上 下
21 / 49
2章 千年前の女勇者

19 母と娘

しおりを挟む
 王女コンスタンスの誕生は、長年ネクロザールに苦しめられた人々に、希望をもたらした。王女の実の父が史師エリオンとの噂もあり、希望はますます膨れ上がる。
 カリマは乳が出なかったので、産婆のオレーニアが乳母となって育てた。コンスタンスが二歳となり乳離れしたころ、白髪の産婆は去っていった。

 コンスタンスは、すくすくと育っていった。緑色と青色のオッドアイ。金色がところどころ混じるブルネットの巻き毛。
 伝説と化しつつある史師エリオンも、緑色の眼とブルネットの巻き毛だった。
 育つにつれ、ますます人々は確信を強めていった。王女の実の父が、史師エリオンだと。

 女王は都の外に出かけ、城を留守にすることが多かった。水害に襲われた地域の見舞い、争う領主たちの調停など、カリマは自ら乗り込んだ。
 女王の留守は、宰相となったマルセルが中心となって政を進めた。


「マルセル、マルセル!」

 四歳になった王女が、城の廊下を渡る宰相の元に駆け寄ってきた。
 侍女たちが王女を追いかけ、老女クロエは「王女様! マルセル様のお仕事を邪魔してはなりません」と注意する。
 マルセルは、たちまち顔をほころばせた。

「王女様。どうしました? なにか見つけたんですかい?」

 コンスタンスは小さな手でマルセルのズボンを掴む。
 背後から側近が「マルセルさま~、鉄鉱石の売人がお待ちです~」と呼び止めた。

「わりい。俺、忙しいんだ。旨いワインとパンを出して、そうだ、ロベールにリュート弾かせりゃお客さん退屈しねえだろ。ちょっと待っててもらってくれ」

 部下たちに接待を指示すると、幼い王女に先導され、城の奥の林を抜けた。

「お花いっぱいなの!」

 開けた草むらには、赤や黄色の小さな花が咲き乱れていた。

「ああ、こりゃあ、マーガレットですねえ」

 リュシアンは、白いマーガレットの花束を手にして。シャルロットにプロポーズした。
 マルセルの胸に苦い思い出がよみがえる。

「マルセル?」

 王女が小さな手を男の目の前でヒラヒラさせた。

「ああ、なんでもないですよ。かわいいお花、よく見つけましたね」

 男は王女のブルネットの巻き毛をポンポンと撫でる。

「かあさまに見せたいなあ」

 小さな王女は寂しそうにこぼす。
 忙しい女王は、幼子が満足できるほど遊んでやる暇がない。

「そうですかい。でも、明日、女王様と長旅に出ると聞きましたよ」

 魔王ネクロザールを倒した勇者たちは、ゴンドレシア大陸平和のため、五年に一度集まり話し合うことになっていた。
 いよいよ最初の会合が開かれることとなった。女王カリマは王女コンスタンスを連れていくと言う。

「へへへ、かあさまと一緒」

 この笑い方は母親に似てるなあ、とマルセルは、小さな王女が眩しいものかのように、目を細めて見つめた。
 遠くから侍女が声をかけた。

「女王様がお戻りです」

「かあさま!」

 途端、コンスタンスは、マルセルなど忘れたように、パタパタとサンダルを鳴らして去っていった。

「ははは、おっかさんが一番だよな」

 カリマが身籠ったと知った時、マルセルは子供の父親らしき男に激しく嫉妬した。
 が、赤子が生まれた日からそのような嫉妬はどこへやら、ただただ王女が愛おしくてならない。

「あ、やばい! 俺、お客さん待たせてた!」

 ラテーヌの宰相は、バタバタと城の廊下を駆け抜けた。


 翌朝、ラテーヌ王国を率いる母娘は、下働きの夫婦だけを連れて旅立っていった。
 コンスタンスはカリマの手を引きはしゃぎ回る。

「久しぶりに、あたしが鳥を仕留めてやるよ」

「えー、とりさん、かわいそう」

「あんたは優しい子だねえ。いいお嫁さんになるよ」

「およめさん?」

「母さんはね、コンスタンスには好きな人と一緒になってほしいんだ」

 微笑ましい母と娘の会話にマルセルの心が温まる。
 都の門まで見送ってから城に戻った。
 女王の留守には慣れていたが、今度は三か月ほどになろう。

「さて、女王様が戻ったときに、もっと都をきれいにしてやらないと」

 宰相は青空に向かって手を伸ばす。
 ふと彼は不安を覚えた。母と娘は戻ってくるのか? と。

 カリマが長い旅に幼い娘を連れていった理由は、会合の場、魔王城にある。
 史師エリオンが、ネクロザールの魂を封印するため、残りの生涯を定めた場所。
 カリマは、娘コンスタンスを父エリオンに会わせたいのだろう。
 もし、親子三人が出会ったら?
 カリマとコンスタンスは、エリオンと暮らすことを選ぶのでは?

 そうなれば、このラテーヌはどうなる? 魔王を倒した勇者だからこそ、カリマは女王になれた。
 しかし、彼女が愛を選び王位を放棄したら、このラテーヌはどうなる?
 王国の行く末以前に、マルセル自身がそんなことに耐えられない。
 カリマの心が自分に向いていなくても、彼女の傍にいたい。

 侍女頭のクロエは、ドスドスと城を走り回るマルセルをからかい気味にたしなめる。

「マルセル様、いくら女王様がご不在で寂しいからといって、壁に八つ当たりはやめてくださいね」
 
「べ、別に俺は、寂しくなんかねえ!」

 実にもどかしい三か月だった。
 だから、小間使いが女王と王女が都に向かっていると食事中のマルセルに知らせるやいなや、彼はパンを咥えたまま、城を飛び出した。

 カリマが戻ってきた!
 彼女が帰ってきたのは、マルセルを選んだからではない。愛より使命を選んだにすぎない。

 それでもマルセルは走り続ける。
 カリマを抱き締めて口づけしたい。
 そんな不埒をしでかせば、女王に対する不敬で捕縛され処刑されるだろう。
 構わないとも! 許されるなら、優れた射手であるカリマ自身の矢で殺されたい! 聖王と聖妃は地獄に落とすだろうが、それでも魂は天国に昇れる!

 浮かれマルセルが城門を潜ったところで、カリマたちが戻ってきた。
 はやる心を抑え、マルセルは足を止める。

「じょ、女王様、王女様、お帰りなさい。よく無事にお戻りで」

 重々しく恭しく、いかにも女王第一の重臣の威厳を繕って、頭を下げる。
 しかしゆっくりと頭をあげた彼は、眉を寄せた。
 女王と王女の様子がおかしいのだ。

「コンスタンス、城に戻ったら、こんなもんでは済まないからな」

「……かあさま、ごめんなさい。ごめんなさい」

 カリマは厳しい顔でコンスタンスを叱っている。
 王女は今にも泣き出しそうだ。
 旅立ちのとき、母娘は朗らかに笑い合っていた。
 まあ、母と娘、しかも女王と王女だ。時には厳しいしつけも必要だよな、とマルセルはさほど気に留めなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

王家の面子のために私を振り回さないで下さい。

しゃーりん
恋愛
公爵令嬢ユリアナは王太子ルカリオに婚約破棄を言い渡されたが、王家によってその出来事はなかったことになり、結婚することになった。 愛する人と別れて王太子の婚約者にさせられたのに本人からは避けされ、それでも結婚させられる。 自分はどこまで王家に振り回されるのだろう。 国王にもルカリオにも呆れ果てたユリアナは、夫となるルカリオを蹴落として、自分が王太女になるために仕掛けた。 実は、ルカリオは王家の血筋ではなくユリアナの公爵家に正統性があるからである。 ユリアナとの結婚を理解していないルカリオを見限り、愛する人との結婚を企んだお話です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...