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三章 僕は彼女に伝えたい

63 愛の日、生まれた日 ※R

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 僕の誕生日は、バレンタインデーの前日だ。
 今日、僕は十九歳となった。僕と彼女の距離は変わらないのに、なぜか少し追い付いた気持ちになる。
 母が一緒に祝おうと誘ってきたが、断った。あいらに知られたら、彼女は母の誘いを受けるだろう。冗談じゃない。せっかくあいらが「一緒にいられるかな?」と聞いてきたのに、なぜ親と過ごさなければならない?
 あいらは僕の両親にすごく気を遣っている。が、いくらあいらが優しくても、親が割り込んでくるのは嫌だろう。
 親の過干渉で彼女に逃げられるのはごめんだ。


 その日の午後は二人とも実験ではなく講義だったので、早めに帰れた。彼女はチョコレートケーキを作ってくれた。
 ケーキを食べた後、あいらは、小さな箱をテーブルに置いた。

「変かな?」

 箱を空けるとシルバーのネックレスが現れた。トップに小さな八分音符が着いて、男物にしてはかわいすぎる。

「ハル君、ピアノすごいから」

 抵抗がないわけでもないが、彼女の期待を裏切りたくない。

「すごい、テンション上がるな、試験終わったら、ピアノレッスン再開するよ」

 夕食はビーフシチューだ。あいらは昨晩から煮込んでいた。
 早く帰ってきたため、食事までまだ時間がある。

「ハル君、プラネタリウムどうかな?」

 彼女の提案で、久しぶりに街のプラネタリウムに出掛けた。プレゼントということで彼女がチケットを買った。

 満天の星空に包まれた後、喧騒の中を歩く。彼女は「あ、木星!」と指を差した。

「プラネタリウムで、いっぱい星見えたね」

 都会の夜空では惑星をはじめ、一等星以下の星しか見えない。
 彼女の故郷では、満天の星空が見えるらしい。大きな目で、まばゆい電飾で隠された星たちを、探しているのだろうか?
 電車の中で言葉を交わさないままマンションに戻り、ビーフシチューを味わう。

 昨年の夏、彼女が初めてマンションに泊まったとき、故郷の祖父母を懐かしんでいた。何年も帰っていないと言っていた。
 あの時は、単に金がなくて帰れないと思っていた。
 彼女の母は、不倫が発覚し祖父母に勘当され、故郷を追われた。不倫相手は母娘を追いかけた。
 彼女は親に気を遣い、故郷に帰れないのだろう。

「春休み、おじいちゃんとおばあちゃんに、会ってきたら」

「へへ、できないよ。ハル君、もうわかってるでしょ?」

「お母さんと桑原さんはともかく、あいらは悪くないだろ」

 彼女はうつむいたまま、ゆっくり口を開いた。

「お父さんとお母さんが不倫したの、私のせいなの」

「そんなわけないだろ! 言いたくないけど、うちの父親もそういう勝手な人間なんだ」

 父の恥を明かしたくなかったが、話の流れ上、仕方ない。あいらは僕の父を尊敬しているから、失望しただろう。

「そっかあ。そういうことだったんだ。なんかわかったよ」

 あいらは素直に納得したようだ。あの男から、いかにも不倫しそうな雰囲気を嗅ぎ取ったのだろう。

「うちの親のこと、軽蔑しただろ」

「ううん、人には事情があるから……ごめん。不倫は悪いことだよね。私、わかってたのに……」

 あいらは、これまでの人生を語りだした。

 あいらが物心ついたときから、桑原さんは時々やってきて、あいらの面倒を見ていた。幼い時あいらは、彼を本当の父親と思いこみ、桑原さんもそれを否定しなかった。
 が、小学生になって、あいらの母は、高校時代の卒業アルバムを見せ、事実を伝えた。写真には、本当の父親と父親と思っていた男性と母の三人が写っていた。母は、桑原さんに妻子がいることも教えた。

「私、お父さんにお願いしたの『本当のお父さんになって』って。だから、お父さんはお母さんと……悪いことだと私も知ってたのに……」

「子供が頼んだからって、真に受けて不倫するか! 口実にしただけだろ! ごめん、あいらが大好きなお父さんのこと……」

「ううん……私たちはまとめて間違ってる。だから、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんが許せなかった……いまさら、故郷に帰れない……」

 ダイニングテーブルでうつむくあいらを、後ろからそっと抱きしめる。
 断じて彼女は悪くない。なのに彼女は自分を責めている。どうしたらいい? 何をしてやれる?

 待てよ? 彼女に何をしてやれる、だと? 自分は何を考えている?
 宗太の腕の中で彼女は、抵抗せず大人しくしていた。あの衝撃は忘れられない。
 あの時決めた。彼女への思いは捨てる。今は、彼女に効果的なダメージを与えるため、好きなふりをしているだけ。
 僕にはもっと相応しい女がいる。彼女より美しく賢く、そして……安易に他の男に流されない、僕だけの女が。


 まもなく後期試験が始まる。前期のような失敗はしない。サークルを辞めたため時間が増えた。ピアノやバイトなどやりたいことは山積みだが、今は試験に全力投球する。この勉強で希望の学科に入れるか決まる。

 休日はあいらと、マンションで一緒に勉強する。
 時々彼女は、「ごめーん、ここから先は一人でゆっくり考えるよ。ハル君に悪いよ」と、部屋に引きこもってしまう。
 夜は自然に別の部屋で勉強するようになった。
 なお彼女から「試験前一週間からエッチ禁止!」と宣言され、辛い状況になっている。一緒に暮らしほぼ毎日するようになってからの禁止令。切ない。

 その夜も、僕は一人でテイラー展開の問題を解いていたが、ノックと共にあいらが現れた。

「眠くなったからコーヒー淹れたの。ハル君もどうかな?」

 手渡されたマグカップに満たされた液体から、キリマンジャロの香りが漂ってくる。

「エスプレッソマシン使ったんだ」

「私、コーヒーってお湯を入れて溶かすのしか知らなかった。豆からひくと、いい匂いがするんだね」

「ローストマシンも買おうか」

 あいらがキョトンと首を捻っている。

「コーヒー豆の焙煎を家でやってみたいんだ」

「その機械って高いの?」

「自動だと十万ぐらいかなあ」

「うわあああ! もったいない! 私のバイト一月より多い!」

 残念だ。十万円以上の買い物は、ほぼ却下される。

「焙煎はフライパンでもできるから、まあいいか。あいらのコーヒー、おいしいよ。ありがとう」

「教えてもらった通りにしただけだよ。じゃあね。ハル君は、情報工学行くんだから、がんばってね」

 部屋から出ようとした彼女の腕を捉えた。

「あいらも情報工学行こうよ」

 同じ学科に行けば、同じ授業を受けられる。

「いやあ、私の成績じゃダメダメ。第一、私、プログラム苦手だもん」

 実験も不器用だし、彼女の得意なことってあるのだろうか?

「僕はあいらと一緒がいいなあ」

「へへ、でもさすがに進路は、そういう理由で決めちゃまずいよね」

 あいらが舌をペロッと出して、照れくさそうに笑っている。
 グレーのトレーナーにスッピンと色気の欠片もない。
 が、トレーナー如きでは、彼女の大きな胸は隠せない。
 数日間の禁欲で、僕は我慢の限界に達していた。
 腕が自然に彼女の胸に吸い寄せられ、トレーナー越しに柔らかな感触を味わった。

「だ、だめ! 約束! 今はエッチ禁止!」

「三日、我慢した」

 トレーナーのパンツをずりおろし、股間に指を伸ばす。軽く触れただけでとろりと液が滲んでくる。

「あ、私、勉強しないと」

「教えてあげるよ。有性生殖の方法」

「そ、そんなの試験に出ないよ。生物、取ってない」

 椅子に座る僕の太ももの上に彼女を座らせ、向かい合う。

「こ、こんな格好、エッチすぎる」

「何度もしたよ」

 僕の大好きな喘ぎ声が響き渡った。

 時々思う。
 もう復讐なんていいのでは? 同棲生活に問題はない。どちらの両親も認めている。彼女は弁当を作って掃除をしてくれる。
 何よりも、彼女の体をいじるのは楽しい。いつでも傍に置いておきたい。
 一緒にいるメリットは大きい。
 過去に宗太と何があっても、今は僕の物だ。僕に相応しい女とか、面倒なことを考えなくてもいいのでは?

「あ、す、好き……」

 が、彼女を抱くたびに、凶悪な衝動が突き上げてくる。この女は、アイツに抱かれた! アイツにもこんな風に抱き着いて、いやらしい声を出したのか?
 僕ではない僕がムクムクと形を成してくる。ソイツは叫ぶ。この女を徹底的に痛めつけてやれ! と。
 抑えろ! 二度と暴力を振るわないと誓ったじゃないか! 前と同じように殴ったら、今度こそ、彼女は出て行ってしまう。
 耐えろ! 僕から彼女を捨てる日まで耐えるんだ!
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