【R18】貧しいメイドは、身も心も天才教授に支配される

さんかく ひかる

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コーヒーを届けるだけでは済まされない

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 若い女が、王立大学の長い廊下を歩いている。
 大学は、ネールガンド王国が今のような大国になる前に創建され、四百年もの伝統を誇る。

 太陽はとっくに地の下に潜った。三日月もまもなく沈む。
 壁に掛けられたオイルランプが、石畳をほのかに照らしている。
 宮殿では夜通し灯りを点けているらしい。が、大学ではランプのオイルは貴重な燃料だ。オイルは教授や学生たちの実験にも使われる。無駄遣いはできない。

 女は、今宵こそ用を済ませたらすぐ戻ろう、と決意した。早く教授室から出ないと、灯りが消されてしまう。部屋に戻る途中、真っ暗な廊下でゴーストに会うかもしれない。

 レナが王立大学のメイドとなって半年になる。いつしか、夜、アーキス・トレボー教授の私室にコーヒーを届けるようになった。
 大学の寮には、街で流行っているようなコーヒー・ハウスが置かれ、教授や学生たちが活発な議論を行っている。
 しかしアーキスは、コーヒー・ハウスにも食堂にもあまり顔を出さず、よくメイドに食事や飲み物を届けさせていた。

「失礼します」

 ドアを開けると、目に映ったのは、床に寝そべる黒髪の男。両の腕を天井に伸ばし、オルガンでも弾くかのように指を動かしている。
 だらしなく転がっているこの男こそ、昨年、二十五歳の若さで王立大学の教授となった、アーキス・トレボーだ。
 レナはコーヒーカップとポットをテーブルに置き、ベッドからブランケットを取り、男にかけた。

「先生、そんなところで寝ていたら、風邪をひきますよ」

 男は、素肌にガウンをまとっている。ガウンは、チェスボードのように白と紺色の大きな格子の柄で染められている。ガウンの珍しい模様に目が惹かれたが、レナの心をざわめかせるのは、別のものだ。
 剥き出しの短い黒髪、鷹のように鋭い眼と鼻、そしてガウンの襟から覗く胸元。
 レナは他の教授にも食事や衣服を届けているが、未だにアーキスの紳士からほど遠い姿に慣れない。

『先生がだらしない? そりゃそうだよ。あたしらメイドはバカにされてる。紳士的に振る舞う価値がないってことさ』

 古参のメイドは厨房でカラカラ笑い、レナを諭す。
 ただのメイドである自分に対して、紳士的に振る舞ってほしいとは、期待していない。
 他の教授たちも、部屋ではウィッグを外し、コートとベストを脱ぎ、シャツの上にガウンを被っていることが多い。
 が、アーキスのだらしなさは、他の教授たちとはどこか違う。具体的にどう違うのかレナにはわからないが、彼の姿を目にしたときだけ胸の鼓動が速まるのだ。

『トレボー先生は美男子だ。あんたみたいな小娘が惚れるのは無理ないさ。でも、やめときな。大学の先生とは、結婚できないからね』

 レナは大学に来て早々、先輩のメイドたちから釘を刺された。
 メイドが主人に恋するなどあり得ない。レナは立場をわきまえていた。以前、豪商の元にいたときは誠心誠意仕えていたが、恋という感情が入る余地はなかった。
 そのはずだった。

 アーキスはムクッと起き上がり、ブランケットを丸めてソファにポスッと投げた。

「太陽をつかんだぞ」

 レナはすかさずブランケットを取り、ベッドに敷いた。
 太陽をつかむ? 学者の言うことはよくわからない。大学の高い塔に昇っても、一向に太陽に近づけない。故郷の村を出たとき山越えをしたが、それでも太陽は遥かな高みにあった。
 男は左手で拳を握りしめ、右手でコーヒーをすすっている。
 メイドとしての用事は終わった。部屋に戻ろう。見回りがランプを消さないうちに。

「先生、どうして太陽をつかむなんて恐ろしいことを、おっしゃるのですか?」

 女は質問してから後悔する。早く帰るつもりだったのに、なぜ自分は余計なことを口走るのだろう?

「お前は面白いことを言うな」

 アーキスの微笑みは、レナの胸を高鳴らせる。

「子供の時、教会の師司様が教えてくださいました。昔、人々が太陽をつかもうと塔を建てたら、神の怒りに触れ、塔が崩れて人々はバラバラに散ったと」

「それは高い塔を立てて雷が落ちたからだろう。真の神の教えとは、落雷の多い土地に高い建物を建てるな、ということだ。我々はしばし神の言葉を違えて聞く。そもそも太陽のつかまえ方が間違っている」

「太陽がつかまえられるとは思いません。また神様がお怒りになります」

「そうだな。神の御心は計り知れぬ。しかし……神は、自ら知ろうとする者を救ってくださるのだよ」

 レナは、貧しい雇われ農夫の娘だった。教会の師司が貧民救済に力を入れ、レナのような貧しい子供にも分け隔てなく神の言葉を伝えた。
 師司様がおっしゃってたのは「自ら助る者を助く」ではなかったか?

「私の救いの道は、果てしなく遠いようです。山の上からも手が届かない遠くの太陽は見えるのに、なぜ私の故郷は見えないのでしょう?」

 男は、コーヒーをすする動きを止めた。カップをテーブルに置いて、メイドに近づく。
 女は、また愚かなことを口走ったと後悔した。
 故郷の師司が熱心に教えてくれたお陰で、レナは簡単な読み書きができる。が、王立大教授と話せるほどの知識と教養はないと、自覚していた。

「お前は本当に面白いな。男なら私が推薦して学生にしてやれるのに、残念だ」

 女の頬に赤みがさした。自分の愚かな問いかけが、若き教授を喜ばせたから。

「それは、大地が球体だからだよ」

 言葉の終わりと共に、男は女の唇を吸い取った。
 ――ああ、今夜も私は、灯りが消える前には帰れない。
 女は、口内で暴れるざらついた舌の感触に、酔いしれた。

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