外し、石畳に投げ捨てた。

「こんなとこ、出てってやる!」

 若者はやみくもに駆け出した。
 モブ兵士が二人がかりで「アレクサンドロス様あああ」と捕まえようとするが、パリスは彼らを振り切って逃げる。
 たとえチャラ男でも主人公の王子。本気になればモブでは止められない。

 目的もなくパリスは走り回った。
 ここではだれも自分を必要としていない。ヘクトルが求めているのは「パリス」ではなく、生まれてすぐ死んだはずの弟「アレクサンドロス」だ。
 次々と、王宮の使用人たちがパリスに突進してくるが、怒りで頭に血が上った王子は、彼らの攻撃を交わしてただ走る。
 その時。

「パリスさんやーい。どこにいるんじゃあ」

 かすかな呼び声だが、ひとりぼっちの若者は涙が出るほど嬉しかった。

「おじいさん!」


 声は西の方だ。なんどもなんども「パリスさーん」と呼び掛けている。王宮の他の連中とは違う。パリスを心の底から求めている声。段々声は大きくなってくる。
 王宮を飛び出し開けた道に出た。
 大きな門が見えた。昨日、ヘクトルが偉そうにしていたあの門だ。船着き場へ通じる門。
 門の下で、スエシュドス老人と、ポセイドン神殿建立を任された王子デイポボスが揉めている。

「わしはパリスさんがいいんじゃ」

「わかったわかった。ヘクトル兄上に聞いてみるから、待っててくれ」

 パリスは、揉める二人の元へ、一目散に駆け寄った。

「おじいさん、僕だよ!」

「ああ、パリスさんかい! あんたに会いたかったんじゃ」

「ありがとう! 僕もスエシュドスさんに会いたかったよ」

 盛り上がる若者と年寄りに、年長の王子が割り込む。

「スエシュドス、ここで話をしたら宿に戻れ」

「なあ、デイポボスさん、わしはパリスさんに手伝ってほしいんじゃ」

「それは無理だ。アレクサンドロスはここから出られない。兄上が許すなら俺が着いてってやる」

 パリスは老人の汚れた布で包まれた手を取った。

「どうしたの? なんでも手伝うよ」

「アカイアに渡って船乗りの奴らに、ポセイドン神殿のことを伝えたいんじゃ。パリスさんに着いて来てくれんかのお」

「うん! 一緒に行こう!」

 パリスは大きく目を輝かせた。この老人は自分自身を必要としている。ヘクトルの弟のアレクサンドロスではなく、ただのパリスである自分を。

「だから兄上に聞いて、俺か弟たちのだれかが着いてってやるから」

「お願い、頼むよ。あれ? あそこ歩いてるのヘクトルかな?」

 デイポボスはパリスの指さす先に、身体を向けた。

「ん? いや、全然違うだろ。兄上は、あんな風に背を丸めて歩かない……おい! 待て!」

 馬のいななきが石畳に響き渡る。パリスは老人を馬に乗せて、城門を駆け抜けていった。


 船着場へ向かって、パリスは颯爽と馬を走らせる。

「ごめんね、お馬さん。勝手に乗っちゃって。馬引きさんもごめんね」

 王子デイポボスがゴチョゴチョ話す間、神の恵みか話の都合か、パリスは人に引かれて進む馬を見つけた。彼は馬引きから強引に綱を奪う。馬引きが呆気に取られている間、スエシュドスを馬に乗せ、自身も飛び乗った。

「パリスさん、馬にも乗れるんじゃのう」

 老人は若者の腕の中で縮こまり、杖にしがみ付いている。

「田舎ではときどき馬を借りて乗ってたよ。すごい久しぶり、気持ちいいなあ」

 もう、トロイアの王宮には戻らない。この老人の願いを叶えるために一度は戻る必要があるが、そのあとは……故郷へ帰ろう。パリスは疾風を受け、決意する。
 船はどうする? アカイアへ行く商い船の漕ぎ手になればいい。旅支度は? それこそ得意のスーパーチャームでいくらでも手に入る!
 さしたる邪魔もなくアポロンの恵みで輝く浜にたどり着いた。
 心残りなのは、優しいオイノネに別れを言わず飛び出したことだった。

 スエシュドスと出会った海の宿の前で、二人は馬から降りた。宿屋の女将に馬屋の場所を尋ね、老人に「ここで待っててね」と断る。
 盗んだバイク(ごめん、このネタわかるの年寄りだけ)ならぬ盗んだ馬を繋げるため、女将から教えられた通り、宿の裏手に回る。
 馬屋に一歩足を踏み入れた途端、パリスは叫んだ。

「うそ! またまたいたよ!」

 いつもその男は、いてほしくない時に現れる。これで三度目、いや四度目か?
 こいつは、蛇の怪物ヒュドラじゃないか。頭を切っても新しい頭が生えてくる不死身の化け物。

「思ったより早かったな」

 トロイアの跡継ぎ王子が、狐色の大きな馬をなでていた。
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