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三章 国民のアイドル

31 久しぶりの日本語

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 その少年は、典型的なアジア系の顔立ちをしていた。
 黄味がかった白っぽい肌に、太いまっすぐな眉毛。目は大きいが黒目より白目が目立ち、眼光が鋭い。
 短く刈り込んだ髪から、ひみこは、熱血スポーツドラマを思い出した。

 グエン・ホアからひみこを託された若い教師リー・ジミーは、観客席ではっと我に返り立ち上がる。
 フィッシャーはただじっと舞台を睨みつけている。

 少年はしゃがみ込んでひみこをじっと見つめた。

「ソノゴーグル……ゴメンナサイ、ニホン語ムズカシイ」

 彼はおずおずと共通語に切り替えた。

「そのゴーグル、情報障害者対応の通信グラスだよね? 鈴木さんは、ウシャス障害なんだね?」

 声変わりが終わったばかりのような、生硬いポツポツとした声。
 ひみこは、親指の付け根を押した。通訳アプリのおかげで、ひみこはスポーツ風少年の意図はわかった。が、なぜ彼が、ひみこの「ウシャス障害」を知っているのか疑問に思い、何も答えなかった。答えられなかった。
 そして今まで感じたことがない正体不明の温かい何かが、彼女の脳内で広がる。

 二人がやり取りしている間にリー教師が椅子を持ってきた。少年が、パッと顔を輝かせる。

「リー先生!」

 椅子を抱えた教師が少年に笑いかけた。二人は顔見知りらしい。少年は、教師の学校の生徒のようだ。
 リーは椅子を置き、ひみこを立ち上がらせ、座らせた。

「足、痛くないですか?」

 ひみこは、リーの問いに答えようと足を動かす。笑ってみせたが、どうやら足首を捻ったようだ。

 ──ダサ。日本語族なんて意味ないじゃん
 ──共通語も、全然話せないし
 ──勘弁してよ。鳥取から来てんだよ、こっちは。

 いくら、ひみこが耳をふさいでも、心の声の波が襲ってくる。
 古代エジプトの戦車に引かれたときと同じ恐ろしさに、少女が飲み込まれようとしたとき──。

「みんなやめなよ!」

 少女の傍らで少年は立ち上がり叫んだ。

 見知らぬ少年の大声に、ひみこはハッと顔を上げる。
 さきほど彼女に話しかけた声とは違い、ハリのある大声だ。
 ひみこの襟に装着したマイクを通して、会場に響き渡る。

「鈴木さんは、僕らと違う。情報障害者なんだ。このゴーグルはそういう人のための通信装置なんだ」

 少年の大声で、生徒達の心の声が止まった。

「僕らは心の声が入ってきても、バリアを作ることができる。でも鈴木さんはできないんだよ! 今、この人は、すごくすごく傷ついてるんだ。こうやってみんなの前にいるだけでも大変なんだよ」

 ガタン。
 ひみこは椅子を後ろに蹴飛ばし立ち上がった。

「バカにしないで! みんなの前で話、できる!」

 一足の草履が、ゴロっと投げ出される。

「ダイジョーブ? アシ、イタイ?」

 ひみこは捻った足の痛みに顔をしかめる。
 足は痛いが、温かな何かが脳を満たすのを感じる。それは……少年の心。ウシャスのゴーグルに初めて伝わってきた、罵詈雑言ではないメッセージ。
 しかし、ひみこの中には、温かなメッセージを打ち消すほどの強固な意志が生まれた。
 心が通じるゴーグルを外した。

 彼女の脳からノイズが消えた。そして温かな何かも消えた。
 爆発後に残った怒りの炎が、最後の日本語族を動かす。
 ひみこは力いっぱい叫び両手を広げた。

「私は共通語が上手く話せません。日本語で話します」
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