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四章 花嫁

61 結婚前夜

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 結婚準備に勤しむアレックスが、婚約者に尋ねた。

「君のウェディングドレスは、僕らに任せてくれないか?」

 少女は考え込んでから、提案を持ちかける。

「それなら、私は試着したい」

「君に煩わしい思いはさせたくないんだ。サイズはわかっているから、試着の必要はない」

 最後の日本語族は笑った。

「ドラマの花嫁は、結婚式の前にいっぱいドレスを試着してた」

「いいね! ようやく君が結婚に前向きになってくれて嬉しいよ」

 アレックスは小さなフィアンセを力一杯抱きしめた。


 結婚式前に実際のドレスを着る必要はない。生地の感触や着心地も、ウシャスで確認できる。
 しかし、美しい衣装を変身願望よろしく楽しみたい気持ちは、どの時代でも共通している。
 まれだが、ひみこのようにウシャスが使えない女性もいる。
 ブティックの衣装室には、白いドレスが溢れていた。

「小柄でお若い新婦さんは、プリンセスラインがいいですよお」

 ブティックのオーナーが勧める。

「そうだね。彼女は本当のプリンセスだからね」

 アレックスが、微笑む。
 ブティックのオーナーとアレックスがあれこれと言い合う中、ひみこはようやく切り出した。

「あの、もっと軽くて動きやすいので」

「は?」「え?」

 静かだった少女が意思を示したため、オーナーとアレックスは顔を身合わせた。

 シンプルで飾り気なしのスレンダーラインのロングスリーブ。
 モーニングに身を包みマハラジャの風格を備えたアレックスと並ぶと、背の低いひみこは釣り合いが取れているとは言い難かった。
 が、ひみこは、ドレスの要望を通した。

「わかったよ、僕の天使。君の言う通りに」

 どうにも貧相にしか見えなかったが、それも古典的ジャパニーズらしい奥ゆかしさの表現なのだろう、とアレックスは婚約者を愛おしく思った。

「ありがとう、アレックス。あと教会で練習したい」

「練習? ちゃんと式のリハーサルは、事前にやるよ」

「でも、私は日本語族で、失敗したらアレックスに迷惑をかけるし」

 新婦の強い希望で、事前に教会で式のリハーサルが行われた。
 ひみこは、当日と似たようなデザインのドレスを着て、アレックスと共にバージンロードを歩いた。何度も往復して、速度を確かめる。
 ひみこがよく見たドラマの結婚式では新婦は父と歩いていたが、新郎と新婦が並んで歩く方が伝統的だと、アレックスから聞かされる。
 アレックスは母を結婚式に呼ばない。ひみこの両親もマスコミ対策のため結婚式に呼べない。ひみこはそれを、受け入れた。

「親が出ない結婚式って変かな?」

 ひみこは歳上の婚約者を哀れに思い、なんとなく腕を伸ばす。アレックスがその腕を取った。

「そんなことはないよ」

 皇帝の末裔が、寂しそうに微笑んだ。


 フィッシャーは支部長室で、いつものように上司にエスプレッソを入れる。

「アレックス、ひみこさんの動きが怪しい。警戒すべきかと思います」

 フィッシャーは、ひみこが親に会えないのが気の毒に思い、何度もアレックスに働きかけた。しかし、それは果たせなかった。
 彼は、ひみこが未だに親に会えないのは両親の意志でもマスコミ対策でもなく……アレックスが原因だと確信している。フィッシャー自身が、ひみこへのアクセスを求める人々のメッセージを遮断してきたように。
 彼は覚悟を決めた。何が何でも、上司をお気に入りの娘と結婚させる。脅迫に屈したのもあるが、引継ぎ事項を思い出した。『御曹司には好きにさせろ』だ。ダヤル社のため、地球の平和のためなのだ。

「心配しなくていいよ、アーン。ようやく彼女が結婚に前向きになってくれたんだ」

「だからですよ。この前ひみこさんは、私のロボットに、新婚旅行を自分で手配したいって言ってきたんです」

「アーン。そんなこと言わないでくれ。彼女は僕をサプライズしたかったに違いない」

 アレックスのにやけ顔が止まらない。

「彼女は東京に行きたいそうです。エアカーとハイパーメトロを手配しました。交通費も自分で出すと言うから、その通りにしてあります」

「まったくアーン、本当に気が利かないね。僕はこれから驚く演技をしなければならないんだよ」

 結婚前のだらしない男には何を言っても通じない。フィッシャーは諦め、別の提案を試みる。

「結婚式の様子は配信しない方がいいと思います」

「配信料は欲しくないのか? 研究センターに金はいくらあってもいいだろ?」

「あ……その、鈴木ひみこさんは日本語族です。伝統的な教会の儀式で、何か失敗するかもしれません。彼女の醜態が全世界に発信されたら、可哀相だと思いませんか?」

 秘書の提案にアレックスは考え込む。

「ひみこはそれをひどく心配して何度もリハーサルをしていた……が、君の言うとおりだ。では、参列者の機器やウシャスでの記録も制限したほうがいいな」

「その方が安全です。教会の壁のセンサーで記録し、後日、編集して配信しましょう。参列者にはスペシャルエディションを送りましょう」

 支部長は秘書の金髪をクシャクシャにかき乱した。

「ありがとうアーン! 君は僕が知っている中で、最高の秘書だよ」


 ひみことアレックスは、スイートルームで夕食を取った後、リビングのソファで、結婚前の男女らしく身を寄せ合っていた。

「日本人は儀式が好きだよね。君のために豪華なパーティを開きたいんだ」

「私の親もアレックスのお母さんも来ない。派手にやらない方がいいし、パーティもない方がいいと思う」

「いいよ、君の言うとおりにするよ。それよりアーンから聞いたよ。僕にプレゼントだって?」

「はい。ハネムーンは、私に手配させて」

「僕が考えたんだけどな。エジプトで皆既日食を見るんだ」

「アレックス、わかった。それはちゃんとハネムーンに入れるね」

 暗い照明の元、男が笑った。

「嬉しいよひみこ。そうだ。二年後、月へ行こう。今度は月で日食を見るんだ。僕らはこれから、長い時間を共に過ごすんだよ」

 アレックスは四年前、かつての恋人アイーダと月で日食を見た。あの時ひみこは、恋人と出かけるアレックスに腹が立って仕方なかった。
 これから長い時間を共に過ごす……ひみこは曖昧に笑った。


 少女が眠るゲストルームに、アレックスはゆっくりドアを開けて入る。
 キングサイズのベッドの端に腰を下ろした。
 大丈夫。絶対に彼女は目覚めることはない。
 浴槽のミストの睡眠効果は絶大だ。
 毎晩、アレックスがこうして訪れても、ひみこは一度も目を覚ますことはない。

「明日からは、ミストの成分を変えないとな。新婚の妻に相応しいものに」

 男は、明日、花嫁となる若い娘の髪を手に取り、鼻をよせた。

「愛し合うのに、こうもぐっすり眠られては興ざめだからね」

 細い腕を取って、手の甲に口づける。

「ああ、ひみこ……君は何て美しいんだ……」

 少女の身体を起こした。首が前のめりに折れるが目覚めるようすはない。ナイトウェアを通して背中に唇を寄せる──いつものように。

「愛しているよ……でも僕は、結婚前の君を汚したりはしないからね」

 男は、若すぎる女の肩に、肘の内側に、首筋に、足首に、膝頭に、布地を通してそっと口づける──いつしか習慣となった夜の楽しみ。
 唇に指を這わせた。

「約束は守るよ。本当のキスは神の許しを得てからだ……でも……」

 男は少女の耳元に唇を寄せる。

「今夜限りだ……おやすみ、僕の天使」

 頬に口付ける音がベッドルームに響いた。
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