彼女の前世がニホンジン? 2 聖妃二千年の愛

さんかく ひかる

文字の大きさ
上 下
38 / 73
4章 カリマとエリオン

36 少女が選ばれた理由

しおりを挟む
 カリマがラサ村を出て半月が過ぎた。
 刺客に襲われるたびに、敵の返り血を浴びる。
 エリオンの癒しの技をもってしても、完全に無傷ではいられない。
 村にいたころは、たまに池で水浴びをしていた。
 男勝りの少女も、そろそろ身体をきれいにしたいところだが、この人たちにそんなこと言えない。
 茂みを進むと水のせせらぎが聞こえてくる。カリマはパッと目を輝かせて、思わず後方のエリオンを振り返る。
 青年は少女の思いを察したのか、足を止めた。

「川が近いな。ここで先の戦いの汚れを流そう」

 エリオンの指示に誰もが従った。男戦士もカリマと同じ思いだったようで、交代で水浴びをすることとなった。

 細身の短剣使いは、なにかとカリマに気をかけてくれる。

「この辺見回ったんだけど、向こうの森の奥に池があったよ。カリマちゃんは女の子だから、池で水浴びしてきなよ」

「ホアキン、ありがと」

「あたしが番してあげてもいーよー」

 もちろんカリマは、彼らしい冗談だとわかっている。

「い、いやそれはへーきだから! あれ?」

 男たちは、カリマの目を気にせず装備を外し始めたが、エリオンが見当たらない。

「エリオン様は、どこか行っちゃった?」

「師匠はねえ、いつもひとりなんだ。肌を見られたくないって。大きな傷の跡とかあるのかもね」

「そうなんだ。あ、じゃあ行ってくるよ」

 この時代、傷跡のない人間の方が珍しい。戦士たちも身体のどこかしらに傷を負っている。カリマも左腕に矢傷を負っている。
 エリオンは長袖のゆったりしたローブで身を覆い、空気に晒すのは顔と手だけだ。
 彼と醜い傷跡のイメージが結びつかないが、あのゆったりとした服にはそんな意図があるのか?
 エリオンは涼しげでいつも顔色を変えないが、繊細な心があるのか?

「あ、あたしはエリオン様にどんなに醜いあざがあっても構わない」

 女狩人は、ホアキンに勧められた池に近づいた。と、水音が聞こえてきた。せせらぎではなく生き物が立てている水音だ。
 男たちは、川で水浴びをしているはずだが、他に男がいるかもしれない。
 声をかけて自分がいることを知らせてやろうか、水音が収まるまで待とうかと考えているうちに、水音の主に気がついた。

 師匠、エリオンその人では?

 途端に乙女の胸が高鳴った。先程ホアキンは、エリオンは誰にも肌を見せないと言っていた。ひどい傷跡があるかもしれない、と。
 他の勇者たちと比べ、エリオンは小柄でほっそりしている。
 カリマは、想像力を駆使して、エリオンその人のローブの下を頭に描く。
 胸板厚いということはなかろう、肋骨が浮いているかみしれない。いやいや案外、お腹がぽっこり出ているかも……傷跡? アザ?
 どうにもこうにもカリマの好奇心は抑えられない。
 決してはしたない気持ちではない、と言い聞かせて、カリマは恐る恐る、水音に近づいた。

「カリマか?」

 涼しげな声に少女は飛び上がる。

「きゃああああ、すいませーーーん! あたし覗くつもりじゃなくて」

「助かった。その木にかけてある衣を取ってくれないか」

 師匠は、カリマの邪心に気づかないのか気づかないふりをしてくれるのか。ともあれカリマは、なるべく声の方を見ないように、言われたとおり、木の枝にかけられたローブを取った。

(見ちゃいけなない、見ちゃいけない)

 硬く目を瞑るが、つい、邪な好奇心で瞬きをしてしまった。

「きゃああああああああああ」

 先ほどより大きな絶叫が、森に響く。

「カリマ、静かに」

 エリオンが手をかざして、ようやくカリマは声を静める。というより、声が出なくなった。ただ、口をパクパクさせるのみ。

(え? あれ? あたし、どしちゃったの? 衝撃が強くて、話せなくなった?)

 カリマが叫んだのは、エリオンの体に醜い傷があったからでもお腹が出ていたからでもない。
 彼の胸で、あるはずのない大きな二つの膨らみが揺れていた。


「カリマ、がっかりさせたな」

 ローブを着込んだエリオンは、巻き毛が濡れている以外は普段と変わらない。しかしカリマの視線は彼の胸元を見つめてしまう。体格の割には胸板が厚いように見えなくもない。さきほど彼、いや彼女は着替える時、布を巻きつけ胸を押さえつけていた。

「あ、あのどうしてエリオン様は、女の人なのにそんな恰好をして……」

「この姿の方が何かと都合がいいからな」

 尋ねかけてカリマは納得した。もしエリオンが真の姿を晒したら、彼に従う六人の男たちはどうなるか? 美しい師匠を巡って争うかもしれない。

「よく、ネクロザール王を倒そうって思いましたね」

「カリマ、それはお前も同じだ」

「あたしはもう、みんなに着いていけばよかったけど、エリオン様は最初、ひとりだったんでしょ? 女の人がひとりで魔王を倒そうなんて……」

 エリオンは口を引き締めた。

「歪んだ世界を正しい世界に戻したかった。それだけだ」

 ジュゼッペを除く他の戦士たちからは、討伐隊に入った理由を聞かされた。みな、魔王に苦しめられたことは変わらない。
 が、エリオンからは、この討伐を思い立った理由を聞いていない。

「エリオン様も、大切な人を魔王に奪われたの?」

「……それもある……」

 おそらく彼、いや彼女も魔王に苦しめられたのだろう。が、詳しいことは打ち明けたくないようだ。カリマも詮索する気にはなれなかった。

「カリマ、頼みがある。私の真の姿を知られないよう、守ってくれないか? 女が仲間に入ってくれて、大いに助かる」

「も、もしかしてエリオン様があたしを仲間にしたのって、あたしが女だから?」

 カリマは、他の男たちより弱い自分が、なぜ仲間に選ばれたのか、悩んでいた。

「お前は優れた弓の名人だ。ただ人間相手の戦いに慣れていないだけだ。若いお前はすぐ他の戦士と互角に戦えるようになる。自信を持つがよい」

 エリオンの濡れた指に頬を撫ぜられた。

「しかし私は、女であることを隠して男たちを率いることに、少々疲れてきた。本心を明かせば、私は女を求めていた」

 女を求める……言葉だけだと、即物的で生々しい響きに聞こえる。

「二度もがっかりさせたか。嫌なら、元の村に返してやろう。故郷を魔王から守るのも、大切な役目だ」

 少女は頭を巡らせる。
 他の戦士たちより弱い自分がなぜ仲間として認められたのか?
 カリマはこの数日、ずっと悩んでいた。
 が、たった今、エリオンがカリマを選んだ理由がはっきりした。
 それは自分が女だからだ。
 もちろん、ただの女では冒険に着いていくことはできない。この旅にはそれなりの強さが求められる。
 が、エリオンがカリマに求めるのは、戦士というより、女として女を守る者。
 それなら結論は決まっている。

「あたしやるよ! エリオン様第一の従者になれるんだよ!」

「そうか。カリマ、お前は傍にいてくれるのだな」

 エリオンの長い腕に抱き寄せられる。

(この人、女の人なんだよね?)

 なぜかカリマは胸がドキドキしてきた。慌てて、彼、いや彼女の腕の中から逃れる。

「そ、そういえばさっきあたし、でっかい声で叫んだのに、声が出なくなった……あれ、もしかして、エリオン様の不思議な力?」

「あまり使いたくない力だが、すまぬ」

「ううん。あたしが絶叫して、他の男の人たちに見られるわけいかないもんね。でもすごい力だった。あ、エリオン様も竜が見えているの?」

 カリマは、ジュゼッペから聞いた魔法の話を思い出す。

「ジュゼッペの魔法とは少し違うな……私に竜は見えない」

「そうなんだ。魔法もいろいろあるんだね。エリオン様の力って、ジュゼッペ君の魔法とは違う気がする」

 エリオンの不思議な力。傷を癒すだけではない。人間の行動を操る力……むしろ魔王ネクロザールが欲しいのは、この力かもしれない。

「カリマ、お前も水を浴びるがよい。ここで待っていてやろう」

 エリオンは魔法談義を打ち切った。

「あはは、エリオン様が番してくれるなんてすごいね、あたし。男たちに喋ったら、めちゃくちゃ妬まれるよなあ」

 森陰の池で、カリマは身を清める。
 エリオンは、優しくカリマの頬をなで、眠る時には寄り添ってくる。時にはカリマをそっと抱き寄せる。そのたびに、胸が高鳴ってきた。
 ほのかな恋が芽生えつつあった。しかし恋は、花開くことなく散ってしまった。
 その代わり与えられたのは、戦士たちから指導者を守るという大きな使命。

「でもさあ、落ち込むなあ」

 冷たい水を浴びても、少女の落胆は解消されない。
 それは芽生えつつあった恋に破れたからではなかった

「エリオン様の胸、おっきい! あたしの三倍はあるんだもん!」

 ローブの下に隠されていたのは、姉を含めてカリマが知るどんな女よりも、女らしい姿だった。
 戦士たちの師匠は、煌びやかな踊り子の衣装を着せたら、どんな男性も虜になる身体を持っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

処理中です...