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3章 メアリと父ペンブルック伯
29 令嬢の覚悟と希望
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メアリは自室の窓辺に立ち、ため息を吐いた。夕陽がウォールナットのサイドボードを照らす。
「ロバート様と同じ墓に眠れないのは構わないの」
前世では四十代半ばまで生きたとはいえ、メアリ自身は二十代だ。まだ死は遠い先にあり実感がわかない。
「でも生涯、子供を産むことができないなんて……覚悟はしているけれど……」
二十代のメアリにとっては、出産の方が気がかりであった。
ロバートは、結婚が認められなければゴンドレシア大陸を出て子供を作ればいいと言ってくれる。
「それは駄目! ロバート様は、ネールガンド国王になるべき方。いずれ私は去らなければ……」
壁の書棚に目を止めた。憧れのロマンス作家テイラー女史の膨大な著作が、棚の一段を埋め尽くしている。
メアリは、緑色の背表紙の本を手に取った。
「エリオン様とカリマ様の小説ね」
伝説では、史師エリオンは女性を知らず清らかな身で生涯を閉じた。女勇者カリマは処女のまま王女を産む。王女コンスタンスは二代目ラテーヌの女王となった。
ロマンス作家テイラー女史は、伝説を元に、エリオンとカリマのラブロマンスを描いた。
「ロバート様、私は、エリオン様とカリマ様が愛し合ったと思います」
その場にいない愛する男に向けて、メアリは呟く。
「カリマ様は幸せよね。愛する人の子を授かれて」
メアリは、前世で学生時代の同期が「彼氏に安全日だって嘘ついて、出来婚に持ち込んだの」と、こともなげに告白したことを、思い出す。
「駄目! そんなロバート様の信頼を裏切っては!」
メアリが太子宮に泊まる時、子供ができそうな夜は、別の部屋で過ごすようにしていた。
「エリオン様は、ご自身にお子がいたとも知らず、宿敵の骸の傍で生涯を終えた……世界を救った史師なのに、なんて寂しい……」
明日から、また王太子宮での務めが始まる。
「いいえ! お父様のおっしゃる通り、私はカートレット家の人間としてロバート様に仕えるだけ。ゴンドレシア大陸の誰もが憧れるロバート様の傍にいられるのよ。子供を持てない? それがどうかして?」
ノックの音と共に、メイドが入ってきた。
「お嬢様。ディナーのお時間です」
「イザベラ、ありがとう。今いくわ」
メアリは立ち上がり、自らを奮い立たせた。
前世では、子供どころか夫も恋人の一人も持てず人生が終わったではないか。
それに、聖王の時代では転生者は讃えられていたことがわかった。これは、長年忌み嫌われてきた転生者にとって、大きな希望だ。
そう、世界は希望に満ちている。まだまだ、新たな希望の種が芽吹くかもしれないのだ!
満月の光が、伯爵令嬢の寝室に差し込む。
ネグリジェに身を包んだ女が瞼を開いた。
「あの壁画が世に出るとはな……」
男のように低い声が、寝室に響き渡る。
「さすがに魔王城まで調べることはないだろうが……あれからもう千年……」
女はベッドから立ち上がり、室内を歩き回る。
「メアリよ。エリオンは我が子の存在を知っている」
緑色の眼が、緑色の表紙のロマンス小説に向けられた。
「カリマは優しい娘だった。だからエリオンは……私は彼女の優しさを利用したのだ」
ブルネットの巻き毛が揺れている。
「カリマなら我が子を慈しんでくれると信じて託した! 私はあの子を、エリオンから、ネクロザールから、解放したかった。普通のゴンドレシア人として、幸せになってほしかった!」
白い両の手が開かれる。震える指先を、月が青く照らしていた。
「ロバート様と同じ墓に眠れないのは構わないの」
前世では四十代半ばまで生きたとはいえ、メアリ自身は二十代だ。まだ死は遠い先にあり実感がわかない。
「でも生涯、子供を産むことができないなんて……覚悟はしているけれど……」
二十代のメアリにとっては、出産の方が気がかりであった。
ロバートは、結婚が認められなければゴンドレシア大陸を出て子供を作ればいいと言ってくれる。
「それは駄目! ロバート様は、ネールガンド国王になるべき方。いずれ私は去らなければ……」
壁の書棚に目を止めた。憧れのロマンス作家テイラー女史の膨大な著作が、棚の一段を埋め尽くしている。
メアリは、緑色の背表紙の本を手に取った。
「エリオン様とカリマ様の小説ね」
伝説では、史師エリオンは女性を知らず清らかな身で生涯を閉じた。女勇者カリマは処女のまま王女を産む。王女コンスタンスは二代目ラテーヌの女王となった。
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「ロバート様、私は、エリオン様とカリマ様が愛し合ったと思います」
その場にいない愛する男に向けて、メアリは呟く。
「カリマ様は幸せよね。愛する人の子を授かれて」
メアリは、前世で学生時代の同期が「彼氏に安全日だって嘘ついて、出来婚に持ち込んだの」と、こともなげに告白したことを、思い出す。
「駄目! そんなロバート様の信頼を裏切っては!」
メアリが太子宮に泊まる時、子供ができそうな夜は、別の部屋で過ごすようにしていた。
「エリオン様は、ご自身にお子がいたとも知らず、宿敵の骸の傍で生涯を終えた……世界を救った史師なのに、なんて寂しい……」
明日から、また王太子宮での務めが始まる。
「いいえ! お父様のおっしゃる通り、私はカートレット家の人間としてロバート様に仕えるだけ。ゴンドレシア大陸の誰もが憧れるロバート様の傍にいられるのよ。子供を持てない? それがどうかして?」
ノックの音と共に、メイドが入ってきた。
「お嬢様。ディナーのお時間です」
「イザベラ、ありがとう。今いくわ」
メアリは立ち上がり、自らを奮い立たせた。
前世では、子供どころか夫も恋人の一人も持てず人生が終わったではないか。
それに、聖王の時代では転生者は讃えられていたことがわかった。これは、長年忌み嫌われてきた転生者にとって、大きな希望だ。
そう、世界は希望に満ちている。まだまだ、新たな希望の種が芽吹くかもしれないのだ!
満月の光が、伯爵令嬢の寝室に差し込む。
ネグリジェに身を包んだ女が瞼を開いた。
「あの壁画が世に出るとはな……」
男のように低い声が、寝室に響き渡る。
「さすがに魔王城まで調べることはないだろうが……あれからもう千年……」
女はベッドから立ち上がり、室内を歩き回る。
「メアリよ。エリオンは我が子の存在を知っている」
緑色の眼が、緑色の表紙のロマンス小説に向けられた。
「カリマは優しい娘だった。だからエリオンは……私は彼女の優しさを利用したのだ」
ブルネットの巻き毛が揺れている。
「カリマなら我が子を慈しんでくれると信じて託した! 私はあの子を、エリオンから、ネクロザールから、解放したかった。普通のゴンドレシア人として、幸せになってほしかった!」
白い両の手が開かれる。震える指先を、月が青く照らしていた。
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